共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

楽しかった!O(≧∇≦)o

2013年08月31日 23時58分01秒 | 日記
モヒートペリエを堪能した後、小田急線に乗り込んで都内へ出ました。

折角都内へ出て来たので、開宴前(?)の酷暑の中でいろいろと野暮用を済ませてから、会場のある新橋に向かいました。サラリーマン生活を送ったことのない私の人生において山手線の南半球側というのは非常に縁遠いところなので、ちゃんと辿り着けるかどうか若干の不安があったのですが、会場の前で主催者の方とバッタリ出会って、何とか事無きを得ました。

今日の宴会は『ビヲラ会』。今回集まったのは、私がエキストラで出演している墨田区交響楽団のヴィオラセクションの現役並びに元メンバーと、私を含めた『常トラ(常連エキストラ)』の面々です。本番前の練習場ではあまりゆっくりとした話も出来ないので、一度気のおけない面々で心置きなく酌み交わしながらお喋りしましょう…ということで集いました。乾杯もそこそこに、今まで知らなかったメンバー同士の衝撃の関係性が判明する等、いろんな話に花が咲きました。

宴たけなわの席に、お店からこんな素敵なデザートサプライズがありました。心憎い演出です。楽しい宴席に、ひと時柔らかな空気が流れました。

ヴィオラという、ある意味管弦楽内のフィクサー的なパートのメンバーの集まりだっただけに、かなり濃い話で楽しめました。またこんな素敵な集まりを持てたらいいな…と思いながら、家路につきました。
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COOOOOOL!!!

2013年08月31日 13時56分35秒 | 日記
今週前半の秋を含んだ風に慣れかけていたところに、一昨日あたりから悪夢のような残暑の振り返しに見舞われて、メラゾーマを連続で喰らったようなダメージを受けております…。

今日はこんな日和の中で、ビヲラ弾きばかりで都内で飲み会を開催することになっているのですが、とてもぢゃありませんが暑くておかしくなりそうなので、ちょっとクールダウンをしてから電車に乗ることにしました。

本厚木駅の南口にEXCELSIOR CAFFEがあるのですが、以前から看板に写真が出ていて気になっていたものがあったので、いい機会なのでオーダーしてみました。それがこの『モヒートペリエ』です。グラスにスライスしたライムとライムシロップ、そして御覧のように大量のスペアミントの葉が投入されていて、そこにペリエを自分で入れて、よ~く掻き回して頂きます(モヒートと銘打っていますがカクテルではありませんので、勿論ノンアルコールです)。

普段あまり好んでペリエを買って飲んだりはしない方なのですが、これは美味しいと思いました。いい感じのペリエの微炭酸の中に、爽やかなライムの風味がフワ~っと広がります。そしてライムの後に、これだけの量が入ったスペアミントの清涼感がスーッ!と追いかけて来ます。たまにストローを通じてミントの葉がダイレクトに入ってきた日にゃあ、どんな強力なミントガムも顔負けの爽快感が口いっぱいに広がります。

爽やかさをグラスいっぱいに満たしたモヒートを頂いて、さてと!ではビヲラ会に出陣しませう(戦かよ…)!!
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《cafe32゜F》新作登場!

2013年08月30日 18時55分14秒 | 日記
午前のレッスンが終わって、いつものように《cafe32゜F》にランチをしに伺いました。

振り返してきた猛暑をかい潜って扉を開け、涼やかな席について一息入れてメニューを拝見したら、見慣れないメニューが載っていました。『先週来た時にはこんなメニューは無かったはず…』と思いつつ、興味津々でオーダーしました。

今回のランチは新作メニュー『アボカド、ベーコン、チーズのホットサンド』のセットです。イギリスパンの間にレタス、スライスしたアボカド、厚切りベーコン、そしてチーズをサンドイッチして、トースターでこんがりと焼き上げたホットサンドです。

パリパリの食感のトーストにお行儀悪く(;^ω^)かぶりつくと、ほんのりとケチャップの効いたレタスの中に、厚切りベーコンの味わいとアボカドのコクが広がります。それらをトロリと熔けたチーズがトーストの中で一つにまとめあげていて、さながら高級なハンバーガーを食べた時のような感覚になります。

