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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

2022年2月~4月に読んだ本についての短いコメント

2022-04-30 09:41:37 | 読書ノート
阪本博志編『大宅壮一文庫解体新書:雑誌図書館の全貌とその研究活用』人文書院, 2021.

  大宅壮一文庫の利用ガイド。17人の寄稿者によるアンソロジーであり、前半でその沿革・思想・特徴などについて解説し、後半はその蔵書やデータベースを用いた研究事例を紹介している。個々の論文は面白い。しかし、構成に難がある。まず冒頭で示すべきは、国立国会図書館の蔵書や雑誌記事索引と比べたときの大宅壮一文庫の特徴であり、その収集対象と雑誌記事データベースの採録基準の説明だろう、そうでないと初心者には大宅壮一文庫の意義がわからない(「利用料を払ってまで使いたくなるだろうか」)、と思う。しかし、その説明がなされるのは、後半の事例紹介に含まれるIV章の最初の論文においてであり、遅すぎる印象だ。図書館情報学者としてはこの点が気になってしまう。

田中世紀『やさしくない国ニッポンの政治経済学:日本人は困っている人を助けないのか』(講談社選書メチエ), 講談社, 2021.

 「日本人は困っている人を助けない」という国際調査の結果から話を起こし、最後にはベーシックインカム導入を提案するという内容である。これら問題提起と結論の間を、山岸俊夫の「安心社会 vs.信頼社会」論、人間が持つ利他主義についての考察、日本人の社会関係資本、利己主義による社会の衰退、というトピックでつないでいる。啓発される箇所もあるが、各トピック間の関係の説明が薄い。社会関係資本の衰退に対する対抗策を考えるならば、ベーシックインカム以外の方法が検討されてもいい。

伊藤昌亮『炎上社会を考える:自粛警察からキャンセルカルチャーまで』(中公新書ラクレ), 中央公論, 2022.

  ネット炎上についての論評、およびキャンセルカルチャー論である。炎上の歴史をざっと眺める上では有益である。ただ、炎上行動の原因を著者は「新自由主義」に帰すのだが、説明不足である(「悪いことはなんでも新自由主義のせい」の感がある)。タイムリーなトピックであり、これまでの事例がまとめられていることはとてもありがたいのだけれども、著者が持ち込んだ理論のせいで全体の魅力が損なわれてしまったと感じる。

重田園江『ホモ・エコノミクス :「利己的人間」の思想史』(ちくま新書), 筑摩書房, 2022.

  経済学批判。合理的経済人という経済学の仮定を批判するものだが、著者自身が気づいているように、これは昔からよくあるもので手垢にまみれている。そこで本書は、貪欲は悪だという古くからある倫理に立ち返っての検討、ワルラス他による「経済学の限界革命」における数学適用の杜撰さへの指摘、ベッカーやブキャナンのような経済学的分析の応用範囲を他の現象に拡張した論者への批判、の三つの議論でオリジナリティを持たせている。なかなか評価が難しいところがあって、個別のトピックは新しいが、トータルな主張は平凡である。ならば経済政策はどうしたらいいのか、という次の話が欲しくなる。

住吉雅美『あぶない法哲学:常識に盾突く思考のレッスン』(講談社現代新書) , 講談社, 2020.

  法哲学。家族で書店に立ち寄ったとき、当時高校に入ったばかりの我が子が読んでみたいというので買った本である。あれから二年の間、積読のまま放置されていたらしい。最近になってブックオフに売り払うと言い出したので譲り受けて読んでみた。自由、平等、正義論、法実証主義、アナーキズムなどなど法哲学のトピックを広く浅くカバーした内容であり、若い人向けの入門書としていいと思う。また、著者のざくばらんな本音を垣間見せる書き方となっていて親しみやすい。我が子としては教科「公民」の副読本になるとの考えだったようだが、読み進められないまま理系を選択してそのまま不要になったしまったとのことである。
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エログロの世界にもエリートと大衆の区別あり

2022-04-24 12:18:34 | 読書ノート
大尾侑子『地下出版のメディア史:エロ・グロ、珍書屋、教養主義』慶應義塾大学出版会, 2022.

