熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

宮脇昭著「三本の植樹から森は生まれる」

2010年05月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   本物の森、すなわち、その土地本来の「ふるさとの木によるふるさとの森」を、日本のみならず世界中に蘇らせようと、1700箇所4000万本の木を植えた植物生態学者宮脇昭教授の新著が、この写真満載のポケットビジュアル「三本の植樹から森は生まれる」。
   この奇跡の森林再生の宮脇方式については、これまでにも、このブログで紹介した事があり、私自身は、宮脇教授のこの本物の森造り運動には痛く感激している。
   地球温暖化や環境問題で騒がれているのだが、そんな世俗的な運動や議論とは超然として、地球環境本来のエコシステム、それも、人類の発展の美名のもとに破壊し尽くされてきた地球そのものが最も望んでいる本物の森を再生して回復しようと、日夜、日本中は勿論世界中を走り回っているのだから見上げたものである。

   宮脇先生の森は、いわば、鎮守の森で、地震や風水害で無残に崩れ去り赤土を曝け出す安物の針葉樹の森ではなく、過酷な自然災害にもびくともせず、人のいのちと遺伝子を守ってくれる日本本来の森なのである。
   主木であるシイ、タブ、カシ類の常緑広葉樹の照葉樹林で、その下には、亜高木のヤブツバキ、モチノキ、シロダモ、その下の低木層には、アオキ、ヤツデ、ヒサカキ、林床には、ヤブラン、ベニシダ、ヤブコウジ、テイカズラなどの草本植物が群生する立体的な多層群落であり、あらゆる環境保全や防災機能に優れていて、一切維持管理メインテナンスは
不要だという。
   日本の雑草は、ネザサ以外は殆ど外国からの帰化植物で、日本本来の本物の森には、入ってくることはないと言うのである。

   世界中の原始の森、土地本来の森は、世界中から殆ど消え去ってしまっているのだが、このその土地本来の森を自然の遷移に任せて造るならば、「クレメンツ遷移説」によると、裸地から本来の森になるのに日本の国土でも200~300年掛かると言われている。
   しかし、宮脇方式は、どんぐりや種を蒔いてポット苗に育てて、その潜在自然植生の根群の充満したポット苗を混植・密植すれば、後は自然の管理と自然淘汰に任せれば、15~20年で、高木・亜高木・低木やさまざまな植物で構成する立体的な強い常緑広葉樹林の本物の森が生まれ出でるのである。
   そんな森が、日本のあっちこっちで生まれており、広い敷地がなくても、ほんの1メートルの幅があれば、それなりの本物の森が造れるのだと宮脇先生は言う。

   宮脇先生は、本物の森を再生するために、世界中どんな所をを回っても、徹底的にその土地の植生調査を実施して、殆ど消え去ってしまった本物の森の姿を追跡して描き出して、種を植えてポット苗を育てて宮脇方式で、土地本来の森を再生するのである。

   さて、ここで、この本で宮脇先生が説いている森の話の中で、私にとって示唆的であったいくらかの指摘について記しておきたい。

   長い人類文明の中で、現代はまさに物質文明で人類の絶頂期にあるが、長いいのちの歴史を見れば、生物社会では最高条件はむしろ危険な状態で、恐竜やマンモスなどの絶滅がこれを示している。
   長続きするエコロジカルな最適条件は、すべての条件が満たされる手前の、少し我慢を強いられる状態のことをいのちの歴史は示している。
   心のゆがみ、人間関係のひずみ、動物の社会でも見られないような家族間の悲惨な事件が跡を絶たないが、人々が感じている豊かさの中の漠とした不安は、最高条件のもたらす危機を生物的本能で感じ取っているのではないかと言うのである。

   小松菜や二十日大根の種を蒔く場合、まばらにポツンポツンと植えるよりも、密植・混植した方が生育が早くて良い。「密度効果」と言うようだが、個体間で競争が起きた自然淘汰の結果だ。
   生物社会では競争を通して発展する。互いに激しい競争をしながら、夫々の種の特性に応じて精一杯生き延び、結果的には、お互いに我慢しながら他の個体や種類と共存させられている・・・これが自然界で40億年続いてきた生物社会の掟なのである。
   移動能力のない植物の世界は、正に、命がけだが、このシステムに動くという要因を入れれば動物集団で、また人間特有のいやらしさ、へつらう、にくむ、あざむく、うらぎるなどの感情を入れれば人間社会と同じだと言う。
   
   もう一つ面白いのは、ヤナギやハンノキなどは、枝を切って挿しただけで芽が出てつくのだが、植物の世界では、簡単に芽が出るものは長持ちしない。
   本命のいのちを守る木はやや大器晩成で、どんぐりから苗を育てて植えると確実に育つという。
   しからば、挿し木だけで、クローンとして生き延びてきているソメイヨシノは、やはり、心配されているように、いつか、消えて行くのであろうか。
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