今までの定番メニューも勿論魅力的なのですが、「それだけではなく、こういった新商品を徐々に織り交ぜていこうと思っている」と、御主人が仰っていました。もしかしたら、冬になったら『あのメニュー』も復活するかも知れないというので、今から楽しみです。

その前に、こちらの新商品も是非お試し下さいませ。
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あっけなく…

2013年08月30日 14時30分17秒 | 日記
金曜日のあざみ野の教室のすぐ近くにあったスリーエフが、今日閉店しました。それなりにお客も入っていたように見えていたのですが、マンションの1階という条件からか、床面積としても品揃えとしても微妙なことは微妙な感じでした。

それでも私達音楽教室関係者は結構便利に使っていて、例えば時計の電池やボールペンが切れた時とかコピーをとりたい時に、とても重宝していたのです。しかし、これからそういう用事がある場合には、100mくらい離れたローソンまで行かなければならなくなりました。

それにしても、今朝9:00までここに存在していた店が、14:00過ぎにはこの状態、とてもさっきまで営業していたコンビニがあった場所とは思えないくらいの見事な撤去ぶりです。

折角の店舗スペースなので、いずれまたどこかしらのコンビニが入ってくれると一番いいのですが…。
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ヴィヴァルディ、歌っちゃいました!

2013年08月29日 21時29分46秒 | 日記
先日、池袋の自由学園明日館でヴォーカルグループ《AURA》のコンサートに行ったことを載せました。終演後、彼女達のCDの即売会とサイン会が開催され、知り合いなのにもかかわらずミーハー心をおこしてしっかりとサインを頂いてきたのですが、これがその時購入した彼女達の6枚目のアルバム《Le Quattro Stagioni》です。

タイトルからして解るように《Le Quattro Stagioni》、日本語に訳すと《四季》…そうです!何と彼女達はバロック音楽の巨匠アントニオ・ヴィヴァルディの代表作であるヴァイオリン協奏曲集《四季》を全楽章歌ってしまったのです!!不肖ヴァイオリンに携わる身として、実にヴァイオリン的に作曲されたこの作品を歌で表現し得るのかどうか、正直不安がありました。そしてプレーヤーのスイッチを押して流れてきた《四季》は…実に微笑ましく美しいものでした。

実は彼女達の3枚目のアルバム《パストラーレ》には《春》の第1楽章のみが収録されていて、今回のアルバムの《春》の第1楽章にも転用されていますので耳馴染みがありました。しかし、第2楽章以降は当然ながら未知の領域でした。実際に通して聴いてみると、ヴィヴァルディ独特の軽やかさが女声アンサンブルの軽やかさと相俟って、実に心地よいものでした。

AURAの作品はどれもただのスキャットではなく、様々な器楽の曲に、主にイタリア語やラテン語等の様々なテキストを充てて歌われています。そのため、例えば同じような活動をしているスウィングルシンガーズのCDのような、ドゥワップアカペラにありがちな単調な聴後感はありません。今回のヴィヴァルディにも、メタスタージオやゴルドーニといった昔の詩人の詩や、オリジナルの《四季》に添えられたソネットが充てられていて、最後まで単調感を感じることなくヴィヴァルディを堪能することができます。

勿論、ヴァイオリン的に書かれている作品を『歌う』上で多少無理のかかった部分もないわけではありませんが、実に心地よい1枚です。興味を持たれた方は是非聴いてみて下さい。
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こんなものでしょう

2013年08月28日 19時37分10秒 | 日記
以前、日韓関係の記事を掲載したところ、後日『韓国人』を騙った通りすがりの要らんこと言いが散々コメント欄に書き散らして行きました。残しておいてやろうかとも思ったのですが、あまりにも下劣かつ稚拙な内容で当ブログ内にわざわざスペースを割いてまで保存しておく必要性無しと判断して、謹んで削除させて頂きました。

ただ、その拙い書き込みの中に、映画《終戦のエンペラー》についての捩曲がった内容のものがあったのを見て、そういえばまだ観ていなかったな…ということを思い出して観に行くことにしました。ああいうゴミみたいなコメントでも、時として役に立つこともあるようです( ̄ー ̄)ニヤリ。

