生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 日々の生き甲斐、自分の過去の生育史の解釈を変えると日々のストレスが激減します。

自分は何処へ旅しているのだろう?:愛:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月22日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
寂しい人生を解決してくれるもの、それが親密性らしい、という概念が理解できそうですし、その親密性も色々ややこしくて、面倒だが、それを無視して生きようとすれば、ちっとも日々が面白くもなく、生き甲斐も感じないし、さてさて、という段階です。ここにまた、ややこしい問題が出てきました。孤独感を解消してくれる可能性は親密性、その親密性をさらに解決してくれるものは「愛」しかありません。人間の愛に期待が出来ないひとは神仏の愛に救いを求めて成功しています。愛し愛されると、孤独感は解消し、親密性も、その愛の程度で違います。孤独感と親密性と愛、と言う領域で解決しなさいよ、とエリクソンは提案しているわけです。職場で感じる孤独感を解決してくれるもの、それは人、家庭で孤独感を解決してくれるもの、それも人、色々の環境で感じる孤独感を解決してくれるもの、それもまた、人です。地球という星で生きていかねばならない人類は、死ぬまでこの孤独感が付きまといます。何故、その孤独感が人類にあるのか、その意味を比較宗教学・比較文化論を背景にしている宗教心理学が私のバックボーンですが、その生き甲斐の心理学は、こう説明します。健全な孤独感の存在の意味は人類に神仏の愛、慈悲を悟らせる為に、孤独感が存在すると。信じると見えてくるものがあります。健全な信仰心は人類に平和共存をもたらします。病的な信仰は人類を否定していきます。健全な孤独感は人々を大人に育てていきますが、病的な孤独は人々を死滅させていきます。人間は思索が足りないので、平然と、神仏に求めるべき愛と親密性を周囲の人間に求めているようです。神仏に求めるべき愛と親密性を周囲の人間に求める所から悲劇が生まれます。さあ、大変。またまた大きな課題が出てきました。人と神仏に求める「愛と親密性」を、どう分けたらいいのでしょう?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:347>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:親密性:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月21日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
あまり人の事が言えない領域ですので、書きにくいのですが、その場の空気が読めない人、と世間ではしばしば問題になる領域です。現実吟味力とも言いますが、立場により、利害得失により、相当判断に狂いが生じます。熱烈な片思い、生涯をかけた遺産相続問題、職場での出世競争、その他色々の生活場面での熾烈なうわさ話、うんざりする領域でもあります。このような人生での自分の「親密性」を真面目に考える必用がある事例とは、どんな場面かと言いますと、孤独感の解決を求める人々の場合です。めんどくさい思索は人は嫌いですが、生きていてもしょうがない、とか、何と寂しい日々のことよ、とが自問自答する人はこの親密性の有り様を先ずは解決しておかないと無駄なエネルギーを消耗する人生を送くらざるをえません。意識、無意識の世界で、どの程度の親密性があれば、心が安定するのでしょう?「わたしとあなた」という関係に絞り込みます。学生時代の友達関係、恋人、夫婦、親子関係、職場、どれを取るかで、その親密性の有り様は相当違います。男女の関係でもそうですが、「わたしとあなた」という関係にしぼりこみ、その中での親密性は職場、家庭、友人、その他の人間関係で全部違います。しかし冷静に自己分析していきますと、どんな場合でも共通した親密性現象が見られます。さて、これは何でしょう?嫌われない親密性、双方が幸せになる為の基準とは何でしょうか?親密性を考える時、この不思議なものを確認しておかないと、孤独と親密性は解決出来ません。さらりとしすぎれば嫌われ、しつこいと、嫌われます。孤独感と親密性を調和するものは何でしょう?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:346>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:親密性:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月20日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人が幸せ感を感じる条件の一つにエリクソンが言う「親密性」があります。