【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「街のあかり」:菊川三丁目バス停付近の会話

2007-07-08 | ★東20系統(東京駅~錦糸町駅)

どうしたの、さっきからそんなにじっと川をのぞきこんで。
いや、俺みたいな、うだつのあがらない男は、川へでも飛びこんだほうがいいのかな、と思ってさ。
あら、珍しく弱気ね。何かあった?
何にもないから、空しいのさ。
そんな寂しいこと言って川を見つめてばかりいないで、いつもみたいに映画でも観て気晴らししたら?「街のあかり」とか観ると、生きる勇気がもらえるかもよ。
おいおい、俺はその映画を観たから、こんな沈んだ気持ちになったんだぜ。
まあねえ、アキ・カウリスマキの映画って、「浮雲」にしろ「過去のない男」にしろ、だいたいいつも、あなたみたいなパッとしない男が主人公の冴えない話だもんね。「街のあかり」も、とっても地味な映画であることは認めるわ。
愛想のない男と愛想のない女の愛想のない物語。それは今回も変わらなかった。この映画のどこが生きる勇気を与えるっていうんだ?
彼の映画に出てくる男女って最初から最後まで不景気な顔ばかりしているもんね。
そうだろ?しかも今回は、男が女にだまされて無実の罪で刑務所に入るといういままで以上に悲惨きわまりない話だ。こんな映画を観たら川へ飛びこむしかないじゃないか。
でも、泣くでもわめくでもなく彼は淡々と運命に従い、最後にはちょっとだけいいことがある。そこがあなたとは違うわね。
どうせ俺はいつも泣いたりわめいたり踏んだり蹴ったりしてるよ。
あれくらい仏頂面な面々がしみったれた物語を展開すれば、本来なら気が滅入りそうなところよね。ところが、アキ・カウリスマキの映画って観終わったあとには、なにか、人生って捨てたもんじゃないかも、って自分を肯定したい気分になるから不思議なのよ。
そうか?俺はいつも落ちこむぜ、きょうみたいに。
あまりにも境遇が似てるから?
言うな!
でも、登場人物の仏頂面がいつのまにか自分を鏡で見てるみたいにいとおしくなってくるから不思議なのよ。無表情の中でもときおり表情を崩す彼らを観ていると、生きるってほんとうはこういうことなのよね、って妙に納得しちゃうわ。
意味わからん。
だから、悲しみも喜びも淡々とやりすごすのが人生だってことよ。普通の映画のように、大変なドラマがあったりみんながオーバーなアクションをするなんて、現実にはそんなにないってことよ。人生は、小さな、小さなできごとの小さな感情の積み重ねだってこと。だから、観ているうちに共感してきちゃうのよ。
でも、悪い女にだまされて刑務所に入るなんて、本人にとっちゃ一大事だぜ。
それを淡々と受け止めるから、しみじみといいんじゃない。こういう映画の良さをわからないなんて、おとなじゃないわね、あなたも。
しみじみと、か。
しみじみと、よ。ラストシーンなんてしみじみの極地。
しみじみねえ。しみじみと、もう少し生きてみるか。
そうそう、そういう淡々とした勇気を与えてくれるのよ、アキ・カウリスマキの映画は。


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菊川三丁目バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<東20系統>
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