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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

タコやイカについて詳しくなるついでに意識の起源もわかる

2021-09-28 08:56:07 | 読書ノート
ピーター・ゴドフリー=スミス『タコの心身問題:頭足類から考える意識の起源』夏目大訳, みすず書房, 2018.

  タコやイカなど頭足類の行動観察から、「意識」とくに心身を統括する「主体感覚」というべきものについて考察するという書籍。意識をめぐる議論はそれほど思弁的ではなく、進化論寄りであり難しくはない。著者はオーストラリアの科学哲学者。原著はOther minds: the octopus, the sea, and the deep origins of consciousness (Farrar Straus & Giroux, 2016.)である。

  頭足類は脊椎動物以前の段階の下等生物だとみられがちだが、その行動をつぶさに観察してみると「心」があるように感じられる。刺激に対する条件反射ではなく、思考に基づいた行動らしきものを見せることがある。また、振舞いに創意工夫があったり、人の見ていないところで悪戯をしたりする。ただし、頭足類の心は脚にも分散しており、統合的な判断を行う脳からの指令との調整をうまく行うことは重要なことらしい。このほか、体の表面の色を変化させることができるらしいのだがそれにどのような意味があるのかまだわからない(威嚇の場合を除く)という話や、頭足類の寿命は体の大きさの割には短くて3-4年程度だという話がある。

  記述の割合で言えば、タコやイカの生態観察の話が長く続く。なので、意識をめぐる議論がもう少しほしいという印象だった。ただ、著者の説については理解しやすい。行動を調整するという脳ー神経系の役割が、統合感覚すなわち意識の起源となったのではないかという。意識(定義次第ではあるが、本書では身体の統一感を保つ感覚だと言える)は、人間のみの特権ではなく、そういう統一感が必要な生物ならば必ずや発生するだろう、ということだ。
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教育を主題とした記事のアンソロジー、批判が厳しめ

2021-09-25 10:16:43 | 読書ノート
松岡亮二編著『教育論の新常識:格差・学力・政策・未来』(中公新書ラクレ), 中央公論, 2021.

  雑誌『中央公論』などに掲載された記事を集めたアンソロジー。全20編の記事で、教育格差、大学入試改革、教育政策の迷走、望ましい教育改革の方向という四部構成にまとめられている(ただし見出し表記は上の通りではない)。編著者は『教育格差』の人である。

  最初の教育格差論の部では、出自のために教育や訓練機会の点で不利となっているさまざまな社会層を公教育の中に包摂していこう、と主張する五つの論考が収録されている。大学入試改革の部では、高校における国語や英語の教育の方向性や、大学における非常勤講師依存の問題などが議論されている。後半の教育政策の迷走の部と望ましい教育改革の方向の部では、思い付きに左右されやすい教育論議が批判され、データに基づいた教育政策の実施が提唱される。

  全体としては玉石混交であり、個人的には大学入試改革の部が興味深かった。格差の話はなあ、サンデルを読んだ後では、すべての社会層を社会経済的地位を向上させるための競争の世界に引きずり込むことが適切なのかという疑問が思い浮んでしまう。教育の結果としての格差の話も議論してくれないと、教育によって包摂される領域の拡大を素直に歓迎することはできない。

  あと、本書全体を貫く主張は「思い付きを排除したデータ重視の教育政策」であるが、これって20年ぐらい前に苅谷剛彦(本書の寄稿者の一人)が注目を浴びたときの主張と全然変わっていない。だが実感としては、00年代になって全国学力調査の実施など教育政策のためのデータ取得が試みられてきており、昔よりはずっとデータ重視は進んでいる。しかしながら、データが不十分でかつ分析法が稚拙ということで、教育学者が満足する状況にはなっていない、ということのように思える。昔よりは改善されているのだから、褒めてあげてもいいんじゃない。
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予想に反して日本の大学は生き残っている、その理由は…

2021-09-20 10:08:17 | 読書ノート
ジェレミー・ブレーデン, ロジャー・グッドマン『日本の私立大学はなぜ生き残るのか:人口減少社会と同族経営:1992-2030』(中公選書), 石澤麻子訳, 2021.

