共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はシューベルトの誕生日〜ウィリアム・プリムローズのヴィオラによる《アヴェ・マリア》

2022年01月31日 18時00分18秒 | 音楽
今日で1月が終わります。2022年も、残すところあと11か月となりました(その言い方ヤメレ…)。

ところで、今日1月31日は歌曲王フランツ・シューベルト(1797〜1828)の誕生日です。



つい先日はモーツァルトの誕生日でしたが、意外と近いところでまたしてもビッグネームの誕生日がありました。

シューベルトについては今までにも何度かふれてきたので、改めてここで説明する必要もないでしょう。膨大な数の作品の中でも、特に歌曲は31年の生涯で600曲以上もの作品を遺したことから『歌曲王』の異名をとるまでになりました。

有名どころだけを挙げてみても

  • 野ばら(1815)
  • 魔王(1815)
  • 死と乙女(1817)
  • 子守唄(1816)
  • 糸を紡ぐグレートヒェン(1814)
  • 楽に寄す(An die Musik)(1817)
  • ます(1821)
  • 歌曲集《美しき水車小屋の娘》(1823)
  • 歌曲集《冬の旅》(1827)
  • 歌曲集《白鳥の歌》(1828)

と、枚挙に暇がありません。そして、そんな中でも特に有名なのは《アヴェ・マリア》(1825)ではないでしょうか。

シューベルトの《アヴェ・マリア》と呼ばれているこの曲は宗教音楽だと思われがちですが、歌詞は

Ave Maria gratia plena…

というラテン語の典礼文ではなく、実はイギリスの詩人ウォルター・スコット(1771〜1832)の名高い叙事詩《湖上の麗人》のドイツ語訳詞に基づいて最晩年に作曲された歌曲集《湖上の美人》の一部を成しているドイツ歌曲です。それでも、そのメロディの美しさ故にラテン語の歌詞をあてて歌われることもあるため、宗教音楽だという誤解を生んでいるところもあるかも知れません。

またメロディ単体でも非常に美しいため、歌以外にも様々な楽器での演奏もされています。フルートやクラリネット、ヴァイオリンやチェロなどが有名ですが、我がヴィオラでもよく演奏されています。

そんなわけで、シューベルトの誕生日である今日は



20世紀を代表するソロヴィオラ奏者であるウィリアム・プリムローズ(1904〜1982)が自身でアレンジした《アヴェ・マリア》を演奏している動画を転載してみました。華やかなヴァイオリンや朗々たるチェロとはまた違った、渋い響きのシューベルトをお楽しみください。



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心癒やすイングリット・ヘブラーのバッハ〜《フランス組曲第5番ト長調》

2022年01月30日 15時20分50秒 | 音楽
昨日…というか今朝未明、昔の生徒からLINEがありました。

大学を卒業して就職した彼は、新人なりに仕事に邁進していたようです。しかし彼の直属の上司という人がかなり学歴差別が激しい人らしく、自身が卒業した大学よりもランクが下がる学校出身と見るや、あからさまに横柄な態度をとる曲者なのだそうです。

LINEの文面だけではよく分からないので電話に切り替えて話を聞いてみたのですが、彼自身はきちんと仕事をこなしているはずなのに身に覚えのないミスを指摘されて嫌味や叱責を受けているらしく、精神的に参っているということでした。それでも、折角コロナ禍の中で採用された会社であることもあり、入社して一年も経たない中で退職してしまうのは躊躇される…とも言っていました。

小一時間、彼の話をひたすら聞いていたのですが、後半になって少しずつ泣くことができるようになってきたようでした。なので、それを確認した上で

「ここで泣けるってことは、『本当は自分はどうしたいか』が大体自分の中で見えているよな。あとは『それをいつ実行に移すか』じゃないの。」

と問いかけてみました。

彼も何となく私から

『そう言われるんじゃないか…』

という予感がしていたらしく、電話の最後にはだいぶ明るい声色になっていました。これからじっくりと考えて、自分が幸せになれる道を選んでほしいと思います。

そこで、彼に一つの音楽を薦めました。それがイングリット・ヘブラーが演奏するバッハの《フランス組曲》でした。



1929年にウィーンで生まれたイングリット・ヘブラーは、特にモーツァルトの演奏に定評がある女流ピアニストです。その一方でバッハやシューベルトの作品にも優れた録音を残していますが、その中でも1980年にレコーディングされたこの《フランス組曲》の録音は名盤の誉れ高いものとなっています。

