【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「殯の森」:東池袋四丁目バス停付近の会話

2007-07-28 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

雑司が谷霊園って、森の中にお墓があって殯の森みたいね。
殯なんて言葉、長い人生で初めて聞いたよ。どういう意味だ?
高貴な人の本葬をする前に、棺に死体を納めて仮に祭ること。映画の「殯の森」の字幕では、もうちょっと違う説明してたと思うけど。
しかし、よくそんなことば見つけてきたな。この監督、暇なときは辞書ばかりめくってるのかな。
そんな茶化すようなこと、言わないの。カンヌ映画祭でグランプリを取った、それはそれは格調の高い映画なんだから。
グランプリっていうのが、またよくわからない。グランプリっていうから一等賞かと思ったら、二等賞なんだってな。紛らわしい。いっそ、金メダル、銀メダルとか、単純な名前にすればいいのに。
ふつうの人にはちょっとわかりにくいくらいのほうが、ありがたみが出ていいのよ。
いや、「殯の森」はわかりにくいところなんて、ほとんどなかったぜ。おもしろいかどうかはまた別の話だけどな。
子どもを事故でなくした女性が仕事で介護している老人と一緒に、彼の妻の墓のある森の中に入っていくという、それだけの話だもんね。
だけど、河瀬直美監督の映画って、フィクションなのにいつもドキュメンタリーみたいな空気が漂うのはなぜだろう。
奈良という、監督自身が根をおろして暮らしている土地を舞台にして、出演者の多くも地元の人だってところが大きいんじゃないのかしら。
やっぱり、そういう背景の中で撮らないと、あれくらい自然な感じは出ないよな。
それより、私はあの緑の大地に圧倒されたわ。
森にか?
ううん、ファーストシーンで出てきたところ、喪の行列が通る、稲穂か何か緑の草が一面に生える大地のほうよ。
風が吹き渡るときの草の揺らめきや、雲から太陽が顔を出したときの光線の具合。いろんな映画の中でときどき見かけるシーンだが、何度見ても心に沁みる。
カンヌの審査員にもそんなところが受けたのかしら。
凝った映画ばかり観てると、つくりこんだ場面じゃなくて、何の仕掛けもない、単純に美しい風景に心が動かされるってことはあるかもな。
風景もそうだけど、映画のつくり自体がそうなっているのよね。単純な画面の奥に何かとても大切なものを感じられるような。
タイプは全然違うが、志は「街のあかり」とか、カウリアスマキ映画に近くないか。
一般の映画で言うところのサービス精神がないところとかはね。
でも、それがかえって心安らぐこともある。
死者をとむらう中で自分の生を見出していくってところがポイントよね。
あの痴呆症ぎみの老人は、子どもを失くした女性が生を回復するための水先案内人ってことか。
しかも、自然の中での再生。ことばにすると、いかにも今の時代を意識したつくりみたいに聞こえて、だからカンヌで受けたのかな、と思うけど、河瀬監督にしてみれば、それが自然な気持ちの発露だったんでしょうね。
だけど、次は一般の劇映画を撮るらしいぜ。
河瀬監督の一般劇映画かあ。ちょっと観てみたいような、観てみたくないような・・・。
そんなお化けみたいな言い方するなよ。
でも、こういうお墓の前にいると、ついそんな気分になっちゃうのよ。
早く、次行こう、次。


ブログランキング参加中。クリックをぜひひとつ。

東池袋四丁目バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<池86系統>
東池袋四丁目⇒東池袋一丁目⇒池袋駅東口⇒南池袋三丁目⇒東京音楽大学前⇒千登世橋⇒学習院下⇒高田馬場二丁目⇒学習院女子大前⇒都立障害者センター前⇒新宿コズミックセンター前⇒大久保通り⇒東新宿駅前⇒日清食品前⇒新宿伊勢丹前⇒新宿四丁目⇒千駄ヶ谷五丁目⇒北参道⇒千駄ヶ谷小学校前⇒神宮前一丁目⇒表参道⇒神宮前六丁目⇒宮下公園⇒渋谷駅西口⇒渋谷駅東口







