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図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

文化から学習するよう自己家畜化した動物、それが人間である、と

2019-08-29 08:24:36 | 読書ノート
ジョセフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた:人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』今西康子訳, 白揚社, 2019.

  進化論を取り入れた人類学。著者は、航空機のエンジニアから文化人類学者に転身したという経歴の持ち主で、Peter Richersonとの共同研究で知られるRobert Boydの弟子である。ということは、本書は"dual inheritance theory"(「二重相続理論」または「二重継承理論」と訳される)の解説書、と考えていいのだろうか。原書は、The secret of our success: how culture is driving human evolution, domesticating our species, and making us smarter (Princeton Univ Press, 2015.)である。

  二重相続理論のニュアンスは、僕が理解している限りでは次のようなものだ。1960年代は人間行動は文化(人工的な環境)によってほとんどが決まると考えられた。1990年代以降は、人間行動は自然淘汰や性淘汰によって形成された傾向、すなわち遺伝によってある程度は決まっており、文化による影響は遺伝がもたらす選択可能な行動の範囲内で多様である、という考え方となった。これには自然環境と文化の対立が前提とされていた。しかし、二重相続理論は、そもそもの遺伝は自然環境への適応によってだけ形成されるのではなく、文化に対する適応によっても形成される、しかもその影響は人類にとって本質的である、と主張するものである。

  ということを踏まえて本書を読み進めてみる。最初にチンパンジーと人間の能力を比較するテストが紹介される。人間が簡単に勝てるかと思いきや、その結果は五分五分で、合理性の面ではチンパンジーが勝っているときもあるという。人間が圧勝できるのは、他人の行動を模倣して問題解決するという「社会的学習」という領域だけであった。これに加えて、近代的装備を持ちながら僻地で全滅した探検隊の例や、下処理によって食べることのできる毒のある食べ物の例が挙げられることで、模倣するモデルが無い時の人間の無力さが例証される。個人の優れた頭脳は、単独では優れた解決法を思いつくことはない、というのだ。

  これに対して良い解決法をもたらすのが文化や制度であり、そうした「集団的頭脳」を利用できるように人類は淘汰されてきたという。人類の大きな脳は、仲間内集団との駆け引きのため(すなわちマキャベリ的知性のため)ではなく、むしろ「信じて従う」ため、すなわち学習のため、かつ模倣すべき優れた人物を選択できるようにするためである。学習によってスキルを向上させ、集団内でそれなりの地位を占めれば、繁殖機会において有利となる。その結果その集団の文化に適応した人物の遺伝子が広まる。このような集団の規範に従うような人間進化の方向性を、著者は「自己家畜化」と呼んでいる。

  自然環境や文化だけでなく、集団間の競争(戦争を一部とする)も重要だ。血縁に基づく個体識別や、利他行動や規範意識の存在も、集団間の競争で説明できるとする。そこで、やはり文化には優劣があるのではないか、と示唆される。例えば、新たな情報を取り入れることが容易な語彙や文法構造を持った言語は知識を集団的頭脳に加えていくがために有利であるという。さらに、集団的頭脳を維持できる程度の人口数も重要である。人口が少なければ、文化が失われて解決の水準が落ちる。一方で、ある種の文化は集団を競争に勝利させ、集団の規模を拡大させることができる。このほか家族制度やいつ頃から文化と遺伝子の共進化が始まったのかという話がある。

  以上。遺伝子の話はあまり細かくなくて、むしろ人の身体構造などから文化との相互作用を論じている。遺伝か環境かの論争に関連して言えば、文化もまた環境であり遺伝に影響及ぼしてきたという話と、目立つモデルを模倣してしまうという人間の遺伝的性向が文化を形作っているという話があって、境界をぼやけさせるような議論となっている。また、遺伝的基盤がなくても文化の影響は生理学的作用する──どのような食事を美味しいと感じるか、など──ともいう。頁数が多く(600頁!!)、議論も行ったり来たりするところがあって読みやすいとは言えない。だが、個々の事例が興味深く楽しめる本だろう。
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戦後東大系の憲法学者批判ながら護憲にも使える

2019-08-25 17:39:02 | 読書ノート
篠田英朗『憲法学の病』新潮新書, 新潮社, 2019.

  日本国憲法論。前著の補足のような位置づけの書籍である。「日本国憲法は国連憲章などから概念を借りており、国際法の知識があれば整合的に解釈できる」という話と、「憲法をめぐる議論が混乱しているのは、憲法条文が多義的に解釈できるからではなく、東大系の憲法学者による解釈が歪んでいるからだ」という話の二つである。

  芦部信喜を筆頭に、東大系の憲法学者は「21世紀においてそれぞれの国家は交戦権を有している。しかし、日本国憲法は9条によってそれを否定している」と解釈する。野蛮な国際社会と文明的な日本という対比である(9条を世界に誇るとするような運動はその影響下にある)。ところが、著者によればそのような国際社会観は19世紀ドイツ的で、第二次大戦以降、すでに克服されてしまっているという。現在の国際秩序では「国権の発動たる戦争」は全面的に禁止されており、どの国もそのような意味での交戦権を持たず、交戦権なる概念は存在しえない。正当化されているのは、防衛や国際秩序維持のために自衛権を発動するケースだけ。日本国憲法に交戦権なる語句が挿入されたのは、戦前の日本の振舞をいを強く否定するためだった、と。

  個人的には、長谷部恭男を極度の価値相対主義者とみなすのはなるほどと思った。「突き詰めれば合理的根拠なんか無いんだから、上手く行っている(と見える)現状を維持しましょう」というのが『憲法と平和を問いなおす』における護憲のロジックだった。この論理は立憲主義とは何の関係もない。価値相対主義者がもつ諸行無常の世界観は、今そこにある困難を軽視する。制度を現実に合わせてその都度チューニングしていくことができなくなってしまうみたいなんだよね。

  ただし、著者の議論は前著と同じパラドクスに陥るように思える。現状の日本国憲法が自衛隊も集団的自衛権も問題なく認めていると解釈できるならば、この点での改憲は必要がないということになる。というわけで、護憲派の理論武装に使える内容だ。ただし、その場合、目的としているはずの軍事行動の制限はできず、条文を守ることができるだけにすぎないのだけれども。
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学校図書館をめぐる議論の見取り図として

2019-08-21 16:30:51 | 読書ノート
根本彰『教育改革のための学校図書館』東京大学出版会, 2019.

  日本の学校図書館の制度上の歴史と現状、海外事情など。中身は2000年代から最近にかけての著者の論文をまとめたものである。ただし、A5サイズで300頁、かつフォントが小さいので、かなりの分量に感じる。「学校図書館」というと誰もがかつて経験した小さな図書室を思い浮かべるだろう。放課後に訪れて好きな本(そこに所蔵されている範囲内だが)を読めるが、授業時間中には訪れない(もしかしたらごくまれに授業で使うことがあるかもしれない)。僕の場合、高校を除く小中学校でそこを管理する人が張り付いていたかは記憶がない。学校図書館というコンセプトはそういう「課外で使う読書施設」という現状に留まるべきではないことを、本書は示してゆく。

  著者によれば、そもそもGHQの占領下で学校図書館というコンセプトが移入された理由は、ジョン・デューイが唱える経験主義的な教育を目指したからであり、現在でいう課題解決型の学習スタイルを進めるためだった。しかし「先生が正統な知識を一方的に児童・生徒に教え込む」という系統主義が、その後の日本の教育の主流となったために、この試みは頓挫する。また、米国では専任の学校司書(school librarian)が学校図書館を管理しかつ情報利用教育を指導するのが基本であり、教科の教師を兼任する司書教諭(teacher librarian)は学校司書を置けないような小規模な学校に対しての例外的な資格である。にもかかわらず、日本では資格として後者が先に輸入されて、形だけ定着した。結果、学校図書館は授業では使われない設備として扱われてきた。

  しかしながら、課題解決型学習の必要性は日本でも1980年代から徐々に認知されるようになっており、文科省の教育方針にも取り入れられてきてい。総合学習やアクティブ・ラーニングの推進にそれが現れているという。これに関連して、国内の図書館を使った課題解決型学習の例や、フランスや米国の学校図書館が参考にされる。ただし、東アジアの読書に対する考え方が課題解決型学習の先行者である欧米と異なることや、入試問題のスタイルに教育カリキュラムが従属しがちなことが難点として挙げられている。とはいえ、そうした課題解決型学習が現在の日本で必要となっており、学校図書館と学校司書がそうした学習をサポートすることになるはずだという主張は一貫している。

  以上。学校図書館と課題解決型学習に関連があることは気づかれていたことだろう。本書は、両者の関係について理論的に掘り下げ、その観点から日本の学校図書館制度にどのような問題があるのかを明らかにした著作である。政策的にはかつてよりは重要視されつつあるのに、学校図書館に対する世間の期待感は高まっていない。こうした中で、どう学校図書館を教育に組み込んでいくかの理論的な見通しを本書は与えてくれるものである。図書館関係者のみならず、教育関係者にも参考となると思う。個人的には、直前に読んだ我が学部長の著作と真逆のスタンスで面白かった。最終的には、既存のカリキュラムの時間を削って図書館利用に充てることをめぐる論争に収斂してゆくのだろう。
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新テストの駄目さは思想の問題か、作問技術の問題か

2019-08-17 10:25:19 | 読書ノート
紅野謙介『国語教育の危機:大学入学共通テストと新学習指導要領』ちくま新書, 筑摩書房, 2018.

  センター試験廃止後の、2020年度から始まる「大学入学共通テスト」を批判する内容である。といってもまだ実施されていないテストであるため、2017年に公表された記述式テストの問題例と、同年に実施された試行調査のためのプレテストの二つを分析するのに大半の頁を割いている。加えて、学習指導要領の検討が少々ある。著者は日本文学研究者で、麻布高校での教員経験がある。今年度から日本大学の文理学部長の任に就いており、僕もヒラ教員として一度だけお話したことがある。

  多くの報道において、「大学入学共通テスト」への関心は記述式回答の客観性を保つことや採点コストに集中しがちだった。本書はそうした問題にも言及しつつも、新テストがこれまでの「国語」とはかなり違った方向を目指したものであることを明らかにしている。第一に、大問一つに対して読解用に提示される文章は、これまでは1つだけだったが、新テストでは2~3の複数の文章を扱うことになる。第二に、そうした文章のいくつかは、これまでのような著名な著作家による記名記事ではなくて、行政文書や契約書を模した実用的文書や、解釈の状況を設定するための創作的な会話である。

  著者は、新テストを進める文科省や中央教育審議会の側に、複数の資料を受験生に読解させることで「統合的な思考力や判断力」を測ろうとする意図があるとみる。それは、著者の意図や表現の効果を云々するようなこれまでの国語とは異なったものだ。しかしながら、公表された問題例およびプレテストは、作問が稚拙で簡単すぎるか難しすぎるかのどちらかで、受験生の能力を弁別するという役割を果たさないだろうと予想される。また資料の分量も多すぎる、と批判される。

  本書の議論を評価するには、これら新テスト例とプレテストの駄目さ加減が、統合的思考力を測るという文科省の意図に埋め込まれた限界であるのか、それともそうした意図を十全に反映させられない作問者のせいなのか、という疑問の判定が必要となる。前者ならば新テストは必然的に混乱を呼び起こし、失敗に終わる。後者ならば、出題者が経験を積めば改善される可能性がある。著者は前者とみている。しかし、読者としては後者の可能性も捨てきれない、という印象だった。

  ただし、著者の言い分もわからなくもない。挙げられた問題例からわかるのは、AI研究者の新井紀子(参考:本書でも言及される)が危惧するような基礎的な読解力が問題とされているように見える。しかしながら、そうした読解力を持たない層は、大学を受験する層とはかなり違う。すなわち、テストでそもそも測ろうとしている能力が、通常の大学入試で測られるそれとは違っているのだ。今後そこがうまく大学入試用にチューニングされるのかどうか、なのだが、そうすると目指すところが変わったという解釈となるのだろうか。
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家族をめぐる「意外さは無いけれども堅実な研究」の紹介

2019-08-13 08:50:21 | 読書ノート
山口慎太郎『「家族の幸せ」の経済学:データ分析でわかった結婚、出産、子育ての真実』光文社新書, 光文社, 2019.

