【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ラストキング・オブ・スコットランド」:目黒駅前バス停付近の会話

2007-03-20 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

ホリプロが目黒駅前にあるとは知らなかったわ。
そういえば、「ラストキング・オブ・スコットランド」のフォレスト・ウィッテカーって、ホリプロのゴッドねえちゃんに似てない?
そりゃ、失礼よ。似てるところといえば、体の大きさと声の太さくらいなもんでしょ。
って、おまえこそ失礼じゃないか。
それにしても、フォレスト・ウィッテカーが「ラストキング・オブ・スコットランド」で演じたアミン大統領は、見ものだったわ。アカデミー主演男優賞を取るほどのそっくりぶり。
そう言うけど、おまえは本物のアミンを知ってるのか。
知らないけど、いかにもそれらしいアミンじゃない。去年男優賞をとったフィリップ・シーモア・ホフマンが、カポーティを知らない私たちが見ても、いかにもそれらしいカポーティを演じていたように。
まあ、本人よりそっくりっていう誉め言葉もあるくらいだからな。それは置いといて、映画全体の出来はどうだった?
ホテル・ルワンダ」を観たときも思ったけど、私たちはまだまだアフリカのことを知らないなって思ったわ。学校じゃ習わないし、社会へ出ればもっと話題にならないし。
ホテル・ルワンダ」は部族対立の話、「ラストキング・オブ・スコットランド」は独裁者の話だから、だいぶ違うんだけど、実はどちらもヨーロッパの植民地主義に根っこがあるっていうことは一緒だ。
自分たちの都合のいいようにアフリカを統治しようとして、手ひどいしっぺ返しを食うって構図ね。
ヨーロッパ人がしっぺ返しを食うっていうより、何の罪もない現地の人々が虐殺や暴動で不幸な事態に追いこまれるっていう悲惨な構図だ。
この映画では、スコットランド人医師がひょんなことからアミンの主治医として処遇されるうちに、アミンの底知れない恐ろしさに気づき、命からがらウガンダから脱出できるかどうかって話になっているけど、じつはそういう悪魔のような独裁者をつくり出したのは、イギリス自身なのよね。アフリカを統治するために。
ただ、この映画ではそういう過程は省かれているし、一般庶民への虐殺の描写もほとんどない。物語はアミンの王宮の周辺だけで進行する。それがよかったのかどうか。
誰に感情移入するって、あまり感情移入できる対象がいないのよね。スコットランド人医師にしたって若気の至りでアミンに近づいただけで、しかも大統領夫人と不倫するっていう、相当いいかげんなやつだし。
見所はやっぱりアミンの独裁者ぶりなんだろうけど、独裁者なんてみんなあんなもんだっていう見方もできる。どんなやつだって、独裁者になるとああなっちゃうっていういい見本だ。
それをフォレスト・ウィッテカーは上手く演じていたってことね。
独裁者になってしまった者の尊大さとか、愚かさとか、気の弱さとか、疑心暗鬼とか、諸々をじつに表現豊かに演じている。
ただのものまね以上だったわ。
ホリプロのゴッドねえちゃんだって同じだ。尊大さとか、愚かさとか、気の弱さとか、疑心暗鬼とか、諸々をじつに表現豊かに演じている。
え、あれは演じてるの?素かと思ってた。
うーん、難しい問題だ。
アフリカの諸問題と同じくらいにね。


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ふたりが乗ったのは、都バス<品93系統>
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「孔雀」:上大崎バス停付近の会話

