【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「黒い土の少女」:湯島四丁目バス停付近の会話

2008-03-29 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

お、あそこに見えるのは、火の見やぐらか。
ずいぶん、立派な火の見やぐらね。「黒い土の少女」の火の見やぐらとはえらい違いだわ。
韓国の貧しい炭鉱町で暮らす九歳の少女とその兄と父親の話だろ。ちょっと知恵遅れの兄は、朽ちかけた火の見やぐらに登って家族を困らせたりするんだよな。
「ギルバート・グレイプ」のデカプリオが木に登るようにね。
でも、「黒い土の少女」は「ギルバート・グレイプ」より全然悲惨な話だ。
つぶれかけた炭鉱で母親はいないし、父親は飲んだくれるばかりだし、兄はたよりにならない。ひとり、幼い少女がしっかりするしかない。
この少女の演技が、うまくてなあ。
天才子役って、今までいっぱい見てきたけど、その系譜に入るような名演技よね。
ただ、たたずんでいるだけで、この悲惨な世界を引き受けようとする決意と不安と諦念のすべてが観客に伝わってくる。信じられないくらいだ。
昔、ウォークマンの宣伝で、ただ猿が目を閉じて立っているだけなのに、妙に哲学的に見えて評判になったことがあるけど、それに匹敵するわね。
おいおい、たとえがおかしいぞ。少女と猿を一緒にするな。
でも、彼女の演技もすばらしいけど、それを引き出した監督の演出力もたいしたものだと思うわ。
いわゆるアート系の暗い映画だから、楽しい映画が好きな人には向かないと思うけど、たとえば、小栗康平の映画が好きな人とかにはたまらないんじゃないか。
ああ、物語をいちいち説明するというより、画面からいろんなイメージが立ち上ってくるような撮り方だもんね。
父親が、ただ黒い炭の山を滑り降りてくるところだけを延々と映して、彼の絶望を表現するとか、たまんないな。
結局、少女はある決断をして、この一家には大きな悲劇が訪れるんだけど、そのときもカメラはただ静かに少女の表情を追うだけ。
そのときの彼女の表情がもう、なんとも表現のしようがない。俺たち観客は、息をひそめて見守るしかない。ただ立っているだけなのに、名シーンになってしまった。
こんなに素晴らしい映画なのに、東京では「韓国アートフィルムショーケース」とか名打って短期間上映されただけなんだから、信じられない。
2008年の外国映画を代表する一本なのに、惜しいよな。
暗い場面が多いからDVDになっても、その良さがわからないかもしれないし。
そもそも、おもしろい映画じゃないから、家のリビングで観ていても集中力がもたなくて、途中でやめちゃうんじゃないか。
みんなでわいわい言いながら観るなんて、有り得ないもんね。
俺たちみたいな観てしまった人間が「どっかで観ろよー」って、大声で叫ぶしかないかな。
そうそう。あの火の見やぐらの上で叫んでみようか。
それはやめとけ。パトカーが来るぞ。
ううん、消防署の上だから、救急車が来るわ。


