【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「親愛なるきみへ」

2011-09-27 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

「きみに読む物語」の原作者ニコラス・スパークの小説を、ラッセ・ハルストレム監督が撮った映画。
どおりで、なんとなく「きみに読む物語」をほうふつとさせる後味があるわけだ。
若い二人が気持ちをぶつけあう、いまどき珍しく素直な恋愛ものっていうところがね。
監督がラッセ・ハルストレムだから、映画もいたって素直な仕上がり。
この監督の映画って、ほんとに素直に観れて、そのぶん、職人監督化して、初期の映画にあったような、心に引っかかる部分が、どんどん、どんどん希薄になってきたような気がする。
スルッと観れて、悪く言えば、毒にも薬にもならない映画。
でも、父親のエピソードとか、ちょっと心にひっかかった。
あの自閉症気味のおやじさんには、胸を突かれたな。
ひとごととは思えない?
あのねえ、いくら俺でもあそこまで年取ってないって。どうも最近誤解されていけない。
でも、もう若い二人のほうには心が動かない?
そーゆーことはない。若い二人にも十分好感を持ったさ。
そう、そう。「毒にも薬にもならないかもしれないけど、好感の持てる映画」というのが、この映画にはぴったりの感想かもしれないわね。
本題のほうは、戦争で引き裂かれた二人っていうところなんだけど、そういう悲壮感よりはなにか爽やかな感じのほうが先に立って、あまり悲劇の主人公っていう感じはしない。
二人のキャラクターがあくまで健康的だから、暗い陰影とかはつかないのよね。
紆余曲折はあるんだけど、なんとなく微笑ましい。
ラストが強引って感じもするけど、恋愛なんてそんなもんかもしれないしね。
カップルで観に行くとバツの悪い思いをする恋愛映画もあるけれど、これは安心して観れる。
だから、私を誘ったの?若いあなたとしては。
・・・なわけないだろ。



「探偵はBARにいる」

2011-09-25 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

評判がいいんで、続編もつくるらしいな。
タイトルは、「探偵はBARBERにいる」。
はい、ちょっとこの天然パーマなんとかならない・・・って散髪中かよ!
冗談はともかく、続編ができるのも納得できるほど、愉快な映画だった。
探偵が大泉洋。その相棒が松田龍平。こういうハードボイルド探偵映画っていうと、二枚目を主人公に持ってくるのが常套手段なんだけど、大泉洋を主役に据えたところが、勝因のひとつ。
鼻につくようなカッコつけたことを言っても、大泉洋なら、笑って聞き流せる。
昔なら二枚目がそのまま言えばサマになったセリフも、いまの時代、そのままじゃ「なに気取ってるの、このおやじ」ってなってしまうけど、大泉洋なら半分冗談で許せちゃうからな。
そう、それで、安心して残りの半分に乗ることができる。
そして、相棒に松田龍平を持ってきたところが、勝因のふたつめ。
ひょうひょうとした立ち居振る舞い、あくまで脱力系の松田龍平は「まほろ駅前多田便利軒」そのまま。彼は、いよいよキャラクターを極め始めた。
昭和の映画なら、松田龍平が探偵で、大泉洋が相棒のところかもしれないけど、それじゃあ新味がないとばかりに、ひっくり返したところがまたおもしろい。
だめな探偵と優秀な相棒、と評価したいところだけど、この相棒、手放しで優秀って言うのはちょっとひっかかる、なにか正義感とは違うところで動いている感じが映画にアクセントを与えている。
でも、結局は探偵を助けちゃうんだけどね。
ヒロインの小雪がああだったっていうのも、定番といえば定番だけど、探偵は依頼主を助けられないっていう意味では、金田一耕助シリーズからのお約束にのっとっていて、懐かしい。
定番といえば、BARと電話とかおんぼろカーとか、定番の小道具もずらりとそろえて、昭和探偵ドラマの再現をめざすという姿勢もある程度成功していると見た。
悪役、高嶋政伸の切れ具合も見もの。続編にも絶対出てほしい、ってそれはムリか。
あとは、舞台がすすきのだけに、吉田拓郎が出てくれば完璧だった。
どうして?
ゆかたのきみは~すすきのかんざし
・・・昭和のオヤジギャグ。
昭和のアジョシと呼んでくれ。


