29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

米国における感染症対策は地方自治体任せ

2022-02-26 08:45:56 | 読書ノート
ヴェルナー・トレスケン『自由の国と感染症:法制度が映すアメリカのイデオロギー』西村公男, 青野浩訳, みすず書房, 2021.

  米国感染症対策史。といっても感染症対策は事例としての扱いであり、公衆衛生のための課税やワクチンの強制が、個人の自由が強く尊重される憲法制度およびイデオロギーに対して、いかにして調整されてきたのか、というのが中心的な主題となっている。「社会全体の厚生か個人の自由か」というおなじみの対立だ。なお、著者は米国の経済学者であり2018年に亡くなっている。原書はThe pox of liberty : how the constitution left Americans rich, free, and prone to infection (University of Chicago Press, 2015.)である。

  トピックとしては、天然痘とワクチン接種、腸チフスと上下水道の整備、黄熱病と港における検疫が取り上げられている。米国が占領したキューバやプエルトリコでは、軍がワクチン接種を強制したことによって感染症が速やかに減少した。一方で、米国本土では「政府による強制」への反対があったため、天然痘の撲滅は遅れた。また、自由主義に基づいた抵抗がやっかいだっただけでなく、連邦政府か地方自治体かという役割分担にも問題があった。感染症対策には、連邦政府のほうが効率的であるにもかからわず、地方自治体がその責任を担ってしまったのである。

  しかしながら、地方自治体別の感染症対策にもメリットはあった。各地域でそれぞれ効果的かつ効率的な感染症対策を競い、上手くいった政策は他の地域でも模倣された。経済活動を優先したことは感染症対策を遅らせたが、最終的には上下水道など高価な公共財の供給を可能にした。経済学理論から予想される「底辺への競争(=感染症対策を放棄して、地域間の経済発展競争に勝つ)」も実際には起こらず、地方の民主主義は機能した。地域別の対策は、経済活動へのデメリットを最小限に抑えて、効果的な対策を採用させてきたのである。

  以上。「感染症対策は遅れたけれども、最終的には根絶できたのだから評価できる。地方自治体に任せても上手くやれる」というニュアンスである。すなわち、自由を優先しても公共の福祉は大きく毀損されない、と。しかしながら、対策の遅れによって積みあがった死体の山を無視できないと考える人もいるだろう。米国の新型コロナ対策を考えても...。というわけで素直に首肯できない。だが、公共の福祉と自由が単純なトレードオフとはなっていないことがわかるところは良い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーバックス気候史二点、難しいのとわかりやすいのと

2022-02-21 13:00:40 | 読書ノート
横山祐典『地球46億年気候大変動:炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来』(ブルーバックス), 講談社, 2018.
中川毅『人類と気候の10万年史:過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』(ブルーバックス), 講談社, 2017.

  『地球46億年気候大変動』は、気候の歴史というより気候「研究」の歴史であり、科学者の名前が大量に出てくる。特に過去の気候をどう再現するかという、観測方法の進展の話が中心となっている。大きな話から小さな話まで振れ幅が大きく、地球の公転や地軸の変化から、プレートテクトニクスや海流、放射性同位体、空気中の二酸化炭素量を推定するための化学式なども出てくる。率直に言って難解であり、登場する科学者らが「〇〇億年前の気温は〇〇度ぐらいだった」と最終的に推定するに至ったロジックは、一読しただけではよくわからない。わかったのは、過去の気候の再現は科学者の英知の結集のおかげであることと、地球の気候は安定しておらず標準と呼べる状態がないことの二つだけである。

  『人類と気候の10万年史』は、上の書籍より短いタイムスパンでの気候変動史である。福井県にある水月湖の湖底堆積物の調査から、気温のみならず周辺の植生なども推定している。それによれば、ここ10万年ぐらいの地球は寒冷で氷期を経験することが多く、温暖な時期はごくまれに短期間だけ持続した。この10万年間、寒暖の変化は激しく、植生はしばしば変化した。しかし、1万1600年前あたりに突如温暖化し、以降安定した気候のままであるという。その原因はよくわからないものの、工業化以前さらに言えば農業が普及する以前に起こった変化であり、人為的なものではないことは確かである。最後に、気候が安定したことが、作物の収穫量を予想のつくものととし、狩猟採取よりも農耕を有利にしたのではないか、と推論している。こちらのほうは、気候推定のロジックが単純で(堆積した花粉等から推定される)、また登場人物の数も少なく、わかりやすかった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オープンアクセスにおいても商業出版社が勝つ

2022-02-14 13:23:48 | 読書ノート
有田正規『学術出版の来た道』 (岩波科学ライブラリー), 岩波書店, 2021.