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「4ヶ月、3週と2日」:本郷三丁目駅前バス停付近の会話

2008-03-26 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

こんなところに、医科器械会館なんてあるのね。
このあたりは、大学病院が近いせいか、医療機器関係の会社が密集しているからな。
「4ヶ月、3週と2日」の主人公も、このあたりに住んでいれば、最新技術の医療が受けられて、あんなに苦しまなくてすんだかもしれないのにね。
って、そういう話じゃないだろう。ひとことで言えば中絶の話ではあるけれど、ここでテーマになっているのは、医療の問題じゃないからな。中絶が非合法だった時代のルーマニアでルームメイトのガビツァが妊娠してしまったために、闇の医者に頼んで中絶するまでを手伝う女学生オティリアの一日の話を通して浮かび上がってくるのは、チャウセスク政権時代のルーマニアの抑圧と退廃と悲惨だ。
ああ、なんでも社会や政治のせいにする。それって、いかにも男の人らしい解釈ね。でも、この映画は、時代や体制に関係なく、こういうことが起こったら、精神的にも肉体的にも傷つくのはいつも女性の側だって言いたいのよ。女性にとっては、医療のあり方も含めて、いまここにある危機をどう乗り越えていくかが問題なんだから、御託を聞いている暇はないのよ。
なんだよ、いきなり鼻息荒くして。
だって、出てくる男たちがみんな、だらしなくてさあ。ガビツァの相手の男なんて、顔さえ出てこない。
でも、あんな闇商売をする悪徳医とか、役人みたいに杓子定規でいいかげんなホテルマンなんて、いかにも共産主義社会らしくて、いまの日本じゃちょっと考えられないだろう。
なに言ってるのよ。オティリアが恋人に「私たちだったらどうする?」て聞いたときの、男の煮え切らない答え。「俺たちはまだそうなっていない」とか何とかグダグダ逃げ回るばっかりでサイテーも度を越してる。あれはもう、古今東西関係なく、男たちの典型的な振る舞いよね。まるで、あなたをそのまんま見ているみたいだったわ。
ちょ、ちょっと待て。映画と俺は関係ないだろう。
ほーら、そういう逃げ腰な態度が問題だって言ってるのよ。
あー、一緒に観る映画じゃなかったか。
そんなこと、ないわ。観た後に二人でじっくり話し合うには絶好の映画よ。
場合によっては、絶交する映画にもなる・・・。
それは、あなたの態度しだいよ。
まったく、この手のヨーロッパ映画っていうのはそういう問題を突きつけてくるから、つらいよなあ。
身につまされる、ってやつでしょ。まるでドキュメンタリーみたいな濃密な撮り方して、他人事とは思えない緊迫感がある。
中絶したガビツァの容態を気にしながらも恋人の家族と食事をしなければならなくなったオティリアのイライラなんか、そのまんま伝わってくるもんな。
家族のくだらないおしゃべりが延々と続くんだけど、そんなことどうでもいいから、ガビツァのもとへ早く返して、って観ているほうも思っちゃうもんね。完全にオティリアの気持ちと同化しちゃう。
でも、このガビツァという女も、脳天気というか何と言うか、自分のことなのに、医者とのいい加減な交渉といい、中絶したあとのあっけらかんとした態度といい、ことの重大さを認識していないような行動ばかり取る。いくらルームメイトとはいえ、こんな女のために身を削るほど献身的になる必要がオティリアにはあるのか。
そこが実は、当時のルーマニアの状況を知らない私たちには理解できないところよね。
ほら、やっぱり、この映画、あの時代のルーマニアであることを切り離しては考えられないだろう。周りがみんな秘密警察みたいな異常な世界では、好むと好まざるにかかわらず、ああいう共犯関係に落ちこんでいかざるを得ないのかもしれない。
ダメよ、そんな小難しい話に持ちこんで関心をそらそうとしても。
いや、別にそういう意味じゃないけど。
とにかく、じっくり語り合いましょう。
って、いったいどれだけ語り合ったら解放してくれるんだ?
うーん、4ヶ月、3週と2日くらいかしら。


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「マイ・ブルーベリー・ナイツ」:真砂坂上バス停付近の会話

