熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

人類文明論を考える(2)~ベーリング海峡を越えて南北アメリカを縦断したインディオ

2010年03月21日 | 学問・文化・芸術
   応地利明京大名誉教授の「人類にとって海は何であったか」と言う章は、ホム・サピエンスを、ホモ・モビリタス(移動する人)と言う視点から捉えて、特に、海を介しての人類の「移動と定住」を舞台に人類文明の興亡を論じていて、非常に面白い。
   人類の歴史には無数の移動と定住があるが、人類史的な意味を持つ地球規模でのものは、現生人類の「出アフリカ」、モンゴロイドの拡散、ヨーロッパ人の拡散、だと言う。
   東アフリカを南北に縦断する大地溝帯の故地を後にしてアフリカを脱出して、死海のあるヨルダン川地溝帯に到達し、そこからユーラシア内部に拡散して行く。
   東洋に拡散したのが東ユーラシア(モンゴロイド)、西洋と中洋に拡散したのが西ユーラシア(コーカソイド)である。

   わが日本人が属するモンゴロイドは、約6万年前に東南アジア大陸部に到達し、更に海と陸とに分かれて進出し、東南アジア大陸部から北上ルートを取った一派は、ベーリング海峡を越えて、南アメリカ最南端のフェゴ島まだ達した。
   ユーラシアの南縁ぞいに東西移動した他民族と比べて、寒暖の変化の激しい極めて困難な適応を要する南北移動を、最終氷期の最盛期に北上を開始し、困難な自然条件のなかで、後退と寒冷適応を繰り返しつつ、氷河時代最終期の1万数千年前に、北極海沿岸部に到達したと言うのだから、驚異と言うほかはない。
   日本では、縄文時代が始まった頃のようだが、極寒の自然環境に適応したモンゴロイドの南北アメリカの縦断は一気呵成で、ベーリング海峡から南米の最南端フェゴ島までの1万4千キロを1000年で踏破したと言うのである。

   私が、何故、この英語圏ではインディアン、ラテン語圏ではインディオと称される南北アメリカの原住民に興味を持つのかと言うことだが、実際に、アメリカ留学の2年間、サンパウロ駐在4年間、そして、何度かの海外出張などで、これらの人々の文化や生活などに直接触れる機会があり、特に、中学時代から興味のあったマヤ、アズテック、インカなどの遺跡や文化財を実地検分して学びながら、人類の文化文明とは、一体何なのかを考え続けて来たからである。
   マヤの壮大な宮殿や都市が、絶頂期のまま放置されて廃墟となりジャングルに覆いつくされて消えたのは、鋤鍬を持っていなかった為だと言う文化文明の余りにも極端な落差や、マヤ・アズテックのピラミッドが、隣の大陸であるエジプト文明の影響だとか、兎に角、子供の頃にインディオ文化の不思議さに引き込まれていたのである。
   
   私が、最初に、インディアン、ないし、インディオの文化や生活に接したのは、もう30年以上も前のアメリカ留学時代で、メキシコ旅行でのアズテック遺跡訪問やインディオの生活を実見したのが皮切りである。そして、翌年の夏期休暇に、セントルイスから車でロッキー越えして、メサヴェルデ国立公園でインディアン遺跡を見たり、モニュメントバレーなどインディアンの居留地を横断してグランドキャニオンまで走ったのだが、その間の、殺伐とした文明社会とは隔絶されたような不毛で虐げられたインディアン特別居留地での実生活を垣間見て暗澹とした思いになったこと覚えている。
   確か、子供の頃には、アメリカ映画と言えば、西部劇だったが、学生時代以降、気が付いたら、映画館から殆ど西部劇は消えていたのだが、アメリカ文化の崇高なる魂のように言われているフロンティア・スピリットも、所詮、インディアンを蹴散らして未開地を開発しながら西部へ突っ走っていた貧しい頃の産物。ヴェトナムでも、イラクでも、アフガニスタンでも、いまだに、同じ悪夢から覚められないアメリカの呪縛は厳しい。

   ところで、中南米のインディオだが、マヤ、アズテック、インカのような非常に文化分明度の高い文化を生み出したインディオもあれば、ブラジルのアマゾンのジャングル地帯には、いまだに、原始時代そのままの生活を送っている人々もいる。
   アマゾンには出かけたが、インディオには会う機会はなかったが、パラグアイのアスンションの川の中州にインディオ居住地があって、そこを訪れて、そのさわりを見たことがある。尤も、観光スポットなので、勧告客が訪れると、待機していたインディオが裸になって生活を見せると言う寸法だが、街のショップの店員嬢が、子供を抱えてヌード姿で現れた時には、目のやり場に困った。

   中南米に渡って来たスペインとポルトガルのラテン系移民は、アメリカのアングロサクソン移民と違って、セックスに対する考え方が大らかであったので、混血が進んで、純粋な原住民インディオは、殆どいないし、私の居たブラジルなど、これに、黒人や雑多な異民族の血が複雑に混交していて、ブラジル人とはどんな人なのかと言われても、説明が出来ないのではないかと思う。
   尤も、ラテンアメリカと言っても国によって違っており、アルゼンチンなど、純粋な白人の比率が高いように思うし、ボリビアなどは、純粋なインディオだけの集落が結構多くある。

   話が、横道に反れてしまったが、私が興味を持っているのは、同じ、素晴らしいDNAを持って、他の人種には到底真似の出来ないような過酷な大自然の挑戦を克服して、アリューシャン海峡を渡って南北アメリカ大陸の背骨を縦断したインディオの一部が、何故、アマゾンのジャングルなどで、原始そのままの生活状態に留まっているのかと言うその不思議である。
   世界文化文明を制覇したと豪語するヨーロッパ人たちが、冷たい海・大西洋を渡りきれずに、やっと、大航海時代に突入したのは、15世紀になってからだと言うことから考えても尚更である。  
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