御存知の方もおいでかと思いますが、内容としては太平洋戦争終結後、GHQ最高司令官として日本に降り立ったマッカーサー元帥が、同行したボナー・フェラーズ准将に、彼の『日本通』としての腕を見込んで、10日間のうちに昭和天皇陛下が開戦に関与した証拠の有無を洗い出すよう命令し、フェラーズ准将が東條英機首相や近衛文麿前首相、木戸幸一内大臣、関屋貞三郎宮内次官といった関係者と会談を重ねるも、決定的な証拠を得ることは出来ず…といったようなものです。

何故終戦後68年も経った今になって、しかもハリウッドで製作されたのかは定かではありませんが、恐らく朝鮮戦争以降、ベトナム戦争や一連の中東介入等、アメリカが関与して『明確に勝利した戦争』が無い中で、かつて自分達が大鉈を奮うことのできた戦争を引っ張り出して、自信を取り戻したかったのかも知れません。

見終わった感想としては「まぁ、アメリカが作ったんだから…こんなもんでしょうな」という感じでした。

とにかく全体的に、何とも中途半端なのです。『天皇の戦争責任の有無の追究』という、ある意味日本の戦後史最大の関心事の一つをテーマにしていながら、そこにフェラーズ准将と架空の日本人女性アヤとの若き日のラブロマンスを中途半端に織り交ぜるものですから、妙に話がとっ散らかているように思われてなりませんでした。また開戦前フェラーズが日本に滞在していた時に、アヤの叔父である鹿島大将から「『信奉』について理解できれば、きっと日本人のことも理解できる」と言われた回想シーンもあるのですが、結局フェラーズは最後まで『信奉』というものを理解できずにマッカーサーから与えられた期限を迎えてしまいますが、それでも何とか自分なりにまとめ上げた玉虫色の報告書をマッカーサーに提出します。それを見たマッカーサーは初めのうちは当惑しつつも、来るべきアメリカ大統領選挙への自身の立候補という野心を成就させるための戦功作りの目玉になると踏んだこともあって、それがために昭和天皇陛下とマッカーサーとの会見が実現したような運びになっていたのも気になるところではありました。

それでも個人的に感銘を受けたのが、天皇陛下の側近達に事情聴取を続けていく中で、フェラーズが関屋貞三郎宮内次官と対峙した場面です。関屋次官は御前会議の場で昭和天皇陛下が、居並ぶ大臣や軍幹部に向かって明治天皇陛下の御製を詠ぜられたことを説明した後、フェラーズの前で席を立つと天皇陛下のおわします方角に深々と頭を垂れながら、朗々と

《四方つ海 皆はらからと 思ふ世に など波風の 立ち騒ぐらむ》

と詠じ、『これが天皇陛下の大御心である』とフェラーズに説きます。その場面の関屋次官の凛とした姿に、目頭が熱くなりました(関屋次官を演じられた夏八木勲さんはその後他界されたため、この作品が遺作の一つとなりました)。

それから木戸内大臣が語るかたちで、陸軍による、ポツダム宣言受諾を全国に放送するための《玉音放送盤》の放送前夜の強奪並びに昭和天皇陛下暗殺両未遂事件が描かれていたのは評価できるポイントでした。こういう部分は当事者側が製作する場合にはともすると隠蔽されがちですが、そこはさすがにアメリカ側が冷静に製作しただけのことはあります。

ただ、実際に昭和天皇陛下が画面に登場したのはほんの数分間で、マッカーサーが感銘を受けたという一連のやり取りも、退出を命じられたフェラーズがドア越しに覗き見るというかたちでちょっとだけ描かれただけ、その後はフェラーズが部屋を出て、外で待っていた通訳のタカハシという日本人と「飲みに行くか」と言って終わってしまいます。

これだけのために天皇陛下を画面に引っ張り出してきたことがどれだけの意味を持つのか甚だ疑問の残る作品でしたが、とりあえず天皇陛下の戦後処遇という歴史を何も知らない人が『知るきっかけ』として観る分には、それなりの価値があるのかも知れません。ただし、あくまでも『戦勝国としてのアメリカの目線』で製作されているということを前提にして御覧下さい。
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『過去』とは『未来』とは