東20系統のバス停と26本の映画たち

2007-07-27 | ■通ったバス停、観た映画(一覧)

ふたりが走破したのは、都バス<東20系統>

ゾディアック、ゾディアック、ゾディアック・・・。
善き人のためのソナタ、善き人のためのソナタ、善き人のためのソナタ・・・。
2007年を代表する名作がそろったな。
残念なのは2007年を代表する駄作がまだないことね。
それは後半に期待するとして、さあ、夏休み、夏休み。
でも、映画の話は休まないわよね。
涼しい映画館で休むのがいつもの2人の夏休みだろ。

●東京駅丸の内北口:「パラダイス・ナウ
⇒呉服橋:「フランドル
⇒日本橋:「約束の旅路
⇒兜町:「パッチギ LOVE&PEACE
⇒茅場町:「14歳
⇒新川一丁目:「しゃべれどもしゃべれども
⇒永代橋:「ボラット
⇒佐賀一丁目:「ザ・シューター 極大射程
⇒永代二丁目:「300
⇒門前仲町:「プレステージ
⇒不動尊前:「恋する日曜日 私。恋した
⇒富岡一丁目:「ゾディアック
⇒木場二丁目:「きみにしか聞こえない
⇒木場駅前:「憑神
⇒木場三丁目:「ダイ・ハード4.0
⇒木場四丁目:「キサラギ
⇒東京都現代美術館前:「雲南の少女 ルオマの初恋
⇒白河:「善き人のためのソナタ
⇒森下五丁目:「サイドカーに犬
⇒菊川駅前:「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ
⇒菊川三丁目:「街のあかり
⇒住吉一丁目:「転校生 さよならあなた
⇒住吉駅前:「ボルベール<帰郷>
⇒毛利二丁目:「傷だらけの男たち
⇒錦糸堀:「魔笛
⇒錦糸町駅前:「レミーのおいしいレストラン


