なぜ神爪?
「神爪」を歩いている。
それにしても「神爪」と書いて「かづめ」と呼んでいるのは、何ともふしぎな呼称である。
昔から、多くのひとが、その解釈に頭を悩ましている。
いろいろな説をあげておきたい。
「石の宝殿」の伝説では、大国主命(おおくにぬし)、小彦名命(すくなひこな)が、ここに諸神を集めたために「神詰め」で、それが転じて神爪になった。
日向明神(日岡神社の神)の神馬の爪あとが残っているため。
『風土記』にある「含芸の里(かむきのさと)の端」を「かんつま」と読み、それが訛ったもの。
「風土記」の時代、古代開拓者が勝部集団であり、その勝部が「かづめ」になまったもの。
このようにいろいろな説があるが、はっきりしない。
神爪村
話を蟠桃の生活していた江戸時代に戻したい。
蟠桃の家の前を大きな農業用水が流れている。この水は加古川につながっている。
枯れることはない、ゆたかな水があった。
もちろん、農業用水であるから、神爪村の田畑を潤したが、村のおかみさんたちは、この水で洗濯もし、野菜など洗う等生活用水としても利用した。
水は透き通って、魚もたくさんいた。
子供の頃、蟠桃はここで水遊びもしたし、魚取りもした。神爪は楽しい思い出がいっぱい詰ったところであった。
村の中ほどに覚正寺(かくじょうじ)という浄土真宗の寺がある。
文政二年(1819)、72才のとき、蟠桃は主家(升屋)への忠勤により、江戸表から表彰された。
その時、記念に三重一揃えの朱塗り木杯をつくり、神爪村の親戚や友人に配っている。この木杯が、覚正寺に遺品として伝わっている。
『蟠桃の夢』(木村剛久著)<o:p></o:p>
蟠桃、そして彼の生誕地・神爪についてもっと触れたいが、話を次に進める。
ただ、蟠桃は、日本史の一ページを飾る人物であり、彼についてもっと知りたいが、やさしく紹介した著書がなかった。
しかし、今年の3月、高砂出身の木村剛久(きむらごうきゅう)氏が『蟠桃の夢(天下は天下の天下なり)』(トランスビュー)を出版された。
さすがに地元出身の方が書かれた蟠桃論である。
お読みください。きっと蟠桃ファンになられること請け合いです。
*挿絵:『蟠桃の夢』(木村剛久著)表紙
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