共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日は《ラデツキー行進曲》初演の日〜マリス・ヤンソンス指揮によるウィーンフィル・ニューイヤーコンサート

2023年08月31日 18時50分30秒 | 音楽
今日も神奈川県は、なかなかの暑さとなりました。昨今は朝晩に秋の気配を感じるようになっているものの、それでも日中は暑いことに違いはありません。

ところで、今日8月31日はヨハン・シュトラウス1世作曲の《ラデツキー行進曲》が初演された日です。


(ピアノリダクション版の初版表紙)

《ラデツキー行進曲》作品228はヨハン・シュトラウス1世の最高作といわれるだけでなく、クラシック音楽全体でみても有数の人気曲です。1848年革命の最中に、当時オーストリア帝国領であった北イタリアの独立運動を鎮圧したヨーゼフ・ラデツキー将軍(1766〜1858)を称えて作曲されました。

この当時イタリア半島では民族統一運動が盛んで、オーストリア帝国領であった北イタリアでは「ドイツ民族からの独立」を目指して激しい闘争が繰り広げられていました。しかし1848年7月、ヨーゼフ・ラデツキー将軍の率いるオーストリア陸軍がその闘争の鎮圧に成功しました。

この勝利を記念するために、「イタリアで戦った勇敢なる将兵の賞賛と傷病兵への募金を兼ね、寓意的、象徴的表現と格別な啓蒙を意図した大勝利感謝祭」が8月31日に開かれることとなりました。この祝典のために新曲を依頼されて



作曲に取りかかったヨハン・シュトラウス1世(1804〜1849)は、ウィーンの民謡を2つ採り入れて、わずか2時間でこの名曲を完成させたといわれています。

初演は大変な好評を博し、この行進曲のおかげで政府軍の士気は大いに高揚したことで、のちに政府側の人々から

「 1848年革命からウィーンを救ったのは、間違いなくヨハン・シュトラウスである。 」

とまで言われました。そして、それまではワルツ《ローレライ=ラインの調べ》(作品154)がシュトラウスの代表作とみられていましたが、この《ラデツキー行進曲》が初演されるや、それまでの既存のシュトラウス作品の影をことごとく薄くしてしまったのでした。

以降この曲は、様々なコンサートでのアンコールピースとして演奏されるようになりました。その中でも特に有名なのが、毎年元日に開催されるウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのアンコールでの演奏です。

ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでは、毎年様々な指揮者が登壇してワルツやポルカが演奏されます。そして毎年大トリとして《ラデツキー行進曲》が演奏され、観客たちの手拍子とともに盛り上がってコンサートを締めくくります。

この手拍子は作曲当初からあった習慣ではなく、かつてウィーン・フィルのコンサートマスターも務めながら指揮活動もしていたウィリー・ボスコフスキー(1909〜1991)が始めたものといわれています。今や観客たちの手拍子はこの名曲の演奏の一部として欠かせないものとなっていて、指揮者が率先して観客の方を向いて指揮して手拍子を促したりもしています。

そんなわけで、今日はヨハン・シュトラウス1世の代表作《ラデツキー行進曲》をお聴きいただきたいと思います。コロナ禍中の2019年に他界してしまったマリス・ヤンソンス指揮による、2006年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのアンコールでの演奏でお楽しみください。


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名残惜しい『桃のワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年08月30日 18時55分18秒 | カフェ
今日も関東地方は暑くなりました。神奈川県はギリギリ回避したものの、隣接する東京や埼玉では猛暑日を記録しましたから、結果似たようなものでした…。

今日は横浜あざみ野の音楽教室の日なので、夕方前から出勤しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は何をおいても、今日で終わってしまう『桃のワッフル』をオーダーしたのですが、今回出てきたのが



これです。前回オーダーした時には



桃のコンポートがこれくらいの量だったのですが、もう終わってしまうからかいつもより余計に盛り盛りになっていて、何なら



桃ソルベの上にまで桃のコンポートがのっていました(笑)

今回は、



今日最後の一杯となった水出しコーヒーと一緒に、名残を惜しみながら堪能しました。いつも水出しコーヒーはストレートでいただくのですが、何だかガツン!とくる感じの味わいだったので見てみたら



なんと今日はキリマンジャロの水出しコーヒーでした。

道理でいつにも増して深い味わいだな…と思ったのですが、思いがけない贅沢をさせてもらえました。

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やっぱりハンズは魔窟だわ…

2023年08月29日 19時50分15秒 | 日記
この金曜日から小学校がスタートするということで、先週あたりから徐々に平日モードに切り替えつつあります。それで、装備品をチェックしていたら意外と足りなくなっていたりするものがあったので



東急ハンズに買い物に行くことにしました。

予め買う予定のものをピックアップしてから、ちょっと魔が差してあちこち探索してみることにしました。今にして思えば、これがいけなかったのです。

文房具コーナーを冷やかしていたら、



マスキングテープの売り場に来てしまいました。一瞬

『うっ…!』

と思ったのですが、気がつけば



色とりどりのマスキングテープを物色している自分がいました…。

そして…

結局



買ってしまいました…。やはり楽器柄は、どうしても無視できない性分なようです。

しかも、このマスキングテープは



箔押し加工のものなので、お値段も若干お高めなのです。そして、写真を御覧いただいて分かる通り、ハイ、2個買いしました…。

無駄遣いしないように気をつけていても、どうしても財布の紐が緩んでしまう…東急ハンズとは、そんな魔窟です。あな、恐ろしや…。

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今日はヴァーグナーの楽劇《ローエングリン》初演の日〜飯守泰次郎氏を偲んで『エルザの大聖堂への行進』

