戦後、一部は浜ノ宮中学校校舎として利用
<陸軍航空通信学校・尾上教育隊の配置図>
戦史研究家・上谷昭夫氏のパンフに「陸軍航空通信学校・尾上教育隊の配置図」があるので掲載させていただいた。
終戦後の一時期、加古川飛行場を管理した連合国占領軍が、兵舎として利用したこともあった。また、兵舎の一部は浜ノ宮中学校としても利用された。
現在、この教育隊のあとに次のような説明がある。読んでおきたい。
<教育隊跡地の説明>
「当公園内には、戦前、旧陸軍(大阪陸軍航空通信学校尾上教育隊)の兵舎が建設され、約1,500人の隊員が駐留していました。
戦後まもなく建物は取り壊されましたが、最近まで数多くの基礎石が存在していました。
ここにあの不幸な歴史を二度と繰り返さないことを誓い、基礎石の一部を保存し、後世に伝えることにしました」
加古川第一陸軍病院
なお、上記の図の左端(西端)病院がある。説明をしておきたい。
この病院は、昭和12年(1937)に加古川飛行場に付属する「加古川陸軍病院」として開設された。
診療は、内科・外科・眼科があり、歯科は姫路陸軍病院へ行かねばならなかった。
昭和16年に、神野兵舎付属の陸軍病院(現在の「(私立)甲南加古川病院」)が開設されたので、名称を「加古川第一陸軍病院」と改めた。
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