  00年代前半、少子化のために日本の私立大学の多くは経営危機をむかえると予想されてきた。しかし、これまでのところ廃業に追い込まれた大学はごく少数であり、予想に反して大半の大学は生き残ったままである。その理由はなぜか、について解き明かそうとするのが本書の試みである。著者二人は英国とオーストラリアの研究者で、原書はFamily-run universities in Japan : sources of inbuilt resilience in the face of demographic pressure, 1992-2030 (Oxford University Press, 2020)となる。

  日本の私大が今も健在なのは、その多くが同族経営だからだ、というのが本書による答えとなる。私立大学の経営者は、政治家や文科省との関係をうまく調整しつつ、需要に対応する新たな学部学科を新設し、学内では研究よりも教育重視の方針に舵を切ってきた。若年人口の減少という困難にもめげず、経営者らが危機に粘り強く対処できたのは、彼らが創立者の一族だからだ。彼らは、親族の名声や遺産に責任を感じて学校を維持することを優先し、また地方の名士としての振舞を求められてきた。前近代的として批判が寄せられることがあるものの、同族経営は組織の長期的な維持においてメリットがある、というのがその結論である。

  以上。目の付け所は面白いとは言える。だが、私立大学の生き残りの原因を、その経営に求めることにあまり説得力はない。偏差値の低い地方私大が大胆な改革をぶち上げても、受験生は期待した通りの反応をしてくれるわけではない。経営上の創意工夫が大学への評価につながるわけではないのだ。供給側の事情を過大評価すべきではないと思う。

  というわけで、通説通り、大学進学を需要する側の事情から理解したほうが正しいと思える。00年代に高卒者を吸収する第二次産業の仕事が日本国内で減少したので、昔は進学しなかった層も大卒の学歴取得を求めざるをえなかった、という説明のように。まあ、文科省と私大の微妙な関係の話は興味深かったので、読みどころがないというわけではない。
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編集者の企画力でベストセラーとなるかどうかが決まった時代があった

2021-09-14 13:11:55 | 読書ノート
新海均『カッパ・ブックスの時代』 (河出ブックス), 河出書房, 2013.

  編集者側の視点から新書シリーズ「カッパ・ブックス」の歴史を綴る内容。カッパ・ブックスは1954-2005年まで続いた光文社のシリーズで、1950年代後半から70年代前半にかけて多くのミリオンセラーを生み出した。著者はその衰退期にシリーズに関わった編集者で、内容的には光文社史という趣きもある(ただし雑誌の話は薄い)。

  光文社は、講談社の社員らによって1945年10月に創業された。戦争に協力的だった講談社はGHQに睨まれていた。当時の紙は配給制で、親会社の講談社が不利益を被る可能性を見据えて作られたトンネル会社だったという。その講談社から光文社に移籍してきた編集者・神吉晴夫には才気があって、辣腕をふるってカッパブックスのシリーズを創刊し、軌道にのせることができた。そのコンセプトは、岩波新書が表す「教養」に対抗する、大衆向けの新書である。

  カッパブックスは、編集者の企画立案優先で、その決定後に著者を探して書かせるという順序だったという。1960年代にその全盛期を迎えた後は、1970年代に数年に及ぶ労働争議の時代を迎える。始まりは、社長の神吉が才能ある編集者を特別扱いしたせいで、他の社員の反発を買ったためだ。労働争議によって神吉は社長の座を降り、またカッパブックスの編集者の何人かは会社を離れて、祥伝社やごま書房などを立ち上げた。シリーズはその後も続くが、出版不況を経て2005年に廃刊する。代わりとして、教養新書シリーズの「光文社新書」が社の主力となった。

  以上。まあまあ面白い。カッパブックスにはまったく思い入れがなかったが、古本で手に入ったので読んでみた。編集者が頑張ればミリオンセラーが出るという、出版の古き良き時代を垣間見ることができる。
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メリトクラシーは問題であると指摘されるけれども…

2021-09-09 12:39:11 | 読書ノート
マイケル・サンデル『実力も運のうち:能力主義は正義か?』鬼澤忍訳, 早川書房, 2021.

  メリトクラシーへの懐疑の表明。能力主義あるいは業績主義と訳されるmeritcracyは、民主主義社会において正義であると考えられている。人種・性別や門地・血縁による職業や地位の配分に比べれば、業績や能力を基にしたそれはマシで正当な地位配分原理である、ということについては多くの人が同意するだろう。本書はそこに「しかし…」と疑問を呈して見せる。原書はThe tyranny of merit : what's become of the common good? (Farrar Straus & Giroux, 2020.)である。

  エリート大学進学への家庭の影響が大きいことから、現状の米国は十分にメリトクラティックな社会となっていない、という反批判はありうる。だが、本書はそうした点に十分配慮しつつも、なおメリトクラシーがもたらす問題をクローズアップする。最大の問題はコミュニティ(特に国家)の分断・解体である。メリトクラシー原理による競争は、勝者のみならず敗者も生み出す。しかし、勝敗は能力や努力の欠如といった個人の問題に帰され、敗者には社会や環境に責任をかぶせるような言い訳が許されない。これは大きな屈辱となる。一方で、勝者はその取り分を妥当であると見做し、敗者を見下す。結果として勝者と敗者の間で相手に対する軽蔑と憎悪がもたらされる。

