【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ゾディアック」:富岡一丁目バス停付近の会話

2007-06-16 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

これが富岡八幡宮名物、日本一の黄金みこしだ。
黄金みこし?
鳳凰の胸にはダイヤ7カラット、鳳凰の目にはダイヤ4カラットが1対、鳳凰の鶏冠にはルビー2,010個、狛犬の目にはダイヤ3カラットが2対、隅木の目にはダイヤ1カラットが4対、小鳥の目にはダイヤ1カラットが4対、屋根には純金24kg、その他プラチナ、銀、宝石多数使用。
ちょ、ちょっと待ってよ。そんなに豪華なら犯罪者の格好の標的になっちゃうんじゃないの?
だからこうして普段はガラスの格納庫に入っている。
まあ、おみこしなら仕舞っておけばいいけど、生身の人間じゃそうもいかないわね。ゾディアックみたいな犯罪者に出会ったら運の尽きとしかいいようがない。
1970年前後のアメリカを震撼させた連続殺人鬼のことか。
そう。その実在した犯罪者を映画化した監督が、デビッド・フィンチャー。
「セブン」や「ファイト・クラブ」の監督だから思いきりスタイリッシュな映画になるのかと思ったら、あまりにも正統派のドラマなんで驚いた。
ゾディアックって、殺人を犯したあとで、暗号文を新聞社に送りつけて新聞の第一面に載せろって脅迫した男でしょ。不謹慎かもしれないけど、その暗号文のデザインが見た目、とってもグラフィカルで魅惑的なんで、デビッド・フィンチャーはそこに関心を持ったのかなと思ったんだけど。
ああ、映画のチラシにもなっている暗号文だろ。あれをシンボルに、いままでの彼の映画みたいに凝ったヴィジュアルで押してくるんだろうと予想したのにみごとに裏切られた。
ストーリーも映像もすべてがドラマに貢献する、きわめてまともで質の高い映画だったわね。
最近は「バベル」や「プレステージ」のように観客をケムに巻くつくりの映画が多くて、デビッド・フィンチャーだってそういう映画が得意だとばかり思っていたのに、今回はそういう手練手管はいっさい、ない。
じゃあ、魅力的じゃないかというと、そんなこと全然なくて、殺人鬼を取り巻く人々のドラマに引き付けられて一瞬たりとも目が離せないという出来に仕上がっている。
才気煥発な監督が自分の才気を封印してドラマを語ることに専念すると名作ができあがるという典型のような映画だった。
古くは「キャリー」とか「殺しのドレス」のような好き勝手な映画をつくっていたブライアン・デ・パルマがお雇い監督になって「アンタッチャブル」をつくったら名作ができあがってしまったような?
そう、そう。「バベル」のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督や「プレステージ」のクリストファー・ノーラン監督だって、自分の得意技を封印してまともな映画をつくれば名作になる可能性は十分にある。
もともと才能のある監督たちなんだもんね。
しかも「ゾディアック」の場合、殺人シーンにはやはりデビッド・フィンチャーらしい薄気味悪さが残り、映画全体にちょうどいい塩梅の不安感を醸し出すのに成功している。
私はデビッド・フィンチャーの偏執狂的なところが時代の雰囲気や何気ない小道具や照明の当て方のような細部に出ているような気がして、それが積み重なって豊かな映画的空間を生み出したような気がするわ。
ああ、細部の心配りがいかに大事かを感じさせる映画だよな。
殺人犯をどう追い詰めていったかという映画じゃないからね。ゾディアックという殺人犯を追ううちに、深くのめりこみすぎて人生を狂わせて行く人々の心の軌跡を追う物語だから。
最近の映画でいうと「カポーティ」に近い匂いの映画かな。
あれも秀作だったけど、やっぱり海の向こうの物語みたいな感じがして、「ゾディアック」のほうがもっと自然な形でゾッとする気分を味あわせてくれる。
名作としか言いようがない。
この黄金みこしみたいに?
ああ、見た目は派手なのに内容の空疎な映画は多いが、「ゾディアック」は、見た目の派手さがないぶん、中身は黄金に輝いている。


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富岡一丁目バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<東20系統>
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