生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年03月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
公衆の面前で恥をかかされ侮辱された経験をお持ちですか?第10話はそんな話です。私の事例は大した話ではないのですが、大学病院で徹夜の治療が終わり疲労困憊して中央線で居眠りしていると、誰かが今の若いものは恥をしらないと会話しているのが耳にぼんやりと、聞こえだしてきました。老人に席も譲らない、けしからん、と隣の人と話しているようす。おれは剣道4段、体を鍛えていて強いんだ、とも言うのも聞こえてきます。そろそろ目が覚めた私は、ひょっとして私が特別席に座りこんでいて、段々と混んできているのかもしれない、と確認して窓を見ると、私が座った席は特別席でした。私が40代頃の経験です。あ、寝たふりをした奴が目を覚ました、とその人は叫びます。しまった、自分の事だった、と私は思い、急に恥ずかしくなり、降りる必用のない駅で降りようと席を立ちます。失礼しました、と私が言えば、図に乗り更に悪口を言いそうな人物でしたので、ここで私が言えば、私も腕に自信があるので、暴力ざたになるな、と危険を感じましたので、沈黙の我慢で、降りる必用の無い次の駅で、おりようと席を立ちますと、その人は、やっと降りやがる、と叫びます。この恥ずかしさは今でも忘れません。第10話と比較するにはあまりにも次元が低いのですが、生涯、面前で辱めを感じたのはこの場面だけなので、お許し下さい。公衆での恥はこの程度でも忘れないのに、キリストの十字架の第10話は世界中で有名な場面です。この場面を人々は2000年も黙想し生き抜く知恵の一つとしてきました。この10話から沢山の音楽、絵画、文学が生まれます。私の場合は不徳とは言え、恥ずかしさには変わりがありません。今更のようにキリストのこの場面に感謝です。
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