29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

働く人に優しいスウェーデンの制度の仕組みがよくわかる

2020-10-30 21:30:39 | 読書ノート
湯元健治, 佐藤吉宗『スウェーデン・パラドックス:高福祉、高競争力経済の真実』日本経済新聞出版, 2010.

  スウェーデンの経済・福祉制度の研究。今から10年前に出版されたもので、最終章は当時の民主党政権に対する提言となっている。著者二人とも京大経済学部出身だが、湯元の方は1957年生まれでシンクタンク研究員をやって小渕首相時の経済戦略会議に関わったというキャリアの持ち主。もう一人の佐藤は、1978年生まれでスウェーデンで研究員をやっているとのことである。

  本書で描かれるスウェーデン像は、弱者にやさしい平等志向の福祉国家ではなくて、生き残りのために奮闘する企業のような国家である。生産性を高めるというのが第一で、そのためにできるだけ多くの国民を就労させつつ、効率の悪い企業には退場してもらう。雇用面での企業への負担は確かに大きいが、一方で国際競争力を失わないように法人税率は低く抑えられている。所得税や社会保障負担は累進性が小さくて定率であることが多く、年金収入にも課税されるという。すなわち格差を是正するような作りではなく、決して平等志向とは言えない。また、手厚いのは働ている低所得層への支援であり、高齢者や障害者など働くことが難しい層を除けば、働く気のない国民に多くを与える制度にはなっていない。教育・訓練機会も雇用のために提供されており、すべてにおいて生産年齢人口が「失業状態に滞留する」リスクを低めるよう設計されているのだ。政府は、弱者を弱者のままにとどめ置こうとしない。こうした路線(いわゆる第三の道路線)は1990年代初頭から現在に至るまで続ているという。

  以上。スウェーデンでは就労インセンティブを失わないように細かく社会制度の設計がされていることがわかるのだが、日本が真似なんかできないよね、と思う。ただし、女性も高齢者も働かざるを得ない社会というのは、2010年代の日本でも進展したことであり、高齢化した福祉国家では避けられない方向であることが確認できる。あとは、生産的で効率的な経済の実現という面での前進が日本では求められることなのだが、どこから手を付けたらわからない(それとも、わかっているけれども抵抗が大きくて手が付けられない?)というのが日本の現状なのだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自閉症と方言の関係、研究という営みの理解が併せて進む

2020-10-26 09:58:04 | 読書ノート
松本敏治『自閉症は津軽弁を話さない:自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』(角川ソフィア文庫) , KADOKAWA, 2020.

 「ASDの児童が方言を話さない」という現象について、著者の研究成果を報告する面と、どう研究を進めてきたかを伝えるルポルタージュの面との二つあるが、全体としては一般向けに書かれている。著者は弘前大学所属の心理学者である。僕が読んだのは角川の文庫本だが、初版は2017年に福村出版から、続編(『自閉症は津軽弁を話さない リターンズ』)も2020年に福村出版から発行されている。

  きっかけは、青森の自閉症(ASD)児が津軽弁を話さないようだという夫婦の会話から。検証のために、特殊学校の先生にASDの児童の言葉遣いを評価してもらう。そうすると、知的障害(ID)の児童に比べて、ASD児は標準語を使用する傾向にあることがわかった。こうした調査を全国に広げてゆき、全国的にASD児にとって標準語の方が扱いやすく、方言には困難を覚えていることを確認する。

  その理由についての考察もある。著者は、複数の仮説の検討を経るなか、言語学の知見も加えてゆく。標準語使用と比べた場合に方言の使用は親密さを伝える機能を持っているが、ASDは心理的な対人距離の細かい調整が苦手である。このため、ASD児とって方言は使い難いのではないか、と。

  以上。研究とはどのように展開してゆくかが非常によくわかる良書で、この点で一般の人にこそ読んでほしいと思える本である。著者の主張に対する「そんなの既存の理論で説明できる」「そんなの知ってた」という学界の反応も、駆け出しの研究者だったり挑戦的な説を起ち上げようとする学者ならば必ず通過する洗礼なのではないだろうか。そうした反論にくじけず、著者はひとつひとつ事実を確認しながらこの研究を進めていった。というわけで若手研究者も読もう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人ひとりに合った個別の学習法などない、確実なのは…という話

2020-10-22 15:18:56 | 読書ノート
ピーター・ブラウン, ヘンリー・ローディガー, マーク・マクダニエル『使える脳の鍛え方:成功する学習の科学』依田卓巳訳, NTT出版, 2016.