ブログランキング参加中。よろしければクリックを。





「レミーのおいしいレストラン」:錦糸町駅前バス停付近の会話

2007-07-25 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

さかな、さかな、さかな~、さかなをたべると、あたま、あたま、あたま、あたまがよくなる~
なに、気持ちよさそうに歌ってるのよ、「おさかな天国」なんか。
あそこに見える魚寅って店、このあたりじゃちょっと名の知れた魚屋なんだぜ。
じゃあ、今夜は魚料理にでもしようか。
ネズミのレミーに料理してもらってな。
かわいいのよねえ、「レミーのおいしいレストラン」の主人公の青いネズミ
レミーって、料理研究家の平野レミからもらった名前らしいぜ。
ウソ!?
うそ。単なる想像。
ン、もう。やめてよ、一瞬信じちゃったじゃない。
でも、あのネズミのふさふさの毛。触ったらやたら気持ちよさそうで、ああいう質感は、「モンスターズ・インク」に劣るとも優らない出来だ。
それをいうなら、優るとも劣らない、でしょ。
いや、小さなネズミだけに量的には劣ってた。
でも、触りたいくらいかわいい。きっとまたキャラクターグッズがいっぱい出来てくるんでしょうね。レミーが使った調理道具とか、しっぽがひもになっている携帯ストラップとか。
ミッキーマウスとはまったく違ったネズミキャラクターの誕生だ。
シェフになるのを夢見るネズミのレミーが料理の下手な人間の見習いシェフ、リングイニと知り合い、二人三脚でレストランを盛り上げていくっていう話。
いつものように、アニメらしい悪役が出てきたり、リングイニに突然恋する女性が出てきたり、すったもんだがあって予定調和のハッピーエンド。安心して観ていられる話だから、あとはレミーの表情とか仕草とか、つくる料理がどれくらいおいしそうに見えるかとかをじっくり楽しめばいい。
とにかく、動きや表情のひとつひとつがチャーミングで、あれはもうアニメじゃなきゃ出ないかわいさよね。
しっかり計算が行き届いてる。すばらしい。
料理がまた、ピクサーらしい完璧主義で表現されているから、ツヤといい色といい、実においしそうに見えること。
ピクサーのアニメって、ほんと技術的にはもう言うことないな。
CGアニメもここまでくると、「白雪姫」とか「シンデレラ」とかの昔の2次元アニメがちょっと懐かしくなっちゃうくらいね。
大丈夫だ。2次元アニメは、宮崎駿を始めとする日本のアニメ作家がしっかり引き継いでる。
なるほど。アニメの世界も世界的な役割分担が出来始めているってことかしら。
レミーとリングイニみたいにな。
でも、考えてみると、料理はレミーがつくるばかりでリングイニは彼に頼りきり。
そうだな、最後はリングイニもとうとう自分で料理をつくれるようになってハッピーエンドっていうほうが、成長感があってよかったかもな。
レミーも失敗を繰り返して料理がじょうずになっていくんじゃなくて、最初から腕がいいんだもんね。映画を通して料理の腕があがっていくって感じじゃなかったわね。
まあ、料理をつくるってことじゃなくてレミーは自分に与えられた力を生かしてシェフになるってことが夢だったんだからな。そういう意味では成長しているって解釈しておくか。
そうそう。料理の腕が成長すればいいってことじゃないのよね。
いや、お前の場合は料理の腕も成長したほうがいいと思うぜ。
わかった、わかった、きょうは魚料理ね。
いや、この映画の話をしてたら急にラタテューユが食べたくなった。
オッケー、きょうはラタテューユにしよう。
でも、お前、ラタテューユって何だか知ってるの?
知らないけど何とかなるって。この映画でも言ってるじゃない、「真の情熱さえあれば誰でもシェフになれる」って。
うーん、そういう意味じゃないと思うけど。


ブログランキング参加中。クリックをぜひひとつ。

錦糸町駅前バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<東20系統>
東京駅丸の内北口⇒呉服橋⇒日本橋⇒兜町⇒茅場町⇒新川一丁目⇒永代橋⇒佐賀一丁目⇒永代二丁目⇒門前仲町⇒不動尊前⇒富岡一丁目⇒木場二丁目⇒木場駅前⇒木場三丁目⇒木場四丁目⇒東京都現代美術館前⇒白河⇒森下五丁目⇒菊川駅前⇒菊川三丁目⇒住吉一丁目⇒住吉駅前⇒毛利二丁目⇒錦糸堀⇒錦糸町駅前