  戦前の、猥褻または猟奇的内容を持つ雑誌・書籍の出版史。といっても、当時の有象無象のエログロ出版を網羅的に取り扱う内容ではない。梅原北明というインテリ系のエログロ出版人まわりに焦点を絞っている。この種の出版物の先駆者だった彼のスタンス、彼の周辺の出版人や読者のネットワーク、検閲、頒布方法、摘発を受けての対応、などなどが解説されている。

  1901年生まれの梅原北明は、早稲田大学中退を経て、『デカメロン』の翻訳、シリーズ『変態十二誌』の編纂・執筆、雑誌『文藝市場』『グロテスク』の編集などでその名を馳せる。プロモーターとしての才能もあったらしく、直筆原稿叩き売り会を催したり、演劇や映画の興行なども成功させていたとのこと。出版人としては、検閲やガサ入れを回避するべく、会員制販売、出版者の名義のたびたびの変更、出版地を上海に置くなど、数々の策を弄してきた。しかし、官憲による出版停止と在庫の没収は避けられなかった。複数の出版社がエログロ領域に参入するようになった1930年代になると、その存在意義も少々薄れるようになり、最終的には出版業から手を引いてしまったという。

  本書では、梅原の出版物に教養主義が認められる点を指摘している。彼はカストリ雑誌のような安手のエロティシズムを嫌い、自身の出版物の知見が研究の賜物であることを強調し、読者に一定水準以上の知識を要求し、さらに製本の豪華さを謳う。彼の思想は、既存のものとは異なる教養を打ち立てようという対抗文化的なものとは違っていて、また俗情と結託して教養主義から距離をとるあり方とも異なるものだったようだ。むしろ、既存の教養主義が基礎にあり、エリート層の関心を満たすことができる一方で、当時の秩序からは逸脱してしまう、というアンビヴァレントなものだった。

  以上。チラシや新聞広告、さらには国立国会図書館にも所蔵されないような出版物など、収集の難しい資料を駆使した労作である。難点を挙げれば、社会学系統の硬い言い回しが著者の梅原に対する評価を不明瞭にしてしまっていることである。本書を読んだ後の印象は以下のようなもの。「戦後昭和のカウンターカルチャーの世界では、アナーキーで風紀紊乱的な振る舞いに対する憧れとかロマンティシズムがしばしば観察された。その起源の一人を探ってみたところ、当時の知的なヒエラルヒーを揺るがすような人物というわけではなかった」。こうまとめると興奮が冷めてしまうが、検閲に対する苦闘についてはおおいに評価したいところである。
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表現の自由および著作権まわりの政治活動報告記

2022-04-19 13:42:25 | 読書ノート
山田太郎『「表現の自由」の闘い方』(星海社新書), 星海社, 2022.

  近年の表現の自由および著作権の動向についての報告である。著者は自民党所属の参議院議員であるとのこと。同じ出版社から『「表現の自由」の守り方』(2016)がすでに出てているが、そちらは未読である。著者は表現規制反対派であり、いわゆる「オールドリベラル」にカテゴライズされるだろう。全般的に、政府による規制にも民間による自主規制にも批判的である。

  トピックとして、静止画のダウンロードの違法化、漫画村ほか海賊版対策、香川県でのゲーム規制条例、表現の不自由展および児童ポルノ禁止法、SNSにおける匿名での誹謗中傷対策、アニメーターの安月給、マンガやアニメのアーカイブ化、キャンセルカルチャーなどなどが取り上げられている。基本的に著者の政治活動の報告記であり、論点について深い考察はなされていない(各章は「こういう成果になりました」という形でまとめられる)。

