木下斉『まちづくり幻想:地域再生はなぜこれほど失敗するのか 』(SB新書), SBクリエイティブ, 2021.
地方創生あるいは地域再生について心構えや考え方について述べた本。補助金に頼るな、黒字化を常に念頭におけ、という主張は著者の他の本でも繰り返されているものだ。本書では、地域社会での足の引っ張りあいの問題が強調されている。地方でチャレンジをする人に対しては、失敗してもすぐ撤退できるよう、小さな規模からビジネスを始めるように勧められる。実績を積むことで協力者も増えてくるという。批判する側に対しては、地域のことを思うならチャレンジする者が売っている商品またはサービスを購入してやれという。うーむ、地域が利用できる人材の問題はとても大きいという印象。はたして、チャレンジできる人間が、都会で腕試しをせずに、地方都市に留まっているだろうか。
三浦瑠麗『日本の分断:私たちの民主主義の未来について』(文春新書), 文藝春秋, 2021.
アンケート調査によって日本人の価値観の分布を探るという内容。データがあるので『日本に絶望している人のための政治入門』よりは読ませるところが多い。疑問点もある。分析方法の解説は詳しくないけれども、アンケート項目間で重み付けをすることをせず、素点でマトリックスを作っているように見える。ならば、個々の項目を保守とかリベラルとかに分類するうえでの妥当性はどう担保されているのだろうか。あと、一強多弱の国会の政党構成の原因を個々の政党側の主張に求めすぎている点も気になった。待鳥聡史『政治改革再考』では、小選挙区比例代表選挙制度のうちの「比例代表」部分が、導入当初の目的だった二大政党成立を挫折させ、小党乱立という結果をもたらしていると指摘している。
湯澤規子『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか:人糞地理学ことはじめ』(ちくま新書), 筑摩書房, 2020.
ウンコ観の比較文化および歴史。特に、江戸時代は肥料として売買されていたウンコが、近代になって忌避され、汚物として下水処理されるようになっていった、その理由と過程について詳しい。で、それには、都市化の進展で近郊農家が必要とする量以上に供給されたためという理由と、西洋人の眼差し(彼らには生野菜を食する習慣があったのだが人糞で育てた野菜を嫌悪した)という理由の二つが示されている。20世紀後半になると日本の都市では下水処理が普通になり、ウンコは即座に流されて日常的に視界に入らないものになった。著者は、近代以前の人間とウンコが共存する時代をノスタルジックに眺めていたりする。だが、読んでいて衛生観念の進歩はやはり大きいと感じる。昔の人は、菌などの微生物を理解できていなかったからこそ、ウンコを身近に扱っていたのではないだろうか。
デイヴィッド・ランシマン『民主主義の壊れ方:クーデタ・大惨事・テクノロジー』若林茂樹訳, 白水社, 2020.
民主主義の現状についての雑漠としたエッセイ。加速主義やら陰謀論やらいろいろトピックを盛り込んではいるもののの、きちんとした議論の筋があるわけではない。現在の民主主義は「中年の危機」で、SNS経由のポピュリズムに陥っているが、でもまあ民主主義は駄目なりに続いてゆくんじゃないか、日本がそうだろ、というニュアンスである。著者は英国の政治学者で、2016年のトランプ大統領登場に驚いて書いた本のようだ。原書はHow democracy ends (Profile Books, 2018)。けっこうな数の書評を目にしたので、個人的には読む前の期待値が高かったのだが、思い付きを書き連ねたようなゆるい書きぶりに拍子抜けした。あまり期待せずに読むべき本。
渡部悦和, 佐々木孝博 『現代戦争論―超「超限戦」:これが21世紀の戦いだ 』(ワニブックスPLUS新書), ワニブックス, 2020.
