生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月24日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
本物の心理的不適応は、その人が五感と体感で受け入れたくないと思うもの(善悪に関係なく、その人の成育史上、受け入れ難く思う事)に遭遇した時、深層心理の世界で大きな緊張が生まれます。しかし教育、教え、経験があるので、ニコニコ笑いながら、緊張している事例が沢山あります。時間の問題で身体症状が出たり、爆発したりします。このような原理を意識化しておくと、セルフコントロールが上手になり、身体症状を出さなくても生きていくことも出来ます。この原理を意識化しないと抑えがたい感情に振り回され人生を棒に振る人もでてくるわけです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月23日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分に限り、こんな事はするはづがない、と。人はだれも、そう考えていますので、行動に踏み切った場合、すぐ忘れるか、意識化しないか、意識の上で逃避するか、とにかく自分がしたこととして認めない傾向があります。そのように人間は創られているようです。良心の呵責、罪の意識が強いと人間は案外ノイローゼになったり、身体症状が出る人もいるくらいです。持統天皇に限らず天皇は罪滅ぼしの為にお寺を建てたりしています。罪滅ぼしをする人間はやはり美しいなあ、と私は思います。生身の人間は互いに相手を激しく攻撃しあうことだけはやめたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
私たちは「しまった、本心でないことをしてしまった」と悔いを残す事をしながら生活しています。しかし、それもこれも案外、自己概念からは殆ど離れていない、と言われています。しまったと思う人は生涯、しまった、と思う人生をしているかもしれません。本音で生きるように努力していないと、益々、本音から離脱していくようです。悔いのないように本音を大事にして生きていきたいものです。持統天皇は藤原不比等にしてやられた、と書物に書かれてはいますが、本当にそうでしょうか?この女帝は鉄の女のようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分の身辺に色々の事がおきますと人は自己防衛の為に3つの無意識の営みをしているようです。例えば愛している人が意地悪を自分にした場合、自分を鍛えているんだ、と解釈したり、無視したり、あってはならない愛への意地悪なので、こんな人とはおさらば、と解釈したりするものです。持統天皇の権力への志向性と少々愚かな息子への溺愛が大津皇子事件などを生んでいきますが、それもこのパースナリティ理論の命題11の教科書通りの展開をしています。現代も古代もロジャースの性格形成論から見ていくと歴史から更に沢山のものが学べます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は直接、体験しなくても、あたかも体験したかのように、空想の中でも実体験として性格を形成していくようです。例えば両親が互いの悪口を子供の前で言いあうと、子供はどちらが正しいのか迷い、混乱して、育っていきます。不信感を大人に抱くようになります。持統天皇の生涯を見ると、気の毒なくらい気が休まる生活がありません。現実は楽しいこと、幸せな事も沢山あったでしょうが、お母さんや従姉妹達、周囲の高官達の讒言、どれが正しいのか誤報なのかを識別していく苦労は並大抵ではなかったようです。相当の知恵者、腹のすわった女性だったようです。現代に生きる私たちも、大脳の働きが、このように、あたかも自分が経験したかのように意識化する仕組みがあることを十分注意して生きていかないと、自分の人生を狂わせる事が多いようです。愛し愛される事が人を幸福にしていきますので愛の不信感をもたらすものには十分注意しつつ生きていきたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