2013年08月27日 20時41分50秒 | 日記
今朝一番のテレビのニュースを見て、また暗澹たる気分にさせられました。国連のトップである潘基文事務総長がソウルの韓国外務省で記者会見を行い、安倍政権の歴史認識や憲法改正の動きについて「日本の政治指導者は極めて深く自らを省みて、国際的な未来を見通すビジョンが必要だ」と語ったのだそうです。

先ず私が個人的に気になったのは、シリアのアサド政権が一般市民に向けて化学兵器を使用した疑惑が浮上して国際的に問題視されている中で、何で肝心の国連事務総長が母国へ里帰りしているのかということです。非常事態なのですから、それこそニューヨークの本部にデン!と座っているでもなく、いち早くシリアの首都・ダマスカスあたりへ赴いて、アサド政権と反政府勢力との間に立って調定でもしたらどうかと思うのですが…。

それから、国際連合には《国連憲章》という、国家の憲法に相当するものがあり、その第100条では、事務総長及び職員全員に対して、国際的機関の職員として中立性を保たなければならないことが記載されています。それに照らすと今回のこの潘基文氏の個人的発言は、国連事務総長として、この憲章条文そのものに抵触する恐れがあるのです。


そういえば韓国の朴槿恵大統領も、8月15日の光復節(韓国では終戦記念日を、日本の統治から解放された日としてこう呼びます)の式典の挨拶で日本に対して「過去を直視する勇気と相手の痛みに配慮する姿勢が無ければ、未来に向かう信頼関係を構築するのは困難だ」という批判めいた声明を発表しました。更にこれに加えて朴大統領は、日本に対して《恨み1000年論》という独自の理論を公言し、国策の基本に《日本敵視政策》を据えることを決定したというから、驚き入るばかりです。


ものすごく割り引いて、これらの発言がそれぞれの個人的心情を吐露されたものであるならばとやかく言うつもりはありませんが、公人の発言として見た場合には、残念ながらお二人ともNGと言わざるを得ません。もしかしたらこの人達は『過去を直視し、未来へ向かう』というキーワードさえ組み込めば、何を言ってもいい…と思っているのではないかとさえ思わされますが、では御自身は、過去をきちんと直視なさっておいでなのでしょうか?


戦後、日本と韓国との間に《日韓基本条約》が締結され、『国家並びに個人的賠償は完全に解決した』ということを『国際条約として確認したという確固たる歴史的事実が存在する』ことについては、過日のブログに記載しましたのでそちらを御覧頂ければと思いますが(8月18日『きちんとした話を』)、では、歴代韓国政権は、そのことについてきちんと『過去を直視』してきましたか?と、逆に聞いてみたいものです。


日本の政権も、戦後68年も経った今頃になって海の向こう側から一方的に投げ掛けられてくる言葉遊びに適当に付き合っていないで、そろそろ正面切って具体的な歴史的証拠を積み重ねて、ゆっくりと彼の国の人々に解るようにお話をしてあげるべき時が来ていると思います。


そして我々一般市民も、その辺りの経緯について『難しい』などと逃げていないで、もっときちんと歴史的事実を勉強しておくべき時が来ています。
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夏の終わりに

2013年08月26日 17時41分00秒 | 日記
幾分過ごしやすい風が吹く中、子供達の夏休みも残すところあと一週間足らずとなりました。お子さんのおいでの方、宿題はもう済まされましたでしょうか?

小田原の教室の近くにあるお店の入口に、夏の代表者が二人、鎮座ましましていました。行灯作りの朝顔と酸漿です。この横に向日葵がいたら、夏の三役揃い踏みと言ったところでしょうか。

今年の夏はいろんなことがありました。未来あいこさんのアルバム製作に携わり、生徒の楽器を買い替え、携帯が壊れました(゜Д゜)ハァ?何だかそれはそれで夏らしくバタバタしていて楽しかったようです。

今日の涼しさを含んだ風が、秋の予感を乗せて吹いていることを願いつつ…。
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今日は出る番

