高見順の『文壇日記』の昭和37年(1962年)3月1日の項に「スエーデンのアカデミー会員マーチソン氏」がペン例会に出席したとある。その事実だけ記述している。出席の経緯にも事情にも触れていない。
2日から4日までの書き込みはなく、3月5日の項にスエーデン大使館でマーチソン氏のパーティーに出席するとある。そのあとが興味深い。
引用すると「マーチソン氏が挨拶のなかで、ノーベル賞候補の日本の作家三人を日本側から推薦してほしいと言う」
そういう申し入れが本家本元のアカデミー会員からあると初めて知りました。しかも60年の前に日本の作家も対象になっていたのですね。
さらに同氏は発言を続けて「三人委員会を作って、推薦者を決定してほしい」と提案とている。公平を期す委員会の設置を望まれていたのだろう。
高見順はびっくりした様子もなく淡々とこのことを述べている。ただ「三人委員会をどう作ったらよいか。外務省文化課長と相談」と追記している。
推薦の責を負った委員会のメンバーに関心があるけれど、日記のその後に三人委員会の記述はない。
巷間のうわさでは、候補になった作家は谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成だったと思う。推薦を求められた6年後の1968年に川端康成が受賞した。