余り親密過ぎても不幸になる場合もありますし、淡々としすぎて幸せを感じられない場合もあります。難しい領域です。聴いた話:ご主人が定年退職をする時期、奥様に、これからいつも君と一緒に居られて楽しみが増える、と言うと奥様は内心、うわあーと思った話はしばしば聴く話です。どの程度親密が必要なのか、その辺りを思索していきます。孤独感と親密性、深い関係がありますが、親密性についての健全性、病的な領域は72億の人類の一人一人全部違いますので、生き甲斐の心理学では、どう考えているのでしょう?人類共通の対処方法はあるのでしょうか?さらさら、べたべた、まずは皆様の考え方を事前に楽しく思索しておいて下さい。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:345>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:孤独感:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月19日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
白蓮さんの孤独感を思索する場合でも、自分の孤独感を思索する時も、常に意識化しておく必要があるのが、その時代背景です。戦時中の青年の孤独感と現代の青年の孤独感を思索する場合でも、いつもその時代背景や文化を考えの中に入れて解釈していかないと、救いはありません。今日の白蓮さんの寂しさ(歴史に名高い白蓮事件:逃避行の場面でした)を考える場合でも、白蓮さんが大正天皇のいとこであること、その同じ大正10年2月10日には昭和天皇が皇太子時代(裕仁)には有名な「宮中某重大事件」と呼ばれている事件が報道されています。歴史書の解釈が色々ありますが、どうも皇太子妃決定を巡る粉飾事件があり、その背景には未だ薩摩長州の陰謀めいた陰がみえかくれしています。そんな時代背景を意識して、今日の白蓮さんの孤独感を考えていました。人が真面目に自分の孤独感を解決すべき時は、孤独感をもたらす遠因を自分がいたらない人間であるとか、修行が足りないとか、色々考えますが、時代背景が自分を大きく支配している歴史解釈を大切にすると、自信喪失状態から健全な自己肯定的な解釈が出来ます。昔、安田講堂事件があり学生達が激烈な活動をしている時、某職場で心理療法の仕事を手伝っていました。あまりの惨めな患者さんの対応に自信喪失したものですが、恩師が時代背景を説明してくださると、私は自分に実力が無いのではなく、この異常事態での心理療法の有り様が今は、異常なのであって、実力不足ではない、と仕事に立ち迎う勇気を得た経験があります。自信喪失による孤独感が恩師のアドヴァイスで回復した思い出があります。時代背景と孤独感の関連解釈とは、こういう事です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:344>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:孤独感:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月18日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「健全な孤独感」と「病的な孤独感」があります。この2分類は少々問題がありますが、分かりやすいので使用させていただきます。「万葉集」での寂しい歌、「源氏物語」の孤独感、「色々の時代の孤独感」と「現代の孤独感」、背景は違いますが、ホモサピエンスである以上、アフリカで生き抜いていたホモサピエンス誕生時代の孤独感と現代人の孤独感の質は違いますが、「感情としての孤独感」は同じと言われています。寂しいなあ、という感情は昔も今も変わりません。「病的な孤独感」という定義は時代と共に相当解釈が変化しています。殺人や自殺は現代の法治国家である日本では異常現象で、孤独感から殺人及び自殺に及ぶ場合、この孤独感は異常。さて他者分析は難しく、混乱しますので自己分析に移行します。自分の孤独感に注目してみます。法律違反とか文化的な視点での異常もここでは難しいので、自分の身体症状にまずは意識を向ける必用があるようです。孤独を楽しみ哲学する人、和歌を作り、音楽、芸術のエネルギーとして孤独感を応用する人は元気な証拠。孤独というエネルギーを仕事に転化出来る範疇が「健全な孤独感へのシグナル:自己実現への道のシグナル」。孤独というエネルギーに気付かず「生きる意欲、生きる喜び」を減退させる事例が「病的な孤独感へのシグナル」と解釈しています。