2013年08月25日 19時07分17秒 | 日記
昨日のAURAのコンサートから一夜明けて、今日は厚木の《ぎゃらりー喫茶なよたけ》での月イチフォークライブの日です。今回は特に、6月に私もレコーディングに参加した未来あいこさんのアルバム《オレンジ》のレコ発ライブも兼ねてのものとなりました。

このライブでは毎回ピアノサポートをするのですが、ここ最近は毎回事前リハーサルがちゃんと出来ないまま本番を迎えてしまうことが多く、今日もピアノに向かった途端にその場で楽譜を渡されるというハプニングもありましたが、何とかこなせた…つもりですが、どうだったのか…。

今日は、つい先日まで携帯が壊れていて、昨日復活したことについて、知っている方々から「よかったね」というお言葉を頂戴しました(^^;ゞ。やっぱり入力は楽なことに越したことはありません。
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念願の…

2013年08月24日 23時45分46秒 | 日記
今日、やっといつもの電話機が修理から戻って来ました\(☆^〇^☆)/!はぁ、長かった…これからまたテンキー入力できると思うと、本当に気が楽です。昨日までの代替機はレンズに思いっきりキズがついていたので、写メを撮ることも儘なりませんでしたが、ちゃんと写真も載せられて本当に何よりです。

ということで、記念すべき写真付きブログ復帰第一弾ですが、今日は私の知り合いのソプラノ歌手が所属しているヴォーカルグループ《AURA》のコンサートを聴きに、池袋にある自由学園・明日館講堂に行きました。実は今までにも何回もコンサートの御案内は頂戴していたのですが、なかなかタイミングが合わなくて、今回やっと念願の初生AURAとなりました。

今回のコンサートは《Traditional Songs》と題された通り、国内外の民謡を取り上げたものとなっていました。前半は陽気な『フニクリ・フニクラ』に始まって、『庭の千草』や『サリー・ガーデン』といったアイルランド民謡や、チェリストのパブロ・カザルスの演奏によって有名なカタロニア民謡『鳥の歌』といったヨーロッパの民謡を、後半は中世のキャロルに始まって、その後は宮城の『斎太郎節』や山形の『最上川舟歌』といった日本の民謡、宮沢賢治作詞作曲の『星めぐりの歌』等が披露されました。私は福島県で生まれたのですが、今回のコンサートの後半では『会津磐梯山』と『相馬盆歌』も披露され、思わず目頭が熱くなりま
した。

それにしても、今までにも彼女達の歌ったCDを何枚か聴いていますが、AURAの歌唱はアレンジが本当に素晴らしいと感じています。女声だけのアカペラで、ヨーロッパの作品はともかく、日本のちょっと土臭い民謡までも、ちょっとコケティッシュなユーモアをもって歌い上げられるように編曲する技はなかなかのものです。

今回は本来参加するはずだったメンバーの一人が体調不良で、急遽卒業した元メンバーが賛助出演するといったハプニングもありましたが、それをものともせずステージを務めていました。また、この公演を最後に卒業するメンバーもいらして、感動的なアンコールも堪能することができました。終演後、メンバーによるCDのサイン会も開催され、知り合いなのにもかかわらずミーハー心を起こして、しっかりサインもしてもらいましたf^_^;。

今回から加入した新メンバーも紹介され、ますます活躍が期待される彼女達の音楽に、是非ふれてみて頂きたいと思います。
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根本を見ずして

2013年08月23日 13時27分21秒 | 日記
先日、松江市教委による《はだしのゲン》の検閲行為が問題になりましたが、それに関連するかたちで今朝のテレビ番組で、最近の子供たちに読み聞かせする日本の昔話の結末が、親達が知っているものに比べてかなりマイルドになっているということが取り上げられていました。

私が子供の頃に読んだ《さるかに合戦》や《かちかち山》では、悪事をはたらいたサルやタヌキが散々に懲らしめられた上で誅されますが、今の絵本ではサルもタヌキも平伏して謝った挙げ句、皆と仲良く暮らしましたとさ…という『ハッピーエンド』で終わっています。その違いについて取材に応じた某出版元は「特に寝かしつけるために読み聞かせる時に、残虐な終わり方を避けることによって、子供たちが怖い夢を見てしまわないように配慮しました」と、真顔で答えていました。


