【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「夜のピクニック」:勝どき橋南詰バス停付近の会話

2006-09-30 | ★都05系統(晴海埠頭~東京駅)

夜の勝どき橋もライトアップされてきれいだな。
ちょっとピクニックでもしてみたい気分ね。
高校生みたいにか。
そう、「夜のピクニック」。
あれは、80kmの道のりを歩くんだぜ。歩行祭という学校行事で高校生たちが夜通し歩くだけの、恩田陸の小説を原作にした映画だ。
その中で主人公の女の子がちょっとした賭けをする。ほとんどそれだけの映画だけど、全然退屈しなかったわね。
端から見ればたいした賭けじゃないのに、本人にとっては重大事件なんだよな。
でも、青春なんてそんなもんじゃない。後で考えればどうってことないことでウダウダ悩むっていう。
ああ、この映画、せっかく最初のほうで長回しに挑戦してるのに、どうでもいいようなイメージカットを入れて、長回しのリズムを崩してしまうとか、回想やイメージシーンの入れ方がぎこちなくて滑ってるとか、映画の出来としては甘いところがいっぱいあるんだけど、それが必ずしも欠点になっていない。どうしてだろうと考えたら、そもそも青春とはそういうものなんだよな。不器用でぎこちなくて不完全で。それに呼応するように、映画自体も不器用でぎこちなくて不完全になっているから、ついつい共感しちゃうんだ。
それって、「リンダリンダリンダ」のような感じ?
そうそう。あの映画もだらだらと画面が流れていくんだけど、青春自体がそんなものだと思うと、妙にそのリズムにのっちゃうんだ。
夕日の情景とか朝日の情景とかいい映像がいっぱい撮れそうなシチュエーションなのに、あまりそういう美しい映像もなかったわね。
青春真っ只中の高校生にとってはそんな風景より自分の身の回りのことで頭がいっぱいってことだよ。
完璧な映画ではウダウダした青春は描けないってことかしら。
完璧な青春なんてないってことだ。
みんなが走るシーンはどう?
悪くはないけど、もっと長く、もっと長く、と思ったよ。走る姿を映すっていうのは映画の基本だから、長く映すほど感動が高まってくるのに、どうして監督たちは我慢できないんだろう。
音楽も私はいまひとつだったな。
もうちょっと選曲の仕方はあったような気がするね。
主演の多部未華子はよかったわね。目の鋭さが印象的で。
それより、俺、えくぼのかわいい女の子に弱いんだ。あんまり笑わないだけに、彼女のえくぼが見えるとグッとくるね。
そんなこんな、いいところも悪いところもひっくるめて青春映画ってことね。
しかも、恋愛映画じゃない青春映画。だから、ほんとの青春映画。
それも「リンダリンダリンダ」に通じるわね。
ラストシーン、みんなが一列に並んで通ったアーチの上に見える文字は「GOAL」じゃなくて、もうひとつの言葉なんだよな。ああ、そういうことだったのか、ってわかる言葉だから、これから観る人は見逃さないように。
見逃した人はもう一度見て。
とかなんとか、グダグダ喋りながら歩いているうちに勝どき橋も渡っちゃったぜ。
私たちも青春してる?


ふたりが乗ったのは、都バス<都05系統>
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「LOFT」:勝どき駅前バス停付近の会話

2006-09-29 | ★都05系統(晴海埠頭~東京駅)