  学術雑誌および関連するデータベースの歴史。著者としては同じシリーズの『科学の困ったウラ事情』(2016)の続編というところだろうか。中身は『科学』に初出の連載記事を改訂したものとのこと。

  内容は、査読システムの形成、エルゼヴィアやシュプリンガーといった学術出版社の興亡、索引誌の登場とインパクトファクターの導入の影響、学術雑誌のデータベース化、オープンアクセス運動などについてである。「「同分野の研究者による査読」は1970年代にゼロックスのコピー機が大学で普及してからの慣行であり、それ以前は「編集者による査読」が普通だった」など、興味深い指摘が多い。大学図書館が学術雑誌のデータベースのために億単位の金を支払っているという話も、報道などで目にしたことがあるかもしれない。

  特に後半の、雑誌データベースの価格高騰と対抗するオープンアクセス運動の話は非常に面白い。オープンアクセス化、すなわち論文をネットで無料公開するにも人手や設備が必要なわけで、お金が必要になる。もちろん、著者が自身のサイトで公開するという非常に安価な方法もあるのだが、研究者の業績として認知される体裁──査読があるとか学術論文として索引されているかとか──というのがあって、そこに費用がかかる。その費用のために、著者側が数十万の掲載料を払って論文を発表する。このシステムを管理しているのが商業学術出版社だったりするとのことである。

  結局、オープンアクセス化によって回避したはずの商業出版社に、研究費さらには税金が吸い上げられるという結果となっている。システムの運営費の出どころは研究者個人の研究費であり(一部寄付などもある)、大本を辿れば政府が科学振興のために研究者に与える税金も含む。掲載料が高騰するのも、研究成果が数値評価されるようになっていることに加えて、国が研究支援を厭わないことがあるようである。オープンアクセス運動のなれの果てがこれである。

  僕の同僚の心理学分野の先生も「日大からもらう個人研究費は論文掲載料でまるごと消える」と言っていた。ちなみに以上は理系および英語雑誌の話で、文系分野の日本語雑誌にはまだこの波は来ていないように見えるのだが、どうなんだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新自由主義時代を乗り切った福祉国家への賛辞

2022-02-10 11:09:55 | 読書ノート
デイヴィッド・ガーランド『福祉国家:救貧法の時代からポスト工業社会へ』小田透訳, 白水社, 2021.

  福祉国家の入門的解説書。原書はThe welfare state: a very short introduction (Oxford University Press, 2016.)である。著者は1955年にスコットランドで生れ、現在はニューヨーク大学で教鞭を執っているという犯罪学者である。1990年代終わりまでイギリスで教えていたとのことで、世代的には若いころにパンクロックとその後のサッチャー改革を経験しているだろう。専門は犯罪研究ながら、福祉国家について書きたくなるのもわかる。なので、新自由主義に対する勝利宣言(福祉国家を廃止することはできない!!)というトーンが通底していることもわかる。

  福祉国家間にある違いを強調するエスピン=アンデルセンに対して、共通点を強調するのが本書の特徴である。本書によれば、福祉国家の主な受益者は中間層であり、貧困層ではない。失業保険や医療保険、年金といった全国民向けの社会保障政策がその中心である。これにマクロ経済政策も加わる。一方で、生活扶助のような貧困層向けのプログラムは批判にさらされやすく、制度的変更も多くて不安定だという。