こういう話の導入に松江市の話を使うのも如何なものかと、製作者サイドのセンスにも疑問を感じましたが、またしても頭のいい人たちによる『教育的配慮』という先回りがされたことについては今更驚きもしませんでした。ただ、このことで取材する側にもされる側にも、そしてスタジオでコメントする側にも決定的に欠落していたことの一つが、これらの物語が成立していった上での仏教的思想観です。

特に江戸期に入ってから、江戸幕府の戸籍の統轄方針として全ての人々が各近隣寺院の檀信徒に組み入れられ、そこの寺子屋で読み書きを習ったり法事で集まったりしていました。その時に、寺の住職から経典に基づいた《地獄草子》等の因果応報の物語を聞かされて、それによって子供たちが道徳や倫理観を学んでいった歴史があるわけです(これは海外でも同じことで、例えば一時期話題になった初版のグリム童話集に、中世ヨーロッパに蔓延したキリスト教原理主義に基づく魔女狩りの様子が色濃く反映されているのと同じです)。

いずれの場合にも言えることは『宗教観を無視してこれらのことは語れない』ということと『子供は大人の言動や行動を、大人たちが思う以上によく見ているよ』ということです。子供というのは周りの大人たちに対して低い目線から見上げながら、大人たちの行動や言動をじ~…っと見て、自分なりに点数をつけているものなのです。そのくらいの冷静な視点というものを持ち合わせている子供たちに対して大人が姑息なことをすると、子供たちは簡単に×印つけているものなのです。

《はだしのゲン》のことにしても、これらの昔話のことにしても、大人たちが教育的配慮などという『逃げ』の論理に安易に走らずに、しっかりと内容と成立した宗教観的経緯を理解した上で、その『真意』を教えてあげさえすればいいことなのですから、もっときちんと子供たちと向かい合ってもらいたいと思って止みません。
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存在するんだから…

2013年08月22日 19時57分45秒 | 日記
横浜の教室に来ている大人の生徒さんの次回からのレッスン曲をエルガーの《愛の挨拶》にしようと決めて、教室が始まる前に厚木のヤマハに立ち寄りました。

この曲は本来はホ長調(ミ)で作曲されているのですが、それだと楽譜に♯が4個も付いていて読みにくいので、1音下げたニ長調(レ)のバージョンの楽譜(これだと♯が2個で済む)を使うことにしたのですが、厚木のヤマハにはそのバージョンのものはありませんでした。

仕方ないので、小田急で町田まで出てヤマハの店に行ったのですが、何とここにも、そして駅の隣のビルにある楽器店にもニ長調バージョンは置いてありませんでした。

さすがに町田にはあるだろうと思っていたのでちょっと焦りだしたのですが、そんな悠長なことも言っていられないので、何はさておきそのまま横浜まで行くことにしました。

横浜線の車内で言い様のない不安を抱えながら、到着と同時にヤマハに向かいました。2階の楽譜売場に行って恐る恐る楽譜を探してみたら…

ありました\(T▽T)/。よかった、本当によかった、これで無事にレッスンが出来る((T^T))…ということで、購入後急いでたまプラーザに向かったのでありましたε=ε=(;ノ・・)ノ


勿論、『ヤマハに行けば売ってるだろう』とたかをくくって、当日まで準備していなかった自分もいけません。しかし、有名な曲なんだし、一応製品としての楽譜も発行されているのですから、マイナーなバージョンであってもちゃんと両方とも用意しておいてほしいワ!ε=(`ε´)…と、つくづく思ったのでした。 
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助けてもらったんだよ

2013年08月21日 16時38分58秒 | 日記
いらしたことのある方は御存知かと思いますが、私がいつも利用している小田急線の本厚木駅は線路がカーブしているところに駅舎があるため、当然のことながらプラットホームも線路に沿っていて真っ直ぐではありません。このことを前提にして以下を御覧下さい。

電車を待っていると、乳幼児と思われる小さな子供のグズグズ泣く声が近づいてきました。何気なく声のする方向を見ると、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた若い母親が、右手でスマホを操作しながらこちらへ向かって歩いてきていました。恐らく、エレベーターのある東側の端から中央方面に向かってきたものと思われます。