濁った川と不気味な森。これは黒沢清の映画「LOFT」の世界だな。
「LOFT」に出てきたのは川じゃなくて沼よ。
同じようなもんだ。
そうね。つまらなかったからどっちでもいいけどね。
って、黒沢清の映画だぜ、おもしろいわけないじゃん。
何、観たっけ?
「ニンゲン合格」とか「カリスマ」とか「回路」とか「アカルイミライ」とか「ドッペルゲンガー」とか・・・。
ずいぶん観てるわねえ。1本としておもしろい映画なかったのに。
そうなんだよ。おもしろくないってわかってるのに、黒沢清の新作って聞くと、つい、観たくなるっていうのは、どういうことなんだろうな。
「LOFT」だって、千年前のミイラがよみがえったなんて話、初めっからつまらなそうだもんね。
で、思ったとおり、つまらなかった。
でも、次の映画がきたらまた観たくなる。
たぶんな。つまり、黒沢清の映画っていうのは、ストーリーを追っちゃいけないのかもな。
かといって、映像詩ってわけでもないでしょ。
映像に身をまかせようっていう映画でもないもんな。
中谷美紀と豊川悦司のラブシーンはどうだった?
たしかに見ごたえがあるかもしれないけど、唐突なんだよ。黒沢清の映画は唐突すぎて、ついていけないんだ。
一見主人公に見える中谷美紀が主人公なんじゃなくて、実は豊川悦司が主人公なんだって解釈もあるけど。
どういうことだ?
この映画に出てくる女性は、死体と半死体と生体。姿形は違えど、みんな豊川悦司にからんできて、最後には自分たちと同じ世界に引きずり込んでしまう。女は生も死も超えて永遠に男にまつわりついてくるものだという、恐ろしくも悲しい、究極の愛の物語・・・。
まあ、解釈は自由だからな。でも、あんまりおもしろくないな。映画の内容より、いつもいつもこんな映画をつくってしまう黒沢清のほうがよっぽど恐ろしいよ。奇っ怪でおどおどろしくてわけわかんないよ、この監督は。
それ、誉めてるの、けなしてるの?
両方。
私たちの話もきょうはつまらなかったかもね。
というか、わけわからなかっただろうね。この淀んだ川のように。
映画が映画なんだから仕方ないわよ。
でも、黒沢清の映画は次もきっと観るだろうね。なんか、くせになるんだよな。どうしてだかわからないけど。
私たちの話もこれにこりずまた聞いてほしいわね。
そんな気のいい人がいるかな、黒沢清のファン以外に。


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「薬指の標本」:晴海三丁目バス停付近の会話

2006-09-28 | ★都05系統(晴海埠頭~東京駅)

しゃれたドラッグストアだな。
ここにならあるかしら、薬指につける薬。
けがでもしたのか?
ちょっと料理しててね。
へえ、お前でも料理すること、あるんだ。「平成の常識・やってTRY!」娘みたいな腕前で。
いいから、薬指につける薬買おうよ。
それより、標本にしちゃったほうがいいんじゃないのか。「薬指の標本」。
あの映画の中の薬指だって包帯巻いてたわよ。標本ていったって、別に薬指全体を標本にしたわけじゃないじゃない。
そうなんだよな。「薬指の標本」なんていうから、阿部定事件のように、いとしい人の体の一部がほしくて薬指を切っちゃう話かと思ってドキドキしながら観てたら、勤務中の事故で薬指の先をちょっと切りましたってことなんだよな。
しかも、その薬指をちゃんと見せてくれないから、なんか、欲求不満なのよね。
フランス映画だけど、原作は日本の小川洋子。彼女の小説は「博士の愛した数式」にしろ、「薬指の標本」にしろ、「数式」とか「標本」といった理科系の言葉に文科系の解釈を加えるところが新鮮でおもしろいのに、映画には、そういった「標本」に対するひねった解釈がなくて魅力が薄れたな。
映画の「博士の愛した数式」はちゃんとひねった解釈を、しかも映画的にわかりやすく展開してくれて楽しめたのにね。
フランス映画ってことで、ちょっと情緒寄りになったところはあるかもしれないな。
情緒といえば、あの女性の主人公が楽譜を見ながらハミングするところ、あそこはフランス的な抒情があふれててよかったわ。
昔々のフランス映画に「太陽がいっぱい」という名作があって、その中でマリー・ラフォレがやっぱりハミングするシーンがあったんだけど、それを思い出すくらい、あそこだけがやたらよかったよな。
古い映画ねえ。あなた、年いくつ?
誤解するなよ。リアルタイムで観ているわけじゃなくて、古い映画が好きなだけなんだから。
小川洋子の原作にはそんなシーン、ないんだけどね。
そういう意味では日本の小説を無理なくフランスの風土に置き換えてたな。そこは認めるよ。
でも、「薬指の標本」ていうんだから、もっと「薬指」と「標本」にこだわってほしかったな。
なにかを想像させる、とってもいいタイトルなのにな。
「親指の標本」じゃ指相撲の話みたいだし、「小指の標本」じゃやくざの出入りみたいで、恋愛映画のなまめかしさを感じさせるにはやっぱり「薬指の標本」じゃないとだめね。
なまめかしさは、たしかに感じられたけどな。ということで、お前も標本にしたらどうだ、その薬指。
だめよ。いま、薬指をなくしたら、私は一生「平成の常識・やってTRY!」娘のままよ。
俺はかまわないけど。


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「ホテル・ルワンダ」:ホテルマリナーズコート東京前バス停付近の会話

2006-09-26 | ★都05系統(晴海埠頭~東京駅)

ホテルの名前がついたバス停なんて、あんまり見かけないな。
他には、「新高輪プリンスホテル前」と「ロイヤルパークホテル前」くらいかしら。
アフリカのホテルの名前がついた映画もあんまり見かけないけどな。
「ホテル・ルワンダ」のこと?
そう。
ルワンダなんていう国がアフリカにあるなんて、初めて知ったわ。
学校で習った覚えもないしな。
あなたは、何だって学校で習った覚えないけどね。
そう、成績悪くてさあ・・・って、そういう話じゃないだろ。
まったく、私たち日本人はアフリカのこと、知らなすぎるわ。あんなひどい虐殺があって100万人の人間が殺されたなんて「ホテル・ルワンダ」観るまで想像もしてなかった。日本人は世界のことに無関心すぎるし、世界はアフリカに無関心すぎるってことね。
ことの発端は、ツチ族と呼ばれる人々とフツ族と呼ばれる人々の内戦なんだが、実はもともと民族が二つあったわけではなく、ヨーロッパ諸国、とくにベルギーが植民地化する際に、統治しやすいように二つの民族に無理やり分けてしまった。今ではこの分け方は差別を助長するとして公式には使われていないそうだ。
でも、そのツチ族とフツ族の間で虐殺があったことは事実なんでしょ。
ああ。ところがルワンダが不安定になったらルワンダを統治していた白人たちはみんな逃げ出してしまった。そもそもは、自分たちがまいた種なのに。
国連軍まで撤退しちゃうんだもん。ひどいわね。あとは自分たちでなんとかしろなんて、白人はひどいわね。
おいおい、白人だけじゃないぜ。日本人だって同じようなものだっていうのは、「蟻の兵隊」で学んだばかりだろ。
国なんか信じちゃいけない、自分たちで何とかするしかないってことね。
それで立ち上がったのが、ホテル・ルワンダの現地人支配人だ。というより、立ち上がらざるを得ない状況に追い込まれてしまったんだけどな。結果、たくさんの難民を自分のホテルにかくまって助けたという実話に基づく物語だ。
でも、結局、この人、ベルギーに助けられて亡命したとか。
自分で火をつけといて自分が助けた気になっているなんて、先進国もいい気なもんだ。
西欧諸国は最低ね。
だから、どこの世界だって国なんてその程度のものなんだって。
なんだか、今回は映画の話というより、世界情勢の話になってしまったけど。
いや、映画としてもよくできていたよ。本物のホテル支配人は結構貫禄があるのに、映画ではおどおどした普通の人にしたところなんて、緊張感が生まれてかえってリアリティを醸し出していた。この映画を観ていると、すぐに回想シーンから始めたがる日本の戦争映画が好きになれない理由がよくわかる。
どういうこと?
回想シーンでくるんでしまうことで、悲惨な戦争も過去の思い出になってしまうんだ。ところが、実際、戦争は今も世界中で起きている。そのことに思いをはせないで、「日本は大変な戦争をしたけど、今は平和で何より」なんて言ってるなんて、時代錯誤もはなはだしい。そういう鈍感なところが、回想シーンを選択する映画にはあるんじゃないかってことだ。
回想している場合か、現実を見ろ、ってことね。
世界は広く、そして狭いってことさ。
成績悪かったくせに、いいこと言うじゃない。
それは、余計だ。