  著者は「人権はグローバル、文化はローカル」というフレーズで表現規制反対の論理を構築している。これは外国からのマンガ・アニメのエロ表現批判に対応したものだろう。しかし、文化相対主義に依拠するのはロジックとして弱いのではないだろうか。人権と文化が衝突したさい、人権のほうを優先させるべきだというのが規制を要求する側の論理だろう。なので、その二つを超越・調整できるさらなるコンセプトが欲しいところである。

  深掘りされていないとはいえ、ここ数年の表現の自由と著作権まわりの事件をざっと通覧できることは有難い。あと、国によるマンガやアニメのアーカイブ化は出版関係者からはあまり歓迎されていないという噂も小耳にはさんだことがあり、推進派の著者とはちょっと温度差があるようだ。
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ゲイの著者曰く「LGBとTの利害は一致しない」

2022-04-10 22:39:05 | 読書ノート
ダグラス・マレー『大衆の狂気:ジェンダー・人種・アイデンティティ』山田美明訳, 徳間書店, 2022.

  アイデンティティ・ポリティクス批判の書で、ゲイ、フェミニズム、人種、トランスジェンダーを俎上にのせている。著者は『西洋の自死』で知られる英国のジャーナリストで、自身も同性愛者だという。オリジナルはThe madness of crowds : gender, race and identity (Bloomsbury, 2019.)で、邦訳では2020年のペイパーバック版のあとがきが付されている。Woke運動やキャンセルカルチャーにまつわる騒動を、アカデミックな文献に頼らずにマスメディアでの報道やSNSでの炎上騒ぎをもとに描き出しているのが本書の特徴である。学術的な議論をしようにも、「インターセクショナリティ」ほかこうした文脈でよく使われる概念の歴史は浅く、十分検討されたものではないとのこと。

  著者はアイデンティティ・ポリティクス周りの議論の混乱を指摘する。伝統的に、マイノリティが平等を求める根拠は、「性や人種のような後天的には変更不可能な属性によって、有利な職業など特定の社会的地位に就くことが妨げられるべきではない」というものだった。生まれつきの属性ではなく、能力による選抜を要求してきたのである。しかし、21世紀に入ると、性や人種は社会的に構築されたものであると主張されるようになり、マジョリティが糾弾され、社会構造の刷新がその求めるものとなった。生まれつきだったはずの属性が操作可能な概念となり、トランプ大統領を支持したカニエ・ウェストやピーター・ティールのように、マイノリティの運動に従わない黒人やゲイは、批判されてグループからその属性ををはく奪されるということが起こった。(日本ならばフェミニズムによる特定の女性への「名誉男性」というレッテル貼りが思い起こされる)。

  トランスジェンダーなる概念は2010年代以降の短期間に広まった。著者は、生物学的に明らかであるトランスジェンダーの存在を認めつつも、身体的にそうした特徴が表れないグループもまた存在していて、社会の側が後者の言い分をノーチェックで認めてしまうことに疑義を呈している。しかし、彼らの主張はLGBTの運動と一緒くたにされて「正しい」ということにされてしまったために、古参のフェミニストがキャンセルされ、またトランスジェンダーが女性の領域に進出することで生まれつきの女性が排除されるという結果がもたらされた。また、医療機関が彼らの主張を早急に受容してしまった結果、思春期の子どもの性の自己認識が安易な方向に誘導され、ホルモン療法や性転換手術のような、身体的負荷が高くて場合によっては後戻りできないような治療が進められるようになってしまったという。

  以上、わざわざ地雷を踏みに行くような内容である。しかしながら、あとがきによれば、意外にもハードカバー版出版後に予想していた反発は少なく、好意的な書評が多かったとのこと。そのような雰囲気がある一方で、アイデンティティ・ポリティクスをめぐる運動が収まる気配がないという観察も吐露されている。英国の混乱した状況の途中経過報告である。
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因果推論の理論面も実践面もそれぞれ丁寧に説明する

2022-04-04 22:52:15 | 読書ノート
高橋将宜『統計的因果推論の理論と実装:潜在的結果変数と欠測データ』 (Wonderful R), 共立出版, 2020.

  因果推論の理論と実践方法について、統計ソフトのRを使いながら説明するという内容。回帰分析をある程度わかっており、さらにその先に進みたいという人向けである。Rの事前知識も必要になる。著者は長崎大学の先生である(所属となる情報データ科学部は2020年に出来たばかりの学部だ)。前半で因果推論の主要概念と仮定、および回帰分析のメカニズムの詳細について解説される。後半は、傾向スコアマッチング、操作変数法、回帰不連続デザイン、欠測データに対応する多重代入法が紹介される。

  面白いのは解説のための分析用データである。RCTに対応させるべく、サンプルを処置群と統制群に単純に分けるというだけではない。人間を対象とする場合には通常観察することができない「処置群に属するけれども、もし処置を受けなかった場合に観察される値」という値を乱数を使って作成している。続いて、それぞれの「処置を受けた場合の値」と「処置を受けなかった場合の値」を比較し、「通常は観察できないけれども理論上正しい値」なるものを提示する。さらに、どのような手法ならばそれに近い値をだすことができるのか、というのを手法を比較しながら示してゆく。比較したいのは、同一の属性を持つグループ(正確にはいくつかの仮定を満たすグループ)の、処置を受けた場合と受けなかった場合の平均なのだ、ということがよくわかる。

  上のステップを辿る説明によって、観察データをナイーブに分析に投入することの問題がよく理解できた。個人的には、本書と同じトピックを扱っているアングリスト他著『「ほとんど無害」な計量経済学』(NTT出版, 2013.)を数年前に読んで「まったく理解できなかった」という苦い思い出がある。だが、本書を読んだ今は、傾向スコアマッチング、操作変数法、回帰不連続デザインがすぐにでもできそうな気がしている(あくまでも気がするというだけだ)。あと、多重共線性をあまり気にしなくてもよいとか、欠測データがあるからと単純にその行を削ってしまうのはまずい、という話もためになった。
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フェイクニュースやヘイトスピーチをどこまで規制してよいか

2022-04-02 09:46:25 | 読書ノート
松井茂記『表現の自由に守る価値はあるか』有斐閣, 2020.

  憲法学の視点からの「表現の自由」論。前提知識が要求される専門書であり、例えば「厳格審査」という語が解説なしに登場する。著者はカナダ在住の憲法学者で、このブログでは『日本国憲法』と『図書館と表現の自由』を取り上げたことがある。

  全六章構成で、ヘイトスピーチ、テロリズム促進的表現、リベンジ・ポルノ、インターネット選挙活動、フェイク・ニュース、忘れられる権利というトピックを扱っている。それぞれの章で、北米およびEU諸国の法規制、あるいは日本国内の法改正や条例を取り上げて検討し、妥当な部分と過剰な部分をえり分けてゆく。どちらかと言えば、規制の過剰な部分を取り上げて、表現の自由が毀損される懸念を示すというのがパターンである。

  読後感は、同じ著者による新書『性犯罪者から子どもを守る:メーガン法の可能性』(中公新書, 2007)に近い。それは「著者が擁護する立場も理解できるが、これに対する反論にも正当性がある」というものである。決着をつけるには、それぞれが依拠する理論を見なければならないだろう。

  著者は「思想の自由市場」論に依拠して議論を展開する。規制のない状況下で玉石混交の様々な言論が発表され、最終的には淘汰されて優れた言論が生き残る、という考えである。だが、多数決は言論の真実性を担保しないという反論も有力であり、表現の自由を擁護する理論として単独では不十分である。

  実際の裁判では、統治との関連の高さが言論の価値として重視され(自己統治を表現の自由の目的とする考え)、フェイクニュースやヘイトスピーチが価値の低い表現として扱われているように見える。価値相対主義ではない傾向があるのだ。表現に価値序列を認める議論に対して、しばしば使われる「滑りやすい坂」が反論としてどこまで有効なのか、より込み入った考察がなされるべきだろう。
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