2023年08月28日 17時17分17秒 | 音楽
今日も日中は、茹だるような暑さとなりました。そろそろ9月になろうというのに、どうにかならないものでしょうか…。

ところで、今日8月28日はヴァーグナーの楽劇《ローエングリン》が初演された日です。

1843年にヨハン・ヴィルヘルム・ヴォルフが編纂した『オランダ伝説集』が出版されました。この中にコンラート・フォン・ヴュルツブルクによる『白鳥の騎士』の物語が含まれていて、ヴァーグナーはこれを読んで着想を得たと考えられています。

1845年8月に、ヴァーグナーは台本の散文スケッチ完成しました。同年11月に前作《タンホイザー》をドレスデンで初演した直後に《ローエングリン》の台本も完成しました。

1846年、春から作曲にかかったヴァーグナーは3ヶ月でスケッチを完成させ、9月からオーケストレーションにとりかかりました。しかし、ドレスデン歌劇場の仕事のために中断を余儀なくされてしまいます。

翌1847年8月に、全3幕のオーケストラ・スケッチが完成し、1848年1月から4月にかけて総譜を浄書しました。しかし、1849年にドレスデンで勃発した5月蜂起に参加したヴァーグナーは革命運動に失敗して当局から指名手配され、フランツ・リスト(1811〜1886)の助けを得てスイスのチューリヒに亡命することとなってしまいました

それでも1850年8月28日、リストの尽力によって《ローエングリン》がヴァイマールで初演の運びとなり、リスト自身の指揮によって初演されました。この時ヴァーグナーはなんとか初演を見たいとドイツへの潜入を画策しましたが、リストに制止されて断念せざるを得ませんでした。

この前後、《ローエングリン》の初演を巡って、ヴァーグナーとリストは頻繁に手紙を交わしていました。結局ヴァーグナー自身が全篇上演を観ることが叶ったのは、ヨハン・シュトラウス2世がヴァーグナー紹介に努めたウィーンの宮廷歌劇場による1861年の舞台でした

そんな《ローエングリン》で、個人的に思い入れがあるのが『エルザの大聖堂への行列』という音楽です。

『エルザの大聖堂への行列』は楽劇第2幕第4場で、騎士ローエングリンとの婚礼のため礼拝堂に向かう王女エルザの行列が進んでいく場面で演奏されます。本編ではこの厳かな音楽は悪役オルトルートの突然の登場により遮られて終わりますが、楽劇から離れて器楽合奏曲として単独で演奏されることもあります。

昨今ではこの『エルザの大聖堂への行列』は吹奏楽で演奏されることが多い曲です。特に、フランス生まれの編曲家ルシアン・カイリエ(1891〜1985)によるアレンジは吹奏楽用にエンディングが書き加えられていて、劇中の音楽とはまた違った魅力をもつものとなっています。

私が中学校の吹奏楽部に在籍していた時、吹奏楽コンクールの県大会でこの『エルザの大聖堂への行列』を自由曲で演奏していた学校がありました。私が生でヴァーグナーの音楽を聴いたのはそれが初めてでしたが、その壮大な音楽に感動し、後に楽劇本編を観て吹奏楽版との違いに驚愕したものでした。

そんなわけで、今日は8月15日に逝去された飯守泰次郎氏(享年82)の指揮、東京佼成ウインドオーケストラの演奏による吹奏楽版の『エルザの大聖堂への行進』をお聴きいただきたいと思います。日本におけるヴァーグナー演奏の大家として知られた飯守泰次郎氏の指揮による、厳かな演奏をお楽しみください。

ここに謹んで、飯守泰次郎氏の御冥福を御祈念申し上げます。合掌。


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御恩返しのボランティア参加説明会

2023年08月27日 12時00分30秒 | 日記
いよいよ夏休みが終わり、今週末から小学校勤務が再開します。それだからというわけではないのですが、今日は朝から小田原に行きました。

小田原駅のほど近くにある



『おだわら市民交流センターUMECO』にやってきました。この『UMECO』という施設名は、


(小田原市HPより)

2009年まで小田原城址公園内の動物園にいたインドゾウのウメ子さんに由来しています。

今日はこちらで



9月16日(土)と17日(日)に開催される『小田原えっさホイおどり』のボランティア説明会がありました。昨年度、私が勤務している小学校の放課後子ども教室の子どもたちに



『えっさホイおどり』の踊り手さんたちがいらしてレクチャーをしていただいたことがあったので、その御恩返しにと思って今回参加することにしたのです。

会場では



ポスターとともにボランティア活動についてのプリントが配布され、実行委員長から大まかな説明がありました。様々な役割分担がありましたが、基本は観客や演者を誘導する係になるようです。

制限が無くなってからの昨今コロナ罹患者がジワジワと増えていることもあって、運営サイドは神経を尖らせているようでした。加えてこの夏の猛烈な暑さもあるので、健康に留意して、体調に変調をきたしたら無理をしないで報告するようにとも伝えられました。

今回の演舞会場が全部で6箇所あって、それぞれに設定や進行や導線が違うので、細かい点についてはボランティアスタッフとして割り振られた会場毎に行われることになりました。随分昔に『えっさホイおどり』を観に行ったことはあるのですが、参加する側に回るのは初めてなので、どんなイベントになるのか今から楽しみです。

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バッハによる名曲の意欲的編曲作品《チェンバロ協奏曲 ニ短調 BWV974》

2023年08月26日 15時11分51秒 | 音楽
今日は朝から雲が多めの空となりました。午後からは遠雷も聞こえるようになり、大気の状態が不安定な様相を呈していました。