「魔笛」:錦糸堀バス停付近の会話

2007-07-21 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)
ここは江東楽天地といって、かつては劇場やキャバレーもある娯楽の殿堂だった。
いつごろの話?
うーん、俺たちの親くらいの世代かな。
じゃあ、「魔笛」を観にきていた世代と同じくらいね。
そういえば、この映画の観客はシニア割引の世代ばっかりだったような気がするな。
モーツァルトのオペラの映画化なんて、若い世代には興味ないのかしら。
俺も興味ないけどな。
半分眠ってたもんね。
でも、イビキはかいてなかったよな?
映画館の中でイビキなんて、携帯電話よりたち悪いもんね。そんなことしたら、鼻の穴に手つっこんで追い出すわよ。
こわっ。「魔笛」に出てきた魔女より恐ろしい。
で、半分眠りながらどう思った、ケネス・ブラナー監督の「魔笛」?
シェークスピア劇で有名な監督だろ。「から騒ぎ」なんてカメラワークも流麗で堪能したけど、シェークスピアはやっぱり話がちゃんとしてるからな。「魔笛」はオペラだから話より音楽が前に出てて、オペラファンにはいいかもしれないけど、映画ファンにとってはどうなんだろうな。
オープニングはケネス・ブラナー一流の流れるようなカメラワークでつかみはオッケー、あとはモーツァルトにのせて映像を展開していってみました、って感じで観てるぶんには結構楽しめたんじゃない?
しかし、舞台を第一次大戦に変えてたけど、ああいうリアルなできごとを背景にして「魔笛」のようなファンタジーを語るってどうなのよ。ミスマッチすぎて座りが悪かったんじゃないのか。
あら、いいかげんに観ていたあなたにしては固いこと言うのね。そこが映画らしい工夫で、「考えましたね、ブラナーさん」てところなんだけど。
リアルなのかファンタジーなのかはっきりしてくれ、ってことだよ。ミュージカル映画なら話がしっかりしているから背景がリアルでも観ていられるけど、オペラ映画の場合、物語自体がファンタジーなのに背景だけがリアルっていうのは、俺の明晰な頭脳が拒否してついまぶたが閉じてしまった。
オペラの素養のないあなたにとってはつまらなかったってだけでしょ。
素養ねえ。まあ、それも否定はしないけど、寝ても夢の中、起きても夢の中みたいで落ち着かなかった。
なんかそれって、映画を観る態度じゃないわよねえ。2時間20分は長いっていうのはわかるけど。
いや、全然長くはなかった。1時間くらいの映画かと思ったほどだ。
残りの時間はほんとに寝てたってこと?
まあ、それも否定はしないけど。でも寝てても起きてても同じような印象のシーンが続くだけだったぜ。
クラシックは何聞いても同じに聞こえるあなただけのことでしょ。
いや、若い映画ファンなら誰だってそう思うって。
教養のない映画ファンならそう思うってだけのことよ。
あー、差別してる!そういう上からものを言うような表現やめてくれる?
何をいまさら。映画観ながら寝てるくせに。
まあ、それも否定はしないけど・・・。


ブログランキング参加中。クリックをぜひひとつ。

錦糸堀バス停
※上りのみ停車



ふたりが乗ったのは、都バス<東20系統>
東京駅丸の内北口⇒呉服橋⇒日本橋⇒兜町⇒茅場町⇒新川一丁目⇒永代橋⇒佐賀一丁目⇒永代二丁目⇒門前仲町⇒不動尊前⇒富岡一丁目⇒木場二丁目⇒木場駅前⇒木場三丁目⇒木場四丁目⇒東京都現代美術館前⇒白河⇒森下五丁目⇒菊川駅前⇒菊川三丁目⇒住吉一丁目⇒住吉駅前⇒毛利二丁目⇒錦糸堀⇒錦糸町駅前








