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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、単身赴任生活の愚痴など。

貧しい佇まいだった街角クラブの7年後第二弾はとても豪勢

2016-05-30 08:30:25 | 音盤ノート
Milton Nascimento "Clube Da Esquina 2" EMI/Odeon, 1978.

  MPB。1971年の"Clube Da Esquina" の続編であるが、サウンドはもはや貧乏そうなフォークロックではない。前作"Geraes"を踏襲したフォルクローレおよびクルーナー路線の音となっている。しかも前作以上に多様な曲想、そして多様なアレンジを試みている。また、参加メンバーが豪華で、Wagner Tiso、Toninho Horta、Beto Guedes、Lo Borges、Nelson Angeloといったいつものミナス勢に、シコ・ブアルキにエリス・レジーナ、Azimuthらがゲスト参加している。収録曲も全23曲の二枚組。

  気合の入った超大作だが、トータル80分でさすがに冗長に感じられるのは避けられない。とはいえ、優れた曲が数多くあり、全体を通して退屈というわけではない。聴き手がミュージシャンの要求する水準の集中力で聴きとおすことができないだけのこと。いくつか出来の良い曲を挙げると、CD1ではまずtrack 2'Nascente'。ミナス系第二世代の歌手Flavio Venturini作の、暗めのストリングスをバックに歌い上げるバラードで、ナシメントの歌唱の中では最高峰の美しさである。Track 8の'O Que Foi Feito Devera'はエリス・レジーナの呪いをかけるような歌唱が聴ける神秘的な曲。CD2ではLPのD面にあたるtrack7以降の流れがとてもよくて、歌いあげ系バラードの'Leo'、ミドルテンポのビートルズ風ポップソング'Maria Maria'、アコギ弾き語りバラード'Meu Menino'、子どもと一緒に「ラララ」とスキャットするだけの'Toshiro'、Azimuthがバッキングするリズミカルで音の厚い'Reis e Rainhas do Maracatu'、最後にオーケストラをバックに明るく盛り上げる'Que Bom Amigo'と展開する。

  1971年には無名だった野心満々の貧しい少年たちが、7年後には中堅どころになって大御所とも付き合うようになりました、力量もこんなにあります、と記した報告書みたいだな。なおこれがナシメントのEMI最後の録音となって、その全盛期の幕を閉じてしまう。実のところ、その後もアルバムの質はそれほど落ちていない。彼はブラジル人音楽家の中でかなりアルバム作りが上手いほうで、長いキャリアの中ではずれ作品は少ない。それでも、本作以降は憑き物が落ちてしまったような気がする。1980年代に入って使われようになったシンセサイザー音のせいではないかとにらんでいるのだが...。
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公費に依存しない地域再生と、そのためのインセンティヴ設計

2016-05-27 09:58:34 | 読書ノート
飯田泰之ほか『地域再生の失敗学』光文社新書, 光文社, 2016.

  地域再生を「人口10万人以上の市の中心街と通勤圏の平均所得の向上」と定義し、その処方箋を探るという内容。タイトルがほのめかすような失敗事例の検証もないことはないが、どちらかと言えば建設的なアイデアを提供するものである。五人の専門家がそれぞれ寄稿し、彼ら一人ひとりと経済学者の飯田泰之が対談するという構成となっている。

  順に、木下斉(エリア・イノベーション・アライアンス代表)は商店街の活性化の方法を、川崎一泰(東洋大学)は効果的な公的支援とは何かを、入山章栄(早稲田大学)は人材交流および都市間交流を、林直樹(東京大学)は限界集落からの撤退を、熊谷俊人(千葉市長)は経済活性化につながる都市アイデンティティの持ち方ついて千葉市を例に、それぞれ論じている。

  いろいろな論点が紹介されているが、特に重要なのは「人口の集積」のようだ。車ではなく歩ける程度の市域で、30万人程度の住民ならば維持可能とのこと。現状の日本の地方都市の人口密度は低すぎて、人材交流を促進したり魅力的な商店街が存続できるようにはなっていない。そうなってしまった理由として、固定資産税が安すぎて地主が市街地の土地を何にも使わないまま手放さず有効利用されないこと、また地方交付税のせい(ちなわち地域間の平等というコンセプトのせい)で経済活性化のインセンティヴが働き難いことが挙げられている。

