常楽寺(上荘町井ノ口)は、日光山の霊園の近くにある古刹である。
常楽寺の参道の入り口近くに、たくさんの石造物(写真)がある。
この付近で見つかった石造物がここに集められているようだ。
写真の笠塔婆(前列向かって左から二番の石仏を彫った石造物)を見て欲しい。
この石造物は町石笠塔婆(ちょうせきかさとうば)と呼ばれている。
*町石(丁石)・・・路傍に立てて目標物までの道程を何丁と記した石
笠塔婆・・・塔身と笠の二部よりなる、後に笠の上に宝珠を飾るものが普遍化する。
この笠塔婆のそばに次のような説明がある。
中央部の阿弥陀坐像を刻んだ笠塔婆は、日光寺(常楽寺)より一丁の距離であることが刻まれている。
この笠塔婆は、元ここから一丁(約109㍍強)のところにあったらしい。
阿弥陀さんの下に銘文がある。
自日光寺一丁
永徳二八廾南阿
「永徳二八廾南阿は、永徳2年8月20日、南無阿弥陀仏」のことで、珍しい刻み方である。
永徳2年は、1382年で南北朝時代の石造物である。
日光寺とあるのは、常楽寺は、もと日光寺と呼ばれていたのだろう。
それにしても、中世にさかのぼる古い石造物が上荘町・平荘町には、表現は悪いがゴロゴロしている。
*『加古川市史(第七巻)』参照