生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 日々の生き甲斐、自分の過去の生育史の解釈を変えると日々のストレスが激減します。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幽玄美:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
琵琶湖の北、菅浦の里に戻りますが、そこに隠棲された淳仁天皇の話は、政治的、倫理的話はさておいて、何とも気の毒な壮年でした。33才で人生を終わる宿命もさることながら、明治まで、ひょっとすると現代の政財界までもその影響のある藤原氏の話の一つでもあります。道鏡と称徳天皇の話題はことかきませんが、あわれなのは恵美押勝こと藤原仲麻呂の最後です。反乱をおこし琵琶湖のほとりで一家もろとも惨殺されましたが、淳仁天皇の妃はこの藤原仲麻呂が元気で活躍していた頃、その息子の一人の未亡人をお妃にしました。死んだ息子の嫁さんを、淳仁天皇が妃にした経過を想うと何となく複雑で、もののあわれを私は感じます。あれこれと翻弄され、遂には淡路に流され廃帝にされ、明治3年に明治天皇が再び天皇の称号を与えるまで、歴史上、廃帝のままでした。どんな性格だったのか分かりませんが、何とも哀れな人生です。菅浦の須賀神社は明治42年まで保良神社でしたし、今でも淳仁天皇舟型御稜が大切に村人に守られています。今年は大変暑い日々ですが、その暑い8月2日に訪問したのですが、長命寺の808段の階段、その他の坂道で疲れ果てていましたので、ここ須賀神社の階段を登る気もなく、時間も迫っていましたので、須賀神社資料館で藤原氏の子孫の方々の説明を受けたり、その関係者と会話をしたのですが、或種の感動を覚えました。琵琶湖、近江は中臣鎌足(藤原氏の祖)が何とか古族を追いだし、藤原の土地にしたい話は有名ですが、藤原一族の念願だそうですが、現代を旅しても、あちこちに、その支族の名前を見るたびに、藤原一族の執念を感じました。逞しい一族です。凄まじい歴史に想いをはせ、旅をして、夜空を見上げたり、仏像に接したりしていきますと、私の心は自然と色々の歴史に生きた人々の怨念を感じだします。それぞれの時代を真剣に生きた人々の愛は万葉集を読めば、肌で感じます。愛と幽玄と幸福感は、これからも益々、日本の文化の中で美しく咲くことでしょう。日本人の心の故郷を大いに楽しみながら生きていきたいものです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:378>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幽玄美:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「信仰生活」と言われている心の領域で、時々、愛と幽玄と幸福感の混濁現象が見られます。どんな宗教でも、その信徒の心の世界の中で、神仏との融合の体験からくる非常な神秘的な体験があり、その過去の素晴らしい神秘的な原因から心を病んでいく事例は沢山あります。入院してくる素晴らしい人々(学問もあり、教養豊かで、優しい人々が案外多い)の分析は難解を極めます。心理療法家の手におえない事例が多いのですが、退院していかれる時は、過去の美しい心の体験に拘泥しない心構えがあり、その心構えから二度と入院してこない人、また、入院してくる人、それぞれです。愛と幽玄美と幸福な感覚は、ここからここまで、と分類出来ない世界ですので、非常に難しい対応が求められます。上記のような現実があること、また、この愛と幽玄と幸福な心の世界は、素晴らしい世界であると同時に、或種の人々にとっては非常に危険な世界でもあります。このような精神現象があるらしい、とおもってくだされば、それでいいでしょう。自己肯定、他者肯定、の日常生活を大切にして、自分のみがこの素晴らしい神秘体験をしているのは、自分が特別に神仏から愛されている特別な人間、または宗教家だと言い切る人もいますが、この言いきる人物、人間にはは要注意人物、と言えるでしょう。共存共栄、手をとりあって、この厳しい現実を乗り越えるだけで、精一杯です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:377>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幽玄美:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間に対しても、神仏に対しても、その他、何かを大切にし拘泥する世界にしろ、生身の人間が健康に、健やかに生き抜いていく為に、時々立ち止まり、思索する必要があります。その思索対象の一つが、今回の「愛と幽玄と幸せな日々」のテーマです。しばしば入院してくる芸術家の中にはこの素晴らしい幽玄の美しさを体感してしまったばかりに、再び、その感動を追い求めるものの、かって体感した、あの素晴らしい幽玄の世界が二度と体験出来ない焦りから神経を使いはたしてしまう事例が案外あるのです。