【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「NINE」:月島四丁目バス停付近の会話

2010-03-31 | ★業10系統(新橋~業平橋)

このあたりも高層ビルが増えたわね。
ビルの上から見る東京なんて、壮観だろうな。
最近の映画で壮観といえば「NINE」に尽きるわね。
そうか?
なんたって、女優陣がすごい。マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、ニコール・キッドマン、ケイト・ハドソン…。
たしかに、老いも若きも、きらびやかに映画史を飾る大スターばかり。
しかも、普段はミュージカルになんて出演しないような演技派女優ばかりよ。
あげくの果てに、御大ソフィア・ローレンまで登場。
もともと、フェデリコ・フェリーニのイタリア映画「81/2」をミュージカルにしたものだからね。イタリアを代表する大女優は、はずせないでしょう。
いまだ健在だぞとばかり、不死鳥美空ひばりのように登場する。
そこで展開するのは、フェリーニ映画をほうふつとさせる、めくるめく豪華絢爛な世界。
フェリーニっていえば、幻想的な映画世界をつくる天才だったからな。
「さて離婚」なんて、意味わからないけど、とにかく圧倒的だった。
それを言うなら「サテリコン」。
そんなフェリーニ映画の原点ともいえる「81/2」をミュージカルにしたのが「NINE」なんだけど、これだけの大女優たちが画面狭しと歌い踊るんだから、他に何が必要?って気分になってきちゃう。
まるで究極の紅白歌合戦。
といっても、白チームはほとんどダニエル・デイ・ルイスひとり。
赤チームに囲まれ、思い悩む映画監督を演じるのが、ダニエル・デイ・ルイス。
そうそうたる女優陣を相手に存在感を失わない男優といえば、彼をおいていないでしょう。
「81/2」でいえば、マルチェロ・マストロヤンニが演じていた役なんだけど、軽薄なところが消えて風格のある役柄になった。
音楽も、ところどころニーノ・ロータ風だったりして、ほんと懐かしい。
フェリーニを失ったのも映画界の大きな損失だけど、ニーノ・ロータを失ったのって、ほとんど回復不可能な損失だよなあ。
堪能したけど、あの頃のような雰囲気あふれる映画はもう二度とできないかもしれないなあと寂しい思いに陥ったりもするもんね。
ああ、古き良き月島の風景が消えていくのを眺めているのと似たような感慨もちょっとあった。




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「マイレージ、マイライフ」:月島三丁目バス停付近の会話

2010-03-27 | ★業10系統(新橋~業平橋)

「救世軍」?リストラされた人も救ってくれるのかしら。
リストラされるのもたいへんだが、リストラするのもたいへんだぞ。
なに、わかった風なことを言ってるのよ。
いや、リストラ請負人の映画を観ちゃったもんだからさ。
ジェイソン・ライトマン監督の「マイレージ、マイライフ」でしょ。
企業のリストラを請負うジョージ・クルーニーがアメリカ国中を飛び回る。
おかげで、飛行機の中で「お住まいは?」って聞かれて「ここ」と答えるほど。
マイルも貯まる、貯まる。
というより、貯める、貯める。
マイルを貯めて何かに使うんじゃなくて、貯めること自体が目的。
いるんだよなあ、そういう無意味なことに価値を見出す男。
崎陽軒のシウマイについてくるひょうたん型醤油入れを集めて何が悪い!
あ、そんな無意味なもん、集めてたの、あなた。
これを言うと、みんなに引かれる。
当然、人間関係も希薄になってくる。
この映画の主人公みたいにね。
でも、本人はそれで本望。
なにしろ、マイルを貯めることに喜びを見出すような男だからな。
あなたみたいにね。
言っておくが、俺はマイルは貯めてないぞ。
知ってるわよ、出張するほどの仕事もないんだから。
こんな映画なのに、実在の航空会社が堂々と出てくる。
太っ腹よねえ、アメリカは。日本では「沈まぬ太陽」みたいに実名は出ない。
映画は、そんな主人公の前に妙齢の女性や若くて有能な新人が現れ、家族の結婚式に出席したりして、すったもんだの末、やっぱり人間ってわずらわしいけどいいなあ、と思い始める。
落ち着くところへ落ち着いて、めでたし、めでたし。
…とありきたりなエンディングにならないところがこの映画のいいところ。
ちょっぴりビターにしめくくって、この映画、古風なつくりと現代的な感覚がうまいバランスで共存している。
監督のセンスがいいとしか言いようがない。
ジェイソン・ライトマンは、「サンキュー・スモーキング」や「JUNO/ジュノ」できらりとセンスが光るところを見せてくれたけど、この映画でも相変わらず達者なセンスを見せる。
アメリカ全土を空から眺めるオープニングタイトルからして楽しい。しかも、テーマを象徴している。
彼の映画って、みんなそうよね。最近、凝ったタイトルが少なくなった中で、とても新鮮に映る。
ある理由から妹夫婦の写真を抱えてアメリカ中を飛び回るんだけど、これが映画のいいアクセントになっている。
どういうところから、こういうおかしなエピソードを思いつくのかしら。
要所要所で流れる、サイモンとガーファンクルになりそこなったような歌声がまた、妙に懐かしい。
結構、ツボにはまる映画よね。
軽いけど、軽すぎず、重い場面も重すぎず。
妙なバランスの主人公を描いて、この監督、いつも絶妙なバランスを保っている。
俺のようなオーソドックスに楽しい映画を好む人間にとっちゃあ、ある意味、映画の「救世軍」。
あなた自身は、オーソドックスじゃないけどね。
マイルも全然貯まんないし。
貯まるのは、ひょうたんばっかり。



