今日は月末恒例アミューあつぎ前路上ライブの日…なのですが、実は今日は半年以上前に予定が決まっていたこともあって、お休みさせて頂きました。
今日は稲城市民オペラの公演を観に、稲城市中央文化センターに出かけました。旗揚げ公演の《椿姫》から数えること四回目、今回の演目はジョルジュ・ビゼー不朽の名作《カルメン》です。
《椿姫》からそうですが、この稲城市民オペラは限られた空間と限られた舞台装置、限られたアンサンブルの中で如何に本格的なオペラを上演するか…という、或る意味において非常に実験的な公演を重ねています。そして、驚くことにそのどれもが予想を上回るクオリティで展開され、観客を魅了して止みません。
本来であれば三管編成に多数の打楽器やハープまで入った大オーケストラでの伴奏ですが、今回は
ピアノ、ヴァイオリン、フルート、クラリネット、ファゴット、そしてトランペットというたった六名による、かつての浅草オペラに匹敵するような少数精鋭アンサンブルでした。
稲城市民オペラのオーケストラは毎回、指揮者である河村逸平氏の手によってアレンジされています。
通常、あれだけの大オーケストラをただ単にたった数名分に縮めてしまうと、どうしても低音部の音圧が薄くなって物足りなさを感じてしまいます。しかし今回も河村氏のアレンジは、チェロやコントラバス、ティンパニといった低音楽器が一人もいないにも関わらず、ピアノの左手やファゴットを中心に、時にクラリネットの低音まで駆使して非常に充実した低音部アンサンブルを聴かせてくれましたし、時にクラリネットがオーボエや二番トランペットの代わりになったり、トランペットがファゴットと一緒にホルンのような柔らかい音を作ってハモったりと、本来この場にいないはずの楽器の音色を要所要所で巧みに補填してくれて、楽器の少なさを不満に思わせることなくオペラに集中でき、原曲と比べても安心して鑑賞していられました。
これはアンサンブル内における一人当たりの負担が増え、それに伴って演奏者一人一人の演奏技量も要求されるため、いくらアレンジしようと思っても手練の奏者が揃えられないとなかなか出来ないことなのです。そういった意味において、稲城市民オペラのオーケストラには毎回驚かされると共に、アレンジャーや各奏者の御苦労がしのばれます。
演出は稲城市民オペラ主宰であり、公演芸術監督でもある馬場紀雄氏です。こちらの公演では毎回、最小限の道具と舞台背面の書き割りとを使って空間表現を演出するのですが、今回も第一幕では建物の書き割りの前に黒く塗られた縦格子が立てられるだけの至ってシンプルなものでした。これがカルメン達が働くタバコ工場の柵になっているのですが、これが最終幕では闘牛場の外壁に姿を変えて登場するのです。限られた時間内での舞台転換を余儀なくされている中で如何に変化に富んだ効果を上げるかという、稲城市民オペラ演出の面目躍如といったところです。
また、第二幕の幕開けの『ジプシーダンス』として有名なアンサンブルは、スタート時には通常では考えられない、何なら始まったと同時にズッコケてしまうくらいにゆっくりとしたテンポで演奏が始まりました。さて、どうなるのか…と思ったのですが、全体をよく見ると皆が酒によって眠りこけてしまっている状況から始まり、そんな中からカルメンが歌い出し、ダンサーがテーブルの上で足拍子を踏み鳴らすと、眠っていた酒場の客が一人また一人と目を覚ましていきます。この曲は同じフレーズが三回リフレインされるのですが、曲が進む度にアンサンブルが熱を帯びて盛り上がりながらテンポを上げていくと、客たちもカスタネットやタンバリンを鳴らしながら熱狂します。そして、その興奮が最高潮に達した時に、酒場に闘牛士エスカミーリョが颯爽と登場すると、客がに向かって景気よく札ビラを撒き散らしながら『闘牛士の歌』を朗々と歌い上げる…もう、すっかりやられました。
