生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 日々の生き甲斐、自分の過去の生育史の解釈を変えると日々のストレスが激減します。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その7:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月31日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
菅原道真が亡くなった年に平将門が誕生しましたので、平安京の貴族は道真の生まれかわりと恐れたそうです。1976年、NHK大河ドラマは平将門を流していましたが、その頃、私は台湾駐在をしていて、ゆえあってその企業を39才で辞職し独立して今日にいたります。独立するエネルギー・意気込みを平将門からもらいました。関東の新帝を選んだ将門の意気を無謀にも己に重ねた私の若気を今から想えば微笑ましく思います。さて、菅原道真と平将門の怨念は日本史に名高いものですが、決して恐ろしい幽霊ではなく、私には心地よい存在でした。この心地よさは何故なのか、多分、お二人への熱い同情心のようです。受験生が道真公に手を合わせて合格を祈り、私のように将門公へ独立の情熱を祈り求める、このように現代の私達は単純素朴に祈願する習慣があり、この習慣が人を明るく元気に生き抜こうとさせてくれています。子供のような単純な祈りが私を一番元気にしてくれますので、これからもややこしい領域の精神問題が生起した時は、先ずは祈ろうと考えています。素直な祈りが生き抜こうとする人間に大きなエネルギーを与えるのは何故でしょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:356>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その6:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
平将門、私の大好きな人物です。愛と汚れと禊、という大テーマを楽しむ時、この武将をさしおいて考えられません。壮大な楽しい歴史のひとこまです。大手町の将門首塚の話は、まさに日本人のアイデンティティの一つである怨霊伝説、縁起の悪い言葉を吐くと、周囲の人々は現代でも顔を歪めて侮蔑の表情をします。意識している、していないの問題ではなく、日本の伝統的な言霊の影響でしょう。恨みをのこしたであろう人々の為に、特に、加害者が怨霊を恐れてあちこちに鎮魂の神社仏閣を建立し、現代人がお参りしている古刹が沢山ありますが、この将門の伝説は筑波山から大手町まで、本当にあちこちに民話として残されています。優しい武将・将門の一面、戦う将門、愛と怨念と無念の将門、こうして日本人の「ケガレ思想」と「差別」の問題が生まれてきます。汚れと禊の文化は奥が深く、現代人の劣等感、差別観、蔑視の思想、子供達の会話の中にも、この汚れと禊の会話がとびかっていて、それをピントの外れたカウンセリングで対応している現実をみると、何とも複雑な心境になります。それぞれの民族が持つアイデンティティと心理療法はとても関連性が深く、この対処を間違いますと、健全な人々が全部、病人にさせられていきます。どこを、どう洞察したらいいのか、暫くお付き合い下さい。「祟り]だと感じ悩む子供を学習障害と勘違いしたり、何々症候群と判断したり、更には病理でないものを、簡単に病理扱いするカウンセラーが沢山います。その子供の所属する家庭環境と思想背景を充分に理解した上での処理を明るい気持ちで対応するカウンセラーの何と少ないことか!
