【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「わが母の記」

2012-05-25 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


モデルになったのは、井上靖とその母の物語。
劇映画だからもちろんかなりフィクションを加えているけれど、母に捨てられたと思いこんでいる文豪と、子を捨てざるを得なかった母の何年にも渡る昭和の物語が端正に語られていく。
かつての日本映画をほうふつとさせるようなこの家族の物語を監督したのが、欧米流の映画づくりの印象が強い原田眞人だっていうから驚きだ。
映画を撮るとどうしても技巧に走りがちな原田眞人にしては、これまでの映画のようにややもすると嬉々としてギミックを効かせてはしゃぐところがない。
庶民というより、功なり名遂げた小説家の一家が舞台だから、一般人とはおよそかけ離れた上流階級の家族の物語なんだけど、それが鼻につくというより、そういう世界を垣間見る興味のほうへ観客を誘導する手腕はさすがだ。
母親を演じるのが樹木希林。息子の大作家が役所広司。
樹木希林は、ぼけているんだかぼけていないんだかわからない老婆をひょうひょうと演じて、自家薬籠。
もはや、いぶし銀の存在。
対する役所広司は、厳格で偏屈な昭和の男を演じて対抗する。
家でくつろぐときは常に長着を着たりしてね。
かといって、昭和ですよ~とそのころ流行っていた流行歌を流すとかニュース映像を見せるとかいったあざといところがない。
普段ならそういう色気を見せそうな原田眞人監督なのに、今回はどうしたのかしら。
とにかく端正な映画づくりに徹しようと腹を決めんたんだろう。
常に戦略を持って映画をつくる監督だからね。

「ル・アーヴルの靴みがき」

2012-05-20 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


アキ・カウリスマキ節、健在。
サイレント映画より少ないんじゃないか、と思えるほど最小限に刈り込んだセリフ。
サイレント映画は、セリフが少ない分、動きとか人の表情でカバーしているけど、アキ・カウリスマキ映画は、動きや表情さえ最小限に抑えている。
ほとんど突っ立っているだけの印象。
でも、そのほとんど無表情の表情が味わい深くてねえ。
美男美女は、いっさい出てこない。
人生の皺が刻まれた貧相な、でも心にしみる顔の役者ばっかり。
それが、映画になんともいえない豊饒さを与えているんだからおもしろい。
ハマったら抜けだせないような魅力がある。
でも、今回は亡命する少年を権力から守る話。いつも社会の片隅のみみっちい話を繰り広げてきたアキ・カウリスマキにしては派手な展開だ。
派手って言ったって、主役は港町ル・アーヴルの年老いた靴みがき。アフリカから来た少年がロンドンに逃げるのをちょっと手助けしたっていうだけのことだから、シンプルでつつましやかな話には変わりない。
いやいや、アキ・カウリスマキにしてみれば十分壮大な話だ。町中の追跡劇のシーンがあるなんて、これまでの彼の映画では考えられない。
私たちが観ていない映画にはあるかもしれないわよ。私たちは彼の初期の映画は観ていないんだから。
痛いところをつくなあ。俺たちが見始めたのは「マッチ工場の少女」あたりからだからな。
まあ、私たちが観てきた映画の中ではいちばん派手かもしれない。
とはいっても、通常の映画に比べればいたって地味であることに変わりがない。
そこに今回は温かみが加わってきた。
“究極の地味”が持ち味だったのに、なにやら色気が出てきた。
いつもぶっきら棒なのに、いつもよりちょっと華やかというか、体温の高いところが出てきたのかしら。
それを進化とみるか、手垢にまみれる予兆とみるか。目が離せないな。



「ももへの手紙」

2012-05-16 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


「となりのトトロ+千と千尋の神隠し」と言いたくなる気持ちもわからないではない。
小学生の少女が妖怪たちと出会って騒動を繰り広げ、ひと回り成長するとくれば、そういう連想をするのも致し方のないところね。
さすがに宮崎駿が撮った映画には見えないけれど、スタジオ・ジブリの新人が撮ったと言われれば、そうかもしれないと思ってしまう。
新人にしては、物語にも描写にも破たんがなくてとてもなめらかな映画だったけどね。
実際の監督は意外なことに、「人狼」の沖浦啓之。
あれはやたらどんよりとした映画だったなあ。
でも、その徹底した暗さが魅力の映画だった。
あんなに暗い映画をつくった監督がこんな学級委員みたいな映画をつくるなんてちょっと信じられない。
ジブリ人気にあやかったか。
そんな下心は見えなかったけどね。偽物感はまったくなかった。
でも、妖怪たちに宮崎駿映画ほどの陰影はなかった。沖浦監督だから、陰影をつけるのはお手の物だと思うんだけど。
自分が納得するまで陰影をつけちゃうと陰惨なほど暗い映画になるのはわかっているから、そっちの方向性は初めから切り捨てたんじゃないの。
おかげで愉快な妖怪たちが出来上がったっていうわけか。
いちばん太った妖怪の声は、西田敏行。相変わらず緩急自在で、声の調子だけで抱腹絶倒してしまう。
この妖怪たちが偶然少女と出会ったっていうんじゃなくて、ある目的を持ってももという名前の少女に近づいたっていうのがミソなんだけど、それってよくできた児童文学とかにありがちな展開ではある。
新鮮さはないかもしれないけど、それだけに安心して観ていられるだけの丁寧さと誠実さはあった。
瀬戸内の風景というのも、さもありなんっていう設定で、背景としてはぴったりなものの去年も実写の「八日目の蟬」の舞台になったばかりだ。
でも、何度出てきても懐かしい風景であるのは事実。
母なる風景ってことか。
父親を亡くして失意のうちに母親と瀬戸内の島に来て不思議な妖怪たちと出会い元気を取り戻していく・・・。ムリのない、いい話じゃない。
「ももへの手紙」なんていうタイトルがついているから、父親からの手紙に何か重大なことでも書かれているのかと思ったら、そうでもなくてちょっと肩食わしを食わされた。
でも手紙に何か重大なことが書かれていたら、父親のキャラクターに矛盾が出て映画全体のバランスが崩れちゃったかもしれない。
いい意味でも悪い意味でも優等生的な映画ではあった。