芸術家と言わず、子供の世界にも、しばしばあらわれる現象です。言葉にしてしまうと、子供と幽玄は関係がないようですが、子供がその言葉を知らないだけで、心理療法の対処方法としては大人でも、子供でも同じで世界です。神秘的で、何とも言えない大きな喜びである幽玄の世界は、場合により「おとぎの世界」でもあります。さて、さて、どうこの問題を楽しく有意義に展開していきましょうか?愛と幽玄の美と心理療法の世界は、自分に関係がないとお考えでしょうか?日本人は大人も子供も「幽玄の美しさ」を意識化しておきませんと、何か、ぎすぎすした幸福を求めがちです。憂いがあり、物静かで、少々幻想的な世界、しかし自分の魂が震えるような大きな幸せと生き甲斐と喜びを感じさせる世界、それが日本人が所持する「幽玄美の世界」です。この幽玄の美しい世界を現代の日々の中で、どう求めたら、うるおいのある、落ち着いた精神世界を垣間見る事が出来るのでしょうか?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:376>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幽玄美:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生き甲斐の心理学では「生きる楽しさ、喜び、生き甲斐」をなによりも大事にしていますが、日常生活でふと感じる喜びの一つに日本人らしい幽玄の美があります、特に京都、奈良、吉野、熊野、近江を旅していますと、心の故郷のような落ち着きと共に、古層を感じる神社仏閣などで、なんともいえない幽玄の美しさを感じます。今回、私が感じた琵琶湖菅浦での幽玄の雰囲気は、帰宅後、益々夢の中にも表れ出しています。何故、そのような感動というか、感謝というか、生きている喜びを感じたのか、簡単に見過ごしていくにはもったいない感覚がありますので、少々、書きたくなりました。さて、この感情の背景には歴史への想いがあります。丁度、東大寺が生まれた頃の話ですが、その後、色々ありまして、藤原南家の流れである藤原仲麻呂が元気さかんな頃です。孝謙天皇(光明皇后の娘)が退位した後、自分の意のままに動く淳仁天皇を即位させ、光明皇后の後援のもとに権力をふるっていました。しかし光明皇后が亡くなり、道鏡という僧侶を孝謙上皇が寵愛しだした頃、この藤原仲麻呂(恵美押勝)が挙兵し、つかまり、琵琶湖のほとり(高島あたり)で家族共々惨殺されます。その時、淳仁天皇は淡路島に流されて殺されるらしいのですが、さて、ここからが琵琶湖・菅浦の伝説に私がひかれていくのです。伝説によれば、淡路は淡海の誤りだとされ、ここ菅浦は淳仁天皇の隠棲の地と村人は信じているようです。明治42年以降、須賀神社となりましたが、以前は、保良神社、保良宮と信じているようです。村人は自分達の祖先は淳仁天皇の近臣の子孫だと信じているとの事。そんな歴史を楽しんでいる私の目に、この集落の雰囲気は何とも言えない奥深い霊地なのです。ここで感じたアースフィーリングは私に色々の感情を沸き立たせ、人生の面白さ、神秘さ、生き抜く勇気を思い立たせてくれます。幽玄の心は魂の世界に近く、永遠を意識化させ、次から次へと私を刺激していきます。生命力が湧きだす感じです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:375>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幽玄美:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
琵琶湖を旅して、その歴史について調べる程に、奈良、京都、吉野、熊野の香りと共に、琵琶湖の或場所は幽玄を感じさせたので、この幽玄とその心理的美について考えたくなりました。今まで、それほど気にしていませんでしたが、淳仁天皇(733−765:33才)が急に意識の上にあがり、その天皇が頭から離れません。それといいますのも、琵琶湖の奥の奥、菅浦に伝わる、その天皇の伝説が、何故か、私の心に住み着いてしまったからです。永井路子さんの小説「美貌の女帝」と「氷輪」を読んでいるせいもあります。さて、20代の半ば、イギリスの大学の恩師に連れられて研究生徒とイギリスの聖地巡りの旅に誘われました。以来、陰惨な古城や聖なる霊地と言われている場所に立ち、聖と俗の問題を考えたり、その場から感じるアースフィーリングを分析して宗教心理学を勉強したりしている内に、その現場から感じる感情「アースフィーリング」をとても大事にするようになりました。つまり歴史散歩の面白さは、それぞれの現場に立つ所からスタートしなさいという教えです。学問は大事ですが、地球の聖地といわれた現場の雰囲気とか、陰惨でも、その伝説を大事にしなさい、という恩師の教えです。日本人のアイデンティティの一つに「幽玄美」という概念があります。