「ゴーストライター」

2011-09-24 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

映画って本来こういうものだったんじゃないの。
どういう意味?
ムリのない話の展開、ムダのない描写、ムラのない演技、そこから醸し出される空気感・・・もう「映画」としか言いようがない。久しく失われていた、匂い立つような映画的感覚。
たしかに。鬼才ロマン・ポランスキーの新作サスペンス映画なんだけど、映画の職人に徹したような腕前を披露してたわね。
自分の世界をどう見せるかではなく、自分の技術をどう映画に奉仕させるか。
じっとり垂れこめた雲とか、ふらふら自転車を走らせる砂利道とか、全篇に不穏な空気を漲らせて主人公の中吊感を徐々に盛り上げる、その手腕。
盛り上げるとは言っても、アンフェアな手はいっさい使わない。主人公の見える範囲でしか話を進めないから、観客は安心して彼に身になって話の成り行きを見守ることができる。
安心して不安がられる。
なんか、形容矛盾してるみたいだけど、そういうことだ。
後半、手から手へ、一片のメモが次々手渡されていくシーンなんて、サスペンスとはこういう形で盛り上げるものなんだっていうお手本のようなシーンよね。
ヒチコックを思い出させるような鮮やかな手さばきはどうだ。
それだけじゃない。ホテルマンとのやりとりとかでは、ヒチコックの特徴だった品のいいユーモアも忘れていない。
品がいいといえば、凄惨な死体を見せないところも、最近の映画には珍しく抑制が効いている。
しかも、ポランスキーがいまだアメリカに足を踏み入れることができない鬱屈を感じさせるような題材でもあって、映画好きならニヤリとせざるを得ない。
ポランスキー、だいすきー。
うーん、抑制が効いていない感想だなあ・・・。

「ハウスメイド」

2011-09-23 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

いくら韓国映画贔屓のお前でも、さすがにこれはダメだろう。
別に韓国映画贔屓じゃないけど。
だって、あの流血映画を絶賛してたじゃないか。
だって、あれはウォンビンが出てたから。
あ、本音を言った。じゃ、これは、ウォンビンが出てないからダメだろ。
大富豪の家庭に雇われた家政婦がご主人様と出来て捨てられそうになるって話だからねえ。いまどき、テレビの昼メロじゃあるまいし、って思わないことはないわよねえ。
でも、破竹の勢いの韓国映画だから、そこは何か新味があると思った?
前々から雇われていた老家政婦。彼女の存在感は認めていいんじゃない?
お屋敷のすべての勢力図を把握している、この家の影の主みたいな老女。「家政婦は見た」ってやつだな。
ご主人夫婦にうんざりしているけど、あからさまに顔には出さない。そのぶん、裏では崩壊寸前。
演じる役者がまたうまい。最近、韓国映画に出てくる老女ってどういうわけかみんなうまい。
大富豪の妻は若く美貌で、新しく来た家政婦は中年で生活やつれしているのに、ご主人様は彼女と浮気をしてしまうっていうのも、図式としてはおもしろい。
でも、単なる欲望のはけ口にすぎないんだけどね。
このご主人様がワインをくゆらせたりして、絵に描いたような金持ちっていうのが噴飯ものなんだけどね。
というか、この映画全体が、絵に描いたような、というかまるで趣味の悪い少女マンガみたいな印象だっていうのがどうもねえ。
家政婦の復讐の仕方なんて、どうしてあれが復讐になるのか、まったくわからないし、不気味なラストもいかにもってラストだしね。
こういう映画はあまり趣味に合わないな。
じゃあ、なんで観たの?
お前が観たいんじゃないかと思って。
私こそ、あなたが観たいんじゃないかと思って観たのよ。
なんだ、なんだ、俺たちO.ヘンリー化してる?
気持ち悪っ。

「アジョシ」

2011-09-22 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)

ウォンビン、かっこいい。キム・セロン、いじらしい。
その通り。残念ながらそれ以上の深みはなかった。
また、出た。いつものあまのじゃく。
おじさんと少女の組み合わせといえば、「シベールの日曜日」の昔からジャン・レノとナタリー・ポートマンの「レオン」に至るまで枚挙に暇がないんだけど、そういう映画に比べると、おじさんと少女の情のふれあいという点では物足りない気がしないか。
そんなこと、ないでしょ。序盤でちゃんとふれあってるじゃない。
お互いがお互いを必要とする、孤独な魂同士ののっぴきならないふれあい。近頃の韓国映画でいえば「息もできない」には確かにそれがあった。それに比べるとこの映画の二人はどうもそこまでの磁場に欠ける。体を張って助けに行くにはもうひとつ、何か引き合うものがほしい。
そりゃ、30代の男と幼女だからね。そんな、魂のふれあいなんてことまで求めるの無理でしょ。キム・セロンの健気さで十分よ。あとはウォンビンの憂いにあふれた表情があれば言うことなし。
でもなあ、ウォンビンは少女を救うためにあれだけ派手になぐりこみをかけたのに、結局自分自身では少女は救えなかったんだぜ。そこにカタルシスはあるのかい。
ラストシーンがあれば十分じゃないの。
凄惨な戦いのあとのシーンも、もう少し工夫のしようがなかったのか。
実は・・・てやつね。その「実は」の語り口に巧さを感じないわけね、あなたは。
悪者の兄貴が弟の居場所を必死になって聞くのもおかしくないかい。弟はいつもいそうなところでしかもあんな派手な目に遭ってるんだから、わざわざウォンビンに聞かなくたって手下に調べさせればわかりそうなもんなのに。殺人を犯した逮捕者を菓子屋に寄らせる韓国警察もおかしいだろう。
そういう細かいことはいいの。そんなこと言ってたら、こういう映画は楽しめなくなっちゃうわよ。
そうだな。そんなことにいちいち目くじらをたてるようになるなんて、俺もおじさんになっちゃったのかな。
あなたも立派なアジョシだもんね。