さて、一昨日アレッサンドロ・マルチェッロの《オーボエ協奏曲 ニ短調》のことを書いた時に、バッハがこの曲をチェンバロ独奏用に編曲していることについても軽く触れました。ただ、本当に『触れた』だけにしてしまったな…と思って、今日はそのことについて書いてみようと思い立ちました。

若い頃のバッハは、当時仕えていたヴァイマールの宮廷でヴィヴァルディをはじめとしたイタリアの作曲家たちの音楽を積極的に学んでいました。そして、その過程で彼らの音楽をチェンバロ用やオルガン用に編曲していきましたが、その中にはマルチェッロの《オーボエ協奏曲 ニ短調》もありました。

バッハの編曲は



基本的なラインは原曲に沿って書かれています。その上で、鍵盤楽器ではちょっと間延びしてしまうような箇所に音符を書き足して、鍵盤音楽としても聴き応えのある作品に仕上げています。

オーケストラのユニゾン部分はチェンバロでは両手のオクターブで弾くことになるため、マルチェッロのオリジナルと比べると軽やかさに欠ける感じがする場面もあります。それでも、若きバッハがこのマルチェッロの名曲から何かを学びとろうとする意気込みは十分に伝わってきます。

そんなわけで、今日はアレッサンドロ・マルチェッロの名曲を編曲したバッハの《チェンバロ協奏曲 ニ短調 BWM974》をお聴きいただきたいと思います。チェンバロでの演奏効果を狙った、バッハの意欲的編曲作品をお楽しみください。


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残念な祭り『厚木JAZZ NIGHT』

2023年08月25日 22時22分22秒 | 音楽
今日は、『あつぎ鮎まつり』『あつぎ大道芸』と並ぶ、個人的に思う『厚木3大ダメダメまつり』のひとつ『厚木 JAZZ NIGHT』に行ってきました。本当は昨日から開催されていたのですが、昨日はアレッサンドロ・マルチェッロを優先しました(笑)。

会場となるのは、本厚木駅近くにある厚木公園、通称『はとぽっぽ公園』です。こちらには



野外音楽イベントを意識したステージがあり、これがメインステージとなります。

期間中はここで、スリーピースバンドやビッグバンドといった様々な編成のパフォーマーが登壇します。そして、毎回トリを務めるのが米軍座間キャンプの在日米軍バンドです。

今回も



『A列車で行こう』や『ミスティー』をはじめとしたジャズの名曲を次々と披露していきました。最後には『八木節』のジャズアレンジも飛び出して、会場のボルテージは一気に上がりました。

ふりさけ見れば



月が傾く夜空の下で、美味しいお酒と美味しい料理、そして上質な音楽と、夜の雰囲気は嫌でも盛り上がります。

が…

「え〜、宴たけなわではございますが、『近隣住民への配慮』のために御披楽喜とさせていただきます。」

という司会者の声に、会場のボルテージはダダ下がりになります。

これが、このJAZZ NIGHTの最大の欠点です。『NIGHT』を謳っているフェスが21時前に打ち切られるというのは、ダサいことこの上ありません。

このJAZZ NIGHTを含めて、厚木で開催される祭りは残念なものが多いのです。今年は多選を極めた前市長が退陣して新たな市長が就任したこともありますから、そのあたりもどうにかならないかと期待してみたりもしますが、一体どうなりますやら…。

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今日はアレッサンドロ・マルチェッロの誕生日〜バッハも魅了された《オーボエ協奏曲ニ短調》

2023年08月24日 17時22分17秒 | 音楽
今日は朝から狐の嫁入りが繰り返される、妙な天候となりました。張れる度に降った雨が蒸発するので、いつまで経っても湿度が高いままの状態が続いていました。

ところで、今日8月24日はアレッサンドロ・マルチェッロの誕生日です。



アレッサンドロ・イニャツィオ・マルチェッロ(1669〜1747)は、作曲家の他に数学者や哲学者として多分野にわたって活躍した人物です。

イタリア・ヴェネツィアの貴族の家に生まれたアレッサンドロ・マルチェッロは、「エテーリオ・スティンファーリコ Eterio Stinfalico」というペンネームを用いて《12のカンタータ》作品1のほか、数冊のコンチェルト集を出版しました。今日ではその作品は滅多に演奏されなくなっていますが、生前のアレッサンドロは卓越した作曲家として、また楽器蒐集家としても著名でした。

アレッサンドロ・マルチェッロの代表作といえば、何と言ってもオーボエ協奏曲 です。《オーボエと弦楽合奏のための協奏曲 ニ短調》は、1700年代初頭の作品です。

この協奏曲はマルチェッロの最も有名な作品であり、また西洋音楽史上に数多あるオーボエ協奏曲の中でも特に有名な作品の一つとなっています。かつてこの曲はアレッサンドロの弟のベネデット・マルチェッロ(1686〜1739)やアントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜1741)の作品と誤って伝えられてきたこともありましたが、現在ではアレッサンドロ・マルチェッロが真の作者であることが知られています。

第1楽章はアンダンテ・エ・スピカート。
低音を欠いた弦楽器のユニゾンに導かれてオーボエが優美なメロディを奏で、このやり取りが交互の演奏されることによって曲は進行していきます。低音を欠く弦楽合奏に先導されることによってキビキビとした中にも軽やかさを内包した音楽となり、最後は弦楽器のユニゾンで堂々と終わります。

第2楽章はアダージョ。さざ波のような弦楽器の伴奏に乗って、オーボエという楽器の特性を十分に活かした哀愁を帯びたメロディが展開していきます。ここでもオーボエソロの伴奏では通奏低音が沈黙し、そのことによってニ短調という調性に漂う独特の重さを軽減することに成功しています。