心身共に傷ついた彼にとって、このヘブラーのバッハが一服の清涼剤となってくれることを願って止みません。そして、彼自身で納得のいく道を選択して、幸せな人生を歩んでもらえればと思います。



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たまにはシードルもいいものです

2022年01月29日 18時05分35秒 | 日記
今日、日中わりと暖かだったので、午後からデスクワークの気分転換も兼ねて散歩に出かけてみました。そうしたら、たまたま立ち寄ったリカーショップで



こんなシードルを見つけました。

これはメルシャンから発売されているシードルです。通常は350mlで販売されることの多いシードルですが、これは500mlと容量も多いのでお得な感じです。



アルコール度数は5%なので、ほぼアルコール入りアップルサイダーといった軽さです。国産と外国産のリンゴ果汁をブレンドして作られているとのことですが、甘さと酸味のバランスがいいので、たまにデザートワインとして楽しむには十分です。

普段寄ったことのない店に行ってみると、こうした興味深い出会いもあるものです。我が家からはそんなに近いわけではないのですが、それはそれでいい散歩コースということで、また行ってみようと思っています。

今日、神奈川県では新たに8499人もの新型コロナウィルス罹患者が出ました。オミクロン株が発生してからなかなか勢いが収まりませんが、引き続き自身でできることを徹底しながら生活していこうと思っております。

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ガンダムナンバープレートに大興奮!

2022年01月28日 18時00分18秒 | 日記
今日、小田原の小学校の廊下で、去年面倒を見ていた2年生の男子と久しぶりに出会いました。すると彼は

「先生!今度うちのバイクにガンダムがつくんだ!」

と、興奮気味に話しかけてきたのです。

はじめは何のことだかわけが分からず『?』となったのですが、落ち着かせて話を聞いたところ



小田原市で新たに交付されるガンダムデザインのナンバープレートのことでした。どうやら彼のお父さんが原付バイクに乗っていて、この限定ナンバープレートの交付を申し込んだ…ということだったようです。

小田原市は機動戦士ガンダムの生みの親である富野由悠季さんの出身地ということで、



中心街のマンホールをはじめとした様々なコラボレーションが展開されています。今回のナンバープレート交付もその一環で、マンホールと同じく小田原城天守閣を背にしたモビルスーツがデザインされています。

実際に交付されるのは来月以降とのことで、彼は今から待ち切れない様子です。それにしても交付申請してきただけであの興奮ぶりですから、実際にナンバープレートを装着したら一体どんな大騒ぎをしますやら…。
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今日はモーツァルトの誕生日〜初のオリジナルピアノ協奏曲第5番ニ長調K.175

2022年01月27日 19時45分19秒 | 音楽
今日はちょっと曇りがちな天候となりました。そのためか日中になってもあまり気温が上がらず、風の冷たさが身に沁みる一日となりました。

さて今日1月27日は、かのモーツァルトの誕生日です。



ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)については、今更ここで説明する必要もないでしょう。

伝記によれば、モーツァルトは3歳でクラヴィーアを演奏し始め、5歳で作曲を始めたといいます。



これはモーツァルト6歳の時の肖像画で、時のオーストリア女帝マリア・テレジアから下賜された大礼服を身に着けた姿、ちょうどマリア・テレジアの前で御前演奏を行い、その場にいた幼いマリー・アントワネットにプロポーズをしたという逸話を遺した頃です。

この頃の作品にもきちんとケッヘル作品番号が付けられ、楽譜も出版されています。そうした作品を



5歳児が書いたと思うと、モーツァルトは相当変態的な子どもだったのだろうと思えてなりません(汗)。

その後もモーツァルトは、ピアノ作品やオペラ、協奏曲、交響曲といった様々なジャンルの作品を発表していきました。特にピアノに関する作品は多く、ピアノ協奏曲も第27番まで発表しました。