  対応としては、米国での分断線を形成している大学進学が焦点化されている。エリート大をくじによる入学時選抜で選ぶという緩和策などが提案されている。率直に言って、こまごましているばかりて抜本的な対策には見えない。このほか、運平等主義やロールズ的配分原理への思想面での考察もあって、それぞれメリトクラシーを脱してはいないと指摘している。また、地位達成や経済的成功と、コミュニティにおける価値は分けて考えられるべきだという提案もある。

  以上、問題提起としては面白い。けれども、原理に対するこういうラディカルな批判にありがちだが、対抗して提案される代替案が中途半端であるかまたは「現状よりももっと悪い」選択肢にしか見えないことである。高度で複雑な社会の維持運営には、メリトクラティックな人材選抜はやめられないだろう。コミュニティの維持が目的であるならば、代替原理を掲げるのではなく、メリトクラシーの弊害を最小限にするという方向のほうがマシに思える。つまり、痛みを緩和するだけの対症療法こそが現実的で唯一のものだと思う。
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2021年5月~8月に読んだ本についての短いコメント

2021-09-04 10:17:03 | 読書ノート
播田安弘『日本史サイエンス』(ブルーバックス), 講談社, 2021.

  元寇、秀吉の中国大返し、戦艦大和という三つのトピックを技術者の視点から検証するという試み。著者は元造船エンジニアだとのこと。元寇の章では、文永の役におけるモンゴル軍の上陸状況と九州の武士団の戦術について検証している。日本側は、上陸したモンゴル軍の先行部隊を効果的に叩き、撤退したモンゴル軍は神風というよりは玄界灘のいつもの風と海流にやられた、とのこと。秀吉の章では、大返しの困難さが強調される。大和の章では、軍艦の構造や巨大戦艦の運用方法について考察されている。最新の日本史研究の知識のない僕にとっては面白かった。

大塚淳『統計学を哲学する』名古屋大学出版会, 2020.

  「統計による証明」のロジックの考察。この領域では、頻度主義かベイズ統計かという長年の議論がある。本書はその議論を部分として含むが、さらに深層学習や因果推論についても深く掘り下げているのが特徴である。というか、AIC、機械学習、反実仮想、構造因果モデルなどを扱った深層学習と因果推論の箇所こそが面白くて含蓄に富む。ただし、これは難解な専門書である。複数の変数を有する統計データを目の前にして、分析手法の選択に悩んだことがあるぐらいのレベルでないと理解できないだろう。

鎌原雅彦, 竹綱誠一郎『やさしい教育心理学 / 第5版』有斐閣, 2019.

  教育心理学の教科書。初版は1999年。心理学実験の説明に多くの頁を割く、実証性重視の教科書である。トピックとして、記憶、思考、学習、動機づけ、級友の影響、教え方、成績評価、遺伝と環境、知能指数などが採りあげられている。ただし、最後の三つの章──発達段階論の10章、発達障害を扱う11章、カウンセリングについて解説する12章──は実証よりも理論の方に傾いている。中身については、性格調査の項があるのにビッグ・ファイブの説明がないといった細かい不満がなくもない。しかし、この領域を通覧できる入門書としてはわかりやすいのではないだろうか。

榎本博明『読書をする子は○○がすごい』(日経プレミアシリーズ) , 日経BP社, 2021.

  タイトルの一部を伏字にするぐらいだから、何か下品なことが書いてあるのだろうと想像した。「読書をする子はあっちも凄いのか」と。が、普通の読書論だった。読書をすると、共感性だとか想像力だとか教養だとかが身に着くとのこと。最近の研究成果を折り込んではいるものの、何か驚くべき結論が導き出されているというわけではない。

藤田政博『バイアスとは何か』(ちくま新書) , ちくま書房, 2021.

  社会心理学。人間が生得に持つ認知バイアスを紹介するもので、手堅くまとまっている。ただし、行動経済学や最近の心理学の本をそれなりに読んできた人ならば、どこかで読んだなあという話も多い。情報の新しさではなく、これまでいろんな本で言及されていたバイアスを通覧できるところと、詳しい参考文献リストあるということがメリットだろう。著者は法学専門とのことで、本書でちょっとだけ言及されている裁判とバイアスというテーマでも書いてほしいなあ。

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