≪だいすぎの読み物ランド≫
この文章を
パソコンで読んでいただいている方は
あなたのメーラーと
関連付けてください。
HPアドレスへ
リンクできるはずです。
4月9日(火)午後1時~3時15分まで
いつもの尼崎小田北学習プラザで
『かよううたう会』
詳細は後日ですが
ゲストは農業と
歌手活動をされている原田さん。
5月8日(水)午後1時~3時まで
西淀川区の青空財団
イベントスペースで
『大阪歌うサークルの会』
朝~お昼過ぎまで
外では『青空市』もしています。
リンク 【鳳カフェブログ:歌うサークル/一様 シティバス専用ページ】
https://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005/e/1881e8e78e85896e5f0507858e23e5ef
年度替わりですのでご自身で
念のためにダイアなどを
調べておいてください。
本通りネット担当者電話番号:
090-8237-0985
ⅰクリックをしておいてください。
後程お電話差し上げます。
皆さん こんにちわ
日々 趣味とミッションで
時間をつぶす
カムカムエッブリバーディー!こと
『ジャングルブギ』の
番組とともに
まもなく終わる だいすぎですはい。
ライブネームは
『だいすぎポン』です。あ
マンゲツポンではありません。
メールへのご返信なども
後ほどさせていただいています。
〈文芸+読み物ランド〉
前回「文芸」と書いてますね笑)。
何か思いついてたんでしょうね おそらく。
そして忘れた・・
ほうっときなはれ。
前回は-
リンク 【火曜鳳カフェブログ:だいすぎの読み物ランド】
https://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005/e/b1c41433f47d0ada5404fd614033aa15
リンク 2024-03-05 08:25:03
https://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005/e/b1c41433f47d0ada5404fd614033aa15
《今 取り上げようとしている本は》
東海道53次今昔(いまむかし)
歩き旅》
リンク 東海道五十三次いまむかし歩き旅
| 高橋真名子 |本 | 通販
とだけしておきます。
HPアドレスがホほど長いのでね。
〔風光明媚な東海道〕
前回は『三島』でした。
今回は『沼津』。
「ぬまず食わず」なあんて言ったら怒られまっせ。
「なら 言うな!」 はい。
しゃれしゃれ、しゃれでんがな。
今回は『沼津』ですが
著者の高橋さんもおっしゃってますが
三島よりも沼津の方が
立派な街だとのことですね。
なのに新幹線が三島に着けられた。
いったい なんで?
これには種々の理由があるようです。
{沼津は城下町だった}
ぬまず城は武田勝頼が
中世に築いたお城だったことですが
明治の廃城令を待たずに
壊されるという運命をたどります。
今は跡形もないそうです。
道を拡張したり
駅を作るなどの
都市計画が主たる理由だったそうです。
まあ当時いろいろ賛否両論はあったのかもしれませんが?
よくよく考えると
もったいない話ですよね。
『沼津城』は
「悲運の城」と言えます。
リンク 沼津市 - Wikipedia
沼津市 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E6%B4%A5%E5%B8%82
ちょっといただける記事のみ引用しますと-
法人番号 8000020222038 ウィキデータを編集
面積 186.96km2
総人口 183,255人 [編集]
(推計人口、2024年2月1日)
以上引用です。
立派な街だよね。
お城には代官さんが常駐して住んでいたので
皆さんお城という位置づけが薄かったのかなと?
でもお城壊したらダメだよ。
そこで前回の『三島』も
調べました。
リンク 三島 - Wikipedia
三島
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6
読ませてしまってすんません・・
たくさん出てきましたね(笑)。
静岡県を付けて検索したら-
リンク 三島市 - Wikipedia
三島市 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E5%B8%82
ちょっと必要部分のみ引用しますね-
市町村コード 22206-2
法人番号 8000020222062 ウィキデータを編集
面積 62.02km2
総人口 104,696人 [編集]
(推計人口、2024年2月1日)
以上引用です。
こうやって見てみると
やはり政治的判断というのが
どこかにあったのかなと思いますね。
岐阜羽島のようにはい。
あの駅も寂しいよね何だか。
今回は『沼津』です。
『千本松原』という名所があります。
この話も興味深いです。
武田勝頼が
進軍の際邪魔になるということで
1度伐採させたそうですね。
後で農作物ができなくなったりということで
皆さん大変な目に遭うようですが
その後偉い お坊様が
お手植えになられたとか。
それが今に残る
『千本松原』です。
でも私たちも
自分の街の文化遺産は
残しておかないといけません。
そういう街は
必ず反映していますよ。
各地の街の歴史が物語っています。
やっぱり大切にしたいものです。
次は14番目の宿場の街へ入ります。
≪編集後記≫
年度替わりは何かと大変でしてね。
大変な人たちだけが
大変なのですがはい。
これですが以外に分かってもらえませんね。
暇な皆さんは
それ以外の人たちも
暇だと思っておられるようでしてはい。
私もこの後
法人関係の書類の
整理をします。
【だいすぎ】