ただ、11歳から書き始めたピアノ協奏曲第1番から第4番までは



モーツァルトの作曲の師であるヨハン・クリスティアン・バッハ(1735〜1782)を始めとした先輩作曲家たちの作品を編曲したものでした。実際にモーツァルトがオリジナルとして発表したピアノ協奏曲といえるものは、1733年に作曲した《ピアノ協奏曲第5番ニ長調》です。

このピアノ協奏曲第5番は明らかにヨハン・クリスティアン・バッハの様式を模倣して作曲されたもので、クリスティアン・バッハの影響を色濃く留めていると一般には評価されています。その一方で



フランスの現代作曲家オリヴィエ・メシアン(1908〜1992)が

「試作というには、あまりに見事な腕前」

と絶賛するなど、音楽研究家からは高く評価されている作品でもあります。

17歳のモーツァルトが作曲したこの第5番はトランペットとティンパニを加えた祝祭的な響きをもつ作品で、おそらくモーツァルト自身、あるいは姉のナンネルの演奏を目的としたものと思われています。後にモーツァルトはミュンヘンやウィーンでもこの協奏曲を演奏し、最晩年まで愛奏し続けたといいます。

そんなわけでモーツァルトの誕生日である今日は、事実上初のオリジナルピアノ協奏曲である第5番の演奏動画を転載してみました。10代の青年モーツァルトが書いた、溌剌たるピアノ協奏曲をお楽しみください。


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終わってしまう前に『栗金時のワッフル』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年01月26日 21時00分05秒 | カフェ
今日は、いつもより小学校に登校してくる子どもたちの数が少ない日でした。小田原市内で小学生の新型コロナウィルス罹患者が出てから不必要に反応する父兄がいて、健康状態に問題が無いにもかかわらず我が子を自主休校させる家庭が少なからず見受けられるためです。

それは支援級も例外ではなく、クラスによっては歯抜けな感じで授業をしているところも見受けられました。ただ、休んだ子の分の給食が余るので大っぴらにおかわりができると、ピントのズレた喜び方をする子も一定数いたりします(笑)。

そんな小学校勤務を終えて、そのまま横浜あざみ野の音楽教室に移動しました。そしていつものように《雫ノ香珈琲》を目指しました。

今日は今月で終わってしまう



『栗金時のワッフル』をお願いしました。クロワッサン生地のワッフルに栗の甘露煮が入った粒餡と生クリームが添えられ、自家製のゆずソースがトッピングされた和風のワッフルは、苦味の効いたコーヒーとよく合います。

和風感満載のワッフルをいただいてしばらくしてから



『コーヒーぜんざい』もお願いしました。勿論、今回も生クリーム別添です。

それにしても、あんことコーヒーを組み合わせた名古屋人の味覚は素晴らしいと本気で思います。そこに香ばしい焼き餅が入ったこちらの本格的なぜんざいは、どこかホッとする美味しさです。

今日、全国の新型コロナウィルス罹患者数が7万人を超えました。恐らく成人の日を含んだ三連休に油断してはしゃいだ輩が続々と発症しているのでしょうが、私は私でできることを徹底しつつ、推移を見守りたいと思います。

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今日はフルトヴェングラーの誕生日〜因縁の交響詩《レ・プレリュード》

2022年01月25日 19時00分19秒 | 音楽
今日は昼前から低い雲の垂れ込める、寒い一日となりました。校庭で体育の授業をしていた子どもたちも

「寒い〜っ!( +﹏+)」

と大騒ぎしていました。

ところで今日1月25日はフルトヴェングラーの誕生日です。



ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)はドイツで活躍した指揮者で、ピアニスト、作曲家としても知られている20世紀の巨匠の一人です。

