エコノミストの電子版を開いていたら、口絵の写真が掲載されていて、OECDが、先進諸国での大学生の急増に対処するために各国政府が有効な対策を打つべく迫られていると言うレポートを出したことを知った。
まず最初にこのグラフを見てショックを受けたのは、高卒の大学進学率についてで、日本は45%程度で、OECD平均の57%よりはるかに低いことであった。
オーストラリア、フィンランド、アイスランド、ポーランド、スウェーデンなどは、高卒の4人に3人は大学に進学しており、日本の水準は、アメリカには勿論、60%近い韓国の足元にも及ばない。
日本より低い国で、一寸意外だったのは、IT立国のアイルランドで、スペインとドイツでは、2000年以降教育支出が落ち込んでいると言う。
このブログで、欧米の大学やプロフェッショナル・スクール(大学院)等を含めて多くの教育問題について論じて来た。
世界中が知識情報化社会に突入して以来、ITC革命とグローバリゼーションによるフラット化によって引き起こされた知の爆発と集積により、高等教育の重要性が益々増してきた今日、教育が最も重要な国家安全保障のひとつであることを強調せざるを得ない。
先日も、ワーキングプアの問題を論じた時にも、教育訓練の不足とゆとり教育などによる教育の劣化について、そして、
日本人の海外留学生激減による国際水準の学問・技術等へのアクセス減少と将来の国際的リーダーとのコネクションの消失、
日本のリベラル・アーツ軽視の大学教育が世界的に通用しない国際戦士を育て続けてきたことの悲劇等々色々な日本の教育問題の深刻さについて論じてきたが、この大学進学率の低さは更にそのシアリアスさを倍加する。
日本のノーベル賞学者など偉大な学者や研究者の大半が、欧米での教育や研究経験のあること、日本の今のトップ経営者の多くが、欧米でのビジネス経験や教育を受けて触発されて来ていることを考えれば、異文化との遭遇は勿論のこと、知の集積と爆発への接触によるスパークが如何に重要かと言うことが分る。
このOECD報告でも触れているように、自国外の大学に入学する学生数は290万人を越えており、オーストラリアやニュージーランドなどでは25%以上が外国人だと言うことだが、世界中が俊英・秀才を求めて知の争奪戦を繰り広げているのである。
ところで、教育の重要性については、とにかく、ひとつでも二つでもものを覚えて知を集積することが重要だとは思っているが、知識教育だけが重要だとは思っていない。
私自身は、このブログの標題にも使っているように、文化と言うか、人の感性や命の叫びによって生み出された芸術や匠の技などには限りない憧憬を抱いている。
それが、形のある絵画や彫刻、焼物や人形・玩具、一寸した素朴な地方玩具、或いは、生まれては瞬間に消えて行く音楽や演劇などのパーフォーマンス・アート、
ガーデニング、素晴らしい新種の野菜や果物の創出等々数え切れないほどの人間の想像を絶するような素晴らしい創造物があり、それを生み出す素晴らしい人間の限りなき創造力と匠の技に畏敬の念を禁じ得ない。
私自身が問題にしたいのは、日本の教育が、このような偉大な日本人の潜在的能力を最大限に発揮し活用して、創造力と崇高な人間力をスパークさせる力と機能を著しく欠いているではないかと言う懸念である。
まず最初にこのグラフを見てショックを受けたのは、高卒の大学進学率についてで、日本は45%程度で、OECD平均の57%よりはるかに低いことであった。
オーストラリア、フィンランド、アイスランド、ポーランド、スウェーデンなどは、高卒の4人に3人は大学に進学しており、日本の水準は、アメリカには勿論、60%近い韓国の足元にも及ばない。
日本より低い国で、一寸意外だったのは、IT立国のアイルランドで、スペインとドイツでは、2000年以降教育支出が落ち込んでいると言う。
このブログで、欧米の大学やプロフェッショナル・スクール(大学院)等を含めて多くの教育問題について論じて来た。
世界中が知識情報化社会に突入して以来、ITC革命とグローバリゼーションによるフラット化によって引き起こされた知の爆発と集積により、高等教育の重要性が益々増してきた今日、教育が最も重要な国家安全保障のひとつであることを強調せざるを得ない。
先日も、ワーキングプアの問題を論じた時にも、教育訓練の不足とゆとり教育などによる教育の劣化について、そして、
日本人の海外留学生激減による国際水準の学問・技術等へのアクセス減少と将来の国際的リーダーとのコネクションの消失、
日本のリベラル・アーツ軽視の大学教育が世界的に通用しない国際戦士を育て続けてきたことの悲劇等々色々な日本の教育問題の深刻さについて論じてきたが、この大学進学率の低さは更にそのシアリアスさを倍加する。
日本のノーベル賞学者など偉大な学者や研究者の大半が、欧米での教育や研究経験のあること、日本の今のトップ経営者の多くが、欧米でのビジネス経験や教育を受けて触発されて来ていることを考えれば、異文化との遭遇は勿論のこと、知の集積と爆発への接触によるスパークが如何に重要かと言うことが分る。
このOECD報告でも触れているように、自国外の大学に入学する学生数は290万人を越えており、オーストラリアやニュージーランドなどでは25%以上が外国人だと言うことだが、世界中が俊英・秀才を求めて知の争奪戦を繰り広げているのである。
ところで、教育の重要性については、とにかく、ひとつでも二つでもものを覚えて知を集積することが重要だとは思っているが、知識教育だけが重要だとは思っていない。
私自身は、このブログの標題にも使っているように、文化と言うか、人の感性や命の叫びによって生み出された芸術や匠の技などには限りない憧憬を抱いている。
それが、形のある絵画や彫刻、焼物や人形・玩具、一寸した素朴な地方玩具、或いは、生まれては瞬間に消えて行く音楽や演劇などのパーフォーマンス・アート、
ガーデニング、素晴らしい新種の野菜や果物の創出等々数え切れないほどの人間の想像を絶するような素晴らしい創造物があり、それを生み出す素晴らしい人間の限りなき創造力と匠の技に畏敬の念を禁じ得ない。
私自身が問題にしたいのは、日本の教育が、このような偉大な日本人の潜在的能力を最大限に発揮し活用して、創造力と崇高な人間力をスパークさせる力と機能を著しく欠いているではないかと言う懸念である。
4人に1人クラスのアホまで大学へ行くことになる。
これ以上大卒の価値を下げないでいただきたい。
「良い大学を卒業した」ことに価値があれば十分では?
進学率を嘆くより、教員の質をレベルアップすべきでは。