2008-03-22 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

なに、このお店?ブルーベリー・パイでも出してくれるの?
違う、違う。この店は、この界隈じゃちょっと有名なハンバーガー屋だ。
おすすめのメニューは?
俺が好きなのは、ボリューム満点の「マッドバーガー」だな。なにしろ、ビーフパティが3枚重ねで、味も分量も文字通り狂っているとしか思えないほど豪勢至極なハンバーガーだ。
2,048円、ほぼ映画一本分の値段かあ。おいしいバーガーを食べるか、楽しい映画を観るか、ここは悩むところね。
おいしい食べ物の出てくる楽しい映画を観るって手もあるけどな。
「マイ・ブルーベリー・ナイツ」みたいな?
まさしく。主役は甘いブルーベリー・パイ。
だらーっ。
ん、なんだ?
ごめん。思い出したら、よだれがたれた。
おいおい、女のくせにロマンチックじゃないねえ。
映画のほうは、ロマンチックそのものよ。ブルーベリー・パイが取り持つニューヨーク男女の甘く切ないラブ・ストーリーが、人生の機微を感じさせるエピソードを交えながら展開する。
香港のウォン・カーウァイが初めてアメリカで撮ったっていう触れこみの映画だ。
「恋する惑星」とか「天使の涙」といったおしゃれなラブ・ストーリーから「花様年華」のようなムンムンに熟れた恋愛映画に行き、「2046」でわけのわからない袋小路に入ってしまったようなウォン・カーウァイが、場所を香港からアメリカに変えて、もういちど初心に戻ったような印象の映画よね。
なるほど。じゃあ、主演のノラ・ジョーンズは、監督の分身ってことか。
どういう意味?
恋に破れた女性がアメリカを旅するうちに、もういちど恋をする気持ちを取り戻していくという物語なんだけど、それって、「2046」の失敗で映画に失恋したウォン・カーウァイがアメリカに旅し、もういちど映画を撮る気持ちを取り戻す、っていう過程に重ならないか。
つまり、主演のノラ・ジョーンズに託して監督が自分の映画に対する心情を語っている映画だってこと?
ビンゴ!
あなたにしては、珍しく理屈っぽいことを言うのね。監督自身が「2046」を失敗作と思っているかどうか微妙だし、そんな裏目読みしなくたって、ただの恋愛映画として観ても、とても気持ちよく身をまかせることのできる映画だったわ。
独特な風景の切り取り方とか、揺れるようなカメラワークとか、美しい光の軌跡とか、あくまでスタイリッシュな感覚はウォン・カーウァイ印そのものだもんな。アメリカで撮るとなると気負って失敗する香港の映画監督が多い中で、ウォン・カーウァイのスタンスは香港の頃とまったく変わらない。
主演のノラ・ジョーンズの歌を初めとする音楽の入れ方も、相変わらずセンスいいし。
相手役のジュード・ロウがちょっとかっこよすぎかなと思うけど、ポスターとか見ると、やっぱり決まってる。
ノラ・ジョーンズとジュード・ロウの顔がさかさまに向き合っているポスターでしょ。あのポスターの印象がそのまま本編を貫いているような、愛にあふれた映画よね。
そんな映画のいちばんの象徴が、何度も出てくるブルーベリー・パイ。とろりとしたたるブルーベリーの甘い感触がスクリーンいっぱいに広がって、映画の空気を支配する。
あれだけ心地よく刷り込みされちゃあ、「映画が終わったら、二人でブルーベリー・パイでも食べに行こうか」って会話にもなるわよね。
いや、俺はやっぱり、ブルーベリー・パイよりマッドバーガーだな。
甘さよりボリュームってこと?
お前だって、本音は色気より食い気だろ。
だらだらーっ。
よだれたらすな!


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「フローズン・タイム」:春日駅前バス停付近の会話

2008-03-19 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

この春日局、全然動かないわね。
あたりまえだろ。ただの銅像なんだから。
でも、こう凍ったように動かないと、何かいたずらでもしたくなっちゃうわね。
着物を脱がして絵のモデルにでもするか。
そんな、「フローズン・タイム」じゃあるまいし、銅像の着物なんて脱がせられるわけないでしょ。バッカじゃないの。
って、お前が言い出したことだろ。
イギリス映画の「フローズン・タイム」は、失恋で不眠症になった男子美大生が、時間を止められるようになっちゃうって話。
でも、せいぜい、バイトしているスーパーの客を脱がして絵のモデルにする程度。
実は、そこで働いている女性と恋に落ちる、っていうほうが本筋なのよね。
いわゆる、ロマンチック・コメディってやつだな。
「フローズン・タイム」って、結局、恋する二人の時間は止まるっていう意味だった。あのファンタジックなエンディングをつくるための仕掛けだったのね。
二人のためにフリーズした世界。「時間よとまれ、君は美しい」っていう瞬間だ。
ああ、ロマンチックの極致。
だれか、ロマンチック、とめて。ロマンチック、とめて
って、あんたは、C.C.Bか。
軽い感覚の映画だから、それくらい肩肘張らずに観ていればいいってことさ。
渾身の力をこめてつくりました、っていうより、こんな映画つくってみました、っていうノリだもんね。役者も演出もどこかアマチュアっぽくて、映画の出来としては未熟というか、安っぽい感触もあるんだけど、案外憎めない。
監督がショーン・エリスというファッション・フォトグラファーだっていうからね。
写真家かあ。言われてみれば、スーパーの客がみんな写真のモデルみたいだったもんね。
日本でも女性写真家が「さくらん」なんていう映画を撮っているけどね。
あれこそ、豪華絢爛で、いかにも写真家が撮りました、っていう映画だった。
あれに比べれば派手さはずいぶん控えめだけど、それだけに心情が素直に伝わってくる。
さくらん」はあんまり気持ちが伝わってこなかったからね。
「フローズン・タイム」は、イギリス映画だからかわからないけど、主人公を取り巻く人々に、「フル・モンティ」みたいなみみっちい感じがどこかにあって、それが人間味を生んじゃうのかもしれない。
彼が恋するスーパーの女性店員が、最初はドンくさい田舎娘なのに、話が進むにつれてどんどんきれいになっていく。まるで、「ロッキー」のエイドリアンを見ているみたいだったわ。
おいおい、いくらなんでも、それは褒めすぎだろう。ちょっと似ていないこともないけど。
この春日局像が本物の春日局に似ている程度には、似ていると思うわよ。
うーん、たとえがヘン。
なんでもいいけど、私にも「フローズン・タイム」みたいなロマンチックな瞬間、来ないかしら。
身も凍るほど恐ろしい時間っていう意味の「フローズン・タイム」なら、俺は毎日経験しているけどな。
私といるから?
う、う、口が凍った。