フルトヴェングラーについて、ここで改めて細かく解説する必要はないでしょう。フルトヴェングラーは戦前・戦中・戦後を通してベルリン・フィルやウィーン・フィルを始めとした様々なオーケストラを指揮し、録音も残しました。

一方で、ヒトラー率いるナチス政権に加担した疑いをかけられたこともありました。その原因のひとつとして、1933年にベルリン国立歌劇場でヴァーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を指揮した際にヒトラーと握手をしている写真を撮られたことが挙げられています。

実際のフルトヴェングラーはナチス政権に加担するどころか、むしろ1934年にはナチス政権と対立してベルリン・フィルやベルリン国立歌劇場の音楽監督の職を辞任したり、1938年にナチス・ドイツがオーストリアを併合した際にウィーン・フィルが解散させられそうになったのを阻止したり、1939年に第二次世界大戦が勃発した際にドイツに残って国内にいたユダヤ人の音楽家たちを庇護したりしていました。

それに対してナチス側も、フルトヴェングラーがニューヨーク・フィルの音楽監督なるのを妨害したり、終いにはフルトヴェングラーに対してナチスの高官が逮捕命令を出したりしていました。それを察知したフルトヴェングラーは、1945年2月にウィーン・フィルの演奏会に出演した直後にスイスへと亡命することになります。

それでも戦後はナチス政権への協力を疑われて、1945年から1947年に『非ナチ化』裁判の無罪判決を得るまでの期間、全ての演奏活動を禁じられてしまいます。また、1948年にはシカゴ交響楽団の常任指揮者の就任を要請されましたが、ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツやヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツといったユダヤ系音楽家たちから猛抗議を受けてしまい、破談にさせられたりもしていました。



そんなフルトヴェングラーとナチスとの関係性でよく取り上げられることの一つに、リストの作曲した交響詩《レ・プレリュード》の演奏があります。このリストの交響詩はヒトラーが好んでいたこともあって戦中はかなりの頻度で演奏されていたといわれていて、それと関連してフルトヴェングラーとナチスとの関係の密接さを連想させたことが、更なる不運を招いたともいわれています。

ですが、ナチスはともかく、音楽や芸術家が人殺しをしたわけではありません。それなのに印象だけで音楽作品や指揮者を糾弾するということは、戦勝国の一存で国際法上禁止されているはずの事後法を駆使して強行された東京裁判と同じくらいの愚行と言わざるを得ません。

そんなわけでフルトヴェングラーの誕生日である今日は、不運な組み合わせとなってしまったリストの交響詩《レ・プレリュード》の演奏動画を転載してみました。1954年に録音された、フルトヴェングラーが守ったウィーン・フィルとの演奏でお楽しみください。


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海老なのか、雲丹なのか…

2022年01月24日 17時30分17秒 | 日記
今日も寒中らしい寒さとなりました。そんな中、今日はひたすら自宅でデスクワークに勤しんでいました。

ところで、今日コンビニに買い物に行ったら



こんなものがありました。カルビーかっぱえびせんの新商品『黄金うに味』です。

パッケージデザインからして雲丹の風味のするかっぱえびせんなのだろう…と思って試しに買ってみました。帰宅して食べてみると…

う〜ん…何と言うか…

率直な感想としては『お馴染みのかっぱえびせんの味の向こう側にほ〜…んのりと雲丹がいる』といった感じです。

それにしても食べてみると、いわゆる『かっぱえびせん』の味ってものすごくインパクトが強いんだな…と改めて思います。ですから、よほどハッキリした味のものを組み合わせないと、ベースのかっぱえびせんに負けてしまうような気がしてなりません。

勿論、この新商品も企画会議にかけられて議論された上で発売に漕ぎつけたものであることに間違いはありません。それでも、プレーンのかっぱえびせんの風味を凌駕するほどのハッキリした味でない限り、同じような結果になりそうな気がします。

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今日はクレメンティの誕生日〜ソナチネアルバムの定番曲《ソナチネ ハ長調Op.36-1》

2022年01月23日 14時41分41秒 | 音楽
今日も寒さが堪える一日となりました。夕方からは天気予報アプリに雪マークもついているくらいで、正に寒中らしい寒さが続いています。