2007-03-18 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

庭園美術館っていつ来ても穏やかな気持ちになれていいわよねえ。
こういうところにふさわしい映画だね、「孔雀」のような映画は。
どうして?
映画には二種類ある。美術品とそうでない映画と。「孔雀」はもちろん一級の美術品だ。ゆったりとした気持ちで眺めるのにふさわしい。
市井のある家族をじっくり描いた中国映画で、本当にしみじみとしたいい映画だったわ。でも、じゃあ、美術品じゃない映画って何?
例えに出しては悪いが「さくらん」。あれは美術品とは呼べない。
どうして?絢爛豪華で、あれこそまさしく美術品だったじゃない。
表面的にはな。でも、表面的な美しさではなく、内面的な美しさまで表現できるのが映画だ。一級かどうかはそこで決まる。
どういうこと?
「孔雀」でいえば、あの空色のパラシュート。あのシーンの美しさは半端じゃない。もちろん、空色のパラシュートを広げて街中を走るなんて発想そのものがクリエイティビティあふれるものだが、乙女の不安定な心情や希望や悲しみがすべてパラシュートとその動きに象徴されていて、観る者の心の中でものすごくイメージの翼を広げてくれる。空気をはらんで大きく広がったパラシュートがしぼんでいく様、その無念と断念。素晴らしいとしか言いようがない。残念ながら「さくらん」にはそういうイメージの翼を広げてくれるシーンがないんだ。見た目がすべて。
でも、人は見た目が九割って言うし。
そう、残りの一割が大事なんだ。残りの一割をどう料理しているかで映画の出来は決まる。
じゃあ、題名になっている「孔雀」のシーンも?
素晴らしい。なかなか羽根を広げなくて、やっと広げたと思ったら背中を向けてしまい、ようやく正面を向いたと思ったら、画面がサッと切り替わってしまう。せっかく正面を向いたのだからもっとじっくり見せてほしいと思うところだが、あとは観客の想像力に任せたという終わり方がなんとも潔い。ああ、人生で翼を広げるってこういうことだよな、頼りなく、思い通りにならず、あっという間に過ぎてしまう、と無意識に感じさせられてイメージがいつまでも頭に残る。
私は家族で丸い食卓を囲むシーンが一番心に残ったけど。
中国語圏の映画ってどうしてこう食事シーンが素晴らしいんだろうな。生きる活力みたいなのが象徴的に感じられるのかな。
みんなでざわざわ、ガツガツ、何があっても生きていくんだぞっていう庶民のエネルギーが感じられるのよね。
最近の日本にはそういう庶民のエネルギーがなくなってきたってことなのかな。
そのエネルギーが「さくらん」みたいな表面的な豪華さの追求に向っちゃうのかしら、あなた流に言うと。
俺の言いたいことが少しはわかってきたかな。この監督は「紅いコーリャン」や「さらばわが愛・覇王別姫」の撮影監督だったらしいが、同じカメラマンでもやはり映画のカメラマン出身らしく映画とは何かをよく知っている。
こういう映画が話題にならないまま消えていくとしたら、残念だわ。
美術館でもどこでもいいから、広く上映してほしいな。


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「今宵、フィッツジェラルド劇場で」:白金台五丁目バス停付近の会話

2007-03-15 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

シロガネーゼは、このあたりを毎日かっ歩しているわけだな。
フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」みたいな生活しているのかしら。うらやましい。
そう言えば、「今宵、フィッツジェラルド劇場で」のフィッツジェラルドって、あの作家からきているらしいな。
ラジオの公開番組を収録している劇場なんだけど、そのラジオ番組も最終回を迎え、劇場も明日には解体されるという晩の出演者たちの物語が「今宵、フィッツジェラルド劇場で」。
番組がなくなる夜というシチュエーションに加え、天使のような死神が出没したりして、なにやらロバート・アルトマンの遺作にはふさわしい映画だな。
おそらく、この映画が最後になるって、監督自身、意識していたんじゃないかしら。
言われてみれば、ざわざわした画面の雰囲気といい、音楽の嗜好といい、出演者の立ち居振る舞いといい、ゆるやかに移動するカメラといい、あらゆるところにアルトマン趣味があふれている。これが最後という意識で自分の監督としての証を残して置こうとしたのかと思うと、不覚にも目がウルウルする。
女の子が「自殺の歌しか歌えない」なんて言うと「マッシュ」の主題歌を思い出しちゃうし、最後にマイクが意外な人物に渡っちゃうと「ナッシュビル」を思い出しちゃうし、「老人の死は悲しむものではない」なんて言われちゃうと、かえって、もうアルトマンの新作は観れないんだという寂しさが押し寄せてくるわ。
でも、監督自身は、そんなに悲しむなよとばかりに、いろんなところにいたづらをしかけている。
いちご模様のパンツとかね。
姉妹デュオがリリー・トムリンとメリル・ストリープなんてすごい濃い配役だ。
この超ベテランの二人が演技同様、結構歌もうまいのよね。
日本でいえば、安田祥子と由紀さおりか?
由紀さおりなんて、映画に出ても演技ばかりでほとんど歌を披露しないけど、日本でもこの本物の姉妹に存分に歌わせる映画ができてもいいのにね。
「モスラ」の双子小美人なんてどうだ?
ああ、双子も歳取ったっていうシチュエーションね。それ、いいかも。
「モスラの老後」とか言って。
話が脱線しちゃったけど、そういう風に脱線していくところがアルトマンの魅力なのよね。
この前観た「ボビー」なんて、アルトマンの映画みたいに何人もの人間が入れ代わり立ち代わり出てくるんだけど、脱線ていうんじゃないんだな。ちゃんとレールの上を走ってる。そのぶん、アルトマンみたいな茶目っ気が足りなかった。
あれ、「ボビー」は傑作だって言ってなかった?
いや、傑作だ。でも、アルトマンとは肌触りが違うって言いたいんだ。
アルトマンはやっぱり一人しかいないってことね。
フィッツジェラルドが一人しかいないようにな。
すごい比較。