ベビーカーの中でぐずり続ける幼子をよそに、母親のスマホ操作は終わりません。そうこうしているうちに母親は私の前を通り過ぎ、割とホームが真っ直ぐなところを過ぎてかなり湾曲している辺りに差し掛かりました。ところが、この若い母親はそれを知ってか知らずか、ホームに沿うことなくひたすら直進し続けていました。

『あれ~大丈夫かぁ?』と思っていたら、寸でのところでその近くにいたオバサンが母親の袖を引っ張りました。そこで母親はやっと歩みを止めたのですが、そこでなんとその若い母親は、止めてくれたオバサンにキレ始めたのです。しかも怒鳴り散らしている話の内容からすると、オバサンが袖を引っ張ったことによって、彼女がその時プレイしていたゲームの邪魔をされたことに対してキレていたようでした。

周囲の人たちは半ば呆れて見ていました。その時、そのオバサンが彼女にこう言いました。

「私があなたのささやかなお楽しみを邪魔してしまったことについてはお詫びします。普段頑張って子育てしているあなただって、たまには遊びたくなるものね。ただ、今はその時じゃあないと思うの。何故なら、あなたが連れているこの子は、自分が危ない目に遭いそうになっても自分では危険も回避できないし、『危ない』ということをお母さんに言葉で伝えられもしないのよ。ただ泣くことしかできないの。そして何より、この子の命も運命も将来の夢も、全てを今のあなたが握っているの。そのことの重みをしっかり感じて、今は全力であなたを信頼して泣いているこの子に、全力で向き合ってちょうだい。」

正確に書けたか分かりませんが、ほぼ合っていると思います。

こう言われた若い母親は、それでもしばらくそのオバサンを睨みつけていましたが、周囲から自分に向けられた目線と、泣き続けている我が子と、そして何よりオバサンに袖を引っ張ってもらわなければ、あわや線路へ転落していたかも知れない事実とにやっと気づいたらしく、不承不承スマホをバッグにしまうと、下を向いたままそそくさとその場を立ち去って行きました。

以前から『歩きスマホ』に関しては、様々な見地からその危険性が指摘されていますが、こういう実例に遭遇する度に、改めて使用上のモラルということが問われるべきなのだろうな…と思わされます。特に幼子を連れたお母さん方には、格段の注意をしてほしいものです。

少なくともあの若い母親が、単に『公衆の面前で恥をかかされた』と母子の命の恩人を逆恨みするようなことだけはないように願うばかりですが…。
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ネオ公害

2013年08月20日 17時17分17秒 | 日記
教室に向かう電車に乗っていたら、次の駅で乗ってきた女がものすごいキツい香水の臭いをプンプンさせながら入って来たので、ちょっと離れた場所にそれとな~く移動しました。そうしたら、更に次の駅で全く違う臭いをプンプンさせた男が入って来たので、更に場所を変えました。そうしたら、更に次の駅で、激しくアロミィな臭いを背負った女が入って来たので、結局車両を変えました(嘘みたいですが、本当にあったことです…)。

しかし…恐らく当人たちは、もはやその臭いに慣れきってしまっているから何とも思わないのでしょうが、こちらからしたら、もう目が回りそうです。しかも、当たり前ですが皆が同じ臭いをさせているはずもなく、銘々自分の好きな臭いをさせているわけですから、それらが混ざった時の相乗殺傷作用たるや半端なものではありません。

昨今は香水だけではなく、ダ○ニーに代表されるような臭いづけも目的とした衣類柔軟剤も数多く市場に出回っています。ただ、私は他人様よりもそういう『ケミカルな臭い』にからっきし弱いので、なるべく香りのない、若しくは香りの残らないものを探すのに苦労させられています。

ところで先日聞いた話によると、最近、電車内や室内といった密閉空間で長時間他人の強い香水の臭いに晒されたことによって、著しく気分が悪くなったり、酷い場合には目や喉の痛みを訴えたりといった被害が報告されているのだそうです。こういうケースはもはや新しいタイプの『公害』になっているのだとか。

また更には、自らの意思で香水をつけた本人が同じような症状を訴えたりといった、本末転倒な現象も起きているのだそうです。やれやれ…┐('~`;)┌。

先日も書きましたが、日本人は元々そんなに体臭の強くない民族なのです。ですから、知らないうちに『歩く公害』になってしまわないように、仄かに香らせる程度に楽しんで頂ければ幸いです。
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原点に立ち返りましょう!

