【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「プレステージ」:門前仲町バス停付近の会話

2007-06-09 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

ここだ、ここだ、門前仲町の有名なまんじゅう屋。
毎日毎日、同じおまんじゅうがここで生まれてるのね。
ああ、まるで映画の「プレステージ」のようにな。
そう、あの映画の主人公たちはマジシャンだから、毎日毎日同じマジックを繰り返すのよね。
いや、そういう意味の「同じ」じゃなくて・・・。
おっと、わかってるわよ、あなたの言いたいことは。でも、これ以上説明したら映画のネタバレになっちゃうじゃない。
おお、そうだな。マジックも映画もネタバレされたら興味半減だ。
マジシャンが対決する映画だっていうから、いろいろなマジックを次から次に見せてそのネタをバラしてくれる映画かと思ったら、全然違ったわね。
引田天功とミスター・マリックのマジック合戦みたいな軽いノリの映画かと思ってたら大間違い。とんでもなく重い映画だった。
ただマジックを競うっていうんじゃなくて、人生を賭けた対決だもんね。
19世紀の末、アンジャーとボーデンという二人の奇術師がライバルとなって相手を凌駕するマジックを求めていく中でどんどん身も心も削り、とんでもない深みにはまっていく。
両者ともマジックのために自分の人生を破滅させたようなもんだもんね。
そのマジックというのも純粋なマジックじゃなくて、反則技に近いような怪しげなものなんだよな。
19世紀末っていうのがキーワードよね。科学がいかがわしい呪術的なものとして捕らえられていた時代設定がなければ、説得力がないようなマジックだったわ。いまの時代だったら成り立たないもの。
謎があってその謎を解いていくという映画の構成はたしかにマジックぽいんだけど、やられたー、と言って映画館を出るような気分にはどうもなれない。散りばめられた小さなヒントが最後にひとつになってすべての謎が解けて「そうか、そういうことだったのか」という心地よくだまされた気分にはなれない。謎が解けても彼らの人生のことが頭に残るから開放感がないんだ。
映画のつくり自体が単純じゃないからなんかスッキリしない部分が残るのよね。
最近で言うと、たとえば、「バベル」を観たあとみたいな感じかな。
あれもそうだけど、時制をわざとずらすという手法ってどうなの?いたづらに観客を混乱させてほくそえんでいる監督の顔が見えるみたいで、どうも好きになれないなあ。「プレステージ」だって、いつ何があったのか私の頭じゃ整理しきれなかったもの。
そういう意味では「ザ・シューター 極大射程」なんて時制の混乱がないんで気楽に観ていられた。
監督のクリストファー・ノーランは「メメント」とか「インソムニア」のような陰性の映画をつくるのが得意な監督だから仕方ないといえば仕方ないんだけどね。
でも、まあ、よく練られた力作であることは確かだ。
ひとつのことの追求に人生を捧げてしまった男たちの哀しみは伝わってきたもんね。
ある意味、うらやましくもあるよな、人生を賭けるほどやりたいことがあるなんて。近頃の日本の若者なんて何やりたいんだか、ちっともはっきりしないんだから。
いや、そういう見方をする映画ではないと思うけど。熱意が妄執にまで行ってしまった人間の哀しみを描いているんだから。
毎日毎日、同じまんじゅうをつくるような哀しみ?
いや、それも違うと思うけど。
同じまんじゅうじゃないの?
あのねえ、それ以上言うとある意味ネタに近づいちゃうわよ。
じゃあ、「エイリアン4」みたいっていうのは?
んもう、口の中におまんじゅう突っ込むわよ!


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門前仲町バス停


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