熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

エドワード・ルース著「インド厄介な経済大国」(1)インドの現実に見るガンディーとネルーの功罪

2011年06月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今や、日本人一般のインド像は、BRIC’sの一国として経済成長著しい新興国の雄として、中国と並ぶ大国としてのイメージが強烈だが、案外、深刻なインドの陰の部分に言及されることは少ない。
   エドワード・ルースの「インド 厄介な大国」を読んでみて、2年前にブックレビューで触れたダニエル・ラク著「インド特急便!」と同様に、敏腕ジャーナリストの目から活写したやや辛口のドキュメンタリー・タッチのインド・レポートの大著で、非常に面白い。
   ルースはFT、ラクはBBCであるから、両人とも元宗主国のイギリスからの視点からなので、フリードマンなどのアメリカ人ジャーナリストとは違った文化文明史的な観点からの分析が加わっていて、興味が倍加する。

   この本の原題が、「In Spite of Goods: The Strange Rise of Modern India」と言うのだが、副題の「現代インドの不思議な台頭」が示すように、成長著しいインドの性格は風変わりで、
   国際舞台でようやく経済的、政治的に重要な大国として台頭して来たが、極めて宗教的、精神的で、ある部分では迷信社会で、
   大国の中で唯一、一定規模の中産階級が育つ前に、かつ、識字率が十分に高まる前に、完全な民主主義を発展させ、
   広範な産業革命を経ずに、競争力のあるICT等の先進サービス産業を軸にした急速な経済成長で経済大国化、
   それに、政治に至っては、小さな政党の乱立で、統制のとれない24党連立政権で動く民主国家であり、政治的腐敗と行政不信が蔓延、
等々の、当時も今も、他の国には見られないような様相を呈していると言うのである。

   著者は、20世紀のインドの3人の重要人物、ガンディー、ネルー、ビームラーオ・アンベードカルが、現代のインドにどれだけ影響を与えているかを論じていて、現在のインドを考える上に、非常に興味深い示唆を与えているので、私なりに、ガンディーとネルーに対する説明を敷衍しながら考えてみたと思っている。
   
   まず、ガンディーだが、独立運動のへの求心力を高めるために宣言された、インド社会の将来を支えるのは地方の農村だと言うガンディーの信念を今でも支持しているエリート層が沢山いて、インドの国の中心の神聖な場所には村があるべきだと信じ続けて、その信念が、優れた都市計画を進めようとする試みの障害になっていると言うのである。
   インドの文化的誇りと欧米の物質主義への深い軽蔑に裏打ちされたガンディー主義は、単に自由への闘争を鼓舞すると言う戦術と言うだけではなく、社会は如何に組織されるべきか人はどのように生きるべきかと言った哲学でもあり、これが、現在のインド知識人階級の考え方に影響を与え続けている。
   実際にも、世界の趨勢とは逆行して、インドの都市化率は、経済成長にも拘わらず、減速している。

   これに真っ向から反発しているのが、マンモハン・シン首相で、中国も先進国総てもそうしてきたように、インドの将来は、より良い都市化の推進によって、大勢に職を提供して、経済成長を高めない限り、国民全体の安全が脅かされる。どれ程、むさくるしいスラムであっても、生き地獄のような考えられないような経済的、社会的環境に喘ぐ貧困層や下位カーストにとっては、村(シンは、村を一種の牢獄だと言う)よりはるかにましである。
   更に、村を賛美する都市のエリート層は、せっせと私腹を肥やして、自分の生活を可能な限り快適なものにし、その後、梯子を外して他の者が同じチャンスを手に入れようとすれば阻もうとする。都市行政の質を改善して、貧困層にも定職を提供しなければ、明日のインドはないと説くのである。
   (この問題は、かって、ラジヴ・ガンジー首相が、インドで支出される開発費の内85%は官僚の懐に納まっていると暴露した様に、極に達している政治的腐敗と行政不信、そして、その悪辣さを語らなければ、片手落ちだが、これは、次回以降に回す。)

   さて、次は、ネルーの影響である。
   インドがBRIC’sの大国として始動しはじめた1991年以降、ネルーは、40年間も社会主義的な官僚体制で国を縛り上げた救いようのない理想主義者だとして否定する向きがある。
   しかし、同じ社会主義体制と言っても、ソ連型ではなく、イギリス流のフェビアン協会系の社会主義を導入したので、比較的穏健であり、民主主義は温存できたのは幸いだと言うべきだが、今回問題とするのは、この点ではなく、ネルーの国家主導型社会への崇拝・近代化政策の方向性の問題である。
   ネルーの基本構想は、スワデシ(国産品愛用)を目指す経済で、この経済モデルを始動させるために、各分野の経済活動を刺激するような一連の大型プロジェクトを推進した。
   しかし、当時、インドが必要としていたのは、地方の土地改良を進め、国民を食べさせるための穀物生産を飛躍的に高めることで、将来の成長の足掛かりを築くことであった。農民が必要としていたのは、毎年やってくる予測不能なモンスーンに左右されないための地方の灌漑だったのである。
   政府が作った国営の製鉄工場やアルミ精錬所は殆どが赤字で虎の子の外貨を食い尽くしてインド経済を壊滅状態に追い込んでしまった。

   貧しい国民は、読み書きを学ぶ機会を奪われ、抗生物質や抗マラリア薬を与えられず、貧困から抜け出すチャンスから一切阻害されていたのに、ネルーは、都市の中流階級のための大学や新しい病院の建設に資金を注ぎ込んだと言う。
   ネルーの、一世代の間に国の工業化を達成しようと、インドのわずかな金融資本を大規模プロジェクトに振り向けると言う政策は、国民の大多数が貧困に喘ぎ、殆ど近代社会としてのインフラさえ皆無の最貧国には、最悪の事態を招く以外にはない暴挙であり、1991年までは、経済には見放された国であった。

   ところが、ネルーが、スワデシの目標に欠かせない国内の重工業を発展させるために創立したエリート工科大学IIT5校の卒業生が、シリコンバレーでリーダー的な役割を果たし、更に、インドのICT産業をはじめニューエコノミーを爆発させて、経済発展を遂げて、一躍、インドを新興国のトップに押し上げてしまった。
   また、ネルーの工業化政策は、資本集約的であって、雇用の創出ではなく、インドの技術能力の向上にあったので、現実には、民間部門の多くの工業の分野では、中国を圧倒していて技術優位を誇っている。
   この工業政策の差が、インドと中国の国民に対する雇用と生活に大きく明暗を分けたのである。
   低級な労働集約的な工業から輸出主導に走った中国は雇用の創出によって国民生活を一挙に引き上げたが、資本集約的で殆ど雇用増を見込めなかった技術優位のインド産業は、多くの貧しい国民をローカルの牢獄に閉じ込めたままで、今日を迎えたのである。
   先に、インドの都市化の減速に振れたが、いわば、ガンディーやネルーの国の経済政策の失敗によって、都市の、特に製造業での雇用の成長が減退したことが、厳しい規制が都市のインフラ投資を阻害してきたことに呼応して、インドの都市の近代化を阻害して国民生活を圧迫して来たと言うことであろうか。

   インドは、大きく動き出したが、まだまだ、前途を阻む問題は山積である。
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