「ボルベール<帰郷>」:住吉駅前バス停付近の会話

2007-07-14 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

地下鉄の入口かと思ったら、産婦人科の玄関じゃないか、紛らわしい。
地下鉄で急に産気づいても、この病院なら間に合うわね。すごく便利。
でも、地下鉄で産気づく人なんて、あんまりいないと思うけどな。
そんなことないわよ。毎年100万人以上の赤ちゃんが生まれているんだから、地下鉄の中で産気づく人も、改札口で産気づく人も、駅のトイレで産気づく人もきっといるわよ。参院選の公約に「駅ナカに産婦人科」を掲げる候補者がいたら、女性票が集中して絶対当選すると思うんだけど。
そうは言っても、中には、心ならずも子どもを生む母親もいるんだろうな。
とんでもない。どんな状況にあろうとも、親は親、子どもは子どもに変わりはないわよ。
おや、ずいぶん自信たっぷりに言うね。
「ボルベール<帰郷>」みたいな映画を観ると、自然とそう思うのよ。
女のさが、ってやつか。「ボルベール<帰郷>」の母子には、たしかに深い事情があるもんな。
特別な事情がある母子の再会と和解の物語。でも、彼女たちの子どもを思い、母を慕う気持ちは、女性ならみんな共感すると思うわ。
全女性必見の映画ってやつだな。たしかに、こういうわけありな女たちの姿を、カラフルな映像とねじれた展開で描かせたら、ペドロ・アルモドバル監督にかなう者はいないもんな。
なにしろ、「オール・アバウト・マイ・マザー」の監督だもんね。
日本語に訳せば「私の母はすべてにアバウトだ」。
違うわよ、「母についてのすべて」よ。
そうとも訳せるな。
息子を失った母親の放浪と再生の物語。あれも、全女性必見の映画だったわ。
というか、全おばさん必見の映画。
それから「トーク・トゥ・ハー」。
寝たきりの女たちを巡る物語。「彼女にハーと言え」。
なんか違うけど、あなた、英語の成績は?
どうせ俺は、生粋の日本人よ。
あれも映画としては、すばらしかったわ。
あれらの傑作に比べると、今回はちょっと話に自然さが足りないような気がしないこともない。
自分の母親が幽霊になって現れるっていう話は、ちょっと作為が目立つかもね。
もちろん、ファンタジーじゃないんだから、実はこうだったっていう切実な謎解きはあるんだが、そういう謎解き形式にしたぶん、映画としては弱くなったんじゃないか。「オール・アバウト・マイ・マザー」とか「トーク・トゥ・ハー」はそんなギミックの入りこむ隙がないほど、女性たちの心情にストレートだった。
「オール・アバウト・マイ・マザー」は息子の死、「トーク・トゥ・ハー」は寝たきりっていう大きなギミックがあったじゃない。
あれらは、リアルなギミックで、幽霊話はストーリーを展開させるギミックのようなところがある。
つまり、心情を描くための仕掛けじゃなくて、話をおもしろくさせるための仕掛けだってこと?
まあな。
でも、その2作は、超一流の映画なんだから、それと比べちゃかわいそうよ。この映画だって十分一流の映画だったわ。私は共感したな。
女たちのあれやこれやの人情話は、たしかにおもしろいけど、そのぶん男は完璧にさしみのツマだった。
それも、アルモドバルらしいところじゃない。
そうだな。男を正面から描くと「バッド・エデュケーション」みたいなドロドロのエグい映画になっちゃうもんな。
やっぱり、女を描かせるといいのよ、アルモドバルは。
スペイン映画なのに、どこかイタリアの人情映画みたいな感じもあった。
映画の中のテレビでやってた古い映画みたいにね。
ベネロペ・クルスなんてソフィア・ローレンみたいな役だもんな。
誰、それ?いまどき、誰も知らないわよ。
まあいいさ。ベネロペ・クルスがそれくらい大女優に見えたってことだ。自分が酷い目に遭って産んだ子どもがまた酷い目に遭うという難しい運命の女を色気たっぷり、チャーミングに演じていた。
う、うう。それを思い出したら、なんだか急に産気づいてきたわ。は、早く連れてって。
連れてって、どこへ?
決まってるじゃない、産婦人科へ、よ。
ま、待てよ。俺にはそんな心あたり、ないぞ。
あなたにはなくても、私にはあるの。「ボルベール<帰郷>」観たんでしょ。ああいう話は現実にだってあるってことよ。
ま、まさか、お前・・・。
ふふふふ。


ブログランキング参加中。クリックをぜひひとつ。

住吉駅前バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<東20系統>
東京駅丸の内北口⇒呉服橋⇒日本橋⇒兜町⇒茅場町⇒新川一丁目⇒永代橋⇒佐賀一丁目⇒永代二丁目⇒門前仲町⇒不動尊前⇒富岡一丁目⇒木場二丁目⇒木場駅前⇒木場三丁目⇒木場四丁目⇒東京都現代美術館前⇒白河⇒森下五丁目⇒菊川駅前⇒菊川三丁目⇒住吉一丁目⇒住吉駅前⇒毛利二丁目⇒錦糸堀⇒錦糸町駅前