  なお指定管理の文脈で公立図書館についても少し言及されていて、料金を徴収するプールなどの施設を民間に任せるべきで、収益を挙げない図書館を民間に任せてもまったく無意味だとのこと。図書館は単なるコストセンターで市街の中心におくべきではないとも。この箇所を読みながら「本書でうたわれている人材の交流というのを図書館が支援するアイデアがありまして…」とつぶやきかけたのだが、やはり民間の飲食店でそういうのが行われるべきなんですね、と思い口をつぐんだ。

  図書館情報学者としては複雑な気分にさせられたが、地域再生のために何を目標としたらいいのかがわかってためになる。
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二部作の後半ながら前半と全然音楽スタイルが異なる

2016-05-25 12:35:14 | 音盤ノート
Milton Nascimento "Geraes" EMI/Odeon, 1976.

  MPB。ミルトン・ナシメント全盛期の作品。1975年の"Minas"との二部作の後編で、タイトルを合わせて彼の故郷の州名「ミナス・ジェライス」となる。本作冒頭の'Fazenda'は"Minas"の(CDのボートラ二曲を除いた)最後の曲'Simples'からオーケストラが繋がり、本作最後の'Minas Geraes'は"Minas"の最初の曲'Minas'と同じメロディーという仕掛けとなっている。アルバムの流れもよろしく、個人的にはナシメントの最高傑作としたい(全作聴いたことがあるわけではないけれども)。

  音楽スタイルはかなり変化している。サンバからサイケデリック・ロック、プログレをごちゃまぜにした"Minas"は、同郷の仲間をバンドメンバーに従えて流行の音をいろいろ出そうと試みた、という趣きだった。本作では、ゆったりした曲をじっくり歌いあげるという趣向で、サウンド面での実験は後退してルーツミュージックを掘り下げる方向に変わってる。このため同時代の感覚が希薄で、おかげで今聴いても古さを感じさせない。ロック的要素は後退し、ファドやフォルクローレなどを民族音楽をベースとした、ブラジル的というよりは汎南米的・ラテン民俗音楽的な音作りとなっている。アルゼンチンの女性歌手メルセデス・ソーサやシコ・ブアルキをゲストに迎えた曲もある。(CDには、ボートラとしてシコ・ブアルキとの共作・共演曲がさらに二曲追加されている)。

  全体としては派手さが無くて、地味に聴こえるだろう。しかしながら、各曲のクオリティは高い。前述の'Fazenda'と'Minas Geraes'や、ロックバンド編成でのバラードの'Menino'、アコギとストリングスによる浮遊感溢れる'Carro de Boi'、Toninho HortaとRonaldo Bastos作かつエレピが美しい'Viver de Amor'など、控え目に始まって後半盛り上げるという構成で出来た、ベタベタな歌い上げ曲が非常に素晴らしい。ナシメントの地声には震えみたいなものが感じられて、曲の出だしでそれを耳すると聴く側に方向不明の手探り感がもたらされるように思う。この点が、普通なら「くどい」と感じられる歌い上げバラードを、さもスリルのある曲展開であるかのように感じさせる要因だろう。技術というより天与の才なんだろうな、これは。
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経済発展によって不平等を解消できるか否かについての理論史

2016-05-23 12:25:34 | 読書ノート
稲葉振一郎『不平等との闘い:ルソーからピケティまで』文春新書, 文藝春秋, 2016.

  経済思想史。注意すべきは、タイトルからイメージされるような、不平等の解消や貧困撲滅のための歴史的に重要な運動や政治的動向を扱った本ではないこと。ジェンダー格差や人種差別なども直接には対象としていない(依拠している経済学がこれら概念を採用していないというべきか)。あくまでも焦点は経済上の格差で、経済学者の格差観やアプローチ法を整理したものである。登場する概念は抽象的で論理も複雑、新書としてはけっこう難しい内容といえる。

