【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「きみにしか聞こえない」:木場二丁目バス停付近の会話

2007-06-20 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

こんな高速道路の脇に住んで、車の騒音がうるさくないのかしら。
俺は昔、JRの線路のすぐ隣のアパートに住んでいたけど、全然気にならなかったぜ。
鈍感なだけじゃないの?
慣れだよ、慣れ。ずっとそこにいれば気にならなくなるの。騒音なんて案外、たまに来る人にしか聞こえないもんなんだ。
たまに来る、きみにしか聞こえない、ってこと?
きみにしか聞こえない・・・?乙一原作の映画の話か。
あまり期待していなかったんだけど、意外な拾い物だったわ。
いやあ、あの乙一の短編小説をここまで内容豊かな映画にふくらませられるとは思わなかった。
そうそう、映画を観てから原作を読んだんだけど、魅力的な設定がほとんど映画のオリジナルだったんでびっくりしたわ。
主演の成海璃子と小出恵介が頭の中の携帯電話で会話を交わすという設定は原作どおりなんだけど、小出恵介がある障害を持つ青年だっていう設定は映画のオリジナル。しかもその障害が、ドラマを進める最大のキーになってくる。
彼が美しい自然に囲まれた長野に住んでいるというのも映画のオリジナル。その設定が映画の世界をいかに情感豊かにしてくれたか。
友だちがなくすべてに自信を失っている成海璃子が小出恵介と頭の中の携帯で話すうちに自信をとりもどしていくんだが、その経過が教科書を読む声が最初は小さかったのにどんどんしっかりした声になっていくという展開で描写される。
声がポイントなのよね。原作以上に。
そして二人は実際に会うことになるんだけど、そのとき悲劇的なアクシデントが起きてしまう。
そのあたりのサスペンス。これがまた原作を超える。アクシデントの中ですれちがいかけた二人の気持ちをつなぐのも、小出恵介の持つ障害がきっかけという、映画ならではの仕掛けが生きた珠玉のシーン。
原作がひどいと言っているわけじゃなくて、小説の世界を映画的な世界に移し変えるときの工夫の仕方が素晴らしく、脚色という作業のとてもいい手本のような出来だと思ったんだ。
ラスト、自分のせいで小出恵介に不幸が訪れたのに成海璃子の苦悩が足りないんじゃない、とちょっと気にはなったけど、「神童」とか「あしたの私のつくり方」に比べればわざとらしさのない話で、いままでの彼女の出演作の中ではベストの出来じゃないかしら。
頭の中の携帯電話で会話するなんて物語、目で見せる宿命を持つ映画にするには間が持たないんじゃないかと思ったが、そんな心配はまったくなかった。むしろ、それがギミックになって小出恵介の障害が生きてくる。
って、なんか思わせぶりね。その障害が何なのかそろそろバラしてもいいんじゃないの。映画の中でだって中盤でわかるんだから。
いやいや、これから観る人は知らないほうがいい。
意地悪な性格ね。でも、彼だったら高速道路の脇に住んでも大丈夫かもね。
うるさい!今の話は聞こえなかったことにする。
きみにだけ聞こえない?


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木場二丁目バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<東20系統>
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