その幽玄美について暫く思索していきます。あまり深刻に考えないで下さい。まして言語学的な解釈を「幽玄美」という日本語から詮索しないで、気楽にお付き合い下さい。辞典をひいて幽玄美とは、など分析せずに、子供の頃から聞かされたお化け、気味悪いけれども、何となくひかれる童話の世界、星やお月さま、その月の光に照らされた柳の木の下に恐ろしいけれども美女のお化けが上品にこちらを眺めている風景、演劇で観る幻想の世界、和歌、歌舞伎、お能、それぞれに皆様が感じる幽玄の世界について、暫く考えてみます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:374>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その7:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「神も仏もあるものか!」と生きている事を恨む事があります。最近はありませんが、30−−40代の頃はしばしばありました。今は、新聞やテレビのニュース、特に地域での戦争や自然の災害現象を見ると、愛である神なんて本当にいるのかなあ、と思いますが、冷静に心を抑えて思索をしていると、結論づけるには現場も知らないし、情報不足でもあるし、専門知識が不足している自分もいます。そんな次第で、結論は早すぎるぞ、と自分に言い聞かせています。古代ギリシャから今日まで「神義論:神の正義とは何か、という意味」と言われている難しい哲学論争の主要議題だからです。天才的な人々が生涯をかけて思索している領域を知れば知るほど、結論を早急に出すほうがいけない、と意識しているせいでしょう。さて、日常生活での愛と甘えの構造の中で、意外と簡単に解決する事例が非常の多いのですが、一度信頼した相手を簡単に捨て去る前に、もう一度、信じてみますよと相手にも自分にも宣言する方法があります。色々の些細な積み重ねから相手を信じなくなつている自分がいます。そんな日常の蓄積からくる不信感で相手を捨て去るには、あまりにも貴重な相手だからです。それが「信じて見えてくるもの、見えなくなるもの」の論法です。信じると見えてくる世界があることを意識してみると、案外、簡単に人生の難問が解決します。一番やりがいのある問題が自分の死、自分の身辺でも謎、難問の意味、この解決に役立つのが神義論ですが、この思索は長い人生での価値ある挑戦課題でもあります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:373>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その6:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
直ぐ怒る人を相手にするのは苦手ですが「人間の怒りの心境」はとても重要なので、ちょっと考えてみます。怒る人をすぐ軽蔑するのが普通ですが、すぐ軽蔑しないように心がけたほうが、自分自身が幸せになるようです。この事に気付いたのは何時頃だったろうか?自分が怒る場合、その私の怒りを静かに見守ってくれる友達、一呼吸置いて、ちゃんと慈眼で受け止めてくれる親友を思い出します。自分の怒りを静かに受け止めてくれる親友は人生の宝物。なかなかそこまで我慢してくれる人間はいません。権利を主張し、おかえしをしない相手、直ぐ怒り出す相手、その相手が、どうでもいい関係の人なら事は簡単ですが、家族とか夫婦、友人の場合は、その理由を徹底して洞察する必要もあります。案外、こちらに問題がある場合が多いからです。甘えの構造と愛と怒りと主張、これは微妙な愛の世界ですので、慎重に考えて対処する必要がありそうです。例えば一度、信頼関係とか、愛の関係が成立した相手の場合、そう簡単に離別するのは考えもの。愛と甘えと幸福の構造はとても分析が楽しく、勉強になります。深刻であればあるほど、生き甲斐の心理学徒としては分析の迫力がありそうです。テキスト第1章がこの分析の価値がある事例特集です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:372>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その5:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
