【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「鍵泥棒のメソッド」

2012-09-26 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


監督は「運命じゃない人」「アフタースクール」の内田けんじ。
トリッキーな映画で観客を騙す監督だし、売れない役者と殺し屋が入れ換わる内容だっていうので、またそういう路線かと思ったらちょっと違った。
広末涼子に始まり、広末涼子に終わる。つまり、これ、ロマンチック・コメディだった。
役者と殺し屋が堺雅人と香川照之だから、どうしても視線はそっちに行っちゃうけどな。
ひょんなことから香川が堺に殺される演技を教えるシーンがあるんだけど、そこの二人の掛け合いなんて、最高に可笑しいもんね。その訓練を堺が活かすシーンが観たかったなあ。
そして、そこにからんでくる広末のずれっぷり。几帳面すぎる性格が香川とシンクロして可笑しい。
男二人と女一人の組み合わせって、昔から映画としてものすごく座りがいいんだけど、今回もその法則が証明されたわね。
「突然、炎のごとく」から「冒険者たち」、「明日に向って撃て」、日本映画なら「俺たちの荒野」、「さらば夏の光よ」・・・。
なんか、古い映画ばっかりね。
まだあるぞ。コメディならビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」もそうだった。
内田けんじ監督、ビリー・ワイルダーの路線に近づいた、と言ったら誉め過ぎかしら。
シチュエーションにまだちょっと辻褄合わせ感はあるし、危機脱出法もちょっと甘いけど、広末の職業や車の音をはじめとする伏線、小道具はよく活かされている。
内田監督ならではの徹底的に練られた脚本。映画的感覚では三谷幸喜も及ばない。
アフタースクール」はデビュー作「運命じゃない人」のテクニックを伸ばそうとしてムリヤリ感が出てしまったけれど、この映画は「運命じゃない人」のハートを伸ばそうとして成功したように思える。
観客を騙そうという姿勢ではなく、観客を楽しませようという姿勢が前面に出てきたのね。
三谷幸喜の名前で封切ったらネームバリューが効いて大ヒットだったに間違いない。
いっそ、そこまで世間を騙すフェイクを使えば、いっそう内田監督の手口が際立ったかもしれないわね。

「カルロス」

2012-09-23 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


いちばんびっくりしたのは、カルロス最後の潜伏地スーダンの人々が唄う民謡が日本の民謡にそっくりだったこと。
アフリカの歌ではあるんだけど曲調とか歌い方とかまるで日本の民謡よね・・・て、そういうところがポイントの映画じゃないんだけど。
わかってる、わかってる。実在したテロリスト、カルロス・ザ・ジャッカルの軌跡を追う5時間30分の三部作。
本名はイリッチ・ラミレス・サンチェス。あだ名の「ジャッカル」は、1971年に発表されたフレデリック・フォーサイスの小説「ジャッカルの日」に由来するという説もある。
ジョン・フランケンハイマーが映画化した名作か。このカルロスはあのジャッカルほど禁欲的じゃない。
というか、いつも女を横にはべらせている印象。
右手に拳銃、左手に女って感じだな。
監督もドラッグから再起を図る女をマギー・チャンが演じた映画「クリーン」を撮ったオリヴィエ・アサイヤスだからね。確かに「ジャッカルの日」のような骨太のサスペンスの部分もあるけど、それだけではなく、カルロスという男の裏表、そして彼を取り巻くこの世界の姿を、大小のテロ事件の再現を重ねることでまるごと掬いあげる。
そのための5時間30分。全然退屈しない。
どちらかというとチンピラぽかったカルロスが徐々に組織の中で知られる存在になっていく第一部はいわば青春篇。カルロスの肉体も若々しさがみなぎっている。
大きなテロをまかされ、その実行と挫折の中で有名人になっていく第二部はいわば成熟編。肉体もややぽっちゃりして精悍さは抜けつつある。
そして、時代は移り、カルロスのようなテロリストが世界の厄介者になっていく第三部は没落編。ぶよぶよと太った肉体にももはや昔日の面影はない。
脂肪吸引までして、見る影もない。長々と映画を観てきたぶん、最初の頃との落差、寂寥感が観客の胸にも実感される。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった男がだんだん時代に取り残されて哀れな最後を迎えるというのは世の常なんだけど、カルロスを演じたエドガー・ラミレスは、その変貌をロバート・デ・ニーロのごとく、一人で演じ切っているから凄い。
時間の経過とともに肉体もみるみる変わっていくからな。実はその変貌ぶりがいちばんの見どころだったりして。
あなたもひとごとじゃないわよ。
そう、ダイエット、ダイエット・・・ってそういう結論に至る映画じゃないんだけど。