2013年08月19日 15時30分45秒 | 日記
お盆が明けて、今日から教室再開です。

ということで小田原に向かっている小田急線の車内で、なかなかケバケバしい娘2人が声高に話をしていました。どうやら、一時期問題になったアルバイト店員による食べ物をつかった悪ふざけのことを話しているようです。


A:えぇ~?でもさぁ~別によくない?

B:えぇ~?ダメでしょ~。食べモンだよ~?

A:でもさぁ~、廃棄にするヤツだったら、ど~せ棄てるんだしさぁ。だったら棄てられる前に写メに残して一花咲かしてやってもよくない?

B:えぇ~?でもさぁ~、それでバレてクビになって賠償請求までされたらキツいべ?

A:別にいいんぢゃん?払うの親だし。

B:えぇ~?でもさぁ~、うちの親に借金はしたくねぇわ。

A:言えてる~!結婚式とかしてもらえねぇし!

B:やだ~ウケる~!(Aと共に大爆笑)


嘆かわしきかな、かくて日本人の倫理観ここまで堕ちたるを知れり。

今日も高井戸のピザハットで、アルバイトの男が廃棄のピザ生地を顔に貼り付けた写真を投稿していたことが発覚して問題になったばかりだというのに、それでもなおこの体たらくとは…呆れてものも言えません。ただ、とりあえず話の内容に品位のないことだけは伝えておこうと思って

「あなたたち、ここには小さなお子さんもいるんですから、彼等にとっての人生の先輩として、道義的に相応しくない言動はお慎みなさいまし。」

とだけ言っておきました(言われた方はキョトンとしていましたが、その分車内が一気に静かになりました)。

私が子供の時分には食べ物を粗末に扱うことに対して、大人たちが物凄く厳しかったのを覚えています。特に明治うまれの現在104歳の祖母は、普段は菩薩のように優しい人なのですが、いつぞや私が台所で横着して米びつを跨いで歩いた時には、板の間に正座させられて諄々と叱られました。食事をしている時にも、茶碗にご飯粒が残っていると「目が潰れる」と叱られたものでした。大きな戦争とその後の混乱期の中で4人の息子を育て上げてきた人の言葉は、子供心にもとても重く響いたものです。

一時期《8時だヨ!全員集合!》や《オレたちひょうきん族!》等のテレビバラエティで食べ物を使ったコントなどをしていると、視聴者から抗議の電話が殺到したのだといいますが、それでも私たち時分の子供は家庭で『食べ物を粗末にしたらいけません』ということが厳しく躾けられていましたから、親が心配しなくてもそんなことをマネしてふざけたりはしませんでした。でも、今時の子供たち…いや、もはや青年に成長した世代でもそういう考え方が希薄になってしまっているということに、憂慮の念を禁じ得ません。

それと、日本の外食産業の発展は、一にも二にも『清潔』を旨としてきたことが信頼の目安になってきたことと無関係ではありません。マクドナルドの手洗いマニュアルが厳しいことは特に有名で、専用の洗剤で肘まで洗うように徹底されているくらいですし、コンビニの従業員でさえ、食品を扱う際には手指のアルコール消毒が義務付けられているような世の中です。そんな中での今回の一連の不祥事の『食の安全』という大前提に与えたダメージは計り知れないものです。それを「ちょっと目立ちたかった」というだけで、SNSに顔写真まで堂々と載せるとは…もはや浅はかとか、そんな言葉で括れるものではありません。

新聞の論調では、やれスマホが悪いの、やれSNSの手軽さがいけないのと、『責任者探し』に躍起になっていますが、こうしてしまったのも、我々世代の大人がきちんと子供たちを躾けてこなかったのがいけないんです。これ以上だらけた国に成り下がってしまわぬように、大人たちがもう一度『人としての道』の原点に立ち返って、真剣に子供たちと向き合いましょう。
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