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「バッテリー」:白金台駅前バス停付近の会話

2007-03-10 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

この堂々たる建物は何だ?
東大医科学研究所。
東大って、あの六大学野球の万年弱小チーム、東大か?
そう、あの東大。
東大の野球部にも「バッテリー」の主役みたいなピッチャーが入れば、いいとこ行くんだろうけどな。
でも「バッテリー」って、中学の野球部の話よ。
そうか。いや、でも、中学生が主人公の映画だからって敬遠してると大損するぞ。大人が見ても十分感動する映画だ。
でも、かわいそうよねえ、あのピッチャー。
そうそう、天才ピッチャーにも弱点や苦悩があって、それを中学生らしい心根で乗り越えていくってところが涙を誘うよな。
いえ、天才ピッチャーのほうじゃなくて、控えピッチャーのほう。
控えピッチャー?そんなのいたか?
強豪中学と対戦するっていうのに、エースが弟の病院へ行ってるんでしかたなく投げていた控えピッチャーのほうよ。
全然覚えてないけど。
そう、顔もほとんど出ないくらい影の薄い存在なんだけど、とにかく急な登板だったろうに懸命に投げてたのに、一番いいシーンになったら、エースが出てきちゃってマウンドを降ろされちゃう。かわいそうったらありゃしない。
しかし、しょうがないんじゃないのか。勝負の世界は力がすべてなんだから。
そういうこと言ってるから、映画の中に出てきたように暴力行為に走る野球部員が出てきたりするのよ。中学では野球は教育の一環なんだから。
おまえ、何かPTAみたいな顔になってるぞ。
だってプロじゃないのよ。中学生なのよ。大人が正しく導いてあげなくてどうするのよ。
中学生っていやあ、もう自分で考える力を身につけていいころだ。なのに、それがわからない親がいるからかえってねじくれちゃうんだよ。天海祐希演じる母親みたいに。
まあ、彼女の愛し方が正しかったどうかはわからないけれど、彼女なりに子どもを愛してはいたのよ。
そりゃ、最後のシーンを観ればわかるさ。
ああ、あのシーン。家族の和解を象徴するシーンね。天海祐希の登場があまりに絶妙なタイミングなんで、思わず涙が出そうになっちゃったわ。
だろ。子どもには子どもなりに生きる力があるんだから、それを信じろってことさ。
それにしても、主役のバッテリーをはじめとするあの若手俳優たち、よかったわね。
ピッチャー役の林遣都は、ファンタジーと現実のちょうど中間にいるような顔つきをしていて、ちょっとありえない天才ピッチャーを演じるにはぴったりの雰囲気だし、キャッチャー役の山田健太がまた、ピッチャーのわがままをすべて全身で受け止める度量の大きさを納得させる風貌で、なんといっても笑顔がすばらしい。大物になるぞ。
他の野球部員たちもいかにも田舎の中学生って感じで好感がもてたわ。
単なるその他の野球部員じゃなくて、主人公のバッテリーが成長していく過程に大いなる影響を与える。
それだけに控え投手の描写がなくてちょっと寂しかったのよ。
「あとはまかせた」のひとことだけだもんな。でも、全員が天才ピッチャーになれるわけじゃないんだから仕方ないんだよ。それに、さっきも言ったけど天才には天才なりの苦悩がある。
そうね。彼の病弱な弟のように、天才とか何とか言ってないで純粋に野球を楽しむのが、ほんとうの幸せなのかもしれないわね。
野球がやれる、それだけで幸せだっていうのが、また泣かせるよな。
心の離れかけたバッテリーがよりを戻すきっかけになったのが、「野球」ではなく、弟を中心にした「野球ごっこ」だったっていうのがまたいいわよね。
原作が800万部を超えるっていうのがわかるような気がするな。
わかりやすくて、おもしろくて、それでいていろいろなことを考えさせてくれる。文句も言っちゃったけど、いい映画だったわ。
監督の滝田洋二郎も久しぶりにうまくまとめた。プロの仕事だ。
監督だけじゃなくて、彼を中心とするチーム全員がね。
野球チームと同じだ。
ほんと・・・。
東大は今年何位なのかなあ。
そんなこと考える前に純粋に野球を楽しみましょうよ。
ああ、そうだった。