ところで今日1月23日は、ソナチネアルバムでお馴染みの作曲家クレメンティの誕生日です。



ムツィオ・クレメンティ(1752〜1832)はイタリアで生まれイギリスで没した作曲家、ピアニストです。その他にも教師や楽譜の出版業者、楽器製造業者としても活躍していた人物です。

当時まだ教皇領だったローマで銀細工師の息子として生まれたクレメンティは、父親の方針で幼少期から最善の音楽教育を受け、ソルフェージュ等のレッスンに通っていたといいます。それが功を奏してか13歳という若さでサン・ロレンツォ聖堂のオルガニストとなり、この活動が当時ローマを訪れていたイギリス貴族のピーター・ベックフォード(1740〜1811)の目に留まったことでイギリスに渡ることとなりました。

はじめイギリス南西部のドーセットにいたクレメンティは、その後ロンドンに移って本格的な音楽活動を始めました。その頃のロンドンでは、バッハの末子のヨハン・クリスティアン・バッハ(1735〜1782)が活躍していたこともあってあまり注目はされませんでしたが、次第にクラヴィーア奏者として名を成していくこととなりました。

1780年に演奏旅行のためにヨーロッパ大陸に渡ったクレメンティは、翌年にモーツァルトと一緒に時のオーストリア皇帝ヨーゼフ二世の前で御前演奏を披露しました。この御前演奏の後、モーツァルトが父レオポルトに宛てた手紙でクレメンティのことを執拗に悪し様に罵っていますが、逆に言えばこの御前演奏でのクレメンティの印象が天才モーツァルトにとってインパクトの強いものだったのかも知れません。


その後ロンドンに戻ったクレメンティは1790年に出演した演奏会を最後にピアニストとしてのキャリアに終止符を打ち、以降は指揮者や楽譜出版・楽器製造会社の経営者、教育者として音楽界で活躍しました。特に楽譜出版事業ではベートーヴェンの作品のイギリス国内での版権獲得のために自らベートーヴェンの元を訪ねて、ピアノ協奏曲第5番《皇帝》やピアノソナタ作品78、79の出版に漕ぎ着けています。


クレメンティの教育者としての名声は、1801年に刊行した《ピアノ演奏の手引き》や1817年に刊行した《グラドゥス・アド・パルナッスム》といったピアノ教育のための作品を出版したことで高まりました。クレメンティの教育作品は、現在ではピアノ練習曲集の作者として有名なカール・ツェルニー(1791〜1857)やショパン、リストといった面々が個人的にレッスンで教材として使っていたことなどから、18世紀末から今日に至るまでピアニスト養成のための重要な作品として伝えられてきていることがうかがえます。


私も、十代の頃にはクレメンティのソナチネにお世話になりましたが、その中でも特に印象深いのは、何と言っても《ソナチネ ハ長調 作品36-1》です。この


『♪ド〜ミドソ↓ソ↓、ド〜ミドソ↓ソ↑、ファミレドシドシドレドシラソ…』


というメロディの作品には、恐らくピアノを習っていてバイエル以上に進んだ方なら必ずお世話になっていることでしょう。


あの頃は『とにかく練習しなければならないもの』という認識で、ひたすら指を動かしていました。しかし、そういう義務感から開放された中で改めてこの曲を聴いてみると、シンプルながら古典派のピアノ作品としてよくできていると思います。


そんなわけで、今日はクレメンティの代表作と言っても過言ではない《ソナチネ ハ長調 作品36-1》の演奏動画を転載してみました。幼少期のトラウマだなんて言わないで、一ピアノ作品として耳を傾けてみてください。



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今日はカレーの日&ジャズの日〜信玄どり手羽元カレーとデイヴ・ブルーベック・カルテット《テイク・ファイヴ》

2022年01月22日 18時30分38秒 | 音楽
今日も朝から冷え込む一日となりました。電気代を気にして暖房を切って寝ていたのですが、明け方のあまりの寒さに勝手に目覚めてしまったほどでした。