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:355>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その5:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人間が好き、嫌い、この自問自答は子供の頃から、死ぬまで繰り返される言葉でしょう。好きな時もあれば、嫌いな時もある。しかし本当に人間嫌いなタイプもいます。何故、そうなったのかは分かりませんが、不幸だなあ、と思います。一人では生きていけないから、どうしても周囲の人間と関わらねばならないからです。嫌いな食べ物、嫌いな動物、嫌いな人間に合うと人はストレスが蓄積されていきます。人間嫌いな人に遭遇すると、何故か、その場の雰囲気が陰惨というか、不快というか、いたたまれない気分になります。時と場合では、何か汚れさえを感じ、それに触れたくない恐怖感すら感じます。そのような人が、どういう契機が突然、明るく爽やかになる事例もあります。この神秘的ともいえる事例は考えてみれば、自分にもあります。嫌いな友人と取っ組み合いの喧嘩を高校時代にしたことがありましたが、血だらけの喧嘩の後、互いに疲れ果てて河原でダウン。そこに魚が飛び跳ねて喧嘩相手の顔の上に落ちました、そして互いに大笑い、以来、親友になりました。嫌いな相手が逆に大好きにななる、これが生身の人間です。汚れと禊が河原の喧嘩で一気に清々しい、愛情にあふれた姿になったのですが、この体験が私の人間観、宗教観に大きな影響を与えました。色々の学問上の理論は尊重しますが、この神秘的な精神現象をもたらすサムシンググレートの世界の存在、信じると見えてくるものがある人間の面白さ、人と美しい関係を深める喜び、生きる希望を与えてくれました。人間世界での「汚れの意味」、「禊の意味」は光と陰の関係、表と裏の関係、幸福と不幸の意味を比較考察させてくれる極めて重要なシグナルのようです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:354>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「私は私」と考える事自体は生涯、大切な思想と言われています。この思想を迷わず信じて生き抜いていくと、どんな人生状況になりましても、所詮は自分一人で生き抜く覚悟が必要な人生ですので、この信念があれば、錯乱して人生を駄目にする事はないでしょう。但し、この思想で生き抜く時は、時々立ち止まり、深い反省をする必要があります。例えば、窃盗罪で入獄している人が世間に戻り、この「私は私でいい」という根本思想があるとすると、どうなるでしょうか?何度も同じ罪で入獄してきます。極端な例で恐縮ですが、私は私、という信念で生き抜く場合、反省の視点は色々ありますが、その沢山の視点の反省点の中で、とりわけ重要なものが「愛の領域」と言われています。自己肯定他者肯定の思想、共存共栄の思想での「私は私」でないと、わがまま、独善、嫌な人、と言われる可能性があるのです。私は私、という生き方の結果、自分も他者も明るく爽やかで元気になれる雰囲気の「私は私」でなければ、その生き方は人類社会を幸福にはしません。私は私として生きれば生きるほど、汚れと禊、が必要となるような物語は周囲に沢山あります。カリスマ性があり、魅力的な人間は周囲からもてはやされます。有名な政治家、俳優、経済界の重鎮、労働組合のリーダー、その他もろもろの世界には実に魅力的なイメージの人々が沢山いて、それに振り回されている人々の悲劇の物語もあります。自己中心主義、わがまま、と「私は私」は本来、違うのですが、その場の劣等感、挫折感を乗り越えさせる為に、カウンセラーは時々、「私は私」でいい、といいたくなる誘惑にかられます。「私は私」は宝物的思想ではありますが、日本人のアイデンティティの一つである「汚れと禊」での負の入り口でもあります。自分を堂々と主張して生き抜く為にも人一倍の修行が必要なようです。人生、甘くないなあ!しかし、この人生は何とも楽しい。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:353>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月27日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の生育史を回想し、あの部分は汚れているなあ、とか、この部分は美しい、これはどうでもいい、と人は考えて生きています。汚れた人生の記憶を無理に変えると、人の心は歪み、かつ、変質し、素直でなくなります。汚れたものはあえて変に解釈せず、汚れた思い出は、そのままにしておいたほうが精神衛生に良いようです。