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「フラガール」:ほっとプラザはるみ入口バス停付近の会話

2006-09-24 | ★都05系統(晴海埠頭~東京駅)

あの煙突は何だ?
ほっとプラザはるみ。清掃工場の余熱を利用した温浴施設よ。
何があるんだ?
いろんなお風呂やジャグジーやレストランがあるらしいわ。
そのわりに、あまり知られてないんじゃないのか。
PRがいまいちなのかもね。
フラガールでも呼んでくればいいのにな。常磐ハワイアンセンターみたいに。
って、それが安易なのよ。ちゃんと「フラガール」観たの?
だから、炭鉱がつぶれそうになったんでハワイアンセンターをつくってフラガールを呼んできました、っていう映画だろ?
その認識が全然違うのよ。フラガールを呼んできたんじゃなくて、炭鉱の娘たちがフラガールになったの。
おんなじようなもんじゃないか。
これだから、男たちが地域再生をやろうとしても失敗するのよね。この映画はね、地域再生するには、地域住民が自ら立ち上がらなければ成功しないということを訴えた映画なのよ。どっかで成功したものをそのまま持って来ようとする安易な考えが再生の失敗を生むのよ。
夕張市民が観たら複雑な思いかもな。
夕張市の担当者だって、ひょっとして地域再生の参考にしようとハワイアンセンターを視察したかもしれないけど、華やかな表の顔じゃなくて、地味で地道な裏の顔にどこまで目を向けることができたか・・・。この映画をもっと早く観ていればと悔やんでいるかもしれないわ。
俺もスパリゾートハワイアンズて名前が変わってから行ったことはあるけど、そんな裏のことまで考えなかったもんな。
別に深刻に考える映画じゃないけどね。娯楽映画なんだから。でも底にはそういう視点が流れているからピシッとした映画になったのよ。
「Shall We ダンス?」とか「ウォーターボーイズ」とか「スウィングガールズ」のような映画なのに、もっと深いところで感動してしまうというのは、そういう社会的な問題が背景にあるからかな。
かといって、そのために映画が停滞するってことはないしね。
ああ、よく動いていた。映画とは動きだと改めて思ったよ。
白眉は、なんといっても、お母さんと和解するシーンよね。言葉ではなく、体の動きだけですべてを理解するという・・・。
いつも、天才キム・ギドクの名前を出して申し訳ないが、彼の映画も「」とか「うつせみ」とか、言葉ではなく、動きで感情を現していた。まさしくそれに通じるものがあるよな。
おおげさに言えば、真の映像表現てことでしょ。
映画じゃなきゃできない表現てことだ。先生との別れのシーンも、ちょっとあざといが、言葉でなく動きで表現している、いいシーンだった。
そういえば、親友との別れのシーンも動きの中で表現されていたわ。
言葉はひとことだけでな。そのひとことを繰り返すだけで。
「さよなら」でも「元気で」でもなく日常的なひとことってところが泣かせるわ。
これから観る人のために、何て言ってるかは伏せておくけど、親友は結局お父さんと一緒に職を求めて夕張の炭鉱に引っ越していっちゃうんだよな。
その夕張が今では・・・という皮肉。
最後のフラダンスシーンで、あの親友の姿が一瞬でも映れば、俺はきっと号泣だったな。
夕張でがんばってるシーンでも何でもいいからワンカット入れてほしかったわね。
役者もみんな最高だ。
そうそう。しずちゃんに泣かされるとは思わなかったわ。
さ、涙を洗いに風呂でも行くか。
ほっとプラザはるみにね。
男湯に松雪泰子が入ってきたりして?
まさか。


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