  福祉国家の変遷についてはこう。19世紀のレッセフェール時代にも、民間と地方自治体による救貧活動があった。世界大戦や世界恐慌の影響もあり、20世紀前半にその役割を国家が引き受けるようになった(福祉国家1.0)。1970年代になると、生産性とのトレードオフが懸念されるようになり、新自由的風潮からには福祉への給付が削減されるようになった(福祉国家2.0)。が、そのようなトレンドにおいても福祉国家は生き残った。現在においては、人的資本を高めつつ個人のニーズに対応するという方向(福祉国家3.0)が目標となるとする。全体としては、時代の変化に合わせた弥縫策で繕いつつ、福祉国家は今後も存続してゆくだろうと締めくくっている。

  以上。福祉国家のこれまでを簡単に俯瞰する上で優れた書籍である。だが、今後については希望的観測があるだけでそれほど詳しいわけではない。少子高齢化問題にも労働市場の二重化問題(欧米では主に移民による)にも一応言及されてはいるものの、具体的な対策については論じられていない。福祉国家3.0で重視される個人主義と、家族形成(≒国の人口維持)や均質な中間層は衝突する考えであり、必ずしも福祉国家の持続可能性を楽観視できないだろう。まあ福祉国家の定義が広くて曖昧だから、それがどのように変化しても勝利宣言できるとも言える。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本大学の紆余曲折とその特色

2022-02-07 08:40:16 | 読書ノート
橘木俊詔『日本大学の研究:歴史から経営・教育理念、そして卒業生まで』青土社, 2021.

  タイトル通り。三部構成で、第一部は創立から戦前期までの歴史、第二部は戦後の歴史、第三部は経済界への人材の輩出、スポーツ、芸術学部を扱っている。僕は着任して四年目となる文理学部の教員であり、それ以前はまったく日大とは縁が無かったので、興味深く読ませてもらった。なお、初刷には誤植が散見され、また聞き慣れない表現もでてくる(「マンモス教育」とか。文脈からは「マスプロ教育」の書き間違いだと思われる)。

  内容はこう。日大は夜間の法律専門学校から始まって、学部数を徐々に拡大してゆく。キャンパスが学部によってバラバラなのは、「戦前の」学生の争議に対する経験から(戦後の学生運動に対抗してではない)。在籍学生数を増加させたのは、経営上の理由もあるが、文科省から距離をおこうとしていたから。日大の創立者およびその後の総長の思想が保守的だった。それだけでなく、近年の在学生の思想もどちらかと言えば保守的である。私立大にしては理系が充実している。経済界への人的貢献は慶應大学に比する。スポーツ面では、個人競技は強いが団体競技は弱い。などなど。このほか、特筆すべき日大関係者について詳しい説明がある。

  発行が2021年10月初めだったため、アメフト事件の話はあるものの、田中前理事長逮捕の話はなし。中の人としては、付属高校についての章があるとなお良いと思った。関係者でも付属高校のシステムはわかりにくいから(ナンバー系、本部直轄、学部付属、フランチャイズといろいろで、また出入りもある)。なお、誰が読んでも面白いというわけではなく、日大関係者向けだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生涯学習を推奨するも制度的には成功していないとも

2022-02-04 08:06:07 | 読書ノート
アンドリュー・スコット, リンダ・グラットン『LIFE SHIFT2:100年時代の行動戦略』池村千秋訳, 東洋経済新報, 2021.

  キャリア形成・人生設計を扱う内容であり、ビジネス書および自己啓発書にカテゴライズされる。同じ著者二人による『LIFE SHIFT』(東洋経済新報, 2016)の続編だが、どちらも原題は"Life Shift"ではなく、前著はThe 100-year life: living and working in an age of longevity (Bloomsbury. 2016)で、この2はThe new long life: a framework for flourishing in a changing world (Bloomsbury, 2020)である。著者は二人ともロンドン・ビジネス・スクールの先生。前著は未読。

  長寿化の進展とAIによる労働力の代替によって、これまで一般的だった人生プランは通用しなくなる。だからもう一度キャリアについて考え直してみよう、というのがその趣旨である。家庭での役割分担や人間関係の話などもあるがメインは仕事の話であり、「同じ仕事を老年期まで続けて引退後は悠々自適の生活」などという人生はもはや不可能で、高齢になって働けなくなるまで仕事を次々変えて食いつないでゆく必要があるという。そして、企業や教育機関、政府などに、変化するキャリアに合わせた制度を設計するよう求めている。