第3楽章はプレスト。オーボエソロで始まり、ところどころで哀愁を漂わせた旋律が軽快なテンポで駆け抜けていきます。弦楽合奏も華やかに展開していき、颯爽と全曲を閉じます。

この曲は、後にバッハによって《チェンバロ協奏曲BWV974》(チェンバロ独奏用)に編曲されました。また、第2楽章が1970年公開のイタリア映画『ベニスの愛』のラストシーンで主人公が演奏する曲として使われ、単独で脚光を浴びるようになりました。

そんなわけで、アレッサンドロ・マルチェッロの誕生日てある今日は、彼の代表作《オーボエと弦楽合奏のための協奏曲 ニ短調》をお聴きいただきたいと思います。マルセル・ポンセールのバロックオーボエソロと指揮による、イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏でお楽しみください。


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慶應義塾高校107年ぶりの甲子園優勝と『コーヒーグラニテ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2023年08月23日 17時55分17秒 | カフェ
いやぁ…すごかった!

今日、甲子園球場で夏の全国高校野球決勝戦が行われ、神奈川県代表の慶應義塾高校が宮城県代表の仙台育英高校を8-2で破って優勝を決めました。



慶應義塾高校は1916年の第2回大会以来、実に107年ぶりの優勝を勝ち取りました。

初回に2点を先制した慶應は、5回に一挙5点をもぎ取る猛攻を見せました。仙台育英高校も2点を奪い返す反撃を見せましたが、県大会から乗りに乗っている慶應の勢いを止めることはできなかったようです。

今回の大会では、野球以外の枝葉末節のことで慶應を叩く向きが多く見受けられました。しかし、慶應が優勝をかざるという結果を出したことでその枝葉末節の輩は一気に負け組になってしまったわけですから、明日以降の彼らの言い分が楽しみです(性格悪いな…)。

神奈川県民である私としては、勿論ものすごく嬉しい気持ちになりました。と同時に、東北生まれの私としては仙台育英に連覇を成し遂げてもらいたかったな…という残念な気持ちもあり、心中は何とも複雑です。

そんな高校野球の結果を噛み締めながら、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はとにかく暑かったので、



『コーヒーグラニテ』をオーダーしました。本当は『桃のワッフル』をオーダーしようかと思ったのですが、暑さに根負けした感じです…。

高校野球が終わると、夏休みの終わりが近づいていることを感じます。気づけば来週末には始業式ですから、今から心身を少しずつ学校モードにしていこうと思っております。

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今日は『天の元后聖マリアの記念日』〜ビーバー《ロザリオのソナタ》から第15曲『聖母戴冠』

2023年08月22日 12時22分21秒 | 音楽
今日は朝から狐の嫁入りがありました。その分、昨日の猛暑日よりほんの少し気温が下がったのですが、時折日が差すと地面の雨が蒸発して一気に湿度が高くなったりもしました…。

ところで、今日8月22日は『天の元后聖マリアの記念日』です。かつてこの記念日は5月31日でしたが、典礼暦の改訂後、聖母被昇天の8日目にあたる8月22日に祝われるようになりました。

これは1954年に、時の教皇ピオ12世(1876〜1958)が発表した回勅“Ad Caeli Reginam”(アド・チェリ・レジナム)によって定められました。この回勅のなかで、教皇は

「マリアは神の母であり、新しいエバとしてイエスのあがないの業に参与した。また、卓越した完徳と、力強い取り次ぎによって、天の元后と呼ばれるにふさわしい方である」

と述べています。

この『天の元后聖マリアの記念日』に関連するものとして多く描かれたのが『聖母戴冠』の絵です。被昇天した聖母マリアが父なる神とイエス・キリストから天の元后の冠を授かるという構図で、有名なところでは


(パリ・ルーヴル美術館蔵)
画僧フラ・アンジェリコ(1395〜1455)


(フィレンツェ・ウフィツィ美術館蔵)
サンドロ・ボッティチェリ(1445〜1510)


(スペイン・プラド美術館蔵)
ディエゴ・ヴェラスケス(1599〜1660)

などのルネサンス期やバロック期のものがあります。

そして、音楽としては《サルヴェ・レジーナ(元后あわれみの母)》や《レジーナ・チェリ(天の元后)》、《アヴェ・マリス・ステラ(光り輝く海の星)》などがカトリック教会で聖母マリアへの祈りの音楽として歌われます。そして器楽作品で最も有名なのが



ハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバーの《ロザリオのソナタ》全16曲の中の第15曲『聖母戴冠』です。

《ロザリオのソナタ》は、受胎告知から始まって、イエスの誕生と成長、捕縛と受難、復活と昇天といった聖母マリアとイエス・キリストに関わる物語を音楽化した作品です。そして、この作品最大の特徴が『スコルダトゥーラ』という特殊調弦です。

《ロザリオのソナタ》では、通常低い弦からソ・レ・ラ・ミと調弦されるヴァイオリンの調弦を、第1曲《受胎告知》と第16曲《守護天使のパッサカリア》以外は曲毎にスコルダトゥーラして調弦を上げたり下げたりして書かれています。中には緊張感を高めるために異様なまでにピンピンに張力を上げる曲もあるのですが、『聖母戴冠』の調弦はソ・ド・ソ・レと最低弦以外は全て一音低く調弦されて張力が下がるため、柔らかな音色で演奏されます。

そんなわけで、今日はビーバーの《ロザリオのソナタ》から、実質的な終曲である『聖母戴冠』をお聴きいただきたいと思います。ハヴロ・ベズノシウクのバロックヴァイオリンで、2時間以上にわたる壮大な聖母マリアの物語を締めくくる暖かな響きの音楽をお楽しみください。


