福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

蒙古襲来時の温故知新・・その7

2018-08-20 | 護国仏教

(八幡愚童訓の続)去る文永にも御方すでに落果て万死一生に責成られたりしに、大菩薩、神軍を率いしたまひて降伏速やかなりとて、殊に当社(石清水八幡)に御祈祷あり。弘安四年、六月四日一山の所司、不断に最勝王経・大般若・仁王講・尊勝陀羅尼等勤行あり。同十八日には一日の内、五十人にて最勝王経百部転読あり。二十日には御幸在りて御一宿、月卿雲客を以て御神楽行ぜらる。拍子は八条侍従實清・資行朝臣、笛は宗冬朝臣、和琴は大炊御門大納言、篳篥は兼行朝臣、人長は泰弘方なり。資行朝臣別勅を承って宮人の秘曲を詠はる。御神楽の終わりにあたって鎮西の早馬到來す。春宮大夫實兼卿,状を以て奏聞す。「去る六日より十三日に至る迄、昼夜合戦す、射るところの蒙古一千余人、残るところの船に引きあぐ」由申しけり。神明の結縁頼みある瑞相なり。蒙古なお襲来あるべしとて、御祈祷行われる。二十三日より山上の所司を以て千部の法華経の転読、百口の僧にて十か日の間なり。七月一日三十人の社僧にて大般若、また七社にして種々の御祈り始めらる。同四日壇御子風して渡る。女御子を男になして甲冑を着せ、兵杖を持たせて、異国の合戦に打つ勝たる悦びを申し上げる儀式なり。同夜より有官無官、毎夜尊勝陀羅尼を行道にて同音に是を満たさる。一山の山伏七社にて懺法を勤行す。種々の御祈祷隙なし。
二十六日の初夜の時(午後)より南都北京の持戒の僧七百余人、当社の宝前にして、尊勝陀羅尼あり。その声、天に響き山谷に答えておびただし、七日七夜怠らず。一向専心に誦せられる。見聞の人、身の毛よだちて覚えける。毎日酉の刻には皆参るなり。思円上人(叡尊)舞殿にて尊勝法を修したまふ。面には四海の浪を畳み、眉には八字の霜を垂らし、六大無碍の秋の月、胸の中に朗らかに、三聚浄戒(摂律儀戒(一切の悪を捨て去る)・摂善法戒(一切の善を実行すること)・摂衆生戒(衆生にあまねく利益を施すこと))の夜の珠,袂の上に輝きて見え給ふ。閏七月一日は思円上人(叡尊)高座に登り啓白を致し、人に物を言うが如く口説き申されけるは「異国の襲来は貴賤上下道俗男女一味同心の歎き、七道諸国の煩いなり。悲しいかな、三千余社の権実は神国を滅ぼし、十二部経大小の法門を失わん事を。たとえ皇運末になり、政道誠無くして神祇非礼を咎め、仏天虚妄をにくませ給う共、『他の国よりは我が国、他の人よりは我が人、いかでか捨てたまふべし。公家の勢い衰えて人民の力無む時』と誓い給いしは、今此の時に当たれり。早く霊威を施し、怨敵を退け坐べし。そもそも異国にこの土をくらぶるに、蒙古は是犬の子孫、日本は則ち神の末葉なり。貴賤相別れ、天地懸隔なり。神明と畜類と何んぞ対揚に及ばん。昔新羅の仰ぐ道行は、三帰五戒(帰依佛・帰依法・帰依僧、•不殺生・不偸盗•不邪淫•不妄語•不飲酒)の威力に過ぎざりき。今本朝のたのむ諸徳は二百五十の具足を全うす。尊卑遥かに別れ智行浅深あり。彼は一人、是は数輩。他国の財宝を奪い人民の寿命を滅す。仁義にも背き殺盗を兼ねたる非道と我が朝の佛法を守り社稷の神祇を敬い、五常(仁、義、礼、智、信)に随い十善を好む正理と三宝知見し、吾神照覧し給ふらん」と二時ばかり骨髄に通り心肝をくだいて懸河の弁舌湧き上がり心地の法水澄通る。大慈大悲の感涙を流し、香衣に汗を通して祈誠袂濡れるばかりに見え給う。満座首をうなだれ随喜の心余りあり。廟神定めて此の理を聞し召したまふらんと覚えるほどに、御宝殿の内はたと一声鳴る。さればこそ大菩薩御受納あるにこそと、諸人いよいよ信心を催す。



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