「超限戦」というのは中国人民解放軍の大佐が1999年に発表した書籍のコンセプトで、通常の軍事活動の枠外でも継続される戦争とのことらしい。典型的なのはサイバー戦やマスメディアを使った宣伝工作ということになるが、そこでの勝利を支えるAIや宇宙衛星の技術も問題となる。本書は、「超限戦」のコンセプトをめぐって、中国、米国、ロシアがどう対応しているかを伝えるもので、それぞれの公式・非公式の文書や軍の編成について解説している。著者二人はもと自衛官とのこと。日本はもはやこの最先端の軍事コンセプトについていけないと思うのだが、ついていかなくてはならないのだろうか。
地方創生あるいは地域再生について心構えや考え方について述べた本。補助金に頼るな、黒字化を常に念頭におけ、という主張は著者の他の本でも繰り返されているものだ。本書では、地域社会での足の引っ張りあいの問題が強調されている。地方でチャレンジをする人に対しては、失敗してもすぐ撤退できるよう、小さな規模からビジネスを始めるように勧められる。実績を積むことで協力者も増えてくるという。批判する側に対しては、地域のことを思うならチャレンジする者が売っている商品またはサービスを購入してやれという。うーむ、地域が利用できる人材の問題はとても大きいという印象。はたして、チャレンジできる人間が、都会で腕試しをせずに、地方都市に留まっているだろうか。
三浦瑠麗『日本の分断:私たちの民主主義の未来について』(文春新書), 文藝春秋, 2021.
アンケート調査によって日本人の価値観の分布を探るという内容。データがあるので『日本に絶望している人のための政治入門』よりは読ませるところが多い。疑問点もある。分析方法の解説は詳しくないけれども、アンケート項目間で重み付けをすることをせず、素点でマトリックスを作っているように見える。ならば、個々の項目を保守とかリベラルとかに分類するうえでの妥当性はどう担保されているのだろうか。あと、一強多弱の国会の政党構成の原因を個々の政党側の主張に求めすぎている点も気になった。待鳥聡史『政治改革再考』では、小選挙区比例代表選挙制度のうちの「比例代表」部分が、導入当初の目的だった二大政党成立を挫折させ、小党乱立という結果をもたらしていると指摘している。
湯澤規子『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか:人糞地理学ことはじめ』(ちくま新書), 筑摩書房, 2020.
ウンコ観の比較文化および歴史。特に、江戸時代は肥料として売買されていたウンコが、近代になって忌避され、汚物として下水処理されるようになっていった、その理由と過程について詳しい。で、それには、都市化の進展で近郊農家が必要とする量以上に供給されたためという理由と、西洋人の眼差し(彼らには生野菜を食する習慣があったのだが人糞で育てた野菜を嫌悪した)という理由の二つが示されている。20世紀後半になると日本の都市では下水処理が普通になり、ウンコは即座に流されて日常的に視界に入らないものになった。著者は、近代以前の人間とウンコが共存する時代をノスタルジックに眺めていたりする。だが、読んでいて衛生観念の進歩はやはり大きいと感じる。昔の人は、菌などの微生物を理解できていなかったからこそ、ウンコを身近に扱っていたのではないだろうか。
デイヴィッド・ランシマン『民主主義の壊れ方:クーデタ・大惨事・テクノロジー』若林茂樹訳, 白水社, 2020.
民主主義の現状についての雑漠としたエッセイ。加速主義やら陰謀論やらいろいろトピックを盛り込んではいるもののの、きちんとした議論の筋があるわけではない。現在の民主主義は「中年の危機」で、SNS経由のポピュリズムに陥っているが、でもまあ民主主義は駄目なりに続いてゆくんじゃないか、日本がそうだろ、というニュアンスである。著者は英国の政治学者で、2016年のトランプ大統領登場に驚いて書いた本のようだ。原書はHow democracy ends (Profile Books, 2018)。けっこうな数の書評を目にしたので、個人的には読む前の期待値が高かったのだが、思い付きを書き連ねたようなゆるい書きぶりに拍子抜けした。あまり期待せずに読むべき本。
渡部悦和, 佐々木孝博 『現代戦争論―超「超限戦」:これが21世紀の戦いだ 』(ワニブックスPLUS新書), ワニブックス, 2020.
「超限戦」というのは中国人民解放軍の大佐が1999年に発表した書籍のコンセプトで、通常の軍事活動の枠外でも継続される戦争とのことらしい。典型的なのはサイバー戦やマスメディアを使った宣伝工作ということになるが、そこでの勝利を支えるAIや宇宙衛星の技術も問題となる。本書は、「超限戦」のコンセプトをめぐって、中国、米国、ロシアがどう対応しているかを伝えるもので、それぞれの公式・非公式の文書や軍の編成について解説している。著者二人はもと自衛官とのこと。日本はもはやこの最先端の軍事コンセプトについていけないと思うのだが、ついていかなくてはならないのだろうか。