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『噴水の日』に聴くレスピーギの交響詩《ローマの噴水》

2023年08月21日 17時55分17秒 | 音楽
連日同じ書き出しで恐縮ですが、今日も厳しい猛暑日となりました。以前グティエレス国連事務総長が『地球沸騰化』などと不穏なことを言っていましたが、それも冗談では済まされないようです…。

ところで、今日8月21日は『噴水の日』なのだそうです。これは1877年8月21日、東京都の上野公園で開催した第1回内国勧業博覧会において、日本ではじめて西洋式噴水が設置されたことに由来します。

実際に落成したのは9月8日でしたが、博覧会開催にちなんで8月21日が「噴水の日」となっています。そして、現在の上野公園の噴水は



こんな感じです。

そんなことを調べていたら、レスピーギの《ローマの噴水》が聴きたくなりました。ということで、今日は『耳から涼しく』シリーズをいってみようと思います。

《ローマの噴水》は、



イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギ(1879〜1936)が1916年に作曲した交響詩です。後に作曲された《ローマの松》(1924年)、《ローマの祭り》(1928年)と共に『ローマ三部作』と呼ばれています。

サンタ・チェチーリア音楽院作曲科の教授に就任したレスピーギは、1913年に出身地のボローニャからローマに移り住み、ここで受けた刺激を元に「ローマ三部作」を作曲しました。その第1作である『ローマの噴水』は、1916年に作曲された。

スコアの冒頭の序文には、次のような説明があります。

「ローマの四つの噴水で、その特徴が周囲の風物と最もよく調和している時刻、あるいは眺める人にとってその美しさが、最も印象深く出る時刻に注目して受けた感情と幻想に、表現を与えようとした。」

序文にもあるように、この曲には4つの時間と噴水が登場します。

1、夜明けのジュリアの谷の噴水

ボルゲーゼ荘からパリオリの丘までの間に位置する「ジュリアの谷」の噴水と夜明けの光景が表現されているのですが、実は具体的にどこの噴水かはっきりしていません。牧歌的な光景にたたずむ夜明けの噴水が描かれ、朝ぼらけの中を家畜が通過していく様子が描写されます。

2、朝のトリトーネの噴水



海神トリトーネが法螺貝を吹くかたちで作られたこの噴水は、イタリアバロック期の大彫刻家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598〜1680)によって作られました。勇ましく吹き鳴らされるホルンは、神々や女神たちが法螺貝を吹き鳴らす様を示しています。

3、真昼のトレヴィの噴水



後ろ向きでコインを投げ入れれば再び戻ってこられるという伝説で有名な、ローマの一大観光スポットです。中央に立つネプチューンの新たな勝利を告げる凱旋式に導かれて始まり、クライマックスではパイプオルガンの強奏と弦楽やハープの水のうねりの中で、金管楽器群が華やかなファンファーレを吹き鳴らします。

4、黄昏のメディチ荘の噴水



『夕暮れのメディチ荘の噴水』と表記される場合もあるこの終曲は、輝かしい夕焼けが沈んでいく様子とともに、よりメランコリーに沈んだようなメディチ荘の噴水の雰囲気を描いています。そして、最後は夕べの教会の鐘の音とともに、宵闇に吸い込まれるように静かに終わっていきます。

そんなわけで、今日はレスピーギの交響詩《ローマの噴水》をお聴きいただきたいと思います。ユライ・ヴァルチュハ指揮によるフランクフルト放送交響楽団のライブで、キラキラと涼しげに輝く噴水の様子をお楽しみください。


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今日はチャイコフスキー『1812年』の初演日〜フェドセーエフ指揮による覚悟の渾身ライブ

2023年08月20日 19時35分25秒 | 音楽
今日も神奈川県は、連日の猛暑日となりました。室内でも水分補給を怠ると、気分が悪くなってきます。

ところで、今日8月20日はチャイコフスキーの序曲《1812年》が初演された日です。

序曲《1812年》変ホ長調 作品49は、



ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜1893)が1880年に作曲した演奏会用序曲です。タイトルの「1812年」は



ナポレオンのロシア遠征と敗走があった年で、それを記念したこの曲は、大序曲《1812年》、荘厳序曲《1812年》、または祝典序曲《1812年》などと呼ばれることもあります。

1880年5月末、チャイコフスキーは懇意にしていた楽譜出版社ユルゲンソーンから、翌年開催される産業博覧会のための序曲を書いてほしいと言う手紙を受け取りました。チャイコフスキーは一度はこの話を突っぱねますが、親友でもあった作曲家のニコライ・ルビンシテイン(1835〜1881)からの依頼もあって、その年の9月30日から11月7日にかけて作品を書き上げました。

もっとも、作曲の合間を縫って書いた手紙の中でチャイコフスキーはこの曲に対していろいろと不満を並べ立てていて、例えば活動資金のパトロンであるフォン・メック夫人には

「(序曲《1812年》は)凡庸なもの、あるいは騒々しいもの以外に何が書けるのでしょう?しかし、依頼を断る気にもならない」

と書き、弟アナトリーに対しても

「依頼が重荷になっているが、責任は果たさなければならない」

という趣旨の手紙を送っています。

こうして作品は完成したのですが、肝心の1881年に産業博覧会は開かれず、3月23日には依頼者であったニコライ・ルビンシテインが亡くなってしまったため、作品が日の目を見る機会はなかなか訪れませんでした。