  結婚と離婚、出産と育児に関する経済学領域の研究を紹介する新書。副題から予想されるほどにはデータにうるさくはなく、研究結果だけを簡単に要約して記述しているだけというトピックも多い。家庭を持つ一般の人向けに読みやすくなるよう図表をかなり厳選したと推測される。著者は東大経済学部の若手の先生で、カナダでの滞在経験もあり、そこでの体験についても言及がある。

  最初は結婚についての章だが、マッチングサイトから得られたデータを参照しているところは目新しいものの、似た者同士がカップル形成しやすいなど、「まあそうなるよね」という穏当な知見に落ち着く。以降の章もそんな調子である。「母乳育児に長期にわたる知的形成にプラスの効果はない」というあまり知られていないだろう新知見が披露されることがまれにあるものの、「育休期間を三年にすると母親のキャリア形成にマイナスの影響がもたらされるので一年ぐらいがよい」「父親の育休は夫婦関係にプラスになるけれども、所得にはちょびっとだけマイナスに影響する」「質の高い保育園ならば、子どもは非認知能力を高め、母親はストレスを減少させて有益である」「離婚がしやすくなると夫婦関係が改善され女性の自殺も減る」など、多くの各トピックで「あまり考えたことはなかったけれども、指摘されるとそれほど意外ではない」という結論となっている。

  たとえ常識的な結論でも、思い込みではなく裏付けがあることを示す、という狙いの本のようだ。個人的には、材料として参照された外国の事例や論証過程が面白かったので、十分に濃い内容だと感じた。ただし、結論だけを知りたいというタイプにとっては、物足りないかもしれないな。
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お金には換算できない教育の成果を測る。ただし領域限定

2019-08-09 10:09:41 | 読書ノート
OECD教育研究革新センター『学習の社会的成果:健康、市民・社会的関与と社会関係資本』NPO法人教育テスト研究センター監訳 ; 坂巻弘之, 佐藤郡衛, 川崎誠司訳, 明石書店, 2008.

  学校教育だけでなく社会教育=生涯学習も含めて、その効果を広範に把握してみようという試みである。といっても、独自の調査や新たな分析があるわけではなく、概念提示とレビューがその主な内容である。現状の研究の進展状況を知る(といっても原著は2007年)というのが期待すべきものだろう。

  まずは「先進国各国における教育への公的投資に対する説明責任の浮上」というのが背景として示される。そこで、教育の成果を金銭的成果と非金銭的成果に分け、さらにそれを教育を受けた本人にもたらされる成果と、本人以外にももたらさられる公共の成果との四つに分割する。このうち、本人あるいは本人以外にもたらされる非金銭的成果を「社会的成果(social outcome)」として以降で検証する、と議論が展開してゆく。教育が成果をもたらす経路についてはモデル化され、そこではシグナリングにも人的資本論にも言及されているが、それぞれの程度については測られていない。

  その後の章は、教育が投票行動など社会関係資本の充実(本書では「社会的関与」というより限定的な語が使われている)に影響するかどうかの研究レビューであり、続く章は教育が健康成果をもたらすかどうかの研究レビューとなっている。教育は知的能力を増大させることで社会的関与や健康を促進させるが、一方で格差を拡大させる面もあり、後者の点でマイナスの影響もある、というのが簡単な結論である。

  以上。「膨大な教育の成果をめぐる言説の中で、説明責任に堪えうる事象に絞って議論のとっかかりをつくる」という印象の本だった。ただ、シグナリング論者が気にかけるはずの点については統制されている感じではなかった。教育を受けたほうがいいのか、替わりに働いた方がいいのかは、同一の能力を前提とした比較でなければならないという点である。このため、教育の側に甘い評価となっているかもしれない。とはいえ、概念整理の仕方は参考になるあろう。
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米国において専門知が軽視されている現状の報告

2019-08-05 09:06:04 | 読書ノート
トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか:無知礼賛と民主主義』高里ひろ訳, みすず書房, 2019.

