【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「憑神」:木場駅前バス停付近の会話

2007-06-23 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

まるで江戸時代にでも迷いこんだみたな趣の橋ね。
このあたりにはまだまだ昔ながらの風情が残っているんだな。
この先に三巡稲荷があったりしても不思議じゃないような風景よね。
江戸時代末期を舞台にした映画「憑神」の中で妻夫木聡が幸運を祈ったお稲荷さんか。
そうそう、幸運を祈ったはずなのに、貧乏神やら厄病神やら死神にとりつかれちゃってもう大騒ぎっていう映画。
貧乏神に扮した西田敏行の仕草が最高におもしろかったな。
他の人がやったらたいしておもしろくもないことなんだろうけど、彼がやるともう、おかしくて、おかしくて、さすが役者よね。
貧乏神がやたらおもしろいものだから、続いて出てきた厄病神や死神の影が薄くなっちゃった。
赤井秀和の厄病神に、森迫永依ちゃんの死神。
森迫永依て、テレビのちびまる子ちゃん役の女の子だろ。
そうそう。達者な女の子で、小さな女の子が実は死神だったなんて、意外でおもしろい設定だったわ。
でも、かわいくて明るい死神っていうのも悪くないが、死神なんだから少しは暗い影や薄気味悪い部分がひょいと顔をのぞかる場面があれば、もっと設定が生きたんじゃないか。
全体に、縁起でもない神様たちにとりつかれていくうちに、のんべんだらりと生きていた男が真剣に自分の生きる意味を考えざるを得なくなるっていう構造はわかるんだけど、それが映画として説得力を持って描かれていたかというと、ちょっと疑問だったかしら。
彼の見出した生きる意味っていうのが、逃げた主君に代わって負け戦覚悟で城と運命をともにするっていうんじゃ、江戸時代ならまだしも、いまの時代にはあまりピンとこないんだよな。
「ラスト・サムライ」の渡辺謙くらいになれば、滅びの美学が感じられてちょっとは納得しちゃうんだけどね。
一方で、厄病神や死神は、欲のない下級武士の素直さにほだされて彼にとりつくのを止めていくっていう話なんだけど、そういう共感を呼ぶキャラクターを演じるには、妻夫木聡にはいまひとつ純真さが足りない。
彼ももはや大スターだからね。そういう意味では余計な貫禄が出てきちゃった。
渡辺謙にはもちろん及ばないけど。
髪の薄さも及ばないけど。
それはともかく、もっと色のついてない俳優がやったほうがよかった役かもしれないな。
「ウォーターボーイズ」の頃の彼だったら?
ああ、そうそう。あれくらいナヨナヨしてたほうがよかったかもしれない。
そして、極めつけは、あの原作者の出方。あれには腰を抜かしたわ。
いきなりぬっと出てくるもんだから、思わず身を引いちゃったよ。
ぬっ。
ぬぬっ。
ぬぬぬっ。
ちょ、ちょっと待て。そんなに顔を近づけるな。気持ち悪い。
原作者が顔を出す映画はときどきあるけど、あそこまで臆面もないのは久しぶりじゃない?
せめて、「バッテリー」のあさのあつこくらい奥ゆかしい登場の仕方なら許せるのにな。あれじゃあ、映画の世界がぶち壊しだ。
もっと原作者に敬意を表した登場のさせ方もあっただろうにね。
「憑神」っていう小説だから、タイトルにふさわしい登場のさせ方を考えたのかもしれないな。
この映画にとっての憑神になっちゃたものね。
俺にとってのお前みたいにな。
それは、私のせりふでしょ。


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木場駅前



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