三才くらいまでの性格の原型は生涯影響を与える、というエリクソンの原則を軽蔑しないで、そんなものかなあ、程度に理解しておくと、却って自分の人生を素敵に創造していくことが出来ます。下記の命題9は難解ですが、一度形成された性格は、それに上乗せされていく傾向があり、意識化しておくと、嫌な性格を修正出来たり、無視したり、これからの自分の人生で無駄なストレスを蓄積しないようにしつつ生き抜く事が出来ます。一度出来た小さな核を消す事は不可能なので、その傾向さえ意識化しておけば、いくらでも自分の好きな性格を形成していくことは可能なのです。自分の生活環境は避ける事が難しく、過去を否定することなく、将来に向けての夢を育てていく楽しみを真剣に営んでいれば、人生、沢山の道があります。生きる喜びを最優先しつつ、かつ、その生きる喜びが程度の低いものではなく、真善美に適う道(自己肯定、他者肯定)を自分なりに見つけていく必要があります。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人の性格はその生活環境の中で形成されていきます。自分を振り返っても、親友を見ても、間違いなく、生活環境が人格を形成するという説は正しいと確信するこの頃です。エリクソンと言う学者の「性格形成論:テキスト:生き甲斐の心理学 139頁」は、その通りだと感動して、日々、仕事に使用しています。性格形成理論完成に生涯を費やしたエリクソンという大学者に敬意を表します。さて持統天皇の、周囲の人々への不信感は相当深く、さもありなん、と思います。自分の父親が母方の祖父を殺し、周囲の政敵を殺戮する姿を見れば、子供心に人を信じて裏切られる恐ろしさを感じないほうが可笑しいくらいの環境です。日本の歴史のなかでもこの持統天皇の時代の毒殺、暗殺等の権力闘争は凄まじいものがあり、驚きの連続ですが、古代史として勉強していく楽しみはあります。人の成育史は必然的なものがあり、特に子供時代はどうしようもないものなので、是非、自分の成育史を否定することなく、解釈を明るくしながら、自分を明るくするような解釈をしつつ、生きていきたいものです。嫌な思い出も、良い思い出も解釈に気をつけて、決して自分の成育史を否定しないようにしたいものです。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
身近な人の中に奇妙な行動をするなあ、と不気味に思う事例はありませんか?さてここからが思索の対象なのですが、本当に奇妙なのでしょうか?他者に奇妙に見えても、その人の心の底(内部的照合枠)を偏見なく傾聴してみないと判断は出来ないものです。例えば思春期のまだ知識も経験もない子供たちは親の奇妙な行動は実は子供の将来を配慮した愛の場合が多いのです。ただ知識と経験のない子供には見えないだけの話。これと同じ事が大人の場合にも沢山あります。持統天皇の奇妙な行動を理解する為に、持統天皇の和歌や歴史の背景を理解したうえで、持統天皇の内部的照合枠を思索していくと、生き抜くための必殺の行動であることが見えてきます。逞しい女性です。奇妙な現象だけを見て軽率な判断をする側が大きな失敗をする事例が沢山ありますので、もし、これからしかるべき人が奇妙な行動をしているなあ、と想った時、その人の内部的照合枠を真面目に洞察すると、そこの素晴らしいものを見つける楽しさがあることに気付き、人生の面白さを堪能できるでしょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生での夢が、その人を逞しくする場合もあれば、ノイローゼとなりその人を破滅させていく場合もあります。現実吟味力の問題です。持統天皇は一時は相当参ったようですが、厳しい現実を的確に判断しつつ、その夢を現実化させます。周囲に相当、優秀なブレインが沢山いたようです。特に藤原氏(明治時代までその氏は逞しく生き延びていきます。近衛という氏にしたり、その時代に相応しく分裂させつつ藤原の血を拡げます)の祖・鎌足の子・不比等の現実吟味力は天才です。この知恵と生命力は島国の知恵でなく中国の大陸の知恵のようです。良い悪いは視点にしないで、生き延びる力という視点で見て欲しのですが、私たちもこの生き延びる生命力を学習したいものです。生き抜く生命力、生きる喜びのような情動の強さは、その夢を燃やす現実的な能力と正比例するようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人の情動は、その場の雰囲気に支配されますが、そればかりでなく、成育史上の理想にも支配されていきます。その場に流されながらも成育史上の理想、こうありたい、という熱い想いが咄嗟にその場の情動に上乗せされていくものです。あ、しまった、大人げない感情に流されてしまったと思うのが普通の人の人生です。藤原不比等との力関係の中で、どうも持統天皇はその情動に振り回され晩年は藤原氏にしてやられていく自分の人生に悔しい想いをしているようです。してやられた、と想いながら自死を選んだのか、毒殺されたのか、誰も知りませんが、古代史は不思議な想像を私を駆り立てます。

下記命題の引用はテキスト「生き甲斐の心理学:140頁参照下さい」:
命題6:情動は、前述のような目標指向的な行動をともない、かつ、一般的には、このような目標指向的な行動を促進するものである。情動の種類は、行動の追求的様相が完成的様相に関連しており、情動の強さは、有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている。



