【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「空気人形」:堀割バス停付近の会話

2009-09-30 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

学校の前を通ると、ときどき代用教員の先生を思い出すな。
代用教員?
担任の先生が産休の間だけ子供たちを教えていた臨時教師。
そんな先生がいたの?
是枝裕和監督の「空気人形」にだって、昔、代用教員をしていたっていう老人が出てきたじゃないか。
そもそも「空気人形」って、代用品の話だもんね。
女性の代用品として男に抱かれる人形の話。
中身は空気だけの人形なのに、突然心を持って動き出してしまう。
その人形を取り巻く人間たちがみんな心に空洞を抱えているって対比がミソになっている。
代用教員だった老人もそうだし、人形を買った男もそうだし、人形とは直接関わってこない行きずりの老婆や中年OLまでが空洞を抱えている。
あからさまに「おまえの代わりなんていくらでもいるんだよ」って言われてしまう男もいる。
人形と人間、どっちのほうが人間らしいのかわからない。
そういう悲しい人々を演じるのが、富司純子や余貴美子や寺島進といった、芸達者な面々だっていうのがすごい。
あげくの果てに、オダギリ・ジョーまで出てくる。
でも、彼らのバック・ストーリーはほとんど語られないから、共感を抱くまではいかない。
もったいないわねえ。あんなに輝いていない余貴美子を観たのって久しぶりな気がする。
そのぶん、圧倒的な存在感で目を引くのが、主役の人形を演じるぺ・ドゥナ。
いくらでも陰惨な展開になりそうな物語なのに、彼女の持ち味のせいか、是枝監督の演出のせいか、妙に明るい映画になった。
人形をあんなに自然に演じる女優を初めて見た気がする。
ぺ・ドゥナは韓国人だから、日本語がたどたどしいんだけど、それがまた役柄に合っている。
あんなチャーミングな人形ならそばにいてもいいかなと思ってしまう。
そっ、それってちょっと問題発言。
あ、はい。
でも、恋する男が現れて、空気を抜かれたり、息を吹き込まれたりしながら抱かれるっているラブシーンは秀逸だった。
ぺちゃんこになったり、またふくらんだり。ぺちゃんこになったり、またふくらんだり。
そうして、男の息が体の中に充満していく。
切なくも美しい名場面。
文字通り、好きな人の息で体を満たしちゃうんだから、ある意味、理想的な恋よね。
でも、愛嬌のあるぺ・ドゥナだから、どこかユーモラス。
人形の悩む姿を通して語りたいのは、心の中にぽっかりと空虚を抱えていてこそ人間なんだ、っていうことなんだろうけど、ファンタジー色が強いから、そこまで深い洞察を与えられない。
周りの人々とのちょっと中途半端な関わり方を含め、構成に緻密さが足りなかったかな。
代用品の普遍的な悲しみが映画から沁み出てくるまでいかない。
いくらでも代わりのいる代用品・・・。
それで、あなたの知ってる代用教員の先生はどうなったの?
産休の先生が戻ってくるとともに、どこかへ消えていった。
空気のように?
ああ、空気のように。



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「リミッツ・オブ・コントロール」:上池袋四丁目バス停付近の会話

2009-09-26 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

動物病院ってたいへんだよなあ。
動物は人間の言うことをきかないからね。
動物をコントロールしようとしても限界がある。リミッツ・オブ・コントロールだ。
それってなんか、意味が違うと思うけど。
いいんだ、ジム・ジャームッシュの映画に意味を求めてもしょうがないんだから。
今回の新作「リミッツ・オブ・コントロール」も、物語を追うというよりは、一瞬一瞬を味わったほうがいいような映画だもんね。
「自分こそ偉大だと思う男を墓場に送れ」という依頼主の言葉だけを頼りに、スペインへ行った殺し屋の物語。それ自体ヘンな話なんだけど、その男の周りを風変りな男女が、入れ替わり立ち代り、現れては消えていく。
それぞれの登場人物が意味ありげな言葉を吐いては消えていく。
おもしろいといえば、おもしろいけど、つまらないといえば、つまらない。
ジム・ジャームッシュの映画って、やっぱり「ストレンジャー・ザン・パラダイス」が鮮烈にして最高傑作だったな。
でも独自の世界観を保っているのはたいしたもんだよ。
エスプレッソを2杯、別々のカップで頼むおかしみなんて、他の監督じゃ考えつかない。
しかも、そういうふつうはどうでもいいような細部に魂が宿っている。
だから、今回も話はおもしろくないかもなあ、と思いながら、ついつい彼の映画には足を運んでしまう。
日本の監督でいえば、資質はまるで違うけど、黒澤清みたいな存在かな。
話がおもしろいかどうかを超えているのよね。
いきなり「宇宙には中心も端もない」なんて言われても意味わかんないんだけど、黒澤清の映画の中でいきなり「全部許す」と言われるようなもので、なぜか心にひっかかる。
そういう企みの総体がジム・ジャームッシュの世界をつくっている。
「ジム・ジャームッシュの映画に行ってきた」っていうだけで、なんか流行の最先端を行っている気分になってしまう。
まるで表参道か六本木にでも行ってきたような気分。
たとえば「男はつらいよを観てきた」じゃあ、そうはならない?
「男はつらいよ」もいい映画なんだけど、柴又だからねえ。
帝釈天じゃあダメか・・・。
ジム・ジャームッシュが撮れば別かもしれないけどね。
それはコントロールの外だな。
リミッツ・オブ・コントロールよ。