権利だけを主張し義務をあまり考えない人が周囲にいませんか?他者からの特別な好意を当然のこととし、おかえしを考えない人の話です。甘えの構造の領域の話ですが、生育史の関係で周囲との役割分担とか、を余り考えない事例です。私は末っ子でしたので、今でもまだ、そういう傾向があり周囲に迷惑をかけています。しかし、その欠点を何とかカバーしようと努力しています。長男、長女としての生育史を持つ友人を観察していますが、本当に頭がさがります。自然というか、本能的というか、習慣的努力というか、とにかく、面倒見が私よりもはるかに素晴らしいのです。さて、人に健全に甘えるのはより良い人間関係を保持してくれますが、甘えられる喜びも健全でないと、とかく永続した愛の美しい関係は維持出来ません。バランスは二人の知恵なので、ここでは言語化できません。自己愛パースナリティ障害の問題なのですが、共存共栄、ストレス曲線のバランスを比較考察しつつ、是非、甘えの構造と権利義務のバランスに注目するだけで充分ですので、自己分析もあまり神経質にしないように注意下さい。もし、周囲に権利だけを主張し、おかえしを考えない「大事な相手」がいましたら、この相手は自己愛パースナリティ障害の傾向がある人かなあ、と疑い、自分の愛情に欠落があるなどと「自虐的にならない訓練」を開始して下さい。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:371>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「有難う」と言わない人、心の底から「有難いなあ」と泣くほど感謝出来ない人は少々問題でしょう。愛と甘えの構造の領域で、一番大きな問題が今回のテーマかも。といいますのは感謝せず周囲に不満ばかりをばらまく人は、当の本人が不幸だからです。心の病気は万とありますので、ここでの解説は意味がありませんが、感謝を知らない原因も沢山ありますが、一番有名な原因が「自己実現への道」を歩いていないことによる現象。どういう事かといいますと、生涯をかけて実現したい夢があり、毎日、その達成にむけて努力するものの、この世は実に冷たく、誰も助けてくれません。助けてくれない現実に気付くと、どんな小さな支援に対しても感動するもの。この自分の大切な道(仕事、趣味、そのた)を真剣に探究すればするほど、世の厳しさ、冷酷さ、無関心を知り始めます。未成年の内は親が当然助けてくれるもの、義務だなどとシャアシャアーと思っています。しかし親が死んで、いよいよ自力で生きていかねばならなくなりますと、原則、誰も助けてくれないのがこの世の現実です。夢を持ては持つほど、その道は厳しくなります。ここでお世辞を覚える人、詐欺の甘さをしり悪の手法を選ぶ人、、堂々と正しい手法を時間をかけて努力する人、晩節を汚す政治家もいれば、大実業家と世間でもてはやされた人生でも、一皮剥けば、その背後に驚くべき巨悪があった等の話は山ほどあります。清く正しく美しく、という言葉は、どこぞで聞いた言葉ですが、夢、道を達成する所に至る長い人生の精神修行時代が最後の勝負となります。ここで明るく美しく爽やかな感謝は、こうした冷たい人生の中での小さな愛情、友情、支援の有難さに涙する人に初めて生まれてくる美しい心です。道を真剣に求める人でないと、本当の感謝、人情の有難さは理解出来ないでしょう。悔いの無い人生とは何か、その思索をしていないと、道も分からず、人の大小の愛も理解出来ません。自己実現を命がけで求め、その道を努力して生きる人は幸せな人です。愛と甘えと自己実現と感謝は深い関連があります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:370>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分が「健全な甘えの構造」の持ち主か、或いは、少々問題があり病的とは言えないけれども少し変だ、とその辺りの識別方法について考えてみましょう。「わたしとあなた」の愛の関係において身体症状や、特に不安感があまりない場合、健全と呼べるでしょう。しかし、倦怠期だとしても、二人の間に異常なストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)が無ければ、健全な甘えの構造の範囲にあると確信していいでしょう。しかし、この識別の必要性は「あなたとわたし」の関係が気になる二人の問題で、もうどうでもいいとか、まあ死ぬまでトラブルなく生きていければそれでいいや、という夫婦とか家族の場合は、下記の識別方法は必要がありません。必要がないというと哀しむ人もいるでしょうが、超越している夫婦も存在していますので、いちいち神経症的に取り組む必要も無い、と言う意味です。問題は異常なストレスに居る自分を何故か、認めない男女がいる現実です。認めたくない領域を、この種の人々はいつも避けて通りますので、生涯、人格的発展がありません。現実吟味力に病的な乱れがあるのです。今まで余程、感情の抑圧をして生きてきたのでしょう。好き嫌い、怖い怖くないという原初感情、特に好きか嫌いかを明確に意識化できない人は、これからも段々と悲劇的な人生を送る羽目になります。言葉に出す、出さないは別問題で、心の奥深くでは、倫理道徳に関係なく、好き、嫌いは明確に意識化する訓練をしていかないと人格障害をもたらします。具合の悪い嫌悪感を、どう処理するかは別な問題なのです。好き、嫌いを倫理道徳に関係なく、明確に深層で意識化する事が、将来極めて重要な生きる指標となります。我慢する場合でもこの好き嫌いを意識化した上で生きていかないと、悔いの無い人生は送れません。