十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

浪花千栄子 浪花ざくら2

2021-03-31 18:45:13 | 散歩

浪花千栄子の自伝「水のように」の中に「後醍醐帝の無りょうをお慰めすべく、夢窓国師が吉野からとりよせて嵐山全山に植えられたものの中の、最後に残った一本と申し伝えられる名木の山ざくら」とある。当時樹齢150年と言われていたので、時代的に少し無理がある。しかしそのようなことが地元の人々に語り伝えられているほど、名木、古木には違いない。浪花がこの山桜が立つ畑をやっと買い、終の棲家を建て、また敷地内に料亭竹生を開業。1973年66歳で急逝するまで住んで愛した家である。10数年前に佐野藤右衛門の本「桜花抄)で「浪花ザクラ」という桜の存在を知った。「佐野桜」以外に個人の名前が付けられた桜の木があるんやと感心したことを覚えている。テレビで「おちょやん」が始まり、その桜を探してみようと思いたった。昨秋12月確認のため本を持って訪れた。佐野藤右衛門の本の中の写真と記述通りの場所に大きな屋敷があり、その家の敷地に桜の大木が塀越しに見えた。うれしかった。山櫻があった。晩秋桜は葉もなくもちろん花もなかった。武田尾の亦楽山荘の山桜も見事であったが、その桜も私が行ったときはもう満開の時期を過ぎ、花が舞い落ちていた。この桜も満開の時期を過ぎているんではと危惧しながらも、やっと来ることができた。その願いの日が今日であった。この桜を見るべく嵐山に妻ときた。両足とも調子が悪いのだがそんなことは言っておられなかった。阪急電車で朝早く出かけた。普段は車での移動なので二人で電車というのも久しぶりのことだ。高槻の京大の農場は大きな公園になっていた。ポプラ並木も果樹園も田んぼもない。妻の実家が高垣町にあり、子供が幼いころこの農場の中を通る道がのどかな雰囲気を醸し出し、季節季節楽しんだものだ。嵐山まで約40分。駅前の桜は満開で、期待は膨らんだ。渡月橋からみる川面には鴨、鵜、サギ。そしてもうツバメが飛び回っていた。渡月橋を渡り左に折れすぐ目的地についたが、ああ残念、桜はすっかり葉桜になっていた。山櫻は一本一本開花時期が異なることはわかっていたが、浪花ザクラの開花は早すぎた。私を見たいのならもっと早く何度も何度も来なさいよと言われたようで、見事一本取られた。でも妻と一緒においしいランチを食べられたのだから良しとしよう。

 

 

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桜の季節

2021-03-24 19:26:29 | 野鳥

最近膝の調子が悪く、仕事以外めったに家を出ない。それがまた膝にとって悪循環になっているのかもしれない。窓から外を見ると桜が咲き始めたよう。桜となると心が躍る。カメラを持って階段を降りる。のぼりより下りが膝には堪えるが、手すりを杖に降りた。公園で一番気になるのは山桜。この公園には山桜が三本。名札があるのは一本だけなので気が付かない人も多いだろう。山桜の花は上品で好きだ。去年確認した山桜はちらほら咲き始めていた。嵐山の浪花千恵子の旧宅の嵐山1の山桜も咲き始めているのだろうか。近々妻と行くつもりだ。この公園は桜も多くあるが椿もいろいろな種が豊富に植えられている。椿は満開だ。椿の挿し木も挑戦してみたい。葉で挿し木をすると花が咲くまで時間がかかりすぎる。この公園に一本ある彼岸桜は満開の時期を過ぎたようだ。鳥が来たので眺めると、メジロとスズメ。カメラに収めたが望遠でないのでうまく取れたか自信がない。彼らが飛び立ったので、別の木の上に特徴のある鳥の声。一羽のジョウビタキ。カメラで追うが動きが速い。住宅の公園に戻るとツグミがいた。花と鳥たちにリハビリの手伝いをしていただいた。

山桜 赤白椿を つつみをり

       

 

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友の死

2021-03-11 16:01:58 | 柔道

 昨夜帰宅すると一枚のはがき。高校時代の柔道部の仲間の娘さんからのものだった。昨年の4月同期で会うことになっていたが、コロナで延期。一昨年の4月が我々が会った最後だった。十三の居酒屋でにぎやかに酒を酌み交わし大いに盛り上がった。病後であったが声も大きく生気に満ちていた。これ偉丈夫といった男だった。いつも強気でその人生も積極的で、若くして滋賀で会社を立ち上げ経営者となっていた。年賀状のやり取りはあったが会うこともなく数十年、彼の住所は滋賀から四国そして八尾と点々としていた。その間彼がどのような人生を歩んでいたか知らない。彼との再会は高校時代の柔道部の師範のお墓参りの時であった。師範のお墓は本満寺にあった。京都の日蓮宗の本山の一つで鴨川近くにあった。京都は桜の時期で観光客で賑わっていた。京都駅で集合、地下鉄今出川からは歓談しながら寺まで歩いたが、私は彼の速さについていくので精一杯であった記憶がある。お寺の枝垂桜も見事に満開であった。柔道もそうだったが、人間としてもスケールの大きく別れるのに惜しい、もう一度会っていろいろと話しあってみたい友であった。人生は本当に短い。人生の短さを痛感する。コロナがなければ、昨年あっていたと思うと残念で仕方がない。お墓詣りからこれで3人の友と別れることになってしまった。 

 あとやさきのこるいのちも桜花かな

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