「最強のふたり」

2012-09-06 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


こりゃ毒蝮三太夫だな。
誰が?
主役の黒人さ。無神経とも思えるほど歯に衣着せぬ言動で雇い主の身障者から信頼を得て行く黒人青年は、平気でババア呼ばわりしながらおばあちゃんたちの懐に飛び込んでいく毒蝮三太夫とそっくりじゃないか。
そういう例え方をすると何かこの映画、野暮ったい印象がしちゃうけど、パリを舞台にした生粋のフランス映画だからね。首から下が麻痺した大富豪と、彼を介護するスラムの黒人青年の友情を描く上質なヒューマンドラマよ。
いやいや、揶揄しているわけじゃなくて、相手が身障者だろうがなんだろうが素直な気持ちで接していくのがいちばんだっていう当たり前のことを嫌味なく再認識させてくれる映画だったってことさ。
ほんとに嫌味がない。身障者ものというとどうしてもお尻がこそばゆくなるような映画が多いんだけど、この映画は四角四面の身障者ものとは距離を置いているから、肩の力を抜いて観ていられる。
監督は、あまり馴染みのないエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ。演出や俳優も含めて、映画の技術の成果なんだろうな。
なんといっても主役コンビのコントラストが効いているのよ。仕事にあぶれ貧しいけれど心根はいい黒人青年と、裕福で教養はあるけど手足の自由が効かない壮年男性の組み合わせの妙。
人種も文化も生い立ちも違うからこそ、身障者かどうかなどという問題を超えていけるというパラドックス。
たっぷり笑ったあと、人間なんて結局ひとりひとり違うにすぎないっていう思いに至る。
だからこそおもしろいし、わかりあえるんだっていうことだな。
あれ、なんだかあなた、いつもと違って妙にものわかりのいい人になってない?
それだけの力がこの映画にはあるってことかな。
「最強のふたり」というタイトルにふさわしい鉄板のコンビぶりだったわね。
それにひきかえ俺たちは・・・。
「最低のふたり」って言いたいんでしょ。
少なくとも、ふたりとも裕福とは程遠い。
遠い、遠い。


「トガニ 幼き瞳の告発」

2012-09-02 | ★橋63系統(小滝橋車庫前~新橋駅)


これ、韓国映画だけど、オリンピックではスポーツの話しかしないように、ここでは映画の話だけしよう。
賛成。
ということで、このファン・ドンヒョク監督の韓国映画、相当えげつない描写があって、日本人ならそこまではやらないだろうとは思うけど、一方でその神経を逆なでするような描写が韓国映画の力になっているのかなって気もする。
描写の話の前にこれ、事実に基づいた映画だからね。ほんとにこんなことがあったのかと思うと映画の出来うんぬんの前に暗澹たる気持ちになるわね。
聴覚障害者学校の教師による児童虐待の話なんだけど、学校ぐるみ、社会ぐるみ、だからな。
警察、司法、弁護士、みんなグル。まるでよくできた三流ドラマを観ているよう。
日本でこんなことが起きるのかどうか知らないけど、もし起きたとしてそれを正面から映画にする度胸があるかどうか。
社会的な事件を映画化するって、昔はよくあったのに、最近はほとんど聞かないわね。
福島の事件だって、ドキュメンタリー映画にはなってるけど、それをもたらした社会悪を告発する映画の企画の話なんてほとんど聞かない。
これから出てくるのかしら。
しかも、そういう題材をを固い社会派映画ではなく、エンターテインメントにしてしまう臆面のなさがいまの韓国映画にはある。
法廷での駆け引きとか、少年が敵討ちに向うとか、ドラマチックすぎて、これは事実をふくらましたというより明らかなフィクションだろうというような展開になっていくんだけど、それでもいいんだっていうなりふり構わない感じがあって、圧倒される。
それ、それ。その力づく感が韓国映画にはかなわないやっていうような気持ちにさせる。
それにしても、映画としての骨太感には久々に打たれたわ。
子どもたちが信じがたいくらい真に迫った演技をする。
正視できないほどね。
それを正視しろっていうのが、韓国映画なんだ。
この映画がきっかけで本物の事件が再捜査されたっていうんだから凄い。
いまの日本映画にそれだけの力があるのかっていうことだ。