  学習法。学んだことを確実に長期記憶に定着させるための方法を紹介している。著者三人のうち、ブラウンはジャーナリスト兼小説家で、あとの二人は認知心理学者だとのこと。原書はMake it stick: the science of successful learning (Harvard University Press, 2014.)である。

  短時間に集中して勉強しても、短期記憶に蓄積されるだけですぐに忘れる。テキストを繰り返し読んでも、「わかったつもり」になるだけで実のところ理解しているかどうかは怪しい。もっと確実な勉強法はないのか、ということで科学の出番となる。著者が勧めるのは次のようなものである。第一に、複数のトピックを交互に学習する。すなわち、一つのトピックを理解したら次へという順序ではなく、理解があやふやなままでもいったりきたりして進める。第二に、期間をおいて学習する。すなわち、時間をおいてもう一度学習する。テストにするとよろしい。第三に、思い出そうと努力する。わからない問題があればすぐ答えを見るのではなく、想起の努力をするべきである、と。

  これらを実行するうえでの障害についても説明がある。実感では短期集中学習よりも成果が不確実に思えるかもしれない、自分に合った学習法ではないかもしれない、などと注意される。だが、それらは錯覚であり、確実にマスターできる効率のよい学習法は上記のようなものだという。このほか、理解しているという錯覚、物語化や記憶術などへの言及がある。こうした内容を、実験の話とエピソードを交えて説明している。

  まとめると、受験勉強や大学各課程における入門的講義(まず分野の概念を理解すべきという方針のもの)には適している内容である。学ぶ側にも教える側にも使える内容だろう。正解のある世界、すなわちAIでいう「教師付き学習」の領域である。一方、答えのない問題について整理する、いわゆる思考力の育成というところまでは行かない。ただし、ある程度の知識がないと思考なんかできないというのも確かで、まずは知識の習得をというわけか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迫りくる生涯現役社会、回避できないので働き続けよ、と。

2020-10-18 20:43:22 | 読書ノート
坂本貴志『統計で考える働き方の未来:高齢者が働き続ける国へ』(ちくま新書), 筑摩書房, 2020.

  日本の労働市場について概観して、高齢労働力となることが避けられない未来を予想し、ではどのような働き方が適切かを論じる新書である。副題が暗示する「高齢者就労」の方にアクセントがあって、「統計」の部分は記述統計中心であり煩わしいほどの量ではない。著者は1985年生まれの若手エコノミストで、厚生労働省を経て現在はリクルートワークス経済研究所所属とのこと。

  前半では賃金の変化と非正規雇用問題、2010年代の経済が検証される。平均賃金は下がっているけれども賃金総額は増えており、その理由はこれまで働いていなかった女性や高齢者が労働市場に参入したからであるという。また、非正規雇用者の待遇は00年代に比べれば改善されているものの、単身者が一定の割合を占めていて少子化のトレンドに拍車をかけている。2010年代は景気回復基調にあったものの、円安の結果としての輸入品の物価上昇(特にエネルギー)や、消費税増税や徴収される社会保障費の増加がああったため、豊かさは実感されていない。かつてより働きやすくはなっているが、昭和のサラリーマンのような資産形成は難しくなっている、と。

  上のような状況を鑑みると、年金の給付金水準は下がり、その支給開始年齢が上がるのは確実である。したがって、将来、好むと好まざるにかかわらず高齢者となっても働き続けざるを得ない。しかし、高齢となってからこれまで働いてきた会社に残り続けることは(日本の会社組織の都合を考えれば)難しく、また新たな会社で責任ある立場で活躍する機会を持つこともそれほど容易なことではないという。実際に多いのは、清掃員や建物管理などの現場労働者でかつパートタイム労働である。こうした現実を受け入れて、年金月額10万円と労働収入10万円があればそこそこの暮らしが維持できる、と。

  以上。70歳になっても働かざるをえないという将来が予想されているのだが、悲惨さが強調されるわけでもなく、かといって無理やり明るく描かれることもなく、極めてニュートラルに描かれている。アベノミクスの成果として、よく言われるリフレ政策ではなく(これには著者は否定的だ)、高齢者の労働力化を挙げているのも目新しいかもしれない。読むほうにも覚悟が促されるところがあって、僕も退職後は交通整理員でもやろうと思った次第。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他の生物の社会と比較したときの人間社会の特徴は匿名性である、と

2020-10-14 11:24:38 | 読書ノート
マーク・W.モフェット『人はなぜ憎しみあうのか :「群れ」の生物学』小野木明恵訳, 早川書房, 2020.