その代わりに禊の方法を自分に相応しい思想を採用して、それに身を委ねた方は爽やかになるようです。私は万とある禊の思想の中からローマンカトリツクの禊を選んだわけです。それが「十字架の贖罪と復活」の信仰です。このお陰で恐れるものはありません(なんちゃって)。この救いの道を人類は色々の手法を、それぞれの民族、宗教、地域で選択し、現在の文明が成立しているわけです。神話、民話にはこの人類の良心の呵責をどう解決して生き抜いていけばいいのか、その物語が描かれています。愛の世界では特にこの汚れと禊の思想が重要で、出世の為に学生時代の恋人を捨てて財閥の令嬢と結婚したり、病身の家族、とくに両親をすてて放浪の旅にでた一家のささえであった男の話とか、あちこちに沢山散見出来る物語です。他者の物語は実は文学としては面白いのですが、この愛と汚れと禊の物語は本人自身も問題なので、これからの重要課題なのです。現代の世界各地の飛行機事故、さらには色々の種類の紛争、我々日本人の大きな課題である韓国、中国、北朝鮮、ロシアとの平和構築の大問題があります。この平和構築の過程の中で、愛と汚れと禊の問題を考えたり、生活中での複雑な人間関係の中で、愛と汚れと禊の問題も考える必用があります。この愛を汚さない為にも自分の個性のありようを思索する必要もあります。個性の美を大事にする私達「生き甲斐の心理学」が陥りやすい領域は実は「私は私」で良いという言葉なのです。一見、人を元気にしますが、この「私は私」という領域を少し、愛と汚れと禊という視点で自己分析してみます。ああー、めんどくさいと言わずに、これからの幸福の為に、少々考えていきましょう。無料で真面目な学問をするのが私のブログです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:352>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月26日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
富士山本宮浅間大社を訪問する機会があり、今更のように訪問が遅すぎたと悔しがっています。日本人の伝統的な「汚れと禊の思想」は昔からの研究テーマでしたが、琵琶湖の唐崎神社にも感動したのですが、琵琶湖の汚れと禊は非常に穏やかな感じだったなあ、と浅間大社の湧玉池とそこを源とする神田川の聖なる激流に足を浸して禊をした感覚、アースフィーリングから感じたお話をしてみます。県庁の富士山水脈研究グループにも電話して色々聞いたのですが、この湧玉池と富士山の水脈は世界的な研究テーマだそうです。複雑な富士山の岩盤とその水脈は非常に重複していて、その重複した水脈を数年をかけて流れ出る水もあるらしいのです。水に聴いたみたがる学者が沢山いるようです。ワインや美味しい日本酒を飲みながら世界の学者が、国際会議後、この湧玉池の雑談を楽しくしているそうですが、その雑談をこそ本にして欲しいと思いました。イギリスでもそうでしたが、世界の大学者の雑談は実に面白いのです。この雑談の中にこそ、大きな真実がいつも隠されています。丁度、この愛と汚れと禊の思索を開始した数日後に、富士山本宮浅間大社を訪問できた私は何と幸せ。愛と汚れと禊をこの大社は私に沢山の示唆を与えてくださいました。さて、どこから書きだそうかなあ?ちなみに社伝の案内書に平安時代の歌人平兼盛の和歌が掲載されていました、この湧玉池を詠んだ歌「つかうべきかずをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」がありましたが、この池の神秘は平安時代から人々の心をとらえています。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:351>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月25日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今更、愛とは何か、と厳しく自分に言い聞かせましても、中々「愛のイメージ」を修正出来ません。愛とは何か、その定義を巡り思索し、勉強するのは生涯の課題で、そうやすやすとは深められない課題です。心理療法では「その人が愛だと感じるもの」をとても大切にしています。愛と感じてしまうからしょうがないのです。これが愛ですよ、と来談者にいいましても身体症状は激減していきません。それよりも、この切なさ、苦しさは、どんな所から生まれてきているかを話し合いの中から意識化させていきます。その人の生育史上での愛の姿をあぶり出すように私は努力しています。これが愛だと本人が感じているものを、明確に、互いに意識化する所から心理療法はスタートします。汚れている自分、何が汚れているのかを意識化するのはとても危険ですが、その人の精神状態を観察しながら、意識化、言語化していきます。汚れた人なんていません。