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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分を含めて、人間の行動は、基本的には、知覚されたままの場において、自分が、感じたままの要求を満足させようとします。自分はどんなに理性的な人間だ、と思っていても、謙遜に反省すると、この営みをしている事に気付きます。持統天皇の人生を見ていると、まさに、教科書通りの生き方をしています。自分の行動をもし理性だけでしていると考えている人がいたとしますと、その人の意識は少々問題が潜在しているでしょう。必ずいつか神経症的な身体症状が出てきます。学者に多い神経症です。理想で人を裁く人にも、この傾向があり、おつきあいしても楽しくありません。この命題5をしっかりと理解したうえで自他を「愛と許し」で許容していく人生を送らないと愛の孤独感に苛まれだすこととなりそうです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人の生命力は何処を見て判断するかと言いますと厳しい現実を明るく爽やかに元気に生き抜いていく力で識別します。私もそうですが、多少の厳しさは経験と知識で強化されますが、物凄いストレスの時は我を失い元気をなくします。生身の人間はそんなものですから心配は不要ですが持統天皇は4才の頃、母方のおじい様の塩漬けの生首を見ているようですので、その衝撃は大変なものだ、と推察出来ます、この事件でお母さんは錯乱していきます。こんな辛い現実を体験しても逞しく生きていく持統天皇を支えたものは何だったのでしょう?色々の恐ろしい事件に巻き込まれながら権力を握らないと生き延びられない環境に居直り逞しくなります。基本的に権力を大事にする傾向と渇望は生涯変わりませし、どんどん強化していく歴史が垣間見られます。この傾向を意識していたか、無意識なのかは誰も知るよしがありません。ただ歴史を見るとその逞しい傾向には驚きます。現代人の私達は生き甲斐の心理学の原理を知っていますので、この自分の傾向を知るとセルフコントロールが上手になり、余計なストレスは半減します。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
諦めて自死を選択する人生もありますが、持統天皇は、そう簡単に自死は選びませんでした。藤原不比等という人物はなかなかの逞しい男性ですが、相反する立場があるにもかかわらず、持統天皇はこの男を利用し、利用されるのを意識しつつ、生き延びていきます。そのかけひきは一つの体制化された歴史全体の流れの中で、生き延びる可能性に反応して生き延びていきます。自分の理想を断念しないこの女傑の生きざまを倫理道徳の規準で裁く前に、生命力という視点で観察してみて下さい。簡単に自死を選ぶのは神様からの恩寵を無視する事にもなりかねない思想です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人はそれぞれの成育史の中で育まれた理想像を所持していますし、それが意識、無意識の内に人生を左右しているのも、何となく知っているようです。子供の頃、仲良く遊んでいても、大人になり結婚し、立場が違うようになると、その理想像は厳然として所持していても(甥は可愛いし、大事にすべきである、という理念は生身の人間ならば当然、所持しています)、厳しい人生と利害得失がからむ公私の生活の、それぞれの緊迫した場面ともなれば、その場で知覚されるままのものに、反応するものです。こうして持統天皇も姉の息子(大津皇子)を追い込み悲劇の歴史が展開していきます。人はその場、その場に反応し、その知覚がその人の実存(riality)として対処され生き延びていくようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年04月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は優しい性質がありますので、とかく遠慮して、ついつい相手を立ててしまい、あとで悔いを残して、歯ぎしりしています。これはこれでしかたがないと思いますがストレスを感じて身体症状を出すまで遠慮するのは健全とはいえません。挙句の果てに入院などしては、かえって周囲の人々に迷惑をかけることとなります。持統天皇の生き方を見ていますと、ある時期は遠慮しますが、なかなかの大人物で夫君である天武天皇とともに壬申の乱を共に闘いぬくような女傑です。私は私、という生き方はとても重要な生き方です。
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