2006年8月13日のブログで、一度報恩寺(平荘町山角)を紹介している。
報恩寺は、鄙の寺ではなさそうである。
地方史をこえ、壮大な歴史を持っている寺のようだ。
しばらく、報恩寺について『加古川市史』を読みながら調べてみたい。
もちろん、バラバラな羅列になってしまうことを、お許し願いたい。
後で、整理して報恩寺の全体像をつかみたい。
タイトルだけは、立派に「報恩寺研究」として話を進める。
◇報恩寺研究(1):報恩寺の五輪塔(四基・県指定文化財)◇
一度、報恩寺の五輪塔(写真上)を訪ねていただきたい。
これほど立派な四基の五輪塔が並ぶと壮観である。
そのうち、手前から二番目の五輪塔が最も大きく、端正さがあり、造立者の意欲が感じられる。
花崗岩製で、1.9メートルの五輪塔で、銘は正和五年(1316)で宇都宮長老の墓とある。
正和五年の五輪塔は、市内では最古であるばかりでなく、播磨一円でもそれ以前のものは見当たっていない。
もっとも、この「正和五年」は被葬者の没年月日か、この五輪塔の造立月日かはっきりしないが、ともかく古い五輪塔である。
この五輪塔から陶製の蔵骨器と金銅製の骨蔵器(写真下)が出土している。中には火葬の骨が納められていた。
宇都宮長老の骨らしい。宇都宮長老とはどんな人物だろうか。
明日のブログで紹介したい。
*『加古川市の文化財』(加古川市教育委員会)参照