こう寒いと、とにかく温かくて滋養のあるものが食べたくなります。と、そんな時に今日のことを調べてみたら、今日1月22日は『カレーの日』なのだそうです。

これは1982年に全国学校栄養士協議会が、学校給食メニューにカレーを普及させることを目的として制定したものです。今や立派な国民食となったカレーですが、それを普及させるための記念日があったことに驚きました。

実は、このタイミングで昨日我が家に届いたものがありました。それが



『信玄どり手羽元カレー』です。これは、先日私が楽譜を書いてお送りした甲府市にお住まいのピアノの先生から、返礼品のひとつとして頂いたものです。

これは先生の御主人が管理獣医師として勤められている農場で飼育された鶏の手羽元を使ったカレーで、ふるさと納税の返礼品として開発された商品とのことです。

で、実際に調理してみると



こんな感じで、立派な手羽元が丸々一本ドン!と入っています。見た目濃い目の色ですが、辛さはマイルドで優しい味わいでした。

ところで、今日1月22日のもう一つのアニバーサリーは『ジャズの日』なのだそうです。これは東京都内の老舗ジャズクラブのオーナーらによって結成されたJAZZ DAY実行委員会が2001年から実施しているもので、JAZZの"JA"が英語の1月Januaryの先頭の2文字であることと、続く"ZZ"が"22"に似ていることから決められたとのことです。

私事で恐縮ですが、私の親戚がかつて喫茶店を経営していて、そこに行くと必ずBGMとしてジャズのレコードがかかっていました。その中で私が好きだった曲のひとつが、デイヴ・ブルーベック・カルテットの《テイク・ファイヴ》でした。

《テイク・ファイヴ》はデイヴ・ブルーベック・カルテットの1959年のアルバム『タイムアウト』に収録されたジャズ曲です。作曲家・ジャズサックス奏者のポール・デズモンド(1924〜1977)が作曲したこの曲は、曲名の由来にもなった珍しい5/4拍子を使用したことで有名な作品です。

1959年にコロムビアの30丁目スタジオ録音されたこの曲は、デイヴ・ブルーベック・カルテットの最も有名なレコードとなりました。その年にニューヨークで行われた初演では。独特で覚えやすいサックスのメロディと創造的で力強いドラムソロで一気に有名になりました。

子どもの頃、喫茶店という大人っぽい雰囲気の空間に流れる5拍子のジャズが何だか大好きでした。考えてみればかなりマセたガキンチョですが、そんなガキンチョをも魅了するような魅力が、このジャズナンバーにはあると思うのです。

そんなわけで、今日はデイヴ・ブルーベック・カルテットによる《テイク・ファイヴ》の演奏をお楽しみいただきたいと思います。5拍子に揺蕩う、この上なくお洒落なリズムとメロディをご堪能ください。



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こんなものまでキャッシュレス…

2022年01月21日 18時35分45秒 | 日記
小田原の小学校では、子どもたちにも大人たちにも日毎に新型コロナウィルスに関する話題が広がっています。比較的のどかな小田原にあっても、この疫病の話題からは逃れられないようです。

私の勤務している小学校でも、コロナを恐れて子どもを自主的に休ませる家が見受けられます。なので、どのクラスも所々歯抜けのような状態で授業を進めているような状況です。

さて、そんな小学校勤務を終えて小田原駅に向かうと、ミナカ小田原の前に



石焼き芋屋のトラックが留まっていました。こう寒いと、熱々の石焼き芋も恋しくなってくるものです。

ところで、ヘッドライト付近にヒラヒラしているものがあったので見てみたら



『ペイペイ使えます』との表示が!コンビニやスーパーだけではなく、遂には焼き芋屋のトラックにまでキャッシュレス決済が横行しているとは…これも時代ということなのでしょうか。

まぁ、そもそもキャッシュレス決済なんぞ導入すらしていない私は、しっかりと現金で購入したのでありました(笑)。久々に買った石焼き芋は、冷え切った身体に染み渡りました。