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「時をかける少女」:勝どき駅前バス停付近の会話

2010-03-24 | ★業10系統(新橋~業平橋)

開発の進む勝どき界隈にもまだ、こんな時間が止まったような場所が存在するのね。
まるで昭和の風景そのままだな。
あー、あの頃に戻りたい。
って言って、戻っちゃったのが、谷口正晃監督の「時をかける少女」。
戻っちゃったんじゃなくて、2010年の高校生が母親の願いを受けて1970年代に行く話よ、新作の「時をかける少女」は。
その母親っていうのが、オリジナルの「時をかける少女」で未来から来た少年と出会った少女の年食った姿だっていうんだから、なんだからややこしい。
年食ったとは失礼ね。安田成美がおとなになった芳山和子の役を品よく演じているじゃない。
安田成美の娘役が仲里依紗。今回は彼女がタイムリープする。
つまり、オリジナルの「時をかける少女」の続編ってわけ。
なんといっても、開巻直後、仲里依紗が全速力で走るタイトルバックのシーンが素晴らしい。
原田知世が大林宣彦監督版で演じたおしとやかな少女と違って、元気いっぱい、はちきれそうな高校生。
仲里依紗自身が声を担当した細田守監督のアニメーション版「時をかける少女」も元気いっぱいだったけど、今回はそれ以上だ。
それにしても、「時をかける少女」ばかり、何でこんなに何回も映画化されるのかしらね。
そりゃ、タイトルを見りゃわかる。
タイトル?
ああ、「時をかける少女」なんて、映画の題材にぴったりだと思わないか。
どういう意味?
時を“移動”するんじゃない。時を“かける”んだよ。走るんだよ。動くものを写し取るのがそもそもの映画の原点だとすれば、この躍動感こそ、モーション・ピクチャーの真髄だ。
なるほど。
しかもなお、映画は“時間”というものがなければ成り立たない芸術だときてる。“時をかける”少女なんて、これ以上、映画の基本に忠実な題材はない。
だから、仲里依紗が全速力で走っているだけなのに、タイトルバックのシーンが感動的になっちゃったんだ。
細田守版の主人公もやたら走り回ってたし、大林宣彦版は主人公がおとなしいぶん、映画自体がやたら躍動してた。
それを受けての新作。どんな傑作になるんだろうと期待させるに十分の導入よね。
ところがあとが続かない。1970年代にタイムリープしたとたんに、躍動感が停滞してしまう。
そこで出会った大学生が8ミリオタクだったなんて、大林監督なら大喜びしそうな設定なんだけどね。
というか、大林監督なら、この設定をしゃぶり尽くすまで活かしていたんじゃないかなあ。
いままでの映画は、やたら時間を行ったり来たりしてたのに、こんどの映画は、いちど過去に戻ったら、ほとんどそのまんまなんだもんね。時間を旅する原点を忘れてる。
現代の少女が30年前に戻ったらどんなカルチャーショックを受けるのかっていうのがテーマだとしたら、それは「時をかける少女」とは違うような気がする。
そのカルチャーショックも通り一遍の感じがするしね。
時間の合間に漂ってしまった少女の戸惑いや、しょせん違う時間を生きている少年への切ない思いといったものも、期待したほど感じられなかったしなあ。
たしかに、これまでの「時をかける少女」は、時間を巡る躍動感と切なさが一対になってた。仲里依紗が、あまりに陽性すぎたのかしら?
配役としては決して悪くない。もっともっと、飛んだり跳ねたりしてほしかったくらいだ。彼女を見つめる製作者に“時間”という不安定なものに対する自覚がもう少しほしかったっていうことじゃないかな。
最後は、“かける”どころか歩き出しちゃうしね。
時を歩く少女…。
いや、道を歩く少女。
“走るんだ、仲!”という俺の思いも届かなかった。残念。
仲?仲里じゃないの?
違う、違う。名字は、仲。名前が、里依紗。
なんだか、妙に美少女には詳しいのね。
くやしかったら、少女たちに交じってこの手の映画を観るオジサンの気持ちにもなってみろ。
別に、くやしくないし。



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「花のあと」:勝どき橋南詰バス停付近の会話

2010-03-20 | ★業10系統(新橋~業平橋)

