【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」:菊川駅前バス停付近の会話

2007-07-07 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

いやあ、でかい看板だな。しかも、二枚。
あれがほんとの看板娘ってところね。
でも、やっぱりああいうところに飾られても見栄えのするモデルになるにはスタイルがよくなきゃいけないんだろうな。
佐藤江梨子みたいに?
そうそう。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」なんて、彼女の足の長さを見るためにあるような映画だもんな。
最初の登場シーンから、足の長さを強調するように下から見上げるカメラアングルだったもんね。
あのロングストロークな足で走られちゃあ、絵にならないわけがない。
でも、映画自体は奇妙な映画だったわよ。女優になりたくて東京に出ていた姉が両親の葬式で田舎に戻ってくるんだけど、その姉にいじめられる妹がいたり、姉とできてる異母兄がいたり、その兄の嫁がコインロッカー生まれだったり。絵に描いたような奇妙な家族。
というか、奇妙な家族の話ってときどきあるよな、最近でいえば、幻の名作と言われる「紀子の食卓」とか。
主題は全然違うけど、ブラックな感覚はちょっと似てたわね。
監督がCMディレクターの吉田八大だし、ひねくれた女が主人公の物語だし、中島哲也監督の「嫌われ松子の一生」みたいな映画になるのかなと思ったけど、あれほどのギミックはなかった。
「嫌われ松子の一生」はストーリーも映像もギミックだらけの映画だったもんね。この映画にもギミックはあるけど、あの映画に比べればおとなしいもんだわ。
才能がないくせに才能があると勘違いしてまわりにやつあたりばかりしている最低な姉の役を演じるのが、足長、佐藤江梨子。ま、女優になりたいなんてヤツの80パーセントは多かれ少なかれ勘違い女なんだろうけど、有名グラビアアイドルと似ていることを鼻にかけてなぜか放火しちゃって警察に捕まった勘違い女をちょっと思い出させて、哀れを誘う部分もある。
その姉をマンガのネタにして恥をかかせたばかりに、姉からいじめを受ける妹を演じるのが佐津川愛美。一見おとなしそうにみえて実は姉以上に意地悪かもしれないという、これまた屈折した女。
そんな姉妹にふりまわされて、あげく姉と関係をもってしまった情けない兄が永瀬正敏。
こんな女たちに囲まれちゃ、男のいる場所なんかないわよね。最後にはほんとにいなくなっちゃうんだけど。
そして、孤児院で育ったばかりに家族という虚構に深い考えもなく憧れる兄嫁を演じるのが永作博美。
なにも気づかない鈍感で平凡な嫁に見えて、実はすべてお見通しの、ほんとはいちばんタチの悪い女。天涯孤独で、他に行くところがないという覚悟が誰よりもあるだけに、最後には家を乗っ取るような形になる。
一見、若い姉妹の確執の物語のように見えて、終わってみると永作博美が主演の映画だったのかもしれないと思えてくるところが、なんとも一筋縄ではいかないおもしろさだ。
女三人のアンサンブルがいいのよ。これだけ同情の余地がない女たちの暗い物語なのに、どこか突き抜けた明るさがあるのは。
基調にあるのは、ブラックコメディってやつだからな。深刻だけれど真剣にはならない、ってやつ。
女三人に、冴えない男役の永瀬正敏の奇妙な演技を見る映画ね、これは。
俺には、佐藤江梨子の長い足を見る映画だったけどな。
だったら、あの看板でも見てたほうがいいんじゃない?
でも、あの看板、上半身しか写ってないんだよ、腑抜けなことに。



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菊川駅前バス停



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