汚れていなかった自分を知るまで、人により数年間もかかります。生育史での出来事の解釈いかんでは、生涯、汚れたまま死んでいくわけですが、こんな馬鹿馬鹿しい解釈をしてはいけません。解釈を変えると心は実に清々しく美しくなります。禊の方法は世界に色々ありますが、その人の生育史により、どれが相応しい禊の方法かは難しい。私はローマン・カトリツクの信仰「贖罪と復活の思想」で禊をしました。どういう方法が自分に相応しいか、楽しみながら勉強して下さい。深刻な顔をしていますと、どうもあまり良い解決策は見つからず、琵琶湖の唐崎神社あたりを気楽に旅をして、京都奈良や聖地と言われる場所に立ち、そこで感じる自分のアースフィールドを目安に、思索していきましょう。愛と汚れと禊は深い関係があります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:350>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:汚れと禊:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
悩める人々の「悩みの内容」で気になるのが「汚れと禊」の領域問題です。今年、琵琶湖のほとり・唐崎の修道院で勉強会を行い、散歩に近所の唐崎神社を訪ねました。この神社は平安の昔より、貴族が汚れと禊に来た聖地です。神社の直ぐ前に元祖「みたらしだんご」(足を琵琶湖にひたして汚れをみそぐ)があり、そこのご主人からとても楽しいお話を沢山聴かせていただきました。ロシアの皇太子(ニコライ2世)が明治政府の要人に頼み、わざわざ琵琶湖一周の観光でここのみたらしだんご屋さんにもたちよったそうです。その後、大津事件に遭遇するわけです。日本人は古来から汚れを気にしている文化に生きています。滝にうたれて汚れを流し去り、清らかな水に汚れを流します。そうして気分さっぱりと明るく元気に爽やかに生きようと努力する文化があります。この汚れと禊、と愛の関係について暫く思索します。日本文化の中でのこの思想「汚れと禊」は現代に脈々といきている思想です。

<自分は何処へ旅しているのだろうか?:349>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
親や先生、周囲の人間に求めても満たされない愛を子供たちは本能的にかぎわけます。人間は子供から高齢者まで、その時の気分で信仰心があるなしに関係なく、祈るものです。受験戦争で合格祈願をする受験生、素敵な愛をもとめて京都の神社仏閣に手を合わせる若い人々
、このように人は自分の心の中の願いをキチンと選りわけて生活しています。難しい議論も時と場合には必要ですが、いちいち神社で手を合わせる時は、難しい事は考えずに、素直に祈願します。さて、真面目に愛を思索する場合は愛の病理について勉強していきます。この愛の病理は、このブログの第1章で300回にわけて詳細に書いていますので、参照下さい。このブログの左側には1−11章、総計2275回がいつでも読めます。同じ記事は退屈ですので、これからは日本人独特の精神文化における愛について思索を進めます。汚れと禊、という古来からの日本人のアイデンティティと愛の孤独感は深い関係がありますのでお楽しみに。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:348>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
寂しい人生を解決してくれるもの、それが親密性らしい、という概念が理解できそうですし、その親密性も色々ややこしくて、面倒だが、それを無視して生きようとすれば、ちっとも日々が面白くもなく、生き甲斐も感じないし、さてさて、という段階です。ここにまた、ややこしい問題が出てきました。孤独感を解消してくれる可能性は親密性、その親密性をさらに解決してくれるものは「愛」しかありません。人間の愛に期待が出来ないひとは神仏の愛に救いを求めて成功しています。愛し愛されると、孤独感は解消し、親密性も、その愛の程度で違います。孤独感と親密性と愛、と言う領域で解決しなさいよ、とエリクソンは提案しているわけです。職場で感じる孤独感を解決してくれるもの、それは人、家庭で孤独感を解決してくれるもの、それも人、色々の環境で感じる孤独感を解決してくれるもの、それもまた、人です。地球という星で生きていかねばならない人類は、死ぬまでこの孤独感が付きまといます。何故、その孤独感が人類にあるのか、その意味を比較宗教学・比較文化論を背景にしている宗教心理学が私のバックボーンですが、その生き甲斐の心理学は、こう説明します。健全な孤独感の存在の意味は人類に神仏の愛、慈悲を悟らせる為に、孤独感が存在すると。信じると見えてくるものがあります。健全な信仰心は人類に平和共存をもたらします。