≪鳳カフェジャーナル・昭和の政治史:政界再編成の歴史≫
【社長のヘッドライン三つ+最新の変異型ウイルス情報】
今日も、上から目線と
ため口で三つの話題をお届け。
【訂正とお詫び】
まず今月29日書きました最新の変異型ウイルス情報文中で
ニュースソースの、発信者の日にちを
28日と書きましたが
同18日の間違いです。
訂正します。
<鹿児島で噴火>
諏訪之瀬島 噴火警戒レベル3に NEW
<もしも法律が適用されると>
国内で初めてのケース>
大阪にまん延防止 政府検討 NEW
<お疲れ様でした>
80歳カリスマ百貨店員が引退
売り場にファン順番待ち 朝日新聞デジタル
ツボその1、鹿児島と言えば桜島。
こちらも27日に、大きな噴火があった。
危険レベル3ということで
こちらは、かなり以前から継続されているようだ。
鹿児島人の質実剛健の気質は
どうやら、桜島などの
たびたびの噴火が育てたのかもしれないね。
ツボ その2、大阪の陽性者数が
東京を超えつつある状況を
関係者らが、懸念していることが
容易に理解できる。
マスコミは、数字だけを出して
あおることばかりを報道するが
実際に、罹患した人たちの
症状などを、あまり報じないのはなぜか?
いったん罹患すると、咳が
連続的に出て止まらず
水でおぼれたような症状が出たりもする。
あるいはウイルスが
どこにでも入り込むため
血栓を作ったり
脳梗塞などを起こすこともある。
大変危険なウイルスだ。
遊びたい人たちは、そのことを
よくよく承知して遊んでいただきたい。
自分の命は、自分で守ろう。
ツボ その3、80歳まで働かれたカリスマ店員。
願わくば、だいすぎ社長も
カリスマアーチストと言われるような仕事を残したいものだ。
かりにすましておる
【社長】
【コビット19(新型コロナウイルス)変異種・最新情報】
東京新聞3月23日付の記事には
新型コロナにおける変異型の件が
詳しく書かれています。
重要なことですので
参考までに、以下に記載します。
{集団免疫が出来上がったとしても}
実は、敵も必死で自分たちの種を残そうとしています。
そのメカニズムは
感染拡大やワクチン接種で免疫を持つ人が増えたのを受け
ウイルスが性質を変える「エスケープ変異」という形で
対抗してくるそうです。
つまり、変異したウイルスの出現で
再び流行が広がる恐れもあるということなのです。
免疫を回避する変異ウイルスもある
というから厄介です。
私は、この「エスケープ変異」と言うのは
初めて聞いた言葉です。
「集団免疫さえできれば安全」とはい。
私も、そのことは書きました。
ですが、まさか変異型のウイルスが出てくるとは?
{人は集団で戦わないほうが?}
集団免疫と、ワクチンの限界という
図式が見えてきたような気がします。
要するに私たち個人個人の立場で
この変異型に立ち向かうと言うことです。
これが『個の時代』ということなのかと?
そこで考えられるのが
これまでにも私が書いてきたように
ワクチンではなく治療薬。
かなり前から、しつこく書いていることなんですが
やはり治療薬が最も適しているように思います。
{巴(ともえ(戦法}
第二次世界大戦では空中戦において
最も米軍のパイロットたちが恐れたと言うのが
我が国との空中戦だったと言われています。
つまり兵士の1対1の戦いです。
その戦法がワクチンではなく
治療薬です。
化学ではなく生物の妙(抽象的)の世界。
ほかには食品から攻めるというやり方です。
納豆や赤ワインの中に含まれるアミノ酸。
日本古来の食文化には
案外私たちは知らず知らずのうちに
守ってもらっている可能性もあるノのではと考えます。
個別単位で、ウイルスと対峙する
というのが私の基本的な考え方です。
つまり東洋医学という概念の思考です。
この視点に立って今後とも、注目したいと考えます。
【昭和の政治史:政界再編成の歴史】
その2は 池田勇人と佐藤栄作。
今回からは佐藤栄作へと代わります。
池田勇人は昭和40年秋にこの世を去ります。
我が国経済を見事に復興させて
東京オリンピックを成功させました。
そして世界に、日本と言う国が
先進国の水準に達したことを意味づけることになるわけです。
その意味では池田勇人は
我が国政治史上に見事に
名総理としてその名を刻むことになります。
{公明党の存在}
ここは、政界再編というテーマで書いていますので
以前にも申し上げたとおり、これ以上触れません(笑)。
{社公民路線}
社会党右派と公明党、そして民社党が
推し進めていこうとした
野党連合構想です。
特に公明党は当時
その路線に、最も真剣に取り組んでいました。
結論から書きますと
結局一つにまとまることは、できなかったわけですが
ですが、このころから政界再編への流れが
その後いろいろな形で動いていくことになります。
{新しい日本を作る会を発足}
自民党内にも中道の中堅や
若手などの議員たちも
動きを見せていましたが
それが後に新自由クラブが結成されることに。
野党では、全野党構想により
上記集団を作るなど活発な動きを見せます。
1969年総選挙で社会党が
大きく大敗します。
これを機に、社会党右派の江田三郎が
公明党や民社党と共闘して
非自民・非共産連立政権を目指すことを提唱します。
1970年代に民社党の西村栄一委員長が
『民主的革新政党の統一』を提唱。
社会党江田三郎、公明党矢野絢也、民社党佐々木良作ら
3党の書記長らが反共の政策集団「新しい日本を作る会」を結成します。
これが社公民連合政権構想の第一歩となります。
以上はウイキペディアからの引用ですが
今その当時の、立役者たちを見ましても
錚々(そうそう)たる人たちの名が出てきます。
この時代が最も、与野党の人材が揃っていた時代と言えます。
今を見ますと(苦笑)。
結果的にはその政権構想は果たすことはできませんでしたが
それでも与党内から新自由クラブや
後の自社さなどの、連合政権が誕生して行きます。
それが『自社さ連立政権』です。
そして自民党や社会党といった
思想的には相反する
水と油がいっしょになることに発展して行きます。
そこに『新党さきがけ』が加わります。
自民党が大きく、その勢力を落としたことで
当時の村山(社会党)を首班します。
新しいチンケな政権が誕生しました。
1994年~1998年が第一段階の自社さ政権です。
後に社会党が看板を掛け換えたり捕手からも入ったり出たりしながらも
なんとなく続いていきます。
一様は55年体制は崩壊します。
そして1995年に、あの忌まわしい阪神淡路大震災が起きます。
今思えば歴史的には
この国の大きな転換期を迎えた時期でもありました。
このあたりのことは次回で書いてみます。
だいすぎ