最初にお断りします。今日の話は長いです。だから、苦手な方は読み飛ばして下さい。
私は現在、小田原の小学校で放課後子ども教室の学習アドバイザーをしています。そこにはいろいろな子供たちがやって来ますが、中には小学生のうちから『努力』や『勤勉』というワードを露骨に卑下する子がいます。曰く
「元々才能が無いものを努力したって、始めから出来る人になんか追いつかないから努力するだけ時間のムダ。」
と、小学生の身で言ってのけるのです。
そんな時、他の学習アドバイザーやコーディネーターからは『努力』することの大切さが切々と説かれるのですが、私は正直、その子の思いが分からないでもないのです。
話は私の小学生時代に遡ります。
今でもそうなのですが、私は子供の頃から体育種目がことごとくダメでした。走ったら驚異的に遅い、ボールを投げても全然飛ばない、ソフトボール大会では攻撃時にバットにボールを当てられない、守備時にフライ球が捕れない、鉄棒で逆上がりが出来ない、上り棒が登れない、雲梯が渡れない、縄跳びは基本の飛び方しか出来ない、跳び箱は飛べない、マット運動はでんぐり返しのみ、平均台を最後まで渡れない、そして泳げない…もう、見る人から見たら三文安以下の男子でした。
田舎の小学生で、体育の出来ない男子などクズ以下でした。当時身長も平均を大きく下回り腕力も無かった私は、男女問わずクラス中の格好の餌食となり下がりました。
特に嫌だったのが運動会でした。当時は不参加や棄権などという制度が無かったため何かしらやらされることとなり、案の定悲惨な状態で競技を終えれば
「オマエのせいで○組は負けた」
と、帰りのクラス会で担任を含めたクラス全員から袋叩きの刑に処される始末でした。
忘れもしない小学5年生の時。
さすがに
『これではイカン!』
と一念発起して、秋に開催される運動会に向けて春から人知れず独学で走るようにしていました。
そして迎えた運動会当日。
相変わらずヘタレな走りではありましたが、今までと違うことが起きました。無理やり走らされた徒競走で、何と私の後ろにまだ一人走者がいたのです。
ここでゴールまでに抜かれてはならじ!と懸命に足を動かして、人生初のビリから2番目に入ることが出来ました。その瞬間、私がどれだけ嬉しかったか。
『これで帰りの会でクラス中から非難されずに済む!』
そう思っただけで、私は一人で高揚していました。
そして…
全ての競技が終了して、校長先生の総評がありました。そこで校長先生が発したのは
「今日はいろいろな人がいろいろな成績を収めました。勿論、一位を獲った人たちも立派ですが、最下位になっても諦めずに走り続けてゴールした子も、私達に頑張る姿を見せてくれました。皆さん、各競技で最後まで諦めずに走った最下位だった皆さんにも、皆さんから暖かい拍手を贈りましょう。」
という言葉。
そして、校庭に座っていた児童だけでなく、観戦に来ていた父兄からも、ビリだった子達に惜しみない拍手が沸き起こりました。ふと見ると、私が負かした男の子は周りから祝福を受けていたようで、その子は頭をかきながら照れ笑いしていました。
それを見た瞬間から次の日まで、自分が一体どうやって帰宅したのか、次の日である振替休日をどう過ごしたのか、私には一切記憶がありません。
妹が言うには、私はかなり夕方になって帰宅してからはひたすら2階の自分の部屋の勉強机の椅子に座って、虚空を見据えて口を半開きにしていたそうです。両親や妹の問いかけに一切答えなかったとのことでしたが、顔には明らかに号泣したような涙の跡がついていたようで、どう接していいのか分からなくて困ったと、後日言われました。
恐らくですが、あの時、子供なりに私のアイデンティティが崩壊したのだろうと思うのです。
それまでは『努力は必ず報われる』と信じて生きていた節がありました。しかしあの瞬間、自分が積み重ねてきたつもりの努力や自尊心は、跡形もなく砕け散ったのです。そして、
『私が他人を打ち負かした=私が人としてしてはいけない事をした』
みたいな図が頭の中で出来上がってしまい、自分が人として凄まじく下劣で下品で不潔な存在だと、小学生なりに思うようになってしまっていたのです。
それからしばらく、私は『努力』を避けました。その成果は直ぐに現れ、学力は低下し、早く走れるようになりかけていた足は元の木阿弥となり、修学旅行に行こうが何しようが一切笑わない可愛げの無い子供になっていました。
そして次の年の運動会。
私はまたしても、無理やり走らされた徒競走で最下位。その年の閉会式で、去年と同じ校長先生は一転して最下位を褒め称えるようなことはせず、結果クラス会で袋叩きにされてボロ雑巾のようになって帰宅したことに関してはよく覚えています。
『何で校長先生は、今年は最下位の子を褒めてくれなかったのだろう?そして、どうして自分って何をやってもダメなんだろう?…』
それから中学校に上がるまで、それまで以上に『努力』を止めました。むしろ『努力』という美辞麗句を憎みました。
そんな気持ちとは裏腹に両親は、中途半端にグレだした我が子を思ってか、それまでおくびにも出さなかった学習塾へ半ば強引に通わせるようになりました。始めは心底迷惑だと思っていたのですが、ここでの先生との出会いが結果的に私の考え方を少しずつ変えていき、今でも年賀状のやり取りをさせて頂くまでにお世話になったのは、また別の話です。
子供たちは大人の薄っぺらい発言に、時に振り回されたり、時に疑心暗鬼になったりしているものです。大人よりも目線の低い彼等は、大人よりも敏感に大人の言葉を受け入れ、精査し、判断しているものです。なので、軽はずみに
『努力は大事だ』
などと、私は言えません。
ただ、一度憎んだ『努力』を積み重ねた結果として現在の自分がいることも事実です。なので、私はとりあえず直球勝負はせずに、斜め45度くらいからのアプローチで、少しずつその子の外堀を埋めていこうと企んでおります。
何気なく発した言葉が、どんなタイミングで人心をえぐるかは分かりません。それ故に『言霊』としての言葉に気をつけながら、これからも子供たちと接していこうと思います。