  強引にまとめてみると以下。「不平等はけしからん。その原因は私的所有権だ」というルソーに、「貧困にまみれた野蛮人状態より生活水準があがったほうがよくね?格差があったとしても」というアダム・スミスを対置して本書の議論は始まる。スミス一派に対し「何にも資本を持たない労働者は経済発展の恩恵にあずかれず、生活水準を上昇させることができん」と反論するマルクスに、「いや、市場経済が機能していれば労働者も生活を向上できますよ。特に人的資本の蓄積によって経済が発展し、格差が縮小します」と新古典派が再反論する。そして近代経済学の議論における、経済発展+格差縮小という合わせ技が説明される。「その話は先進国には適用できる。でも発展しない国もあるじゃん」という指摘を受けて、「法の支配や所有権の安定ガー」という議論になっていた20世紀後半、ピケティがでてきて「人的資本が重要だったのは20世紀だけの例外的な話。歴史的には資産がずっと重要で、格差は縮まらないかもね、先進国でも」とのたまった。以上のストーリーが基本線だが、この間に再分配が経済成長にも貢献するという学説や、インフレの格差縮小効果、DSGE系マクロ批判などを紹介してくれる。

  人的資本のスピルオーバー効果を期待して、どこの国も教育に税金を投入している。だが、それに経済成長への貢献に意義があるかもしれないが、不平等を縮小させる効果はないかもしれない(ピケティは直接的な再分配のほうがマシだとする)との含意である。結局、不平等と経済発展の間の関係はまだよくわからないことが多い、ということらしい。「現状、議論はここまで来ている」というのが確認できる好著である。
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米国ロック誌推奨のブラジル産サンバ・ロック

2016-05-20 20:47:31 | 音盤ノート
Novos Baianos "Acabou Chorare" Som Livre, 1972.

  MPB。ノヴォス・バイアノスはトロピカリア後期のグループで、その名の通りバイーア出身者を中心に1969年に結成され、リオ近郊にコミューンを作って共同生活していたという。アルバムを8枚作って1979年に解散している。本国ブラジルで売れたのかどうかよくわからないが、少なくとも1990年代までの日本ではまったく知られてなかった。有名になったのは、2007年に米『ローリングストーン』誌が「ブラジル音楽史上最も重要なアルバム100選」の第一位に本作を選んでからのこと。

  メンバーは11人いるが、曲によって出たり入ったりのようで、音が厚いというほとではない。バック演奏はアコギとコーラスと打楽器が中心。ボーカルは男二人と女一人。トロピカリア系ながらサイケデリック感はわずか。サンバで始まり、徐々にハードロック的なディストーション・ギターとロックドラムを加えてゆくという曲展開が多い。曲はわかりやすくて、若さに溢れてパワフルながら、演奏も巧みである。ロックとMPBの混交という点では、ヴェローゾやジルより洗練されていると感じる。

  でもなあ、本作が水準の高い作品であることは確かだが、『ローリングストーン』誌の結論には同意できない。奇をてらわずに選べば、ジョアン・ジルベルトの"Chega De Saudade"(EMI/Odeon, 1959)(参考)ということになるでしょ。
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主張を単純化すれば「遺伝的に西洋人は優位である」とのこと

2016-05-18 08:29:09 | 読書ノート
ニコラス・ウェイド『人類のやっかいな遺産:遺伝子、人種、進化の歴史』山形浩生, 守岡桜訳, 晶文社, 2016.

  遺伝の話を絡めた経済発展論。原書はThe troublesome inheritance (Penguin, 2014.)で、翻訳は2015年の2刷(second printing edition)から(内容の大幅な変更があったらしく訳者は「改訂版」としている)。内容を簡潔にまとめれば、「人種間に遺伝的な能力差があって、優れた社会を形成できるかどうかはその差による」というもの。当然のように、あちらでは遺伝学者らから批判声明を受けたらしい。なお、当初は蔵研也なるリバタリアン学者が邦訳企画をしたらしく、一部抜粋が彼のブログで公開されている(外部リンク 1 / 2)。

  著者の本は想像が過ぎることが多々あり(参考)、本書もそう。「人種」というデリケートな問題を扱いながら、議論のワキが甘い。前半の、遺伝的なクラスターとして人種は存在するという話は納得できる(そもそもの話だが、著者は人類学や遺伝学領域において「人種」概念がタブーになっているというのだが、本当にそうなのか?)。しかし、後半は裏付けのない憶測である。西洋や東アジアでは、農業段階を数千年経る間に勤勉かつ有能な遺伝子が蓄積されて(そうでない遺伝子は淘汰されて)、それが資本制+民主主義国家を受容する心的基盤になった、というのがその主張である。農業数千年の段階を経ていない民族は、うまく近代国家および近代社会を運営できない、というわけである。これはそういう可能性がないとは言えないが、一方で証拠もまったくないという話だ。大胆な説で反発を食らうこと必至なのだから、もうちょっと裏付けとなる材料をみせてほしいところである。