ただ、食べることに夢中になっていたら、焼き芋の写真を撮るのを忘れていました。なので、今回は軽トラックの写真のみで失礼致します(汗)。

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雉も鳴かずば撃たれまいに…

2022年01月20日 20時20分30秒 | 日記
今日は二十四節気のひとつ『大寒』です。その名の通り寒中でも最も寒くなる日ということですが、それに相応しい寒さの一日となりました。

ところで、



オミクロン株の猛威が止まらない新型コロナウィルス騒動ですが、それに関してちょっとした珍事が起きました。

小田原市でも、ある学校で新型コロナウィルスの小学生の新規罹患者が出てしまいました。そのことを受けてその学校では学級閉鎖等の措置をとったのだそうですが、小学生の罹患者が出たということに、他校の保護者にも動揺が走っていました。

それは私が勤務している小学校でも例外ではないのですが、中でもかなりエキセントリックに問い合わせをしてくることで有名な親御さんがいました。何しろ

「小学校のコロナ禍対策は万全なのか?」
「うちの子を通わせておいて大丈夫なのか?」
「もしうちの子がコロナに罹ったらどうしてくれるのか?」

ということを二日に一回くらいのスパンで電話問い合わせをしてきていたのです。

当然ながらその度に学校の電話回線が一つ占拠されてしまうので甚だ迷惑な話なのですが、学校としては邪険に扱うわけにもいかないので誰かが対応しなければなりません。職員の皆さんは口にこそ出さないものの、いい加減辟易していることは見て取れるような状況となっていたのです。 

ところが、ここへ来て事態は急展開を迎えました。

実はその御家庭には高校生の長子がいるのですが、何とその長子が新型コロナウィルスに罹患してしまったのです。そして当然のことながらその御家族全員が濃厚接触者に認定され、発症したと思われる時点まで遡ってから14日間、家族全員が外出することができなくなってしまいました。

そのことによってその家の小学生も今月末まで通学停止となり、当然ですが今まで散々学校にあれこれ注文をつけてきた親御さんごと新型コロナウィルス濃厚接触者に認定されたことによって、それまでガンガンかかってきてきた問い合わせの電話がピタリと止みました。誰も口にこそしていませんが、職員室には心配よりも、どこかホッとしたような空気が流れているのが正直なところとなっています。

勿論、こうした状況になってしまったことについてはお見舞い申し上げます。ただ同時に、よりにもよってあれだけ学校にイチャモンをつけてきたその家から新型コロナウィルス罹患者が出てしまったということは、皮肉と言えばあまりに皮肉なものです。

言っては何ですが、小学校ではヘタな大人社会も真っ青なくらいのコロナ禍対策が講じられています。ですから、嫌な言い方をさせてもらえれば、この親御さんも小学校任せにばかりしておかないで御家族でも高いコロナ禍対策をしてさえいれば、散々学校にクレームをつけてきたことがブーメランとして跳ね返ってきて、こんな赤っ恥をかかずに済んだのでは…と思えて残念でなりません。

とかく自身のことを棚に上げて他人に御高説を垂れる人というものは一定数いるものですが、先ずは他人のせいにする前に我と我が身を律してもらいたいものです。私も折角ワクチン接種を受けずにここまで来られているわけですから、引き続き万全な対策を講じた生活をしていこうと思っております。

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ボリュームたっぷりミートワッフル@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2022年01月19日 21時12分21秒 | カフェ
今日も寒い一日となりました。考えてみれば明日は大寒ですから、無理もないのかも知れません。

小学校の子どもたちも体育の時間や休み時間に、鼻の頭を真っ赤にして

「寒みぃ〜!」

とか何とか騒ぎながら駆けずり回っていました。それでも教室に戻ればストーブの前にドレミファソラシドと並んで暖を取っているあたりは、どこか無理はしていたのでしょう(笑)。

さて、そんな小学校勤務を終えてから横浜あざみ野の音楽教室をを目指しました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日はゆっくりと給食を食べている時間もなくてものすごく空腹だったので、