結局、序曲《1812年》の初演は1882年の8月20日、建設中の救世主ハリストス大聖堂で開かれたモスクワ芸術産業博覧会が主催するコンサートでイッポリト・アリターニの指揮により行われました。《イタリア奇想曲》とともにプログラムに載ったこの新作は、当時の新聞批評では凡作だと片づけられてしまいました。

1880年とその前後の時期というと、チャイコフスキーの個人史の中ではバレエ《白鳥の湖》やオペラ《エフゲニー・オネーギン》といった大作の作曲のあとの「なかだるみの時期」に相当する時期でした。そのような時期に舞い込んできた頼まれ仕事だったこともあってお世辞にも精魂込めて作った作品とはいえなかったので、チャイコフスキーにしてみてもこの評価は容易に想像できていたようです。

転機となったのは1887年3月17日に行われたサンクトペテルブルクでの再演で、チャイコフスキー自身の指揮によるこの演奏はチャイコフスキー自身が

「完全な成功、大満足」

と日記に記すほどの成功を収めました。11月にモスクワでの再演と三度目の演奏がともにチャイコフスキーの指揮で行われたあと1888年に入って早々ヨーロッパ各地に演奏旅行に出かけ、ベルリンやプラハでの初演も自ら指揮しました。

正直言うと、精緻で繊細な作風が持ち味のチャイコフスキーの音楽としては、結構大味な感が否めない作品ではあります。それでも、歴史的事件を通俗的に描くという内容のわかりやすさによって、人々に大いに喜ばれる作品となったことには違いありません。

さて、今回ご紹介するのは1988年に大阪ザ・シンフォニーホールで行われたヴラディーミル・フェドセーエフとモスクワ放送交響楽団によるライブです。

1988年というとロシアがまだソヴィエト連邦だった頃ですが、ソ連時代には冒頭やクライマックスで流れるロシア帝国国歌が演奏禁止とされていたため、当時ソ連ではこの曲のロシア帝国国歌の部分がミハイル・グリンカ(1804〜1857)作曲の歌劇《イワン・スサーニン(皇帝に捧げし命)》の終曲に書き換えられた改竄版が演奏されていました。これについては編曲者の名前を取って「シェバリーン版」とも言われますが、この改竄はソ連国内では徹底されていて、ソ連で出版されていたチャイコフスキー全集の楽譜にもシェバリーン改竄版が載せられていたほどでした。

ペレストロイカを成し遂げたゴルバチョフ書記長の時代だったとはいえ、まだ旧ソ連体制の中で活動していたフェドセーエフとモスクワ放送交響楽団は自国でのコンサートでは改竄版を使用していました。それでも、チャイコフスキーを心から愛していたフェドセーエフとモスクワ放送交響楽団のメンバーたちが、ソ連国外での演奏とはいいながらオリジナル版での演奏にどのような心境で踏み切ったのか、それは彼らにしか分からないことです。

昨今では、サンプリングした本物の大砲の音や教会の鐘の音を使ってのド派手な演出の演奏や録音が主流になってきています。そうした演奏からすると、このライブにはそうした派手さはありません。

それでも、かなり低音の効いたバス・ドラムで大砲の音を表現したり、戦勝の祝福の鐘に



ロシア正教会ゆかりのロシアン・ベルが使われたりと、フェドセーエフのこだわりがひしひしと伝わってくる演奏です。これをライブで聴けた人たちは、きっと忘れられない体験となったことでしょう。

そんなわけで、序曲《1812年》の初演の日である今日は、1988年に大阪ザ・シンフォニーホールで行われたヴラディーミル・フェドセーエフ指揮によるモスクワ放送交響楽団のライブをお聴きいただきたいと思います。旧ソ連体制下にあって、なおチャイコフスキーの音楽を愛したフェドセーエフとオーケストラとの、渾身の覚悟の演奏をご堪能ください。


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せめて耳から涼しく〜ショパン《エオリアン・ハープ》

2023年08月19日 19時45分50秒 | 音楽
今日も神奈川県は猛暑日となりました。先日の3か月予報では10月頃まで暑さが続くというのですから、本当に最悪です…。

今日はとにかく何もする気がおきず、自宅でグッタリしていました。それでもどうにかして涼を求めたい…ということで、久しぶりに『耳から涼しく』シリーズをやってみようと思い立ちました。

今日とりあげるのは



ピアノの詩人フレデリック・ショパン(1810〜1849)作曲の《12の練習曲作品25》の第1番変イ長調、俗に『エオリアン・ハープ』と呼ばれている作品です。

ショパン作曲の練習曲はピアノのための練習曲の中で最も有名なものの一つで、全部で27曲存在しています。『練習曲』と銘打たれていますが、音楽的にも完成された作品であり、ピアノリサイタルでも取り上げられることが多いものです。

《12の練習曲作品25》の冒頭を飾る第1番変イ長調は



楽曲全体を通じて奏でられる分散和音の音色が、自然に吹く風によって音を出す弦楽器の一種であるエオリアン・ハープを連想させることから、後に『エオリアン・ハープ』という愛称が付けられました。名付け親はロベルト・シューマン(1810〜1856)と言われていて、シューマンは

「この曲はエチュードというより詩である。」

とも言ったとされています。

因みにエオリアン・ハープ(Aeolian Harp)というのは弦楽器の一種で、ウインド・ハープ(Wind Harp)とも呼ばれているものです。



風の吹き抜ける窓辺などに置いておいて自然に吹く風により音を鳴らす楽器で、名前はギリシャ神話の風神アイオロスに由来しています。

一方でショパン自身はこの曲に関して、門弟に

「牧童が、近づいてくる暴風雨を避けて洞窟に避難している。遠くで風や雨が吹きずさんでいるが、牧童は静かに笛を取って美しい旋律を吹いている。そういうところを思い浮かべてみなさい。」

