安藤寿康『なぜヒトは学ぶのか:教育を生物学的に考える』講談社現代新書, 講談社, 2018.
行動遺伝学者による教育論。三部構成で、第一部では進化生物学的立場から教育を定義することを試みている。第二部では能力の個人差に与える遺伝と環境の環境を整理し、第三部では学習・教育に関連する脳の部位および記憶の仕組みについてまとめている。
動物にも学習行動はある。しかし、教育と定義できる現象はまれだという。生物学における「教育」の定義は、経験の少ない個体Bの眼前で経験豊富な個体Aが特別な行動をし、かつその行動がAに何のメリットをもたらさず、かつそれによってBはより効率的に知識や技能を獲得できる、という現象を差す(正確には「積極的教示行動」の定義である)。読んでいて「そんなの動物で普通にあるんじゃないの。肉食動物が狩りの仕方を教えるというのはテレビ番組で見たことがある」と思ったが、それは間違いで、大抵のばあい若い個体は見よう見まねの学習をしているだけで、年配の個体は教える意図などもっていないことが多いのだという。一方で、未開社会にも人間の教育行動は観察できる(著者は人類学者のように観察しに訪れている)。いったい教育は何のために行われているのか、ということになるが、それは人間社会の分業体制に入っていかせるためであり、教育学者の考えるような個人の自由とかのためではない、と議論が展開してゆく。
以上が第一部の話である。第三部はまだわかっていないことが多く示され「研究はこれから」という印象である。第二部は新しいネタもあるが、基本『遺伝マインド』の延長にあり、著者の他の書籍でも繰り返されている話である。というわけで第一部の話が面白い。でも、世間的には(そして初めて著者を知る人には)第二部がセンセーショナルに感じられるところかな。
行動遺伝学者による教育論。三部構成で、第一部では進化生物学的立場から教育を定義することを試みている。第二部では能力の個人差に与える遺伝と環境の環境を整理し、第三部では学習・教育に関連する脳の部位および記憶の仕組みについてまとめている。
動物にも学習行動はある。しかし、教育と定義できる現象はまれだという。生物学における「教育」の定義は、経験の少ない個体Bの眼前で経験豊富な個体Aが特別な行動をし、かつその行動がAに何のメリットをもたらさず、かつそれによってBはより効率的に知識や技能を獲得できる、という現象を差す(正確には「積極的教示行動」の定義である)。読んでいて「そんなの動物で普通にあるんじゃないの。肉食動物が狩りの仕方を教えるというのはテレビ番組で見たことがある」と思ったが、それは間違いで、大抵のばあい若い個体は見よう見まねの学習をしているだけで、年配の個体は教える意図などもっていないことが多いのだという。一方で、未開社会にも人間の教育行動は観察できる(著者は人類学者のように観察しに訪れている)。いったい教育は何のために行われているのか、ということになるが、それは人間社会の分業体制に入っていかせるためであり、教育学者の考えるような個人の自由とかのためではない、と議論が展開してゆく。
以上が第一部の話である。第三部はまだわかっていないことが多く示され「研究はこれから」という印象である。第二部は新しいネタもあるが、基本『遺伝マインド』の延長にあり、著者の他の書籍でも繰り返されている話である。というわけで第一部の話が面白い。でも、世間的には(そして初めて著者を知る人には)第二部がセンセーショナルに感じられるところかな。