やはり自分は何の為に生きていくのか、という哲学がないと、この孤独感を健全な方向へ修正していくのは非常に難しいようです。自己実現と孤独感は深い関連があり、単に孤独感のみの対処はあまり効果がありません。とりあえず自分は当面、何の為に生きていくのか、仮説でもいいですから、取りあえず一つでもいいですから、その生きる目的を意識化しておく必要があります。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:343>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:孤独感:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月17日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
何となく寂しいなあ、という感情、今日のドラマでの白蓮さんの寂しさは大変なものでした。女優さんが上手に演じているせいもありますが、この白蓮さんを見ながら、若い頃の自分の孤独感の程度というか、その深さというか、その度合いについて、比較考察してしまいました。身体症状が出て、眠れない食欲が無い等、気づいた私は幸せでした。その症状に気付かずに、どんどん憂鬱になり元気がなくなる人も沢山います。生き甲斐の心理学を勉強していく内に、自分と周囲の人々の、この身体症状が、いかに人生をつまらなくしていくかが、沢山の事例を想いだしてしまいます。孤独感の程度を比較考察する人は或程度、冷静です。どの程度の孤独感が健全なもので、どの程度の孤独感が病的かを思索しておく必要があります。白蓮さんの孤独感を倫理道徳で批判してしまいますと、この勉強にはなりません。人の孤独感を批判する前に、自分の孤独感の測定をしていく必要があります。どの様に測定するか、はさて置いて、寂しいのもは寂しいと言い切るにはプライドを捨てる必用があります。寂しくなりますと、益々、ストレス曲線(不安感、怒り、鬱)が、その寂しさを助長します。孤独感を最小限度に抑えるにはストレスを気楽に感じ取る必要があります。気づいた時は、相当重症、という事例が多いのは、寂しさとストレスが混在するからです。生活習慣病はその代表例ですが、その為にも暫く自分の孤独感の分析をしながら、自分が明るく元気で爽やかな日々を送れる原理について思索していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:342>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:孤独感:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
白蓮さんへの評価は実に多数あり、内容も色々ですが私は倫理道徳も大事にしていますが、彼女は自殺を乗り越えただけでよく生き抜いた女性だなあ、と感動しています。彼女の生育史は実に複雑ですが、徳川の世の中でしたら、お姫様です。実母は幕末のアメリカへの使節団の団長の娘でした。彼は徳川慶喜の信頼厚い重臣でした。明治維新という大革命が一族の人生を変えていきます。白蓮さんは大正天皇はいとこでもあります。調べれば調べるほど大正時代の華族制度の中では上位を占める社会的な立場だけに、生活意識と生育史からくるストレス曲線を推測しないと歌集「踏絵」の歌の意味は推測出来ません。孤独感は何処から生まれてくりか、エリクソンはこう分析しています。人の愛の孤独感は、その人の生育史における「親密性」と「愛」と「孤独感または孤立感」の3つの関連性を思索しないと、その人の孤独感は解決出来ません。この3つの関連を白蓮さんを例に思索してみます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:341>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:孤独感:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
白蓮さんの歌集「踏絵」の最初の歌:われはここに神はいづくにましますや 星のまたたき寂しき夜なり」が目に飛び込んできます。本になりましたら、その解釈は読む人の自由ですし、和歌の基本がどうとか、他者から自分の解釈にとかく言われたくありません。この歌を読んで私の心の最初に浮かんだイメージというか、ヴィジョンは私の人生でした。30代のころ、暴動真っ盛りのアルゼンチンに飛んだことがあり、市街の暴動に巻き込まれ死にかかった体験があります。その死体や荒れた群衆の姿や軍事政権への恐怖を想い、神様の愛とは何だろう、本当に神様っているのだろうか、とか全知全能で愛である神とは本当だろうか、と悩み孤独を感じた経験があります。人間の孤独感は人を破壊させ、自殺にまで追い込みます。現代の革命ばかりでなく、フランス革命、ロシア革命、現代の戦争により孤児となつている子供達の孤独感の処理、対応について暫く思索していきます。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:340>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:流れゆく先:その5:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