  仮に著者の議論をうけいれるとすれば、次に考えるべきことは何か。経済や政府のパフォーマンスが民族の遺伝的性向に依存する、かつ絶対的水準で貧困を減少させる社会制度が資本制+民主主義である、そして貧困を放置してはならないという価値判断が正当であるとする。ならば、途上国は経済発展を阻害する遺伝的要因を淘汰によって取り除かなければならない、という結論になるだろう。著者はいちおう優生学反対のスタンスではある。しかし、著者の議論だと両者は直結してしまうはずだ。断種は極端にせよ、貧困層の産児制限と富裕層の多産奨励、淘汰圧を弱める生活保護の廃止といった、マイルドな優生学というのが想像できる。こうなると、いったい誰を救おうとしているのかわからない、もはや倒錯した貧困対策となってしまっており、受容れがたい。このように嫌なことを考えさせる本である。
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不快さの原因は主張のせいではなく用途のせい

2016-05-16 12:26:34 | 読書ノート
橘玲『言ってはいけない:残酷すぎる真実』新潮新書, 新潮社, 2016.

  世のきれいごとに反する残酷な真実を明るみにしてみせるという内容である。列挙すると、「遺伝によって生まれつきの能力差は発生する」「貧困層は知能が低い(遺伝だけでなく環境の影響も含む)」「生れつき暴力的な傾向を持つ者が存在する」「容姿の良さで人生の損得がある」「男性と女性には職業志向に差がある」「「環境」の性格や能力への影響力だが、親の養育のそれはほとんどなく、仲間集団における地位のそれは大きい」などなど。

  多くの読者がこれを読んでいきり立つのだろうか。そういう人もいるかもしれないが、僕はそうでもなかったな。おそらく著者が挙げている本をほとんど読んでいるからだろう。上にあげた主張の出典が思い浮かぶ人には、大して目新しさのない本である。本書に不快さがあるとすれば、それは紹介された個々の学説のせいではない。むしろ全体のシニカルなトーンが原因だろう。この種の議論に突っ込んでいく場合、たいていの論者らは巧拙あれ社会の制度設計について考察してみるものだ。きれいごとを放置したままでは救われない人々が出てくるからだ。しかし、本書の著者は暴露趣味に終始したままである。その目指すところは個人主義的で、社会改良を志向していない。きれいごとにだまされる人が損をしてもそれは自己責任、本書の読者はリアリズムにもとづいてうまく立ち回れ、というのがメッセージなのだろう。

  加えて、いつもながら著者のバイアスも気になった(参考)。「遺伝的能力差と、親や本人にはコントロールできない環境要因の二つで人間は形成される。努力には意味がない」という話に曲解されそうな勢いで書いている。だが、同程度の能力の持ち主ならば正しい努力をしたほうが勝つ可能性が高い──例えば米国の大学におけるアジア系の進学率の高さなど(参考)──わけで、本書は過剰な決定論のように見える。
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集団的自衛権反対者に対する土俵の外からの再批判

2016-05-13 18:02:57 | 読書ノート
井上達夫『憲法の涙:リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください2』毎日新聞出版, 2016.

  長くて変なタイトルの前著が売れたのか、その続編となるインタビュー本である。ただし、前著後半の、著者独自の法哲学思想の入門的解説という目論見は本書では踏襲されていない。前著前半の安全保障をめぐる憲法問題を拡大して論じる、短い本となっている。

  著者の立場は、9条を削除して安全保障政策を国民の議論に委ねつつ、徴兵制を敷いて国民に戦争参加への負担を負わせることで戦争回避の装置とするという、「改憲派」である。昨年の集団的自衛権論議については反対派に批判的であり、そもそも9条2項を普通に読めば自衛隊を持つことが違憲となるという立場である。法学者の長谷部恭男のように「自衛隊を合憲」としながら「集団的自衛権を違憲」とするのは論理の不徹底であり、彼の議論は政府がやっている解釈改憲とそう変わらないものだと手厳しい。長谷部恭男は民主主義をあまり信用しておらず、一般大衆に決定権を委ねたくないという志向があるんだろうと、いくつか彼の本を読んでみて個人的には思うところである(参考 1 / 2)。彼のほか、集団的自衛権反対派の法学者が数名が名前を挙げられて批判されている。