  人間の社会の本質について、人類学的知見だけでなく社会性昆虫ほかさまざまな生物学的知見を動員して説明しようという試み。焦点はあくまでも群れや社会であって、邦題にあるような疑問を直接主題とするものではない(間接的には答えているけれども)。著者は米国のスミソニアン自然史博物館研究員で、E.O.ウィルソンに師事したアリの研究者。原書は The human swarm : how our societies arise, thrive, and fall (Basic Books, 2019.)で、タイトルを訳すと「人間の群れ」ある。

  「群れが成立するには各個体に敵と同盟者を見分けられる程度の個体識別能力が必要だ」という類人猿との比較から生まれた説(ダンバーとかクリスタキスとか)があるが、人間社会の特徴は「特定の個体のことをよく知らなくても、共通のしるしによってメンバーか否かを判定できる」という点にあると著者はいう。個体識別に頼らず、しるしの有無でメンバーシップを決め、匿名性を許容する、という点で人間社会はアリのそれに近いとされる。この場合のしるしとは、アリでは臭いの物質であるが、人間では言語や食べ物、装飾品や立ち居振る舞いなどがそれにあたる。

  上の認識をベースに、群れ内のいじめや差別、個体の群れ間移動、さらには群れの分裂や群れ間の戦争について解説される。俎上に上げられるのは、未開社会だけでなく、チンパンジーほか類人猿、イルカや象やライオンやハダカデバネズミ、ミツバチやアルゼンチンアリなど、群れを作るさまざまな生物種である。大雑把に言えば、匿名社会であること以外のたいていのことは、若干の異同はあるもののどのような生物にも共通してみられるとのこと。ただし、人類特有の現れ方をするものもある。人類の場合、大規模な社会を維持するうえで、メンバーのアイデンティティを確認するためによそ者や「劣等な(括弧付であることを強調)民族」を必要とした、と著者は見ている。そういうアイデンティティがなければ大きな社会はより小さいグループに分裂するし、また征服以外に大きな社会が成立することもない、とも。

  以上。クリスタキス著と似たようなテーマだが、あちらが上手くゆく集団の特徴について考察しているのに対し、こちらは集団内部の差別や対立がなぜなくならないかを強調しているような印象である。どちらも読めば社会についての理解が深められることは確かだ。が、本書はさまざまな民族や生物の群れの生態を描くのに著者がのめりこめりすぎている感もあり、説明に少々くどさも感じた。また、けっこう著者の推測部分も多い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元パンクによる軟弱男性歌唱によるシティポップ

2020-10-10 11:00:59 | 音盤ノート
Turnover "Altogether" Run For Cover, 2019.

  米ロック。"Good Nature"に続く四作目で、エモ脱却の軟弱ポップ路線をさらに推し進め、今作では「アダルト・コンテンポラリー」の領域に──流行りの概念でいうと"city pop"に──足を踏み入れている。以前からの音の変化が激しくて、前作とも前々作ともまったく違う。でもいいアルバムだ。メンバーも四人から三人に減っている。

  かなり徹底してシティポップ路線を追求しており、前作にあったギターポップやシューゲイズの残り香を十分嗅ぐことは難しい。ギターでは、前作で多用されていたアルペジオ奏法が控え目になり(一曲目だけ派手に使われている)、代わりにカッティング奏法が目立つようになっている。このほか、ムーディなシンセパッドや、曲によっては管楽器やバイオリンも入ってくる。ボーカルも前作以上にウィスパー唱法に近づいて男臭さを消し、最後の曲ではファルセットを聞かせたりもする。黄昏たメロディのセンスだけが相変わらず。全体としてかすかなR&B感がある。けれども、ジャジーと形容するほどでもなく、ファンキーとは全く言えない、という音の感触である。青臭さが残るアダルトコンテンポラリーというほかなく、系統は違うのだけれども、MPBのLo Borgesの音の感覚に近い。この、なりきれてなさがいい。

  このバンドを変化を見ると、その昔1980年代後半に英国ネオアコ勢が一斉にSteely Danを参照し始めた時期があったことを思いす。「パンクあがり」にとって、ギタポを経由してアダルトコンテンポラリーというのは割と受け入れやすい変化のルートなのだろうか。順序でいうと、その後はアシッドジャズかクラブミュージックということになるが、個人的にはそこまでの変化は期待していない。なお、Ice Grillsからの日本盤は、ボートラはなしだが、歌詞対訳が付いている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上手く行っている集団は生得的な性向に沿っている、と

2020-10-06 10:53:35 | 読書ノート
ニコラス・クリスタキス『ブループリント:「よい未来」を築くための進化論と人類史』鬼澤忍, 塩原通緒訳, NewsPicksパブリッシング, 2020.