『ミートワッフル』をお願いすることにしました。お店の看板メニューであるクロワッサン生地のワッフルに自家製のミートソースがたっぷりとかかっていて、食べ応え満点です。サラダも添えられているので、これだけでワンプレートメニューとしての満足感が得られます。

美味しいコーヒーと一緒にいただいてしばらくしてから、どうしてもいただきたくなって



コーヒーぜんざい(クリーム別添)もお願いしました。ぜんざい用にドリップされたコーヒーが粒あんと絶妙なバランスの風味を醸し出していて、焼き餅の香ばしさと相俟って和スイーツの様相を感じさせてくれています。

聞くところによると

「コーヒー感が薄い」という意見の人もいるようなのですが、これは『ぜんざい』であってコーヒーではないのですから当たり前です。コーヒー感がほしい方は、普通にコーヒーをオーダーなさってください(笑)。

ところで私事で恐縮ですが、おかげさまで拙ブログは昨日の記事をもって



記事本数が5000本を突破しました。丸10年も続けていたら、いつの間にかなかなかの数字を叩き出すまでになっていました。

これまで数ある中から拙ブログを御覧になってくださった皆様に、この場を借りて改めて御礼申し上げます。これからもくだらないことからどうでもいいことまで書き連ねて参りますので、お暇な時にでも御覧いただけましたら幸いに存じます。

今後とも拙ブログを何卒宜しくお願い申し上げます。
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小田原城址の寒中梅

2022年01月18日 19時45分19秒 | 
今日は晴天ながらも、風の冷たい陽気となりました。それでも小学校内は相変わらずコロナ騒ぎでもちきりで、あちこちにピリピリしたムードが漂っていました。

そんな小学校勤務を終えてから、今日は久しぶりに小田原城址公園に行ってみることにしました。本丸広場まで登ると



夕焼けに染まる天守閣がそびえていました。

その後、二の丸御殿のあった場所まで降りていくと



早咲きの梅の花が咲いていました。



八重咲きの紅梅の他にも



蝋梅の花も咲いていて、辺りに甘い香りを漂わせていました。

明後日は大寒ですが、それを前にして春の足音は少しずつ近づいてきているようです。

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27年目の1.17〜忘れじの『忘』の字

2022年01月17日 17時25分17秒 | 日記
今日1月17日は阪神淡路大震災が発生した日です。1995年に発生してから、今年で27年目を迎えます。

あの日、神戸市など4つの市と淡路島で震度7を観測した地震では約25万戸が全半壊、家屋の倒壊や家具の転倒による圧迫、火災などで6434人もの方々が亡くなりました。今でも、崩れるように倒壊してしまったビルや横倒しになってしまった高速道路といった衝撃的な映像を覚えておいでの方も多いかと思います。

発生時刻の午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地で開かれた「1.17のつどい」では、訪れた人たちが時報に合わせて黙禱し祈りを捧げていました。今年、公園内に設置された約5千本の竹灯籠と紙灯籠とで描かれた文字は



『忘』でした。

実行委員会の方の話によると、27年もの歳月が過ぎた中で被災者ですら忘れてしまっていることがある…とのことで、改めて「忘れてはいけない」ということでこの字を選んだとのことでした。また『忘』の一文字を「わすれない」と読んでほしいとする一方、思い出すのも辛いから「わすれたい」という人たちの思いも寄せられているようです。

考えてみれば、2011年に発生した東日本大震災からも10年の歳月が流れています。つまりこちらでは、現在私が関わっている小学生たちは全員、あの大震災や巨大津波をリアルタイムで知らない子どもたちばかりなのです。

ましてや阪神淡路大震災から27年ともなれば、今やアラサー世代以下はあの大震災を知らない、若しくは覚えていないということになるのです。そう考えれば、灯籠で『忘』という字を書きたくなる気持ちもよく分かります。

忘れない方がいいのか、忘れてしまった方がいいのか…それをここで一概に論ずることは控えます。それでも今年、被災地神戸の人々がこの日に『忘』の一文字を書いたことの意味を、あの惨状を記憶している世代の人間として、ニュースを観ながら深く思わずにはいられませんでした。

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