熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場八月歌舞伎・・・卅三間堂棟由来

2016年07月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の8月の歌舞伎鑑賞教室は、『卅三間堂棟由来』。
   この演目は、2003年に、歌舞伎鑑賞教室で、同じく、魁春のお柳で上演されて好評を得たようだが、上演回数は、文楽の方が圧倒的に多くて、私など、簑助の素晴らしいお柳の姿が、脳裏に焼き付いている程である。
   蘆屋道満大内鑑の「葛の葉狐」などもそうだが、異類婚姻譚の物語の両生を生身の役者が、リアルと言うか、息を吹き込んだ芸を演じることの難しさであろうか。

   今回の魁春のお柳は、流石の熱演で、初々しさの残る嬉しそうな恋の時めきの表情を表現しながら、一転して、切り倒されて命がなくなり、愛する夫と愛しい緑丸との別れに胸を潰して慟哭の涙にくれるクドキ、そして、あの悲しくも切ない肺腑を抉るような表情は、どんな台詞よりも、断末魔の苦痛を訴えていて胸を打つ。
   黒御簾から響く槌の音に、全身を地面にぶっつけてのたうつ姿の激しさ優しさ、そして、義母や夫や緑丸の嘆き悲しみに応えて、亡霊のように現れて愛を確認して髑髏を置いて消えて行く絵の様なシーンも印象的である。
   ラストは、緑丸の引く柳の大木の後方に、お柳が宙吊りで浮かび上がる。
   
   この1時間半ほどの舞台は、紀州熊野の鷹狩、横曽平太郎住家、木遣音頭の三段で構成されている次のようなストーリーである。
   鷹狩の鷹が柳の木に絡んだために、切り倒されようとしたが、横曽根平太郎(彌十郎)の弓に助けられたので、柳の精のお柳(魁春)が平太郎に恋をして契り、一子緑丸をもうけ幸せに暮らしす。ところが、白河法皇の頭痛の病気の原因が、前世の髑髏が、その柳の梢に残っているので、その柳を切って三十三間堂の棟木にすれば良いと言うお告げが出て、切り倒されることとなる。お柳は、柳を切る斧の音とともに苦しみだし、柳の精であったことを明かして夫と子に別れを告げて去る。切り倒された柳の大木は運ばれる途中、お柳の思いが残って動かなくなるが、平太郎の木遣音頭とともに、緑丸の引く綱に引かれてゆく。

   この話は、白河法王となっているが、清盛との関係で変えられたのであろうが、三十三間堂は、後白河法皇の御所に造営されたのが始まりだと言うから史実とは違う。
   柳は、雌雄異体なのだが、お柳が、夫平太郎を椥の木として、連理を語っているのが興味深いと思った。

   さて、今回、魁春のお柳の相手役平太郎を演じたのは、彌十郎。
   左團次のような重厚でどこか厳つい性格俳優とも言うべき重鎮が、どちらかと言うと若手の二枚目役者が演じそうな役を演じていて、一寸、驚いたのだが、それなりに面白いキャスティングで、楽しませてもらった。
   松江の一寸悪役面の太宰師季仲も、逆な面白さが出ていた。
   進ノ蔵人の颯爽とした侍姿の秀調、平太郎母滝乃の歌女之丞は、はまり役。
   伊佐坂運内の道化仕立ての橘太郎は、鳥つくしの面白いせりふ回しで観客を喜ばせていた。
   
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