  社会の形成にはどのような生物学的な性向が関わっているのかについて、ネットワークの科学、進化心理学、人類史を動員して考察するという試み。著者は『つながり』(講談社, 2010)で知られる米国の医師兼医療社会学者で、ギリシア育ちとのこと。原書はBlueprint: the evolutionary origins of a good society(Little, Brown Spark, 2019.)である。

  個体間の関係や集団のあり方には理論的には複数のパターンがありうる。にもかかわらず、人間の社会はありえた可能性のごく一部しか実現させていない。そこには普遍性があるのではないか、すなわち社会の形成にも遺伝的な制約が課せられているのではないか、というのが本書の問いである。その証明のために、遭難者のコミュニティ、キブツなどの実験的なコミューン、狩猟採取民のバンド、大型類人猿やゾウ・クジラの群れにおけるメンバー間のネットワークを探ってゆく。

  で、人類に特有の普遍的な社会性として、個性化および個体識別、配偶者と子どもへの愛情、友情、社会的ネットワーク、協力行動、内集団バイアス、ゆるやかな階級制、社会的な学習と指導、この八つがあるという。この遺伝的傾向が「青写真(ブループリント)」となって社会が形成されるというのだが、この指摘自体は(それに反する主張と議論を交わすわけではないので)それほど面白いというわけではない。これよりももっと詳細なレベルでの知見──環境の制約に対する反応によって配偶行動が変化するとか、メンバーの入れ替わりが頻繁でも少なすぎても協力行動が減少するとか──のほうが興味深い。

  というわけで書籍全体としての主張のインパクトはそれほど強く感じられないけれども、さまざまな社会の在り方について検討しているところは読ませる。「メンバーの大部分が生き残った遭難者コミュニティとそうでないコミュニティ、何が生死を分けたか」みたいな話は、卑近かもしれないけれどやはり引き込まれるものだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エモを完全脱却して「中庸の美」を求めるギターポップ

2020-10-02 21:34:21 | 音盤ノート
Turnover "Good Nature" Run For Cover, 2017.

  米バージニア州出身のロックバンドで、1stの"Magnolia" (Run For Cover, 2013)は「エモ」のカテゴリに入る、メロディアスなハードコアパンクだった。その後は徐々にパンク臭をそぎ落としていき、この三作目はシューゲイズ的なギターポップ作品となっている。「シューゲイズ的」というのは、ボーカルは憂いをおびたメロディを「歌いあげない程度の力加減で」なぞるだけ(でシャウトしない)、ギターは空間系のエフェクトをかけてアルペジオまたはカッティングをする、一方で歪み系エフェクトは使用されずシューゲイズそのものではないというニュアンスである。

  派手さを欠いた、黄昏感のある控えめな音が奏でられる。ギター二台とベースとドラムというオーソドックスな編成で、特筆すべきところは何もない。曲はアルバムを通してミドルテンポの落ち着いたものばかり(多少テンポの変化はある)。こうした「個性の無さ」にもかかわらず、全体の雰囲気とメロディの良さだけで繰り返し聴くに耐える作品に仕上げている。メロディはよく練られている。フックを持つ曲もあるが、ありがちなあざとさやくどさはあまりなく、流麗さのほうを強く感じる。新しさはないけれども、かつていた具体的な誰かに似ているというわけでもない。絶妙な中庸さ加減である。ここ二カ月ぐらい聴いているけれども、今のところ飽きていない。

  一応日本盤がIce Grillsというレーベルから出ている(プレスはなぜか台湾)。日本盤にはボーナストラックが二曲付いており、それらにはエモっぽさが少々残っている。個人的に2010年代に出てきたエモのバンドは守備範囲外だったが、都内の中古盤屋を訪れたときにたまたま店内BGMになっていたため、店員に尋ねてはじめてこのアルバムのことを知った。ここ最近、喫茶店でかかっている曲について店員に尋ねるようなおじさんになっていて、もしかしたら世間様に迷惑をかけているかもしれない。いったいこの時代、何を情報源として生きたらこういう音楽に出会えるのだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする