29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

マイナーなギタリストのアコギ・カルテット録音

2019-07-28 21:41:57 | 音盤ノート
Bill Connors ‎"Of Mist And Melting" ECM, 1978.

  ジャズ。ビル・コナーズは米国LA出身のギタリストで、チック・コリア率いるReturn to Foreverに参加した("Hymn of the Seventh Galaxy" 1973.)後に、ECMで3枚のアルバムを残している。うち2枚はギターソロ作だが、本作品のみカルテットでの録音となっている。なお、2010年頃に新しいジャケットでCD化されていたがそれは廃盤のようで、2019年になって新たにオリジナル盤のジャケットを使い紙パッケージでCDの再発売がなされている。

  内容としてコナーズの自作6曲を収録。メンバーはアコギを弾くコナーズのほか、Jan Garbarek(sax), Gary Peacock(bass), Jack DeJohnette(drums)という豪華すぎる顔ぶれ。しかし、バンドの演奏は冷え冷えとしたもので、コナーズのギターは奏でられるとエタノールのごとく熱を奪ってゆき、ガルバレクのサックスは氷を通して見る光のように白く輝く。ディジョネットのドラムは鋭くて緊張感を高めるものの、演奏を煽ったりはしない。ピーコックのベースは、透明感のある全体の演奏をどんよりと曇らせる。

  というわけで楽しさや喜びとは無縁の、冷たい荒涼とした音楽である。カリフォルニア出身者とは思えない寒さである。ただ、Ralph Townerの"Solstice"に似すぎているという気もしなくもない。それが本作の限界でもあるが、良さでもある。
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オンライン社会調査事始め、ただし内容はけっこう高度

2019-07-25 15:39:24 | 読書ノート
マシュー・J.サルガニック『ビット・バイ・ビット:デジタル社会調査入門』瀧川裕貴, 常松淳, 阪本拓人, 大林真也訳, 有斐閣, 2019.

  インターネットを使った社会調査の教科書。マニュアル的なものではなく、方法論についての議論が中心だ。研究者または大学院生向けの内容である。著者はダンカン・ワッツの弟子で、有名なミュージックラボ実験(参考)の論文で第一著者になっている若手研究者である。研究事例が豊富で、読書案内や演習問題も充実している(ただし回答はない)。個人的には、研究事例集として楽しめた。

  内容は、ビッグデータの扱い方と注意点(巨大かつ常時データが入手可能であることが多いが、バイアスを持つ可能性があることなど)、調査やアンケートの心得(誤差の問題など)、実験方法(RCTが望ましいけれども、そうすることができない場合の実験設計など)、調査対象者や協力者の見つけ方(ネットを通じた募集方法やなど)、倫理(プライバシー保護など)である。お金の話も少々あり(他の方法より安いのかなど)、数式もたまに出てくる。

  で、読んでみて「さあやってみよう」という気になるかどうかだが、僕の場合はそれほどでもなかったな。結局、データの収集は英語環境だとやりやすく、日本語環境ではそれほどでもないということもあって、日本語でやるとコストがかかりそうだという思いがまずきてしまう(被験者の募集なども含む)。というわけで先立つものがいる、という考えになる。でも、アイデア次第というところもあるので、若手研究者ならば面白いガイドになると思う。

  
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日本における教育格差の執拗な提示

2019-07-20 15:54:54 | 読書ノート
松岡亮二『教育格差:階層・地域・学歴』ちくま新書, 筑摩書房, 2019.

  日本における教育格差を、幼児教育・小学校・中学校・高校の各ステージで検証するという360頁に及ぶ厚い新書版である。学術書ではないが、図表が満載かつ文章も図表の説明がほとんどで、こういうのに読み慣れていないと辛い本だろう。著者は早稲田大学所属の若手研究者である。

  書籍全体を通じて、学力、意欲、勉強時間、所属学校の偏差値などなどについての、階層別のデータがこれでもかこれでもかと繰り出される。その結論は、日本は国際的にみて凡庸な教育格差社会であり、他の国がそうであるように親の社会経済的地位や居住地域によって教育水準が決まってしまう、ということである。その差は、幼児期から始まり、高校までずっと維持されるという。(ただし、最終学歴獲得・初職・現職を通じて、格差が拡大するわけではなく、維持されて平行移動するとのことである)。

  人生の最初の段階でライフコースが決まってしまうというわけで、就学前の教育介入を、解決案として著者は考えているようだ。果たしてこれに格差を縮小するような効果があるのだろうか(幼児期の非認知能力育成が、勤勉な人格を作り上げるという話はよく聞くけれども)。効果があったとしても、上位層は「下位層への就学前介入政策」を出し抜く方法をすぐ考えるだろうから、大して格差は縮まらないという気もする。

  とはいえ、日本の教育格差の状況が客観的に示された優れた本である。あと、データ重視ではあるけれども、格差が放置されることによって「血が流れている」と表現されるなど、ところどころ熱い文章にも出会う。この点は好みがわかれるだろう。
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ギターバンド編成で無国籍化したMPBを演奏する

2019-07-16 20:53:35 | 音盤ノート
Pedro Martins "VOX" Heartcore Records, 2019.

  MPB。ペドロ・マルチンスは1993年生まれかつブラジル出身のギタリスト兼歌手で、カート・ローゼンウィンケルの"Caipi"およびアントニオ・ロウレイロの"Livre" に参加している。これはソロ二作目だとのことだが、一作目は未聴。なお、オリジナル盤は今年2月に発表されているが、日本盤はボートラ付きで7月に発売されている。秋に「モントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン 2019」なるイベントのために来日するそうで。

  バンドはマルチンス以下、ローゼンウィンケル(gt), ロウレイロ (dr), Frederico Heliodoro(bs)のカルテットで、ジャズよりはバディ・ホリー~ビートルズに近いロック的な編成となっている。ローゼンウィンケルはリズムギターだけでなく、けっこうソロでしゃしゃり出てきて、曲の緊張感を高めている。このほかゲストで一曲ずつブラッド・メルドーとクリス・ポッター、カイル・クレーンが参加している。"Caipi"で聴かせたマルチンスの高く柔らかいボーカルは全曲で堪能できる。ただし、リズム等アレンジはけっこう凝っているものの、ボーカルメロディーのバリエーションが少なくて、14曲通して聴くとちょっと一本調子に感じるところもある。この点、もうちょい工夫がほしいと感じるが、全体としては丁寧に作られた高密度な音楽と言えるだろう。

  MPBとはいえ、あまりブラジルっぽくないのは"Livre" と同様。ボーカルがミナス風というだけで、あとはジャズの影響を感じさせる無国籍ポップという表現が正確だろう。難解というわけではないのだけれども──track 3と12はとっつきやすいポップな曲である── 、一聴して全体の魅力がわかるという作品でもなく、つかみどころを探すために繰り返して聴くべき作品。
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婚活0.0から1.0までの歴史、婚活2.0の話はナシ

2019-07-12 08:51:24 | 読書ノート
佐藤信『日本婚活思想史序説:戦後日本の「幸せになりたい」』東洋経済新報, 2019.

  タイトル通りの内容。婚活をめぐる思想の変化について、お見合い結婚がマイナーになった1970年代から近年までの間、書籍や雑誌記事中心かつテレビドラマ少々という材料のあんばいで整理するというもの。著者は東大の若手政治学者で、初出はペンネームで書かれた『週刊東洋経済』2014年の連載だという。

  1970年代後半に『クロワッサン』の影響でキャリア女性の一部に独身主義が浸透する。一方で、林真理子による結婚の肯定があり、その流れで『結婚潮流』というマイナー雑誌で女性が複数のパートナー候補の中から配偶者を選ぶことを勧められ、お見合い婚が再評価される。「恋愛の延長で結婚する」のではなく「結婚を前提にした恋愛をする」というのがミソのようだ。ただし、恋愛至上主義的だったバブル期にはメジャーとはならなかった。以上が「婚活0.0」である。

  時は過ぎて日本経済が凋落した2000年代、結婚相手を見つけるのが困難な時代になっていた。結婚とは男の金と女の顔の交換(小倉千加子)という認識のものと、必要なスペックと条件リストに適合するパートナーをSNS等を通じて探すという「マーケティング婚活」が主流となる。マーケティング婚活は、「白馬の王子さまがいつかやってきてくれる」という幻想をとことん廃して、女性が自分で能動的にパートナーを探し、男性側に対して掲げた条件以上の期待をしない、というものだという。以上が「婚活1.0」である。

  ここまでは良かったのだが、まとめとなるはずの章で、国家と家庭の関係と、LGBTを含めた多様な家族の形に話が飛んでしまう。トピックとしては興味があるものの、前の章までの展開と全然外れているし、深掘りされているわけでもない。「婚活1.0」まで話してくれたのだから、来るべき「婚活2.0」についての著者の見解を論じてよ、と言いたくなる。「序説」だからしようがないのか。というわけで途中までは面白かったが、最後に不満が残った。
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社会ダーウィン主義者ではなく穏健なリバタリアン

2019-07-08 22:24:07 | 読書ノート
ハーバート・スペンサー『ハーバート・スペンサー コレクション』森村進編訳, ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2017.