  反知性主義論。専門家を拒絶する現代アメリカの歪んだ言論状況についてレポートし考察する内容であり、難しい概念もなく一般の人でも読みやすいだろう。著者はアメリカ海軍大学の教授で、専門はロシア研究である。原書は、The death of expertise : the campaign against established knowledge and why it matters (Oxford University Press, 2017.)である。

  はじめのほうで「専門家が素人の会話が疲れるものになった」現象を確認したあと、大学教育の失敗(学生を顧客とみることで大学での議論が避けられるようになったこと)、インターネットの普及(フェイクニュースの拡散と、そもそも大半の人はネットの短い記事すらきちんと読んでいない。にもかかわらず分かった気になっている)、ジャーナリズムの変貌(長期にわらる調査記事よりも短期間で何本もの記事を書くことが記者の能力として重視されるようになった)、専門家の間違いが過大に取り上げられる傾向(非専門分野に口を出す何でも屋知識人の悪影響など)などの原因を挙げる。結論では、専門家の民主主義社会における役割を限定しつつ、やはり専門知と素人の知識は同じレベルに扱われるべきではないことを確認して終わる。

  以上。日本でも似たような状態なので、米国の驚くような状況が垣間見られるという印象ではない。専門職ならば「わかるわかる」という感じで読めるのではないだろうか。ただ、現状への悲嘆があるだけなので、その先の話も欲しいところ。そこは、「望ましい民主主義社会とはどのようなものなのか」と関わるパズル的な問題であり、本書で扱うには重すぎるということか。
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高等教育は高コストで税金の無駄だと主張する論争の書

2019-08-01 09:10:10 | 読書ノート
ブライアン・カプラン『大学なんか行っても意味はない?:教育反対の経済学』月谷真紀訳, みすず書房, 2019.

  高等教育は「社会的に見て」無駄だから大学への公費支出を控えよ、と主張するやや難の部類の一般向け書籍。著者は米国の経済学者でありかつ大学教授。以前このブログで同著者の『選挙の経済学』を紹介したことがある。本書の原書は、The case against education : why the education system is a waste of time and money (Princeton University Press, 2018.)である。なお、議論の範囲は高校から大学院修士課程までで、中心は大学教育である。小中学校は対象ではない。

  その主張は次のようなものだ。大学は仕事に直結している知識をほとんど教えていないことは明白で、なおかつ教育擁護論がよく使う論法「学習内容を別の事柄に応用する能力を育成する」もエビデンスによって否定されている。ではなぜ、学歴が求められるのか。それは知力を示すシグナルであるだけでなく、学校に通ったことが仕事における協調性の高さや上司に逆らったりしないことのシグナルとなっているからだ。そのようなわけで、雇用者は、「頭は良いものの学校を中退した応募者」を低く評価するだろう、と。

  ここまでは「そんなこと知ってた」と言いたくなるところだが、我慢して読み進めよう。経済学には、教育の意義をめぐって、学歴が仕事の応募者の能力の高さを示すシグナルとして機能するという「シグナリング」説と、学校での学習が労働力としてのスキルを高めるという「人的資本論」説がある。両者は矛盾しない、と何かの教科書で読んだ記憶がある(うろ覚え)のだが、著者をこれを豁然と分とうとする。推計の結果、シグナリング:人的資本論の比は8:2ぐらいだと提示される。人的資本に見えるものは、もともとの能力や資質であり、学校の力で身に着けたものではない。役に立っているのは読み書き算盤だけ、大学の専門教育のたぐいはほとんど人的資本の形成に役立っていないという。

  以上を踏まえて、著者は読者にどうアドバイスするのか。読者の頭が良いならば大学に行ったほうが収益率が高いが、そうでないならば高校卒業のほうがマシだという(ここは米国の大学の退学率の高さを頭にいれないといけなくて、日本の感覚とはかなり異なる)。しかし、結局、学歴はスキルを高めることなく仕事の分配方法を決めているだけで、高学歴化が進んでもGDPが高まっているわけではない。したがって、社会的にみて教育への公的投資は過剰となっており、リターンが小さい。というわけで、高等教育への公的支出を止めるべきだ、と結論する。

  過激な議論ではあるが、一応の説得力は感じる。シグナリングが本当に学校教育の意義の80%を占めるのかどうかが、大きな論点となるだろう。仮に著者の言う通りにして高等教育の支援を止めて進学率を下げるとした場合、民間の側・採用する企業側が人材のスクリーニングを行わなければならなくなる。その社会的コストは馬鹿にならない気もするが、大学に税金を投入するより安価なのだろうか。
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