倫理学も大事ですが、生き抜く知恵を探り出すコツを歴史書から学ぶと歴史書が益々楽しくなります。今、私が頭の整理として愛読している本は「早わかり日本史」日本実業出版社:河合敦:¥1300:です。絵と簡潔で正確な年表、そして楽しい文章、実に面白い本です。沢山の古代史、小説を明治大正昭和初期まで乱読してきましたが、少し休憩して頭の整理を「生き甲斐の心理学」の立場からしています。若くして死んでも、その死の前に「我が道」を意識した死と、その我が道を模索中の死とでは、歴史を読む立場の人としては、その死の解釈は相当違ってきます。大河ドラマでの織田信長の死は納得がいきましが、現代の若い人々の迷いの最中の死は私の胸を掻き乱します。歴史から得る「生き抜く逞しさ」は現代に生きる私に希望を与えます。最期の最後まで、希望を捨てずに生き抜く偉大さを感じさせてくれます。生き抜く事、これが天から与えられた義務のようです。この生き抜く決意があれば、どんな人生を歩む羽目になりましても、愛である全知全能の神様は「御苦労さまでした」と天国に大喜びで私達を案内してくださるでしょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:339>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:流れゆく先:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
松井須磨子島村抱月の自殺事件、そのような事件が大正8年に起きています。女性の選挙権の無い時代に女性の人権に目覚めた人権運動も盛んになりだしますが、白い目で見られています。大正の末までの教育も、どちらかと言いますと士族、華族の子弟だけで、商家や豪農の子弟も大正の末までは少数化です。海軍兵学校、陸軍士官学校、師範学校の入る青年達は殆どが士族(豊かな士族、貧しい下級武士を含め)でした。特に女性は教育を受けると生意気な女になるだけ、という時代です。そんな大正ロマンの歴史の中での「ころび、おきあがり」現象は自殺という悲劇も沢山ありましたようですが、ここでは転び方のまずいものの代表が自殺です。白蓮は死を考えたようですが、その方向には転びません。逞しく、その場、その場を生き抜いていきます。恋も希望の一つですし、生きる喜びも重要なもの。立ちあがるエネルギは生きる希望と喜びの追求しかありませんが、平素の努力を向ける方向はひたすら生きる希望のようです。希望という一番大事な夢を、それぞれに違う生育史の中で育てるのは大変ですが、自分流の希望力だけは、人には分からない領域ですので、堂々と、自分流に育てる必用があります。現実吟味力を働かせるのはその後のようです。幾つかの夢の無い人は、転び方が悲劇的となるようですが、夢があると、転び方も立ちあがる方法も軽やかなようで致命的な骨折にはならないようです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:338>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:流れゆく先:その3:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ドラマ「花子とアン」で白蓮さんが宮崎青年に対して「あなたはよく転ぶ方ね」という場面がありました、そう言った後、抱擁するのですが、脚本家は朝ドラなのでさらりと複雑な愛を表現します。白蓮事件は詳細に調べれば調べるほど、複雑で根が深く大正時代の精神文化、大正ロマンという人もいるくらい、日本の精神史でも面白い時代です。明治維新が終わりましても国民の精神文化は大正の終わり辺りから近代化されていくようですので、今のドラマは大正8年くらいですから、益々、脚本家の腕が問われる場面が続くでしょう。「あなたはよく転ぶ方ね」という白蓮さんのセリフは実に奥深い。転んで立ちあがる白蓮さんの人生は勉強に値する生育史です。大正10年に白蓮事件が起きていますが、同じ年の安田財閥の暗殺、原首相の暗殺、それらの事件よりも白蓮さんの事件の方に国民の目が向かっていたようです。転んでは立ちあがる私達の人生と重なるようです。逞しく立ちあがる方法はないものでしょうか?