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「九月に降る風」:上池袋三丁目バス停付近の会話

2009-09-23 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

ここに駐車場あるわよ。
だから?
あなたのバイクもここにちゃんと停めたら。
バイクなんてどこに停めたっていいだろう。
だめだめ。そういう軽々しい意識でいるから事故がなくならないのよ。
「九月に降る風」の高校生たちも、軽い気持ちでバイクに乗ったらあんな大事件になっちゃったもんな。
そう、台北郊外に暮らす高校生たちの情景を描いた台湾映画「九月に降る風」。その中でいちばんの事件といえば、バイクの事故。
この映画、無為に過ぎていく時間を描いただけのありふれた青春映画なんだけど、それがとても懐かしい感触をもたらすのはどうしてなんだろうな。
1996年の台湾の話なんだけど、どうにも日本的な郷愁を誘ってしまう。
意識してそういう特別な風景を切り取っているわけでも、ことさらドラマチックな盛り上げを用意しているわけでもなのに、忘れていたものを思い出させるような、胸をえぐる瞬間が確実にある。
侯孝賢から連綿と続く台湾青春映画の特色としか言いようがない。
侯孝賢の「恋恋風塵」もビデオボックスで観る映画としてしっかり出てくるし。
「恋恋風塵」は青春映画のジャンルでは映画史上の1、2を争う大傑作だもんね。あのみずみずしい感覚を継承したいっていう意思の表われなんじゃないかしら。
オーバーに言えば「恋恋風塵」をほうふつとさせるような瞬間が何か所も出てくる。
学校の屋上に佇む女子高生とか、壁を相手にキャッチボールをする男子高校生とかでしょ。
教室の机とか、列車に座っている姿とかな。
そういう何気ない情景が心震えるほど懐かしいのよね。
懐かしいというより、普遍的な青春の姿を目の当たりにしているっていうことなんじゃないか。
とにかく、静的な映像が印象的。
青春という時間は風のように失われていくから、一瞬、一瞬がいとおしいのかもしれない。
それをすくいあげる手腕が侯孝賢を思い出させる。
「恋恋風塵」に比べ、主人公たちの容姿が今風に垢ぬけているところが全然違うけどな。
でも、みんな個性的でよかったわよ、あの男子生徒たち。
九月って台湾では卒業とか入学のシーズンらしいけど、「九降風」という原題も素直で悪くない。
「恋恋風塵」もタイトルからして秀逸だったけど、台湾映画ってタイトルからもみずみずしい風が吹いてくるのね。
監督はこの映画が長編デビュー作になるトム・リン。
老練な侯孝賢にはまだまだとても及ばないのは事実だけど、映画に新人らしいすがすがしさが表われていて、今後を期待させることは確かよね。
気をつけて観続けていきたい監督だ。
ついでに、バイクに乗るときも気をつけて。



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「正義のゆくえ I.C.E特別捜査官」:上池袋一丁目バス停付近の会話