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「ボビー」:白金小学校前バス停付近の会話

2007-03-07 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

ここは?
八芳園。昔は誰か偉い人の庭園だったらしいけど、いまでは有名な結婚式場よ。
ひとくちに結婚ていってもいろいろな形があるんだなあ、と思い知ったのがアメリカ映画の「ボビー」。
ロバート・ケネディが暗殺された日に現場となったアンバサダーホテルにいた22人の人々の人間模様を描いた映画ね。
そのなかの一組のカップルがアンバサダーホテルで結婚式を挙げるんだけど、これがベトナム戦争に行かされるのを嫌がっての偽装結婚。
独身ならベトナムに行かされるけど、結婚すればドイツ行きで済むっていうんで、好きでもないのに結婚しちゃうのよね。
当時はそんなことが実際にあったらしくて、脚本・監督のエミリオ・エステベスはこのエピソードにインスピレーションを得て脚本を書きあげたらしい。
でもこのカップルが主役なわけじゃなく、24人の一人ひとりが主役なのよね。
22人がすべて主役なんていうと、どんないいかげんな映画なんだ、と思うかもしれないけれど、一人ひとりのエピソードがみんな心に染みて感動するという奇跡のような映画なんだ。
そうそう。人種も境遇も違う22人のそれぞれの人生や思いが混乱することなく、すべてきちんと伝わってくるんだから凄いわよね。
メキシコからの移民も、引退したドアボーイも、落ち目の歌手も、電話交換手も、ドラッグに手を出す若者も、みんなどこか寂しげな部分を持っていて、しかも、人種問題とか徴兵問題とか、あの1968年という時代の断片をみんなが抱えている。上流社会の人々も中流の人々も下流社会の人々もだ。彼らを眺めていると、まさしく、あの時代のアメリカを形作っていたすべての要素がひとつのホテルに集まっているようで、めまいがするくらいだ。
その中心にいるのが、ロバート・ケネディなのよね。彼自体にドラマがあるわけではないけれど、ケネディの演説に聞き入る22人の瞳は確実に同じ方向を向いて輝いていた。そして一転、ケネディが銃弾に倒れた後の阿鼻叫喚。アメリカという国の希望が一瞬にして挫折に変わるシーンの目撃者になってしまったような恐るべき体験。
当時のニュースリールとこの映画のために撮影したシーンを上手に編集した映像はこのうえない臨場感に満ち、その中で聞く本物のロバート・ケネディの演説。フィクションとリアルが垣根を越えてこの世界の成り立ちを観客にくっきりと差し出す。こんな経験初めてだ。
しかも、その背後に流れるのが、あの当時、あのホテルで撮影された有名な青春映画の挿入歌。
おっと、曲名を言うなよ。
どうして?
あれは知らないで観たほうがいい。知らないで観て、いきなりあの名曲を耳にしたときには、頭をなぐられた思いがした。あれで1968年のアメリカという世界が完璧にできあがった。
昔を再現、というのではなく、あの頃のアメリカの魂を再現したというほうが正しいわよね。
ああ。そしてあの日失った光がいまのアメリカのイラクへの対応にまで続いているという、はっきりした主張。
最後にロバート・ケネディの暴力反対の肉声が延々と流れるんだけど、これがまた、感動的なのよ。どうして、こういう人から先にいなくなってしまうんだろうって、ほんとに世の中の皮肉を思うわ。
不都合な真実」のゴアの演説なんて、この演説の前には色あせて見えることこのうえない。
22人だから、挙げていったらきりがないけど、そうそうたる俳優たちのアンサンブルにまた舌を巻くのよね、これが。
シャロン・ストーンがデミ・ムーアの美容師役なんて考えられるか。
アメリカ映画の最良の部分が現れたような映画よね。
名作だ。そして、泣ける。とにかく泣ける。ドジャースファンのメキシコ人が人種差別もからんで野球を見に行けなくなるエピソードなんて涙がちょちょ切れる。
しかも、それがロバート・ケネディのほんとの演説にからんでくるうまさ。
きら星のようにいるスターの中で彼だけあまり有名な俳優じゃないっていうのがまた泣かせるじゃないか。
泣かせようとする物語じゃないんだけど、なにか人々の営みに泣けるのよね。
八芳園の結婚式で父親が流す涙のようなもんだな。
うーん、それは違うと思うけど。


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