  現状では一切の軍備を違憲として改憲を訴えるというのは、筋の通った見解でわかりやすい。けれども、無敵すぎてイージーな気もする。読む前には、自衛隊を合憲とする現在の標準的な議論の土俵にのったうえで、集団的自衛権についての政府解釈の妥当性を検証するという作業も期待していた。だが、そういう作業はなかった。そうやすやすと改憲できないという事実を踏まえての現政府の苦心(あるいは欺瞞?)の新安保法を、正面から擁護するという、そういう憲法学者はいないのだろうか?あるいはいるけれども目立たないのか?
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コーヒー関連のうんちくを科学の力で体系化

2016-05-11 18:31:44 | 読書ノート
旦部幸博『コーヒーの科学:「おいしさ」はどこで生まれるのか』ブルーバックス, 講談社, 2016.

  コーヒーの味の違いについて科学的に分析する書籍。読者によるコーヒーうんちく話が各地で語られそうな、実に濃いマニアックな内容である。コーヒーをおいしく淹れるコツなどの話はよく見かけるが、その科学的理由まで立ち入って検討しているのが本書の特徴だろう。著者は滋賀医科大学の先生で、サイト『百珈苑』(外部リンク)の主宰者だとのこと。

  本書では、コーヒーの品種や精製、焙煎、抽出方法、およびそれぞれの過程で使われる器具について、それぞれの歴史から生成される成分の組成まで丹念に記述されている。品種・精製法・抽出方法の各段階で味に違いが出るとのことだが、もっとも記述が厚いのが焙煎である。どう焙煎するかが特に味に影響するようで、その発見には日本の喫茶店主らの貢献も大きいらしい(生豆のサイズやかたちが重要である、と)。健康への影響についても言及があるが、簡単に言えば大きなメリットも無ければデメリットもない、ということのようだ。

  読んでみて自分の好みについても考えてしまう。名古屋人なのでカフェ大好き。だが、アメリカン派で、薄いコーヒーを大量にガブガブ飲むという人間なため、どっちかといえば味音痴である。よく考えてみると苦みも酸味も少ないほうが好みであり、本当に自分はコーヒーが好きなのかという疑いをもった。でも、お茶よりはコーヒーを飲みたくなるんだよなあ、これはなんなのだろう。
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亡命者からブラジル文化大臣になったポップスター

2016-05-09 12:49:42 | 音盤ノート
Gilberto Gil "Refazenda" Philips, 1975.

  MPB。ジルベルト・ジルはトロピカリア運動の立役者としてブラジル音楽史上の重要人物だが、その音楽はけっこう能天気な印象のものが多く(軽めの声質のせいだと思う)、また後述する理由で個人的にはあまり好みではない。そうした中でも本作はわりと落ち着いた雰囲気を持っていて、躍動感は乏しいけれども良質なメロディを堪能できる好盤である。

  ロンドン亡命から帰国した後に吹き込んだ"Expresso 2222"(Philips)が1972年だから、ライブ盤やJorge Benとの共演盤をはさんでの3年ぶりのスタジオソロ作ということになる。"Expresso 2222"ではエレキギターと8ビートを用いたロック曲が目立った。本作では、ギターはサウンドの一要素として後景に引いてしまい、バックにオーケストラが配された、太いベースラインの曲が印象に残る。ファンクと言えばそうなのだが、黒人音楽的な「濃さ」はあまりなく、メロディがとても爽やかである。サイケデリックロックを離れての脱トロピカリア路線の第一作ということになる。

  この後彼は、アフリカにルーツを求めた音楽探究に進むのだが、どうも好きになれないんだよなあ。彼の音楽にはどこか未消化で観念的なところが残っていて、楽しげなんだけれどそれを頭で理解させるようとする感覚がある。中産階級の出身者だからだろうか。MPBの黒人の中では、あまり裕福な家庭出身でないJorge BenやMilton Nascimentoの音楽の方が、ワンパターンで楽曲スタイルの幅も広くないが、ずっと自然に心に響いてくる。
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