屋形船って、こんなところに停泊してるのね。
桜の季節になったら、この船に乗って隅田川巡りなんて、風流でいいな。
船こそ出てこないけど、桜の花見から始まる映画が、藤沢周平原作の「花のあと」。
北川景子が時代劇に初主演して、髪をうしろで結わえたりりしい剣豪姿まで披露してくれる。それだけでマルだな。
でも、恋心を抱いた男が陰謀に巻きこまれて自害したんで、許婚がありながら、彼のかたきを取るっていう話よ。なんか、動機が不純じゃない?
どうしてだよ。恋心を抱いた男って言ったって、いちど竹刀を交わしただけの仲だぜ。後ろめたいことなんか、何もないだろ。
いちど竹刀を交わしただけの男のために、命がけでかたきを討つっていう発想がわからないって言ってるのよ。
女にしては珍しいこと言うね。それだけ一途な恋に落ちたっていうことだよ。それに、許婚がいるっていったって、親が決めた縁談にすぎないからな。
その許婚にかたき討ちの協力を頼むんだからねえ。
他に方法がないんだから、仕方ないだろ。
この許婚がご飯ばっかり食べてる木偶の坊かと思ったら、結構いいやつでね。
一見頼りなさそうに見えて実は頼りがいのある男を甲本雅裕が好演している。もうけ役だな。
北川景子の気持ちを慮って、彼女をピンチが襲ってもかたきを討つまでは表に出ていかない。見ようによっては、腹の座った男よね。
そのかたき役を演じるのが歌舞伎の市川亀治郎。さすがに平成の顔つきじゃなくて、時代劇の顔つきをしている。立ち居振る舞いもまた、時代劇そのもの。彼のような役者と剣を交えるんだから、北川景子もたいしたもんだ。
でも、女にしては剣の達人という役柄なんだけど、北川景子だから強いというよりけなげな印象が先に立つ。
そこがいいんじゃないか。初々しくて応援したくなる。恋心を抱いた男を見上げる目つきなんて、辛抱たまらん。
オジン殺しね。
悪いか。
監督は、いじめを主題にした秀作「青い鳥」を撮った中西健二。私はこっちのほうを応援したいな。
たしかに、素直な作風で将来が楽しみな監督だ。
まあ、近頃になくすがすがしい気持ちになれた映画だったのはたしかだから、一応マルかな。
やったね、景子ちゃん。



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「ある日どこかで」:築地六丁目バス停付近の会話

2010-03-17 | ★業10系統(新橋~業平橋)

ここ、波除稲荷といえば、災難を除き、波を乗り切る神社として有名よね。
クリストファー・リーヴも、ここにお参りしておけば、あんな事故には遭わなかったかもしれないな。
1978年にスーパーマン役に抜擢されたものの、その後、落馬事故で半身不随になってしまった俳優でしょ。
その伝説の役者が「午前十時の映画祭」で蘇った。1980年のアメリカ映画「ある日どこかで」。
古っ。
でも、その古色蒼然としたところが魅力なんだなあ。
まだ五体満足だったころのクリストファー・リーヴが時代を超えた恋を熱演している。
現代の脚本家が1910年代の女性の肖像写真に恋してしまって、時空を超えて会いに行くというファンタジックな話。
公開時にはそれほど騒がれなかったのに、そうそうたる名作が並ぶ「午前十時の映画際」に選ばれたとは驚きだった。
それほど起伏がある物語でもないしな。
そう思って観ていたら、これが思いのほか好感の持てる映画だった。
やっぱり、クリストファー・リーヴだろう。肖像写真の女性に一目惚れして時空を超えてまで会いにいくなんて役、ふつうの役者だったら臭くて見ていられない。でも、クリストファー・リーヴの屈折を知らない万年青年みたいなたたずまいが功を奏して、すんなり映画の中の世界へ入っていける。あらためて、いい役者だったと思ったよ。
相手役のジェーン・シーモアもまた、いまどき見かけないような清潔感ある女優だった。
それでいて、おとなの色気もある。
この二人の気持ちが近づいていくところを、ラフマニノフやジョン・バリーの甘美な音楽にのせてじっくりと見せていくだけなんだけど、じれったいほどゆったりと見せていくから、観ているほうも知らず知らず気持ちが高まってきちゃうのよね。
ポイントは、そこだ。近頃の映画は観客の気持ちが高まる前に映画の展開のほうが先に行っちゃうから、観客はおいてきぼりを食らうみたいな気分になっちゃうんだけど、昔の映画は決してそんなことなかった。
それを教えたいために、この映画が選ばれたっていうこと?
選者が、そう意識していたのかどうかはわからないけど、観ているとそういう思いが募ってくる。
マネージャー役の位置づけがよくわからないとか、懐中時計は結局誰が持っていたんだろうとか、チャチャを入れたいところもあるんだけど、久しぶりの正統派恋愛映画なことはたしかよね。
久しぶりというより、懐かしい。
それ以外、何もないんだけど、それだけでこれだけ情感ゆたかな映画ができあがるっていう見本のような映画だった。
でも、いまの若者たちは、まどろっこしくて、じっと観ていられないんじゃないか。きっと眠っちゃうやつもいるな。
“いま”という時代の波には乗っていないんでしょうね。
じゃあ、波除神社にお参りでもすればいいんだ。
だめよ、一層波に乗れなくなっちゃうわよ。
あ、そりゃそうだ。




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