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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

図書館情報学の認識論的基礎を論じる著書だが、かなり難解

2023-08-27 21:55:32 | 読書ノート
John M. Budd Knowledge and Knowing in Library and Information Science: A Philosophical Framework Scarecrow Press, 2001.

  図書館情報学。この領域がどのような知識を扱っているのかについて哲学的に検討するという試みである。著者は米国ミズーリ大学コロンビア校School of Information Science and Learning Technologiesの名誉教授(現)で、著書もそれなりの数があるようだが邦訳はまだない。最初に言及されるのがミシェル・フーコーで、最後の章ではブルデューやらスラボイ・ジジェクやらが参照されるが、その主張は割と穏健である。

  著者は図書館情報学における実証主義的な研究を批判しつつ、マイケル・ハリスがもたらした価値相対主義とも距離を置こうとする。前半は科学における決定論の発展史を跡付ける。フランシス・ベーコンから説き起こして、英仏独の啓蒙哲学者らの認識論を検討し、さらにはデュルケームや論理実証主義、ポパー、トマス・クーンなどが俎上にのせられる。

  後半では図書館情報学の認識論的基礎がどこに置かれるべきかについて探る。まず、科学的決定論を人間行動の領域に持ち込もうとした心理学者のスキナー、社会生物学者のエドワード・O.ウィルソン、および「行動」経済学者のゲーリー・ベッカーが批判され、適合性評価の困難を例として挙げて図書館情報学領域ではそのような認識論では整理できない部分が残るという。代わりに推奨されるのが解釈学的現象学である。

  この「解釈学的現象学」の図書館情報学における有効性については、一読しただけではよくわからなかった。ハイデッガーやガダマーだけでなく、ポール・リクールやスペルベル=ウィルソンの関連性理論まで動員して説明されるのだが、意味解釈においては文脈が重要だという話以上のことを読み取ることはできない。また、図書館情報学者のうちブレンダ・ダーヴィンは評価され、キャロル・クールソーは批判されているのだが、その基準もよくわからない。

  あと、科学的決定論を批判する一方で、相対主義と十分距離を置く理論となっているかどうかについても怪しい。構成主義には否定的なスタンスをとり、かつ現象学は相対主義ではないと述べるものの、広い意味での決定論を否定しておいて科学を名乗ることができるのだろうかという疑惑はぬぐえない。

  以上、いろいろ疑問は残ったものの、よくわからなかったのは僕の英語力の拙さのゆえかもしれない。図書館情報学関係のその筋の方々にお願いだが、誰か詳しい解説付きで日本語訳してください。
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GDPに代わる指標についてレビューする専門書

2023-08-21 15:38:09 | 読書ノート
マーク・フローベイ『社会厚生の測り方:Beyond GDP』坂本徳仁訳・解説, 日本評論社, 2023.

  経済学。GDPに代わる幸福の指標について検討する小著で、元は2009年のJournal of Economic Literature 47(4)掲載の雑誌論文である。訳者によれば、よく引用される論文──たった今Google Scholarで調べたら820の被引用数だった──にもかかわらず、正しく理解されていないようなので訳出したということである。フローベイはフランスの経済学者で、訳者は東京理科大学の先生。

  専門誌に掲載された論文であり、情けないことだが部外者がざっと読んでも細部についてはよくわからなかった。議論の流れだけ掴むことができたが、おおよそ次のようなものである。GDPは一国の生産力を反映するが、人々の幸福度や将来の持続可能性を反映しない点に問題がある。経済学の文脈でGDPに代わる指標は1970年代から考えられてきたが、多くの場合GDPと結果があまり変わらない──だったらGDPで十分だという認識をもたらしてきた。さらには、指標を構成する各要素に重みつけることや、指標化そのものの困難、その要素を採用する根拠の欠如という問題もあった。ただし、新しく開発された指標のうち、人間開発指標(HDI:Human Development Index)はいい線をいっているとのこと。望ましい指標は、アマルティア・センの潜在能力アプローチを取り入れるもので、かつ複数の指標の束のようなものになるという。

  以上。本文部分は170頁ほどだが、豊富な脚注、コラム、40頁におよぶ解説と、訳者による執筆箇所が全体の1/3ぐらいになるではないだろうか。訳者の意気込みが伝わる翻訳書となっている。訳者解説ではSDGsへの批判もあり、169もの指標の束となっているため多すぎで使えないという。うーむ難解。専門家向け
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米国貧困地区の公共図書館での張りつめた日常

2023-08-17 17:43:24 | 読書ノート
Amanda Oliver Overdue: Reckoning With the Public Library Chicago Review Press, 2022.

  米国公共図書館についてのエッセイ。著者は図書館情報学の修士号を持つ白人女性で、ワシントンDCの貧困地区にある学校図書館と公共図書館に勤めた経験を報告している。現在は図書館員を辞めてライターをやっているとのこと。

  報道やらエミリオ・エステベスの映画『パブリック 図書館の奇跡』やらの影響で、米国の公共図書館はホームレスも受け容れており優しいというイメージがある。だが、実際の現場では、図書館員は利用者からのセクハラ、暴言、ほんものの暴力に苦しんでいて、まれにだが図書館員が殺害されることもあるという。ホームレスの多くはなんらかの精神疾患を抱えており──米国では精神疾患の患者を(日本のように)精神病院に長期に収容することが法的に許されていないらしい──仕事もできず、行き場のない彼らが毎日図書館にやってきてトラブルを起こす。精神疾患者であると同時に薬物中毒者であることもしばしばで、図書館で過剰摂取の症状に陥ったりもするという。

  図書館側ももちろん対応する。問題利用者に対してはわりと簡単に出入り禁止の処置をしている(当然、規則を元にしており、かつ出入り禁止の期限が決まっている)。また、市全体で「図書館警察」なる部署も設置されていて、監視カメラで各分館の様子をモニターし、緊急連絡が来たら武装した警察官が駆けつけることになっている。カウンター奥には野球のバットも用意されていたとのこと。

  著者自身は、情報提供以前にこうしたケアが必要な利用者への対応に神経をすり減らしてしまい、図書館員を辞めることになる。それでも最後の方の章では米国図書館を礼賛してみせる。だが、館内で起こっていることをどう解決したらいいのかは不明だ(図書館学のコースで、問題利用者をケアするスキルを教授する講義が必要だという提案はある)。

  日本では、面倒なクレーマーやら回転すしの問題利用客やらの報道を受けて、「価格を上げて質の悪い客をスクリーニングせよ」というサービス業の経営者に対するアドバイスをよく目にするようになった。米国のような「すでにスクリーニングが行われた社会」において、誰にでも開かれているということがどういうことかが、本書を読めばよくわかる。
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穏健なリベラリズムを擁護するも、個人主義に対するブレーキがない

2023-08-15 21:01:26 | 読書ノート
フランシス・フクヤマ 『リベラリズムへの不満』会田弘継訳, 新潮社, 2023.

  政治哲学。古典的リベラリズムを「法の支配」──個人の領域を民主的意思決定から守る概念──と捉え、現在それは経済自由主義からも文化左翼からも攻撃されているとする。本書は古典的リベラリズムを擁護しようとする試みである。原書はLiberalism and Its Discontents (Farrar, Straus and Giroux, 2022.)である。

  経済自由主義いわゆるネオリベは格差の拡大を招いた一方、文化左翼いわゆるアイデンティティ政治派は個人ではなく属性を優先させようとする。どちらも共同体を破壊して、メンバー間の信頼に基づく民主制を機能不全に陥らせるものだ。こうした流れに対抗して、穏健な古典的リベラリズムに立ち返れと説く。

  著者の現状認識と危機感は共有できる。しかし、ネオリベもアイデンティティ政治いずれも、古典的リベラリズムの末裔である。したがって個人主義の原則を擁護したままではそれらの過激化を抑えようがないだろう。むしろ、個人主義に対して共同体にどの程度の地位を与えるかの議論が欲しいところ。

  おそらく次のような話になるだろう。所属する共同体の弱体化は、外部の共同体間との競争における敗北をもたらし、敗れた側の共同体に所属するメンバーの厚生が低下することになる。したがって個人主義が許容される程度は共同体を取り巻く外部環境との関数になる、というのはまんまマルチレベル淘汰論だな。
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進化心理学はこれまでの通説をどう修正するか

2023-08-14 12:45:17 | 読書ノート
小田亮, 大坪庸介編『広がる!進化心理学』朝倉書店, 2023.

  進化心理学の入門書。編集者・執筆者あわせて18名による、全14章とコラム2つという構成。教科書なのだが、大学学部生向けとしてはちょっと難しいという印象である。毀誉褒貶のある領域だからだろう、どの章でも「通説に対する進化心理学の意義」と「反論に対する再反論」が展開されており、単純に進化心理学領域の知見をさらっと紹介するだけにとどまっていないからである。まったくの初学者にとっては「通説」が初めて聞くような議論である可能性が高く、それを理解できないと進化心理学が新たに何を加えたのかということもわからなくなる。このため理屈っぽい。授業で先生が解説してくれるという状況にあるならばよいけれども、初学者がこの本だけで領域の全貌を掴もうとするのはややハードルが高い気がする。

  一方で、ある程度この領域の知識があるものの専門家ではないという人にとっては、最新の知見が得られ、現状どこまで議論が進んでいるのかが掴める良書と言える。特に、集団と個人の関係を取り上げた後半の章がよく整理されていてためになった。集団間の競争を取り入れるマルチレベル淘汰を解説する8章、言語の機能として情報の伝達よりも協力行動が重要だとする9章、遺伝子-文化共進化を説明する10章、ハイトやグリーンなど進化道徳学者による道徳実在論(カントなど)批判を取り上げた11章、信仰は認知機能の進化の副産物ではなく適応的な機能があるとする12章、教育は生物学的な現象であるとする13章、犯罪は一見不合理に見えるがリスクテイクによる適応戦略の面を持つという14章、いずれも論争含みであり興味深い。
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米国図書館向けの蔵書構築・蔵書管理の教科書

2023-08-13 07:05:30 | 読書ノート
Vicki L. Gregory Collection Development and Management for 21st Century Library Collections: An Introduction, Second Edition, ALA Neal-Schuman, 2019.