  個人的に関心があったのは教育の話。働きながらの生涯学習やリカレント教育が勧められ、またオンラインでの独学教材が増えていることが伝えられている。しかしながら、”多くの国では成人教育産業が苦戦を強いられている。学位を授与しないパートタイムの教育では、その傾向が特に甚だしい”(p.283)とのことである。その理由は分析されていない。またこれまで、日本以外の先進国では年齢差別はないなどという話を信じていたが、少なくとも英国ではまだ企業への就職に年齢制限があるようだ。

  以上。深刻にならないようサラッと書かれてはいるが、長すぎる人生をサバイブするために絶えず努力し続けなければならないという厳しい話となっている。生涯学習の結果が労働市場で評価されない理由については、非常に興味をそそるところである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021年9月~2022年1月に読んだ本についての短いコメント

2022-02-01 09:07:07 | 読書ノート
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー ; 2』新潮社, 2021.

  第二弾。著者の魅力は、リベラルな考えの持ち主がくだしがちな教条的な善悪の判断に対して、図式化を急がずにきちんと見えている事態を伝えようとするところだったと思う。しかし、本書で描かれているLGBTの問題についてはそういう印象がない。貧困と移民との複雑な関係については相変わらず面白いところがあるけれども。しかし全体的に、こども周りの出来事があまり充実していないように思う。息子君が思春期を迎えて母親に身の回りのことを伝えなくなったのではないだろうか。

溝口彰子『BL進化論:ボーイズラブが社会を動かす』太田出版, 2015.

  BL作品の評論。僕はアラフィフのおっさんだが、我が子に薦められてBL作品をいくつか読む機会があったので参考にした。初めて知ったことが多くためにはなった。だが、記述全体を通じて顕われる「BLを愛好するわれわれは進歩的だ」という意識には辟易させられた。「ジェンダーの攪乱」による常識の破壊を喜ぶ態度に対しては、ジョセフ・ヒースが『反逆の神話』で展開した批判を想起させられた。イデオロギーに対してではなく、もうちょい作品に寄り添った批評というのは展開できないものなのだろうか。

西川純『親なら知っておきたい学歴の経済学』学陽書房, 2016.

  大学進学よりも高卒就職を勧める内容である。著者は上越教育大学の先生。著者によれば、私大文系ならばGMARCHクラスの大学であっても大企業への安定的な就職はもうすでに不確実となっている。代りに、高校卒業後、進学上京せずに地元で就職すれば、早くに結婚して家族を形成することができ、転職に際して人的ネットワークも期待できる。地方に就職先があるのかは問題だが、サービス業は今後も残るはずだという。以上。これって、少々前に注目された「マイルドヤンキー」的な生き方だよね。一理あるとは思うが、コミュ障には勧められないなあ。

岡本隆司『中国史とつなげて学ぶ日本全史』東洋経済新報, 2021.

  『世界史とつなげて学ぶ中国全史』の続編。通史ではあるが、中国の制度を取り入れつつ土着化させた古代から平安時代と、西洋の外交の論理と東アジアの外交の慣習を使い分けて大陸に対してあくどく立ち回った日本の近代の箇所が面白い。ざっくりとした記述で歴史の専門家からみれば突っ込みどころがあるのだろう。けれども、本書のメッセージは明確でわかりやすい。すなわち「歴史的経緯からすれば、将来もずっと日本が中国や韓国から信用されることはない」。このようなシビアな認識を前提としたうえで、外交や民間交流を考えなければならないとのことである。日本人の外交の下手さは現在でも問題になるが、過去にも禍根を残してきたということがはっきりと示されている。

花房尚作『田舎はいやらしい:地域活性化は本当に必要か?』(光文社新書) , 光文社, 2022.

  鹿児島の大隅半島で暮らす在野の研究者による地方住民のエスノグラフィー。地方の保守性が強調され、地域活性化といった改革は諦めて、ゆっくりとした衰退を受け容れるべきだ、田舎にも田舎なりの幸せがあるのだから干渉は無用だ、と説く。ならば都会からの補助金を止めるべきという話になるはずだが、そこまではいかない。都会に住む人間にとってはその先の議論がほしいところ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする