【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「転校生 さよならあなた」:住吉一丁目バス停付近の会話

2007-07-11 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

なんだ、このモノリスのできそこないみたいな青い板は?
洪水のとき、昔はここに引いてある線の位置まで水があふれてきたらしいわよ。
そんなひどい水害じゃあ、みんな溺れて流されちゃったんじゃないのか。
男も女も、みんなね。
溺れたついでに、男と女が入れ代わったりして・・・。
それじゃあ、「転校生 さよならあなた」みたいじゃない。
中学生の男女の体が入れ代わっちゃう物語。尾美としのりと小林聡美が出演した昔の映画のリメイク版だ。
昔の「転校生」は階段から落ちて男女が入れ代わったんだけど、こんどのリメイク版では池に溺れて男女が入れ代わる。
俺たちも池で溺れてみるか。
やだ。あなたと入れ代わるくらいなら溺れ死んだほうがまし。
昔も監督だった大林宣彦自身がリメイクするっていうから、市川崑の「犬神家の一族」のように意味もなくまったくそのままつくりなおすのかと思ったら、進化してたな。
進化というか深化というか、あきらかに違う映画だったわ。旧作のほうはコメディタッチな映画で、終わった後にもさわやかな気分で映画館をあとにできたんだけど、こんどのはもっと深刻で、終わったあとも考えこむような展開だった。
なにしろ、入れ代わった男女が生死にかかわる病気に直面しちゃうんだから、旧作なんか問題にならないくらいたいへんな展開だ。
考えてみればなんとも残酷な話よね。
昔の映画はいまや三谷幸喜の奥さんのほんわか小林聡美、こんどの映画は美少女系の蓮佛美沙子という違いも大きいんだけど、それ以上に大林宣彦が年とったっていうことが大きいんじゃないか。
どういうこと?
昔は監督自身まだまだ若かったから、大人になるための儀式として男女の入れ代わりをあたたかく見守って描く余裕があったが、自分の死期が近づくにつれ、生きるとはなにかという深遠なテーマを考えるために男女の入れ代わりを描くようになった。
そうそう。昔の映画が暖色系の印象なのにこんどの映画が寒色系の印象があるのは、そのへんとも関係あるのかしら。
昔の映画が、人と人のつながりを知る映画だとすれば、人は与えられた生を生きるしかないというのがこんどの映画だもんな。厳しさでいったら、こんどの映画のほうがよほど厳しい。
そうそう、その厳しさを引き受ける顔つきをしているのよね、こんどの映画の主演の蓮佛美沙子は。声がまた悲しいほど澄んでいる。
小林聡美じゃ、あのストイックな感じはでないよなあ。
旧作で小林聡美は「さよならおれ」と子ども時代との決別を叫び、こんどの映画ではは「さよならあなた」と自分以外の世界との決別を叫ぶ。その違いね。
ああ、「さよならあなた」なんてサブタイトル、邪魔なだけじゃないかと思って見始めたけど、見終わってみると、こういうサブタイトルをつけたい気持ちもわかるような気がするぜ。
でも、昔の映画もこんどの映画も変わらないのは、結構活発でしっかりものの女の子が男の子の体になったとたんに、なよなよ、なよなよ、するのよね。あれっておかしくない?何で性格まで変わっちゃうわけ?
そりゃあ、体が入れ代わったんだ。性格が変わるくらいのショック受けたって当然だろう。
うーん、女の監督が描いてたらまた違うと思うな。いくらショックでもあんな振る舞い、いまどきの女の子はしないもの。
そうかなあ、このモノリスもどきの青い板のいちばん上の線くらいの洪水がくれば、みんなショックで性格変わっちゃうと思うぜ。それと同じくらい大変なことなんだから、体が入れ代わっちゃうってことは。
でも、テレビの「パパとムスメの7日間」では体が入れ代わっても舘ひろしはあそこまでなよなよしてないわよ。
そりゃ、石原軍団としてのプライドがあるからだろ。
プライドなんて、あなたにはないものね。
そういう話じゃないだろ。


ブログランキング参加中。クリックをぜひひとつ。

住吉一丁目バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<東20系統>
東京駅丸の内北口⇒呉服橋⇒日本橋⇒兜町⇒茅場町⇒新川一丁目⇒永代橋⇒佐賀一丁目⇒永代二丁目⇒門前仲町⇒不動尊前⇒富岡一丁目⇒木場二丁目⇒木場駅前⇒木場三丁目⇒木場四丁目⇒東京都現代美術館前⇒白河⇒森下五丁目⇒菊川駅前⇒菊川三丁目⇒住吉一丁目⇒住吉駅前⇒毛利二丁目⇒錦糸堀⇒錦糸町駅前