  図書館情報学で言うところの「蔵書構築・蔵書管理」の教科書。ALAが発行者であることからわかるように、米国の図書館──公共図書館だけでなく、大学図書館、学校図書館、専門図書館もカバーする──向けである。初版は2011年で、今回読んだのは2019年の第二版。著者は南フロリダ大学の情報学教授である。

  最初の章は、蔵書管理に関連する新しい概念や技術の紹介で、オープンアクセス、電子書籍、自費出版について簡単に説明されている。第2章は、コレクションに対するニーズの予測とマーケティングで、事前に調査しておくべき項目に詳しい。第3章は蔵書構成方針の詳細、第4章は資料選択のプロセスと参考にすべき情報源で、情報源については当然ながら米国の業者のものか米国のウェブサイトばかりが挙げられる。

  第5章は資料購入および寄贈、第6章は予算、第7章は蔵書評価と除籍、第8章は複数の図書館での共同コレクション構築と続く。第9章は、著作権および寄贈を受けたときの法的問題で、特に大口の寄贈を受けたときは寄付元の減税資格を証明するために面倒くさい手続きに付き合わなければならないことに詳しい(だからあまり寄贈に頼るなというニュアンスだ)。残りの第10章は知的自由、第11章は保存(特に電子資料のアーカイブ)、第12章は将来についてとなっている。

  日本の図書館の場合、資料の入手は購入するか寄贈を受けるかしかないが、あちらでは「リース」なるものがあるらしい。いわゆるBtoBでの貸与であるが、図書館資料でこれをやると又貸しである。ベストセラー本の入手にはこの方式が適しているとのこと。短期に大量の複本が必要なのに利用が短命だと思われる資料を図書館の在庫にしたくないわけである。著作権者や出版社にはメリットがあるのだろうか。

  あと、DVDの貸出については自動販売機(当然のことだが有料)で行っているところがあるとのこと。こうした点など、日本と比べたときの細かい違いに個人的に興味を感じた。
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カウンターカルチャーと特定の都市の幸福な関係

2023-08-08 11:16:41 | 読書ノート
Sarah Lowndes The DIY Movement in Art, Music and Publishing : Subjugated Knowledges Routledge, 2016.

  Do It Yourself史であることを期待して読んだのだが、「都市におけるカウンターカルチャーの勃興」と表現したほうが正確な内容である。1970年代から80年代にかけてをメインにして、サンフランシスコ、ロサンゼルス、デュッセルドルフ、ニューヨーク、ロンドン、マンチェスター、ケルン、ワシントンDC、デトロイト、ベルリン、オリンピア、モスクワ、イスタンブール各都市の、アートと関係する出版事業か、またはインディーズ系のレコードレーベルを採り上げる。各都市の解説は、文献調査とインタビューで構成されている。

  『オックスフォード 出版の事典』の参考文献にあったので、自費出版の歴史に詳しいのかと思って読んでみたのだが、そういう本ではなかった。自主製作の音楽史としてみても、1960年代のLAを採り上げているのにサーフロックに言及が無い──若者がガレージで録音した曲を7inchiシングルにしていた──、UKインディーズに言及していても特定のレーベルだけ(ラフトレードとファクトリーぐらい)、など網羅的ではない。重きが置かれているのはアート。特にその都市のアートシーンを支えるハコ(ライブ会場やアトリエ)に関心があるようで、インタビューではネットを使ったプロモーションやら家賃の高騰やらがたびたび触れられていた。

  レコードや書籍のような分業が常識となっている世界ならば、制作から流通まで自分でやろうとするDIYには意義がある。しかし、インスタレーションにせよパフォーミングアートにせよ、狭い意味でのアートの領域では自分で制作するのは当たり前で、DIYを掲げる意味はどこにあるのか、という疑問が起こる。また、全体を貫くのは反資本主義的な文化左翼思想で、すでにヒースとポターの批判を知っているものには読んでて辛い。このように、コンセプトを絞りきれていないうえ、偏ったトピックの選択かつ偏った思想という難がある。

  とはいえ、はじめのほうに「鈴木清順の『殺しの烙印』を気に入ってます」という人物が出てきたので、「わかってるなー」と思って最後まで読んでしまった。UKおよびUSの初期パンクロックの話も多くて、個人的には嫌いにはなれない。アートに関心がある人には観光ガイドとして益になるところがあるかもしれない。なお、著者はUKグラスゴーのアートスクールの先生。
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