愛と甘えの構造の病理研究で一番大事な訓練が、この好き嫌いの本音を、どの程度、意識化出来るかがセラピストの生涯の課題です。今まで大好きな人が或日突然、嫌いになりました感情に流されっぱなしで、分析もせずに衝動的に生きた為に、重要な愛を喪失する危険もあります。この「好き嫌い」の分析は極めて難しく、この試練を乗り越えて更に相手を深く愛して幸せになれる人と、嫌いなまま、分析しないで、不幸な人生をたどる人、色々です。好きだったものが嫌いになる、この背景は非常に神秘的で、そう軽率に転換出来るものではありません。甘えの構造は極めて危険ですので、退屈でしょうが、暫く思索していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:369>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
他人から批判された場合の反応は、それぞれ違います。一番、切ないのは好意を持っている人に対して、こちらがそれらしい言葉、態度でアプローチした時、相手が期待通りの反応が無いと、何か、馬鹿にされたような、無視されたような気分になり、あーあ、好意を持って言葉にしたのに、と哀しい気持ちになるものです。相手は迷惑かもしれませんが、とかくこの世は、こちらの思惑通りにはいきません。そこで、もし、変に居直り、激しく怒りを相手にぶつけたり、劣等感を感じて卑屈になったり、あえて無関心をそれ以来、相手にぶつけたりしたら、相手は私の事を変な人、と思うでしょう。この相互のやりとり、感覚は自己愛パースナリティという領域で非常に大きな研究課題なのです。ここに甘えの構造が入り込んできます。仲のよい親友、恋人、夫婦、その他の良好な関係にある「私とあなた」であれば、この批判も問題なく通過していき、かえって、その甘えは心地よい刺激、人間関係を深める好機となりますが、気にいらない相手から変に甘えられたら、なにやら気味の悪い、危険なものとなるでしょう。ここで大事な事は、その微妙なフィーリングを正直に感受することでしょう。相手が傷つかないように対処するのも人生の知恵です。非難された時の自分は今まで、どんな対応をして生きてきたか、共存共栄の思想を識別の基準に識別する必要があります。自己愛パースナリティ障害の相手でしたら、この共存共栄の配慮は無駄になりますから、テキスト第1章はしっかりと勉強しておいてください。テキストの無い方は、このブログの第1章を勉強しておいて下さい。相手が「自己愛パースナリティ障害」の人でしたら、私達の愛は多分、健全に育たないでしょう。日々、空しい愛の無い生活となるからです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:368>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
欧米を旅しますと有名な寺院にギリシャ神話やキリスト教の聖書の場面が描かれています。さて甘えと思われる事例の一つに不思議な場面がありますが、その一つにキリストが復活し、マグダラのマリアに出現する場面があります。マグダラのマリアが「この方が復活したキリストだ」と認識し、感激して、すがりつこうとしますが、それをキリストが軽く押しとどめる場面が私には不思議なのです。気になる方は「ヨハネによる福音書」の20章11−18を読んでみて下さい。この場面を知らずして欧米の寺院を訪問すると貴重な旅を無駄にしてしまいます。また、音楽や絵画、小説を解読する場合でも、この複雑な場面を思索している場合と、そうでない場合は人間の幸福論を論ずる場合でも大いなる損失となるでしょう。この場面の解釈は日本文化の視点から見ると「ケガレとミソギ」かもしれません。マグだらのマリアが深い愛情をもってすがろうとしたのに、何故キリストがそれを、させなかったのか、私は若い頃からこの場面を思索しているのですが、私の人生の折々に遭遇する深い愛情、深い友情、神仏への愛を考える時の「知恵」を刺激した場面でした。この場面は愛の甘えの構造についての品格と礼儀と愛の有り様について永遠に問い続ける名場面でしょう。その答えは、とここで求められても私は答えられませんし、それぞれの立場、神学者、政治学、人間工学、信仰者の立場、神学の違い、哲学の違いなどから、解釈が違います。これはこうだ、と自分に納得出来るように楽しんで下さい。自問自答の内容と、その展開で、それぞれの楽しい人生が形成されていきます。何故、あれだけの信仰熱いマグダラのマリアにむかい、あのような言葉をキリストがいったのでしょうか?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:367>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:甘えの構造:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