病的な信仰は人類を否定していきます。健全な孤独感は人々を大人に育てていきますが、病的な孤独は人々を死滅させていきます。人間は思索が足りないので、平然と、神仏に求めるべき愛と親密性を周囲の人間に求めているようです。神仏に求めるべき愛と親密性を周囲の人間に求める所から悲劇が生まれます。さあ、大変。またまた大きな課題が出てきました。人と神仏に求める「愛と親密性」を、どう分けたらいいのでしょう?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:347>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:親密性:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あまり人の事が言えない領域ですので、書きにくいのですが、その場の空気が読めない人、と世間ではしばしば問題になる領域です。現実吟味力とも言いますが、立場により、利害得失により、相当判断に狂いが生じます。熱烈な片思い、生涯をかけた遺産相続問題、職場での出世競争、その他色々の生活場面での熾烈なうわさ話、うんざりする領域でもあります。このような人生での自分の「親密性」を真面目に考える必用がある事例とは、どんな場面かと言いますと、孤独感の解決を求める人々の場合です。めんどくさい思索は人は嫌いですが、生きていてもしょうがない、とか、何と寂しい日々のことよ、とが自問自答する人はこの親密性の有り様を先ずは解決しておかないと無駄なエネルギーを消耗する人生を送くらざるをえません。意識、無意識の世界で、どの程度の親密性があれば、心が安定するのでしょう?「わたしとあなた」という関係に絞り込みます。学生時代の友達関係、恋人、夫婦、親子関係、職場、どれを取るかで、その親密性の有り様は相当違います。男女の関係でもそうですが、「わたしとあなた」という関係にしぼりこみ、その中での親密性は職場、家庭、友人、その他の人間関係で全部違います。しかし冷静に自己分析していきますと、どんな場合でも共通した親密性現象が見られます。さて、これは何でしょう?嫌われない親密性、双方が幸せになる為の基準とは何でしょうか?親密性を考える時、この不思議なものを確認しておかないと、孤独と親密性は解決出来ません。さらりとしすぎれば嫌われ、しつこいと、嫌われます。孤独感と親密性を調和するものは何でしょう?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:346>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:親密性:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人が幸せ感を感じる条件の一つにエリクソンが言う「親密性」があります。余り親密過ぎても不幸になる場合もありますし、淡々としすぎて幸せを感じられない場合もあります。難しい領域です。聴いた話:ご主人が定年退職をする時期、奥様に、これからいつも君と一緒に居られて楽しみが増える、と言うと奥様は内心、うわあーと思った話はしばしば聴く話です。どの程度親密が必要なのか、その辺りを思索していきます。孤独感と親密性、深い関係がありますが、親密性についての健全性、病的な領域は72億の人類の一人一人全部違いますので、生き甲斐の心理学では、どう考えているのでしょう?人類共通の対処方法はあるのでしょうか?さらさら、べたべた、まずは皆様の考え方を事前に楽しく思索しておいて下さい。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:345>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:孤独感:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
白蓮さんの孤独感を思索する場合でも、自分の孤独感を思索する時も、常に意識化しておく必要があるのが、その時代背景です。戦時中の青年の孤独感と現代の青年の孤独感を思索する場合でも、いつもその時代背景や文化を考えの中に入れて解釈していかないと、救いはありません。今日の白蓮さんの寂しさ(歴史に名高い白蓮事件:逃避行の場面でした)を考える場合でも、白蓮さんが大正天皇のいとこであること、その同じ大正10年2月10日には昭和天皇が皇太子時代(裕仁)には有名な「宮中某重大事件」と呼ばれている事件が報道されています。歴史書の解釈が色々ありますが、どうも皇太子妃決定を巡る粉飾事件があり、その背景には未だ薩摩長州の陰謀めいた陰がみえかくれしています。そんな時代背景を意識して、今日の白蓮さんの孤独感を考えていました。