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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・狂言「狐塚」能金春流「大江山」

2017年09月06日 | 能・狂言
   朝、鎌倉を出て、13時からの国立能楽堂の定例公演に出かけた。
   プログラムは、次の通り。
   狂言 狐塚(きつねづか)  三宅 右矩(和泉流)
   能  大江山(おおえやま)  本田 光洋(金春流)

   いずれの演目も、これまでに、別の公演で鑑賞しているのだが、公演時間が短くて、3時に終演するので、歌舞伎座4時半開演の夜の部に十分に間に合うので、両方ブッキングしたのである。

   狂言「狐塚」は、秋もたけなわ、狐塚にある田に稲がたわわに実ったので、鳥に荒らされないように、主が、太郎冠者に鳴子を持たせて田の見張り番を命じる。太郎冠者は、鳴子を用いて群鳥を追い払っているのだが、夕暮れ時に広い田んぼで、一人で居るのは寂しくて、そこは狐塚なので、狐が出ないかとビクビク。そこへ、心配した次郎冠者、続いて、頼んだ主がやってきたので、てっきり狐が化けて出て来たと思って、恐怖にかられた太郎冠者が二人を縛り上げてしまう。二人は、青葉を燃やして燻しあげられて苦しむが、太郎冠者が、皮を剥ごうと鎌を取りに行っている留守に縄を解いて、戻ってきた太郎冠者を捕らえて打ち倒す。

   私の子供の頃、宝塚の田舎の田んぼには、このような懐かしい日本の故郷の原風景が残っていた。
   狐が何故、霊性を持っていて人を化かすという俗信が生まれたのか、伏見の稲荷は神様だし、日本では、狐は独特の動物であり面白い。
   この狂言「狐塚」は、結構、随所で観客の笑いを誘っていたが、私には、しみじみと、日本人のこころのふるさとのような懐かしい思いを呼び起こしてくれた。

   シテ/太郎冠者 三宅右矩、アド/主 三宅右近、小アド/次郎冠者 三宅近成 
   狂言師たちの世界も、随分、豊かになったと言うか、層が厚くなった感じがする。

   能「大江山」は、金春流の名能楽師本田光洋師の素晴らしい舞台。
   大江山の酒呑童子の物語であるから子供頃からお馴染みの話である。

   大江山の鬼退治の勅命を受けた源頼光の一行が、山伏に扮して大江山に赴き、酒呑童子の隠れ家に一夜の宿を求める。酒呑童子と呼ばれるのは酒が好きなためと上機嫌で一行に酒を勧め、重代の住家であった比叡山を追われて、国々を転々とし、この地に隠れ住むようになった、この隠れ家を他言してくれるなと言って、酒に酔って寝床へ行く。頼光がその閨をうかがうと、酒呑童子は恐ろしい鬼神の姿をしてを寝ているので、頼光は独武者とともに鬼神に斬りかかって倒し首を打ち落として都へ帰る。

   「夢幻能」でもなければ、亡霊なり死者の魂が成仏するストーリーではなし、足柄山の金太郎のように、鬼を成敗して目出度し目出度しと言った話の展開で終わっているので、何となく、日頃の能と違った感じで面白い。
   面は、前シテ酒呑童子は、酒呑童子そのもの、後シテ鬼は顰。
   顰は、獅噛、歯噛と書かれたこともあるとかで、獅子が上歯、下歯で噛んだ状態をあらわす言葉で、凄い形相であり、敗れたが、鬼の怒り憤りを象徴しているようで興味深い。

   酒呑童子は、比叡山に住み着いていた地主神で、最澄が比叡山延暦寺建立の邪魔になったので追い払われたと言うことのようである。
   当時、もともとそこに住んでいた多くの異界の地主神(地霊)、異界の存在は、中央の権力者や統治者達にとっては邪魔であり、退治されるべきものであり、領土拡大を謀るときも、それと敵対するものはすべて悪であって、追討、成敗すべきであると言う考えであったから、そんな話が、能や物語の恰好のテーマになっている。
   それに、世の乱れや都の混乱など、政治が悪いにも拘らず、これら異界の鬼神の仕業だとして、やり玉に挙げられる。

   後場で実体は鬼神として退治征服されるものであると皆に知らしめる必要があったのは、見物者は体制側の人々であり、そうしなければおさまらなかったからだが、能『大江山』では、酒呑童子を単なる悪者ではなく、気の良い誠実な鬼として描き、むしろ偽りがあるのは寝込みを襲うなど退治する側にあることを見せ、征服する側にささやかな抵抗を示している。中世の時代では、童子を演ずる猿楽役者も酒呑童子と同じ階級に属するで、征服者に調伏される運命にあり、それを自ら演じなければならない悲しさがあった。
   と、このあたりの思いを、粟谷明生師が、「能『大江山』の酒呑童子について」 で書いていて興味深い。
   前場では、童子姿の酒呑童子が、頼光たちを気前よく宿に泊め酒を振舞って酒宴でもてなしたにも拘わらず、後場では、頼光たちの裏切りに、怒り狂った酒呑童子が挑むも、多勢に無勢で、ついに屈する。
   落差が激しいのだが、そのような弱者からの思いが込められた作能であったとすると、日本の古典芸能も捨てたものではない。

   終演後、早々に、会場を出て、北参道、明治神宮前、表参道、銀座と言うルートで、歌舞伎座に向かった。
   色々なルートがあるのだが、今日のように、時間があると良いのだが、半蔵門の国立劇場は兎も角、上野や東銀座などでの観劇梯子は、難しい。
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