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「ノーカントリー」:富坂上バス停付近の会話

2008-03-15 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

この門をくぐると中央大学の後楽園キャンパスだ。
司法試験にたくさん受かっている大学でしょ。
ああ、中央大学を「白門」と呼ぶことがあるけど、「白」という色には、「正義」「潔白」「真実」「純粋」というイメージがあって、それが「法」のもつイメージと重なって、この大学をそう呼ぶようになったらしい。
きょう観た映画とは、えらく遠い世界ね。
コーエン兄弟の「ノーカントリー」だろ。
法も秩序もあったもんじゃない。ただただ、驚愕の殺戮が繰り返されていく。
古き良き西部劇の舞台だったテキサスも現代では理不尽な殺人の舞台でしかないという寂寥感に始まり、冷酷なまでに無表情で残忍な殺人を繰り返す男の姿を描いていく。
トミー・リー・ジョーンズがテキサスの保安官役で出ているんだけど、昔なら正義の味方にもなった役どころだろうに、いまや、自分の理解をこえる殺人を嘆くばかりで、何ひとつできない。
その殺人者を演じるのが、「海を飛ぶ夢」のハビエル・バルデム。独特なおかっぱ頭が恐怖をあおって、まあ、不気味で恐ろしい。映画史に残る殺人鬼だ。
この映画の中でいったい何人の人間を殺したのかしらね。
「みんな、私を殺す必要なんかないって言う」なんてうそぶきながら躊躇なく殺していっちゃうんだけど、ほんとに殺す必要がないんだよな。
でも、彼の中には彼なりの理屈があるようで、それがかえって不気味なのよね。
なにやらとてもストイックというか哲学的な信念を感じるところもある。
この偏執的な殺人者の演技でハビエル・バルデムはアカデミー助演男優賞を獲っちゃったけど、たしかに異常なほどの存在感だった。
でも、彼は助演じゃなくて、主演なんじゃないのか。彼が助演だとすると誰がこの映画の主演なんだ?
何もできずに、こういう状況を嘆くばかりのトミー・リー・ジョーンズかしら。原題は「NO COUNTRY FOR OLD MEN」。このOLD MENて、彼らのことでしょ?彼らには理解できない世界になっちゃった。
映画自体、アカデミー作品賞を獲っちゃった。これも驚きだ。
最近は「クラッシュ」とか「ディパーテッド」とか、後ろ向きというかどこか閉鎖的な感じのする映画が獲っているから、その流れなんじゃないの?
本来、アカデミー賞っていうのは華やかなお祭りなんだから、「ヘアスプレー」みたいな底抜けに明るい映画が獲っていいようなものなのに、最近はそういう楽しい映画はノミネートもされない。
それよりも、アカデミー賞っていうのは時代を反映する鏡だから、暗い世相のアメリカを象徴するような映画が獲っちゃうっていうことじゃないの?
そうかもな。コーエン兄弟にしたって、かつての傑作「ファーゴ」なんて同じような殺人事件の話だったのに、どこか温かいというかユーモラスな部分があって救われていたけど、「ノーカントリー」は硬質そのものの救いのない映画になってしまった。それだけ、暗い時代になったってことかもしれないな。
うがった見方をすれば、殺す必要のない人を殺すって、イラクでアメリカがやっていることかもしれないわね。
あの狂気の殺人犯は、アメリカそのものだっていうのか。こわっ。
かつて、西部劇が象徴していたような「正義」「潔白」「真実」「純粋」といったものは、もうアメリカにはないんだという絶望・・・。
そういう映画をアカデミー賞に選ばざるを得ないアメリカの苦悩・・・。
「白門」と呼ばれる中央大学の前で思いを巡らす私たち・・・。
ああ、重い思いだ。
ああ、OLD MENなギャグをとばすあなた・・・。



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