人が真面目に自分の孤独感を解決すべき時は、孤独感をもたらす遠因を自分がいたらない人間であるとか、修行が足りないとか、色々考えますが、時代背景が自分を大きく支配している歴史解釈を大切にすると、自信喪失状態から健全な自己肯定的な解釈が出来ます。昔、安田講堂事件があり学生達が激烈な活動をしている時、某職場で心理療法の仕事を手伝っていました。あまりの惨めな患者さんの対応に自信喪失したものですが、恩師が時代背景を説明してくださると、私は自分に実力が無いのではなく、この異常事態での心理療法の有り様が今は、異常なのであって、実力不足ではない、と仕事に立ち迎う勇気を得た経験があります。自信喪失による孤独感が恩師のアドヴァイスで回復した思い出があります。時代背景と孤独感の関連解釈とは、こういう事です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:344>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:孤独感:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「健全な孤独感」と「病的な孤独感」があります。この2分類は少々問題がありますが、分かりやすいので使用させていただきます。「万葉集」での寂しい歌、「源氏物語」の孤独感、「色々の時代の孤独感」と「現代の孤独感」、背景は違いますが、ホモサピエンスである以上、アフリカで生き抜いていたホモサピエンス誕生時代の孤独感と現代人の孤独感の質は違いますが、「感情としての孤独感」は同じと言われています。寂しいなあ、という感情は昔も今も変わりません。「病的な孤独感」という定義は時代と共に相当解釈が変化しています。殺人や自殺は現代の法治国家である日本では異常現象で、孤独感から殺人及び自殺に及ぶ場合、この孤独感は異常。さて他者分析は難しく、混乱しますので自己分析に移行します。自分の孤独感に注目してみます。法律違反とか文化的な視点での異常もここでは難しいので、自分の身体症状にまずは意識を向ける必用があるようです。孤独を楽しみ哲学する人、和歌を作り、音楽、芸術のエネルギーとして孤独感を応用する人は元気な証拠。孤独というエネルギーを仕事に転化出来る範疇が「健全な孤独感へのシグナル:自己実現への道のシグナル」。孤独というエネルギーに気付かず「生きる意欲、生きる喜び」を減退させる事例が「病的な孤独感へのシグナル」と解釈しています。やはり自分は何の為に生きていくのか、という哲学がないと、この孤独感を健全な方向へ修正していくのは非常に難しいようです。自己実現と孤独感は深い関連があり、単に孤独感のみの対処はあまり効果がありません。とりあえず自分は当面、何の為に生きていくのか、仮説でもいいですから、取りあえず一つでもいいですから、その生きる目的を意識化しておく必要があります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:343>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:孤独感:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何となく寂しいなあ、という感情、今日のドラマでの白蓮さんの寂しさは大変なものでした。女優さんが上手に演じているせいもありますが、この白蓮さんを見ながら、若い頃の自分の孤独感の程度というか、その深さというか、その度合いについて、比較考察してしまいました。身体症状が出て、眠れない食欲が無い等、気づいた私は幸せでした。その症状に気付かずに、どんどん憂鬱になり元気がなくなる人も沢山います。生き甲斐の心理学を勉強していく内に、自分と周囲の人々の、この身体症状が、いかに人生をつまらなくしていくかが、沢山の事例を想いだしてしまいます。孤独感の程度を比較考察する人は或程度、冷静です。どの程度の孤独感が健全なもので、どの程度の孤独感が病的かを思索しておく必要があります。白蓮さんの孤独感を倫理道徳で批判してしまいますと、この勉強にはなりません。人の孤独感を批判する前に、自分の孤独感の測定をしていく必要があります。どの様に測定するか、はさて置いて、寂しいのもは寂しいと言い切るにはプライドを捨てる必用があります。寂しくなりますと、益々、ストレス曲線(不安感、怒り、鬱)が、その寂しさを助長します。孤独感を最小限度に抑えるにはストレスを気楽に感じ取る必要があります。気づいた時は、相当重症、という事例が多いのは、寂しさとストレスが混在するからです。生活習慣病はその代表例ですが、その為にも暫く自分の孤独感の分析をしながら、自分が明るく元気で爽やかな日々を送れる原理について思索していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:342>

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