2009-09-19 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

この先へ行くと、どこにたどりつくんだ?
さあ、深々とした森が続くのか、視界が一気に開けるのか、ゆくえはわからないわね。
正義のゆくえがわからないようなもんかな。
ウェイン・クラマー監督のアメリカ映画「正義のゆくえ」のこと?
ああ、アメリカの不法移民問題をハリソン・フォード主演で描いたドラマ。
「インディ・ジョーンズ」のハリソン・フォードが主演でタイトルが「正義のゆくえ」なんていうから、勧善懲悪のヒーローものかと思ったら、全然趣の違う社会派映画だった。
副題のI.C.Eってアメリカの移民税関捜査局のことなんだけど、おそらく誰も知らないよな。
ハリソン・フォードは、そこの捜査官。久しぶりに地味だけど誠実な役柄に挑んでいる。
ある事件を解決はするんだけど、それは映画の一部分でしかない。
映画が描くのは、イランやメキシコや韓国やオーストラリアなど、さまざまな国から不法入国してきた人々の姿。
それぞれの人にそれぞれの苦悩のドラマがあって、アカデミー賞映画「クラッシュ」のような群像劇になっている。
みんながひとつのストーリーにからんでくるんじゃなくて、どこかでつながってはいるけれど、独立したエピソードになっているっていうつくりかた。
その全体を俯瞰してみると、アメリカの移民問題の実情が浮かび上がってくる。
なかでも悲惨なのが、バングラデシュから来た家族のエピソード。
賢い高校生のお姉さんが9.11に対する自分の考えを学校で発表しただけで、反米のレッテルを貼られて国外追放させられてしまう。
発言の自由は保証されている国のはずなのに、9.11の感情的なしこりが残っているのかしらね、アメリカにはまだ。
自由とチャンスの国を標榜しながら、その実、排他的な国家の姿が見えてきて、背筋が凍る。
監督のウェイン・クラマー自身も南アフリカ出身で、アメリカの永住権証を取得した移民だっていうから、ひとごとじゃないんでしょうね。
「クラッシュ」ほど技巧を凝らしてないぶん、ストレートに心に迫ってくる。
ほんと、ここまでオーソドックスな映画だとは思わなかった。
これだけ根の深い問題に正義のゆくえを求めても、とても一筋縄ではいかないと思うけどな。
でも、告発する姿勢が大事なのよ。
発言の自由がある国のはずだからな。
この手の映画につきものの星条旗も堂々と出て来たし。
‘せいじょうき’だけに移民に対しても‘正常’な国になってほしいね。
はい、急に会話がいつものレベルに落ちたところで、きょうはここまで。




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「プール」:豊島区役所前バス停付近の会話

2009-09-16 | ★草63系統(池袋駅~浅草雷門)

「音楽はいいぞ」なんていいキャッチフレーズだねえ。ここの楽器屋でギターでも買うか。
なんでまた急にギターなんか欲しくなったの?
決まってるじゃないか、大森美香監督の「プール」を観たからだ。
ああ、あの映画の中で小林聡美がプールの脇に座り、ゆっくり弾いてたギター。思いっきり心が癒されたわ。
そして、全身から力が抜けていくような彼女の歌。まさか、あの小林聡美の歌に癒されるとは思わなかった。
「プール」っていう映画自体、あの歌のプロモーション・ビデオみたいなもんよね。
タイのゲストハウスを舞台に、小さなプールを囲んで6日間の時を共に過ごす5人の姿を描いた映画なんだけど、物語らしい物語は何もなく、ただただ、やさしい時間が流れていくだけ。
娘を日本に残したままタイに渡った小林聡美のところへ卒業旅行で娘が訪ねてくるっていう筋があることはあるんだけど、それで話が進んでいくっていうこともない。
自分勝手な母親と取り残された娘の確執っていうとドラマチックな展開を期待させるんだけど、タイの穏やかな風景の中で、そんな緊張感も雲散霧消していく。
ゲストハウスと言いながら、ゲストも全然いなくて、南の国なのに驚くほどの清潔感。
自然を装ってはいるけど、じつは不自然。都合の悪い部分にはふたをしたような映画で、ずるいといえば、ずるい。
異国のリゾートが舞台なら何でも許されるのか、と言う気にもなるんだけど、画面の中を吹き抜けるゆったりした風を感じちゃうと、そんな目くじら立てるのも野暮だなあと思ってしまう自分がいる。
明らかに「かもめ食堂」「めがね」の路線を踏襲した映画なんだけど、ここまであっけらかんと内容がないと、もう時間の移り変わりに身をまかせるしかなくなってしまう。
思い返してみると、「めがね」なんて、自然のままに身を任せる素振りを見せながら、その実、「たそがれてみませんか」なんていう説教くさいところがあって、ちょっと鼻についたりもするけど、そういう部分がないだけ、この映画のほうがましね。
実はこの映画にも、ことばにこそ出さないものの、「どう、このスローライフ、いいでしょ」っていう押しつけがましいところがあることはあるんだけどね。
かもめ食堂」「めがね」の荻上直子監督からバトンを受けて、今回は、恋愛の駆け引きを描いて絶好調の「ブザー・ビート」の脚本家、大森美香が監督をしたから、もっと丁々発止のやりとりがある映画になるのかなと思ったら、荻上監督よりセリフが少ない。
映画となるとテレビとは違うことをやってみたくなるものなのかな。
でも、最近よくある、テレビドラマのような映画にはならなくてよかった。
やっぱりプロモーションビデオとして受け取ればいいんだよな。
あの映像、あの歌には、タイ式マッサージを受けているような気持ちよさがあったわ。
くりかえすけど、音楽はいいぞ。




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