と言ったとされています。このことから、この曲は『エオリアン・ハープ』の他に『牧童の笛』とか『牧童』と呼ばれることもあります。

相変わらず外は熱風が吹いていますが、せめて耳からだけでも涼しさを求めたいと思いました。そんな時に、この短くも愛らしい音楽はうってつけです。

そんなわけで、今日はショパンの《練習曲作品25-1『エオリアン・ハープ』》をお聴きいただきたいと思います。マレイ・ペライアのピアノで、ひと時涼やかな風を想像してみてください。


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今日はアントニオ・サリエリの誕生日〜斬新なサリエリの『ラ・フォリア』

2023年08月18日 19時30分15秒 | 音楽
今日も厳しい残暑となりました。ただ外を歩いているだけで、具合が悪くなりそうです…。

ところで、今日8月18日はサリエリの誕生日です。



アントニオ・サリエリ(1750〜1825)はイタリアで生まれ、オーストリアで活躍した作曲家です。

ともするとサリエリは、モーツァルトとの関係でクローズアップされがちです。しかし、実際のサリエリは神聖ローマ皇帝・オーストリア皇帝に仕える宮廷楽長としてヨーロッパ楽壇の頂点に立った人物であり、またベートーヴェン、シューベルト、リストらを育てた名教育家でもありました。

サリエリはウィーンで作曲家として、特にイタリア・オペラ、室内楽、宗教音楽において高い名声を博しました。サリエリは43曲ものオペラを作曲し、1778年のミラノ・スカラ座の開場を飾ったのもサリエリのオペラ《見出されたエウローパ》でした。

イタリア北部のレニャーゴに生まれたサリエリは、幼少の頃からジュゼッペ・タルティーニ(1692〜1770)の弟子であったヴァイオリニストの兄フランチェスコや、レニャーゴ大聖堂のオルガニストだったジュゼッペ・シモーニの音楽教育を受けました。1763年から翌年にかけて両親が相次いで死亡して孤児となり、はじめは兄のいる北イタリアのパドヴァ、ついでヴェネツィアに移り住んで、声楽と通奏低音を学びました。

1766年、サリエリが15歳の時に、ウィーン宮廷楽長にもなった作曲家フロリアン・レオポルト・ガスマン(1729〜1774)にヴェネツィアで才能を評価され、ウィーンに同行することになりました。ガスマンにウィーンの宮廷に紹介されて以後、サリエリはウィーンに留まり、ここでオペラ《オルフェオとエウリディーチェ》で知られるクリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714〜1787)らの面識を得ることとなりました。

1774年にガスマンが没すると、サリエリは皇帝ヨーゼフ2世によってその後継者として宮廷作曲家兼イタリア・オペラ監督に任命されました。更に、ウィーンの宮廷楽長であるジュゼッペ・ボンノが1788年に没するとその後継者として宮廷楽長に任命され、亡くなる直前の1824年までの36年間、その地位に就くことになりました。

高い社会的地位を獲得したサリエリは、しばしばフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)などの著名な作曲家との交際がありました。またサリエリは教育者としての評価も高く、

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
フランツ・シューベルト
フランツ・リスト
カール・チェルニー
ヨハン・ネポムク・フンメル
ジャコモ・マイアベーア
フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤー
(モーツァルトの未完の遺作となった《レクイエム ニ短調 K. 626》を補筆完成させた人物)
フランツ・クサヴァー・モーツァルト
(モーツァルトの息子)。

といった錚々たるメンバーがサリエリの薫陶を受けていました。また、ベートーヴェンの《交響曲『ウェリントンの勝利』》の初演に参加し、砲手や太鼓奏者のための副指揮者を担当したこともありました。

死後はその名と作品を忘れられたサリエリですが、ピーター・シェーファーによる戯曲『アマデウス』(1979年)、およびその映画版(1984年)の主人公として取り上げられたため、一躍知名度が上昇することとなりました。ただ、そのことによってサリエリは『天才モーツァルトを死に追いやった人物』という、歪んだかたちで知られることとなってしまいました。

実際に1820年代のウィーンでは、サリエリがモーツァルトから盗作したり、毒殺しようとしたりしたと非難するスキャンダルが起こりましたが、これらは何ひとつ立証されてはいません。サリエリがそのようなことを言われるようになったのは、ロッシーニを担ぐイタリア派とドイツ民族のドイツ音楽を標榜するドイツ派の対立の中で、宮廷楽長を長年独占して来たイタリア人のサリエリが標的にされたからだ…ともいわれています。

サリエリはロッシーニからも

「あなたは本当にモーツァルトを毒殺したのか?」

と面と向かって尋ねられ、毅然とした態度でこれを否定したこともありました。それでもサリエリ自身は身に覚えの無い噂に心を痛めていたらしく、弟子のイグナーツ・モシェレスにわざわざ自らの無実を訴えていたのですが、かえってこれがモシェレスの疑念を呼び、彼の日記に

「(サリエリは)モーツァルトを毒殺したに違いない」

と書かれてしまう結果になったため、話が余計にややこしくなってしまったのでした。

ただ、現在ではサリエリがモーツァルトのミサ曲をたびたび演奏し、オペラ《魔笛》を高く評価するなど、モーツァルトの才能を認めて親交を持っていたことが明らかとなっています。一方でモーツァルトは、1773年にピアノのための《サリエリのオペラ『ヴェネツィアの市』のアリア「わが愛しのアドーネ」による6つの変奏曲 ト長調 K. 180 (173a)》を作曲していますが、これはウィーンでの就職を狙って作られたものと考えられています。