女性から上手に甘えられると私はたちまち元気になりますが、下手に甘えられると必ず恐怖を感じて敵前逃亡をいたします。この甘えの構造をめぐり世界の学問、小説、芸術、絵画は素晴らしい作品を生み出しています。皆様はいかがですか?甘えの構造について、愛という視点(自己愛、他者愛、神仏との愛)から色々と思索を進めます。健全な甘えとは何か、病的な甘えとは何か、を自分の生育史を分析しながら、これから益々明るく元気に爽やかに生き抜く為に考えてみましょう。自分の生育史のあの場面が健全で、この場面は少々、気になるなあ、と気楽に自己分析してみて下さい。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:366>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:恥の文化:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人前で「恥ずかしめられた」と感じた場合、周囲の人が「君の解釈が違う」と言われて、なるほど、と思う場合と、わかっちゃいない奴だ、と反感を感じる場合があります。ですから、人に言われてもなお、辱めを感じつづけている事例をどう対処すべきか、どう処理したらいいのか、その方法を考えてみましょう。最終的には、その人の解釈の自由ですので、安心下さい。但し、私の事例のように心の傷は激減しているものの、やはり、何度、解釈を変えて努力しても「苦々しさ」は多分、死ぬまで残るでしょう。年齢を重ねると、もうどうでもいいや、という気分になるのですが、人によっては復讐したい、反撃したいと感じていると思います。復讐したい相手が死んでいたりすると、何とも複雑な心境になります。魂、地獄、天国、とまあ、信仰上も、宗教的にも非常に複雑です。心理療法的には、この愛と甘えと恥の領域だけではなく、全ての事例での解決方法に繋がりますので、是非、大事にして頂きたいのですが、心の中での処理の方法は、ストレス曲線(不安、怒り、鬱、心をみだすもの)が、どの程度、身体症状(眠れない、食欲がない、色気喪失)に出ているか、という洞察力が無いと、対処方法の基本に問題があります。ですから平素、身体に出たか、出ないか、を神経症的ではなく、気楽に洞察する訓練が必要です。やはり不安感が、どの程度か、という意識的訓練をして生きていく場合と、自分は元気だから、この程度は無視していこうと、身体症状が出ているのも関わらず、対処しない生活習慣病が、気付いた時には手遅れという悲劇をもたらしています。身体症状管理が健全ですと、遅過ぎて急死という悲劇は起きません。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:365>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:恥の文化:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年08月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
愛と甘えと恥のからみあいが人類の歴史を創造していきます。愛をもとめて旅をする人、恥を悔いて深山のお寺にこもる人、罪を悔いて巡礼の旅に出る人、このように世界の小説や絵画、音楽を鑑賞すると、その折々の人間の姿がとても美しく感じます。さて、どうして、この奥深い領域を語ったらいいのでしょう?NHKの朝のドラマ「花子とアン」での場面は、特に白蓮さんの場面は、この愛と甘えと恥のからみあいを、とても上手に表現していて、脚本家の腕の良さに感動しています。愛と恥と甘えは、どこからどこが、どう、とは識別できませんので、自分の生育史の中で、どうもあの頃が今回の議題である「愛と甘えと恥」の領域問題かなあ、とインスピレーションで感じ取り、その事例を思索して下さると有難いです。中学生の事、担任教師がいきなり「このクラスの中に戦艦陸奥の副長の息子がいて、そいつは戦犯の息子のくせに、おやじじまんをしていやがる」とクラスの授業が開始する直前に私のほうをみながら言い放った先生がいました。本当に良い先生でしたが、人生を生き抜いてきた今、その先生の戦後の立場をあれこれ思索していると、思い当たる部分があります。大勢の親戚や恩師がフィリピン、ミンダナオ、満州で戦死しているからです。しかし、少年の私の心の傷は生涯、消えることはありません。これも愛と甘えと恥の領域の問題ですが、この心の傷が遠因で、極度のストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)の重複的原因、投影、感情の転移等から、私が入院するまで追い込まれる場合もあるわけです。自分の生育史の中で、いまでも思い出すのも嫌、という事例を放置しておくのが良い場合と悪い場合がありますので、この識別方法から楽しく思索していきます。
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