次の第三幕、山奥の山賊のアジトの場面になってまたビックリ。セットに置いてあるのは何と椅子一脚のみ!他は人の配置と照明の変化だけで、呑気なジプシー女のカード占いから、危険極まりない土地にホセを探しに来たミカエラの心細い心情まで表していました。これは能の舞台のように、下手に物が存在しないからこそ出来る演出効果です。
第四幕の闘牛場のシーンは、本来であればきらびやかなマタドール達やマンテラで着飾った華やかな女達が闊歩するところですが、今回は児童合唱を含めた合唱団が闘牛場の柵の前に並んで「騎馬隊だ!」「闘牛士達だ!」と歌いながら目線を横に横に動かしていくことによって、彼等の目の前を通り過ぎていく人物達の存在を感じさせる工夫が為されていました。そして、満を持して金モールの衣装に身を包んだエスカミーリョが客席から登場すると、合唱の熱気が最高潮に達します。
そして、通常の演出だとエスカミーリョと一緒に闘牛場に入っていく…はずの合唱団が、柵の向こう側に移動したのです。そこからは、復縁を迫るホセとそれを断り罵るカルメンのみの場面になり、そこに舞台裏から闘牛場の群衆の熱狂が聞こえてくる…という図式になるのですが、今回はその舞台裏の歌が柵の向こう側から聞こえてくることになりました。なので、通常よりも合唱が近くに聞こえてしまうのですが、実はこれが市民オペラならではのひと工夫でした。
指揮者を直接見られなくなる裏歌というのは舞台上の歌手とのアンサンブルが乱れやすく、下手な合唱団だと音楽的破綻をきたしてしまう元凶にもなってしまうのです。それを今回は舞台上ながらも黒く塗られた柵の裏側に配置することによって存在を消し(日本の伝統芸能において黒く塗られた簾や幕、黒い衣装を着た黒子は何も物が無いことを表すのです)、尚且つアンサンブルに支障をきたす心配無く裏歌効果を発揮することに成功していました。
今回特筆すべきは児童合唱です。十名ほどの男女混合の児童合唱団なのですが、この子達が歌もお芝居も実に上手いのです!ともすると日本中の児童合唱は客席に親兄弟や友達が観に来ていることを意識し過ぎて恥ずかしがってしまいがちなのですが、こちらの児童合唱団『コーロ・ピッコロ』の面々は第一幕の幕開けから元気よく歌いつつ兵隊さんの真似をして行進しながら、合間に間抜けな大人を茶化すという悪ガキっぷりも発揮して、観客の笑いを誘っていました。
勿論大人の合唱団も、舞台の上下だけでは無く客席の出入り口からも登場するという、稲城市民オペラではお馴染みとなった立体的な演出効果が今回も見られました。こちらの合唱団の面々は舞台の展開に沿ってかなり動いてくれるので、お芝居としてのオペラを楽しむことができます。前回の《こうもり》ではウィーンのブルジョア階級の紳士淑女を演じていましたが、今回は一転してタバコ工場に勤める斜っぱな女達と、それに言い寄るちょっと風紀の乱れた兵士や男達を生き生きと演じてくれていました。
ソリスト陣もそれぞれに奮闘していました。
身なり正しい龍騎兵としてミカエラと愛し合っていたところから徐々にカルメンに魅了され、やがて盗賊風情に落ちぶれていくホセは歌い上げ方も変わっていくのがよく分かって、真面目であるが故に翻弄されてしまった心情を表現してくれました。また、身の危険を顧みず、たった一人で山賊のアジトまでやって来てホセを連れ戻しに来たミカエラの祈りの歌に会客は静まり返り、感銘を受けていました。盗賊仲間のアンサンブルは悲劇の中における狂言廻しの役割を存分に発揮し、エスカミーリョは燦然と輝くヒーローとしてあくまでも格好良く存在していました。そしてカルメンは強く奔放に生きながらも、繰り返し占いで示された自身の死という宿命をまるで覚悟して受け止めたかのような、ちょっと不可思議な最期をとげるのです。
そんな様々な人間模様を巡らせながらオペラは終了しました。最後にはカーテンコールがなされ
熱狂的な拍手の中で幕が降ろされました。やはりオペラは楽しいものです。
次回は来年四月、プッチーニの名作《ラ・ボエーム》を上演するとのことです。このオペラでも第二幕に児童合唱が活躍しますので、また彼等の歌と演技が観られるのが楽しみです。