熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画:「ヒトラー~最後の12日間」

2016年08月11日 | 映画
   少し前に、ヒトラー暗殺計画遂行の映画「ワルキューレ」をテレビで見て、興味を感じて、映画「ヒトラー~最後の12日間」を見ようと思ってDVDを買った。
   見る機会がなくてそのままにしていたのだが、先週、NHK BS2で放映されたので、丁度、地政学や國際関係論を勉強し始めている時でもあり、ビデオに撮って鑑賞した。
   私自身は、微かに、親に抱かれて防空壕に駆け込んだり、空襲で、大阪や神戸の夜空が赤く染まっていたのを覚えており、ヒトラーは知らないが、チャーチルやスターリンや毛沢東と言った歴史上の人物は、同じ地球上の空気を吸っていた同時代人であり、第二次世界大戦以降の歴史は、わが世代の歴史でもあった。

   この映画は、1942年11月、ナチ党結成の地ミュンヘン出身と言うこともあって、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーに採用された秘書トラウドゥル・ユンゲが、戦後に書いたメモや口述を基にして著された「私はヒトラーの秘書だった」と、ソ連軍とのベルリン攻防戦やナチス幹部の断末魔の足掻きなどヒトラーの最後を描いたヨアヒム・フェストの「ヒトラー~最後の12日間」を基にして制作された映画である。
   非常にセンシティブな歴史に切り込んだテーマでもあり、賛否両論話題を呼んだ映画のようであるが、監督のオリヴァー・ヒルシュビーゲルが述べているように、史実をかなり忠実にフォローしたドキュメンタリー・タッチの映画であるから、貴重な歴史として見てみると、非常に示唆に富んでおり、現代人として、あの広島や長崎の原爆投下と同じように、真正面から見据えなければならない現実だと言う気がする。

   22歳で何も知らずに秘書となり徹底的なヒトラーびいきであった秘書トラウドゥル・ユンゲが、戦後に、真実を知ってヒトラーの悪行に気付いて、その悔恨を語るところから映画が始まるのだが、
   冒頭のシーンは、 東プロイセンのラステンブルクにある総統大本営ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)を、5人のメッチャンが、深夜に訪れて、アドルフ・ヒトラーの秘書採用試験を受ける場面で、人間ヒトラーの一面を見せていて興味深い。

   この映画の主舞台は、ヒトラーが最後の指揮を取るベルリンの首相官邸の地下要塞で、幻想に惑わされて錯乱状態になって行くヒトラーの荒唐無稽な作戦指示や高官たちの裏切りなどを、戦場での悲惨な戦いや逃げ惑うベルリン市民の惨状を交えて時間の問題となったドイツ陥落の模様を克明に活写し、
   ヒトラーの56歳の誕生日を祝うパーティの模様や自殺前日のヒトラーとエヴァとのささやかな結婚式、自殺したヒトラー夫妻の跡を残さぬようにガソリンを撒いて庭での焼却、それに、ゲッペルス夫妻が6人の幼き子供を毒殺した後、自殺して焼却される様子など、生々しく描かれていて、2時間半の映像の値打ちは、あまりにも重い。

   この映画に対する感想やヒトラーとナチスなどについての感想は、軽々に論ずべきではないと思うので、今回は避けるが、フッと感じたのは、映画「日本のいちばん長い日」と比べると、同じ終戦でも、ドイツと日本は、随分違うなあと言うことである。
   それが、戦後処理や歴史問題に影響を与えているのかも知れないが、絶対に戦争はやってはならないと言うことである。

   私が、ロンドンで仕事をしていた時に、ベルリンの壁が崩壊した。
   それ以前に、ハンガリーには度々行っていたが、東ベルリンに入ったのは、その少し前と、ベルリンの壁崩壊の最中で、一挙に、東への門戸が開放されて、東西が交流を始めた。
   私は、ブランデンブルグ門を越えて、ベルリンの文化文明の中心とも言うべきフンボルト大学やオペラハウス、ベルリンの博物館島 (ムゼウムスインゼル)を真っ先に訪れて、ドイツの栄光を忍んだのだが、全く陰鬱で悲惨な状態であり、裏町に入ると、プラスチックばりのちゃちな東ドイツ製のトラバント車のタクシーが、穴ぼこだらけの道を走るのには閉口した。

