ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

上荘町・平荘町探訪:野の仏たち⑪・笠塔婆の阿弥陀さん

2009-03-28 09:22:39 |  ・加古川市上荘・平荘町

Taira_142_2 常楽寺(上荘町井ノ口)は、日光山の霊園の近くにある古刹である。

 常楽寺の参道の入り口近くに、たくさんの石造物(写真)がある。

 この付近で見つかった石造物がここに集められているようだ。

 写真の笠塔婆(前列向かって左から二番の石仏を彫った石造物)を見て欲しい。

 この石造物は町石笠塔婆(ちょうせきかさとうば)と呼ばれている。

 *町石(丁石)・・・路傍に立てて目標物までの道程を何丁と記した石

  笠塔婆・・・塔身と笠の二部よりなる、後に笠の上に宝珠を飾るものが普遍化する。

 この笠塔婆のそばに次のような説明がある。

 中央部の阿弥陀坐像を刻んだ笠塔婆は、日光寺(常楽寺)より一丁の距離であることが刻まれている。

 この笠塔婆は、元ここから一丁(約109㍍強)のところにあったらしい。

 阿弥陀さんの下に銘文がある。

    自日光寺一丁

    永徳二八廾南阿

 「永徳二八廾南阿は、永徳2年8月20日、南無阿弥陀仏」のことで、珍しい刻み方である。

 永徳2年は、1382年で南北朝時代の石造物である。

 日光寺とあるのは、常楽寺は、もと日光寺と呼ばれていたのだろう。

 それにしても、中世にさかのぼる古い石造物が上荘町・平荘町には、表現は悪いがゴロゴロしている。

*『加古川市史(第七巻)』参照

コメント
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