国岡新村の誕生
国岡新村(現:国岡)について見ておきます。
国岡新村は、加古新村と、ほとんど同じ時期に開発された新田(村)です。
国岡土地改良区には、寛保二年(1742)、寛延三年三月(1750)、そして寛延三年七月、それに宝暦拾四年(1764)四月の明細帳(控)の四種の国岡新村の明細帳が保存されています。
その内、完全な形で残る寛延三年の明細帳を読んでみます。
『明細帳』の表紙は、下記のようです。
寛延庚午歳 中村組
明細帳
三月 国岡新村
寛延庚牛歳とは、1750年のことです。
国岡新村誕生・寛文二年(1662)
明細帳の最初の部分を読んでおきます。
加古郡五ヶ所蛸草庄国岡新村
一 村之初り寛文二□歳 開発人 彦太夫
安右衛門
この明細帳は、国岡新村ができてから88年後に書かれています。
国岡新村のはじまりについて、『稲美町史』(p351~2)は「・・・国岡は寛文二年、国安村の彦太郎と岡村の安右衛門が開発した。国岡という名称は両者村の頭字をとって名づけられたという。・・・」と、国岡新村を紹介しています。
村のはじまりが忘れ去れるほどの長い年月ではありません。
国岡新村は、国安村の庄屋・彦太郎と岡村の庄屋・安右衛門が中心になり開発した村としてよいでしょう。
そのため、国岡地区の祖先は、国安(村)・岡(村)出身の方が多かったと思われます。
国岡は、北山の東で、現役場から西側の高台に広がる地域です。この地域に、水はありません。どうしたのでしょうか。
次回の「入ヶ池物語」から入ヶ池・北山が登場します。