  19世紀英国の思想家ハーバート・スペンサーの著作から、『政府の適正領域』(1843)、『社会静学』(1851)、『人間対国家』(1884)の三点を訳出・収録したアンソロジー。ただし『社会静学』は抄訳である。編訳者の森村進はリバタリアニズムに造詣の深い法哲学者であるが、翻訳書とはいえ本書も政府の役割を制限するという議論の方向性を持っている。

  「弱肉強食」を唱えた弱者に冷たい社会ダーウィニズムの思想家とされ、今では顧みられることのないスペンサー。本書を読んだ印象としては、政府の役割を重視する左派に対して、市場の重視を訴えるオールド・リベラルのような感じである。弱者を放置して飢えさせろと極悪なことを言っているわけではなく、政府介入がより悪い結果を招くこと、民間による慈善のほうが効果的であることを論じているだけである。ただし、弱者の境遇の改善に関心があるというわけでもなく、政府介入によって個人の自由が制限されることに大きな苛立ちを感じているというのがその動機のようだ。

  論敵は当時の功利主義者=社会改良家である。彼らはスペンサー的には「自由の侵害」=「財産権の侵害」をもたらすような立法を次々と行っていたらしい。公立図書館も批判の対象であり、もともと暮らし向きの悪くない人たちが無料で新聞や小説を読むという目的のために、税金を投入をすべきではないとされる。ただし、スペンサー本人は自身を功利主義者と考えていたようである。

  以上は『人間対国家』の印象である。だらだらと一年半かけて読んだために、最初の二編『政府の適正領域』と『社会静学』の細かい記憶がない。実を言うと、社会ダーウィニズムの理論書であることを期待して手にとってみたのだけれども、思いのほか穏健なリバタリアンであったため、少々退屈に感じてしまったというのが本当のところだ。
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海外の大学所属の研究者となるためのハウツー兼日本人研究者事情

2019-07-04 15:08:18 | 読書ノート
増田直紀『海外で研究者になる:就活と仕事事情』中公新書, 中央公論, 2019.

  外国の大学の先生となるにはどうしたらよいか。著者自身の経験と海外在住日本人研究者のインタビューによって、そのノウハウを伝授するという書籍。大学採用事情を知らない人向けの用語の説明(テニュアなど)はあるので、一般の人ももわからないことはない、というレベルである。著者は東大から英ブリストル大学に異動した数学研究者である。

  インタビューは英米の大学の日本人在籍者に対してだけでなく、オーストラリア、ドイツ、スイス、デンマーク、グアテマラ、韓国、台湾、中国本土、香港、シンガポールの研究機関にいる日本人在籍者に対しても行われている。各国で大学教員の待遇は異なるのだが、1)日本の大学よりも競争的研究費の申請機会が潤沢(もっと言えば研究費を取ることのできる人物しか採用されない)、2)学務や教育負担は国によりけりで、一般的にレベルの低い大学ほど研究時間以外の活動に時間を割く必要がでてくる、3)給与は日本より高いが、物価を調整するならばすごい良いというわけではない、とのこと。仕事は英語ができれば十分な場合もあるが、学部や学科での会議は現地語で行われることもある。応募者側は、業績を挙げることはもちろんだが、まずは海外の人脈をつくること(採用における推薦書の比重は高い)が重要で、積極的に留学や海外滞在、海外の研究者での共同研究をしておくべきとアドバイスされる。

  個人的にはもう異動する歳ではないので、海外研究者事情として読んだ。海外の大学の優れた研究環境については正直うらやましいところである。だが、制度の改変なども時折あるようで、「テニュア」を採れたとしても終身雇用が信用できるものではないようだという印象を持った。こうした点については、日本の大学の鈍感さは雇われている我々に良いことなのかもしれないと思ったところ。あと、イギリスの大学生は日本や米国の学生と比べて甘ったれ、というのは意外な指摘だった。日本の大学への採用機会の少なさを嘆いている大学院生におすすめしたい。
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