「別離」

2012-05-08 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


アスガー・ファルハディ監督のイラン映画。
ポランスキー監督の「おとなのけんか」のイラン版だな。
全然違うと思うけど。
二組の夫婦がささいなことから言い争いになってみんながそれぞれのエゴを出し始めて話がどんどんこじれていく。まさしく「おとなのけんか」に通じる展開じゃないか。
おとなのけんか」と「別離」じゃ、争いの原因も深刻度もまったく違うわよ。
でも、冒頭で言ってるぜ。「些細な問題だ。夫婦の間で解決しろ」って。
わかってないわね。些細な問題が些細じゃないのが夫婦の問題なのよ。
だからってここまで深刻ぶらなくてもいいんじゃないか。第三者から見れば「おとなのけんか」みたいにどうでもいいような問題だから。
と~んでもない。どうでもいいようなような問題じゃないわ。娘の教育の問題とか親の介護の問題とか失業問題とか、日本人の私たちが見てもひとごととは思えない深刻な問題よ。
それらがからみあってどんどん話がねじれていく。そのあたりの呼吸はみごとなもんだ。
イラン映画といえば、ついテロや政治的なメッセージのからんだ映画かと思うけど、これはごく平凡な市井の人々の話。国も人種も違っても、私たちと同じような問題で悩んでいるんだっていうことがよ~くわかる。
離婚してまでも国を出たいっていう理由がイランならではの事情といえるかもしれない。
その上、信仰の問題がからんでくる。
まるで踏み絵のような展開で事態がクライマックスを迎える。
普遍的な部分と国情による違いと、そのバランスが絶妙な刺激を与えるのでアカデミー外国語映画賞を獲ったのかもしれないわね。
親たちの右往左往を不安な面持ちで眺めている娘の視線がまた痛い。
親を助けたい、一緒に暮らしたいという一心から出る言動。
嘘と真実の狭間で揺れる二組の夫婦、親子。
おとなのけんか」とは相当視点が違うでしょ。
おとなのけんか」だってシリアスにすればこんな感じになるんじゃないか。
そこは、ひねくれた成熟社会の映画とまだまだ新興国のスレてない映画との違いかしら。
どちらも痛々しいのに変わりはないけど。
父親の腰かける椅子、母親の腰かける椅子。その距離感がなんとも悲しくってね。


「僕たち急行 A列車で行こう」

2012-05-03 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


森田芳光って、いろいろなタイプの映画を撮っているけど、こういう軽いタッチの映画が本来の彼の持ち味なんじゃないのか。
ひょうひょうとしていて、どこか脱力系の憎めないコメディ。
デビュー作の「の・ようなもの」がすでにそうだったし、最近でいえば「間宮兄弟」がそうだった。
この映画、松山ケンイチと瑛太が女心に疎い鉄道オタク青年を演じる。
オタクって言っても、二人とも爽やかなイケメンだからオタク特有の近寄りがたいオーラはまったく出ない。
男同士で鉄道の話ばかり嬉々として語る図って、客観的に見れば気持ち悪いはずなんだけど、決して嫌味にならない。
森田芳光の映画っていつもどこか乾いているんだけど、今回もその例に漏れない。
谷村志穂の小説が原作の「海猫」みたいな愛憎ドロドロ、湿度100%の映画を撮ると苦しい出来になっちゃうんだけどね。
そういう映画は資質に合わないんだよな。森田芳光はやっぱり深みにはまらない映画がいい。
偶然にも鉄道オタクがご縁で窮地に陥っていた仕事がうまくいくなんていう展開は、ご都合主義にすぎないんだけど、映画自体に何のよこしまなところがないから、まあ世の中っていうのはそうやって回っていくところもあるよね、と快く許しちゃえる。
オタクの描き方がディープすぎず、かといって突き放しもせず、いい距離感。
オタクといえどちゃんと社会の中の一員であることを自覚している青年たち。
そう。二人とも相当な鉄道オタクではあるけれど、自分の仕事にも案外真剣に取り組んでいるからな。
健全すぎない?って思うところもあるけど、やっぱり森田芳光の映画が持つ独特の感覚には抗いきれない。
彼らしいセンスにあふれた遺作になった。
涙より爽やかな笑顔で送ることができる。