   余談ながら、東ベルリンに、本来の国立ベルリン・オペラハウスがあり、ベルリンの壁崩壊前に、ここで、ホフマン物語だったと思うのだが、そして、もう一つ有名なコミッシェ・オペールで、魔弾の射手を鑑賞する機会を得たのだが、オペラの出来栄えとは関係なく、劇場の雰囲気は実に暗くて、その後、西ベルリンで見たベルリン・ドイツ・オペラとは好対照であった。

   壁崩壊直後に、市場調査で、ライプチッヒやドレスデンにも行ったのだが、東ドイツの貧しくて目を覆うような悲惨な景観や市民の生活状態を見て、如何に、国土を荒廃させて、国民を疲弊させ窮地に追い込んでしまったのか、ナチスの爪痕が、それも、共産体制下で、半世紀近くも経っているにも拘らず残っていて、言葉も出なかったのを覚えている。
   ヒトラーが、戦時に、滑走路として使用するために、中央分離帯なしのアウトバーンを作ったと聞いていたが、実際に、東独に残っていた飛行場の滑走路のように広い一直線の道路を見ると、驚異であった。
   この映画でも、ヒトラーは、古代ローマの壮大な都市模型を前にして、夢を語っていたが、フリードリヒ2世の肖像画をじっと見上げているシーンなどを見ても、誇大妄想と言って良いのか、理想を描きたいと言う画学生の絵心が残っていたのであろうか。

   アドルフ・ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツが語っていたが、言うならば、普通の人間に過ぎない筈のヒトラーに、何故、誰も反発しなかったのか。

   ヒトラーやゲッペルスは、悲惨な状態に喘いでいる国民の生命財産を救うべく、何度も側近に、終戦交渉を促されるのだが、「国民が選んだ運命だ ! 」「自業自得」だ言って、ドイツ国民の犠牲を正当化し拒否し続けた。
   考えてみれば、ウィーン美術アカデミーを受けて失敗した画家志望の放浪青年であったヒトラーをドイツ国民が自分たちの代表として選んで囃し立てて、彼らが言うように、形の上では、民主主義国家であったから、ヒトラー政権は、国民の信任を得て民主的に誕生したと言うこのなのであろう。
   問題は、その後の振り子の振り方であって、現在でも、世界中には、何かの拍子に台頭して、国民の生活や安寧を無視して、権力を行使し続けている独裁者や独裁政権が存在している。

   蛇足だと思うのだが、選挙は魔物。
   賢い筈の東京都民や大阪府民が、ノック青島現象を起こしたし、アメリカの大統領選挙でも、予想外の展開を繰り広げている。
   ヒトラーの台頭は、両大戦間の大混乱とと経済恐慌と言う歴史上激動の異常な時代に起こったこと。

   さて、話が全く違うのだが、キッシンジャーが、「国際秩序」のなかで、
   ロシアでは、ピヨートル大帝など、過去と決別したいと言う国民の願望を、非情な独裁君主が動かして、国民が達成できなかった偉業を成し遂げたので、やり方がいくら非情であっても、国民を突き動かした臣民や子孫に功績を称えられた。最近の世論調査で、スターリンも同時代の見方で、ある程度そういうふうに認識されていたことが分かった。と述べている。
   エカチェリーナ大帝も、中興の祖だが、ロシアの極端な独裁制は、これほど広大な領土を維持できる唯一の統治システムだと正当化した。西欧には気まぐれな専制主義と見られるものが、ロシアでは本質的に必要不可欠とされ、きちんと機能する統治の前提条件になっている。と言うのである。
   国家の統治システムとして、歴史上も色々な政体が展開されてきたが、良し悪しは別として、参考のために記しておきたい。

   この考え方を、今のロシアに当てはめて考えればどうなるか、興味深いと思うのだが、あのロシアの過酷な農奴制度などの悲惨さを考えれば、庶民の人権と生活を無視して圧殺するような統治システムなどは、絶対に正当化できないと思っている。
     
   
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