またサリエリは、1791年のモーツァルトの死に際して葬儀に参列していましたり更にサリエリは2年後の1793年1月2日に、ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵の依頼でモーツァルトの遺作《レクイエム ニ短調 K. 626》を初演しています。

こうした事実から、サリエリをモーツァルト絡みのスキャンダラスな存在としてではなく、純粋に音楽家として評価する動きが高まってきました。2003年にはメゾソプラノ歌手のチェチーリア・バルトリがアルバムを出すなど再評価の動きもあり、2009年からは生地レニャーゴでサリエリ・オペラ音楽祭が毎年開催されるまでになりました。

そんなサリエリの誕生日にご紹介するのは、1815年に作曲された《『スペインのラ・フォリア』による26の変奏曲 ニ短調》 です。

『ラ・フォリア』はスペイン起源の舞曲で、様々な作曲家がこのメロディを使って変奏曲を書いています。圧倒的に有名なのが



アルカンジェロ・コレッリのヴァイオリン・ソナタですが、ヴィヴァルディのトリオ・ソナタやマラン・マレのヴィオール作品などもあります。

他にも

ジャン=バティスト・リュリ
アレッサンドロ・スカルラッティ
フランチェスコ・ジェミニアーニ
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
フランツ・リスト
セルゲイ・ラフマニノフ

といった名だたる作曲家たちが『ラ・フォリア』を元にした作品を書いていますが、サリエリもそのひとりでした。

サリエリの『ラ・フォリア』は管弦楽作品ですが、当時の作品として聴くとかなり斬新な音楽ともいえるものです。冒頭こそ型通りに始まりますが変奏を重ねる毎に様々に変化して行き、中にはトロンボーンのアンサンブルやコンサートマスターのヴァイオリン独奏、果てはハープ独奏まで登場して

『これは本当に古典派の音楽なの?!』

と思わされるような斬新さを秘めています。

そんなわけで、アントニオ・サリエリの誕生日である今日は《『スペインのラ・フォリア』による26の変奏曲 ニ短調》をお聴きいただきたいと思います。ヴァイオリニストとしても活躍したラインハルト・ゲーベルの指揮による演奏で、謂れなき中傷を受けたサリエリの音楽世界にふれてみてください。


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今日はマイルス・デイヴィス《Kind of Blue》がリリースされた日〜モード・ジャズの名曲『So What』

2023年08月17日 20時00分02秒 | 音楽
昨日何となく落ち着いていた気温も、今朝の日の出とともにグングン上昇してきました。やはりこの酷暑からは、なかなか解放されないようです…。

ところで、今日8月17日はジャズアルバム《Kind of Blue》がリリースされた日です。

《Kind of Blue》は、



ジャズ・トランペッター、マイルス・デイヴィス(1926〜1991)によるスタジオ・アルバムです。1959年3月と4月の2度にわたって録音、同年8月17日にリリースされたこのアルバムはマイルスの代表作であり、モダン・ジャズ屈指の傑作とされているアルバムでもあります。

マイルスのバンドは、『マイルストーンズ(1958年)』でアルト・サックスのキャノンボール・アダレイ(1928〜1975)を加えて

トランペット:マイルス・デイヴィス
テナー・サックス:ジョン・コルトレーン
アルト・サックス:キャノンボール・アダレイ
ピアノ:ウィントン・ケリー
ベース:ポール・チェンバース
ドラム:ジミー・コブ

の6人編成となり、従前のハード・バップ・スタイルに留まらない「モード・ジャズ」と呼ばれる新たな演奏手法に挑むようになっていきました。1958年中期からは短期間ながらピアニストのビル・エヴァンス(1929〜1980)も加え、更にモード・ジャズを発展させていきました。

後にビル・エヴァンスやジョン・コルトレーン(1926〜1967)も、マイルスの後を追うようにモード・ジャズを世に広めていきました。マイルス・ディヴィス本人は、この時期はエヴァンスの影響からラヴェルなどのクラシックの作曲家を研究していて、このアルバムにもそうした要素がどこかに入っていると語っています。

《Kind of Blue》はマイルスの最高傑作として、なおかつ、彼のその後の音楽の前衛性を強めていくことになった要因として、深い意味を見出すものとなりました。このアルバムは、これ以前のニューオリンズの古き良きジャズと、これ以後の世代のジャズの橋渡しを果たした、ジャズ史においてきわめて重要な、聴き逃がせない作品の一つといえるものとなっています。

そんなアルバム《Kind of Blue》の中から、今日は一曲目に収録されている『So What』をご紹介しようと思います。

『So What』は、当時の音楽としては非常に画期的な楽曲構成だったといえる作品です。ポール・チェンバースの温かみのあるベースの響きにのせて展開していき、ジャズの形式としてその後に普遍的なものになったコール・アンド・レスポンスも息が合っています。

このアルバムに参加しているマイルスをはじめとしたジャズの巨匠たちは、アドリブだけで曲の最後まで持っていく力量、技術、そして知見を兼ね備えています。これは空前絶後の職人技と言えるものですが、正に息つくところのない非の打ち所のない流麗なサウンドで、たおやかでありながら全体的な音はビシッと引き締まっています。

中盤ではコルトレーンのサックスとデイヴィスのトランペットの掛け合いが、自らの腕前を競うように高らかに奏でられるのが聴き所です。そして、最後はチェンバースのベースとジミー・コブのドラムの音だけで静かに終わっていきます。

そんなわけで、今日はマイルス・デイヴィスのアルバム《Kind of Blue》から『So What』をお聴きいただきたいと思います。残暑の夜に、モード・ジャズを完成させた金字塔的アルバムの冒頭を飾る名曲をお楽しみください。


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