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:337>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:流れゆく先:その2:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんな人生を送りましても自分は天国に行けると日々信じて生きる事が出来る人は幸いです。そのような人々は沢山います。そう信じて生きている人を皆様がご覧になりましたら、「花子とアン」ではありませんが「てー」と言うと思います。なるほどなあと言う人もおられますが、仮に、私と出会いましたら「てー」だと思います。どうしてこの人は天国に行けると確信しているのだろう、と不思議に思う事でしょう。私が洗礼を受けたのは高校生2年の時で、48歳の母が死んだ後です。洗礼を受けたからと言いましても、いつも天国に行けると確信したわけではありません。今でも時々、ほんとに行けるのかなあ、と悩みますが最終的には心が信じる事で天国へいける自分に安心出来るわけです。これが信仰の世界です。エリクソンではありませんが、地獄に行きそうだと感じる時は、人は下記の感情に満ち満ちている時です。不信感、疑惑感、罪悪感、劣等感、自己混乱感、停滞感、絶望感です。天国に行けると確信出来た時の感情は基本的な信頼感は健全ですし、自律性、自発性、親密性、自我統合性は健全で、生きる希望に満ちていて、意思力も自由に働き、目的性も明確にされているし、愛も感じていて、人々への世話の豊か、生きぬく知恵も自然に湧きだします。このように地獄にいくことはない、と確信し、どんな自分でも信仰があれば天国に行ける自分を創造していきたいものです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:336>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:流れゆく先:その1:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生きている内は何とか処理、対処できそうですが、死んでしまったら、もう時は遅しで、自分が天国にゆくのか地獄に行くのか悩む所です。地獄にだけは行きたくありません。奈良京都の神社仏閣ばかりでなく、近所のお寺に散歩しましても地獄絵はやたらと沢山置いてあります。大体の人はほーっと言いながら、数分は佇んでいますが、慌てるようにして幸せな表情をしている弥勒菩薩様の慈悲に満ち溢れた仏像のほうで、長々と拝んでおられます。いつまでも地獄の絵を見続けている人を見たことがありません。何故か、子供から高齢者まで、罪悪感があるようで、理由を問わず暖かく自分を見守る仏様に好意を感じます。文句や非難、追求タイプは嫌われます。この至らない自分、罪深い自分、駄目な自分を受け入れてくれるものに人類は数千年憧れつづけました。色々の信仰心がうまれてきます。天国に流れていくのか、地獄にながれていくのか、この問題処理は信仰の世界が一番重要で、信じると見えてくる世界です。信じないと見えてきません。ローマンカトリツクは難しい学問の世界のようでうが、子供から高齢者まで、心を病んだ人でも理解されやすいように、この領域の解説を上手にしてくれます。一度、カトリツク系のミッションスクールの知り合いに質問してみて下さい。必ず天国に流れていきますよと答えるはづです。地獄に行くよという人がいたら、その人は少々勉強不足です。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:335>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:流れゆく先:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
演歌の世界ではありませんが、流れ流れてどこへやら!人間だれでも、自分の流れゆく先は分かりませんが、普通の人はあまり考えても分からないので、ほぼ諦めているというよりは、安心して生きているようです。しかし、どこに流れていくかを考えだすと眠れません。この問題を生き甲斐の心理学は明確に述べています。(1)具体的に何が起きるか、誰もしらない。不可知論として対処していきます。(2)だからと言いまして将来を諦めてはいけない。ではどうするか?(3)西洋占星学や陰陽思想にもとづく予測学をユング心理学として学習する。(4)具体的な事象は誰も予測できないが、ストレス曲線(不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱の5つ)は死ぬまで襲いかかるので、そのストレス曲線を、どう覚悟し、受け入れていくか、を学習し、その取り扱いを勉強していきます。この(4)について少々ここで思索します。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:334>

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自分は何処へ旅しているのだろう?:人は考えた通りの人間になる:その16:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
笑わないで読んで欲しいのですが「花子とアン」の白蓮さんの歴史背景から明治、大正、昭和初期の人々の生活感情を思索しています。その途中で私は大いなる解釈違いをしているのに学友の友達に教えていただき慌てています。白蓮さんが宮崎さんと結婚し東京に居る頃、花街の「森光子」の駆け込みを助けた話に感動し涙していたわけですが、その森光子さんを放浪記の森さんと思いこみ人生の不思議さをあちこちで語ってしまいました。白蓮さんが助けた森光子さんは1905年生まれ、放浪記の森さんはその15年後に生まれていました。このように私は同じような間違いをして生きてきたに違いありません。結果良ければ全てよし、と自分を慰めてはいますが、今の自分の人生には感謝しかありませんが(都合の悪い事は全部忘れるように努力中)、私の話を信頼して、今でも、二人の森光子さんを巡り涙している講座生徒の皆様には深くお詫びしています。さてこの白蓮さんの森光子さんは外務官僚の西野さんと結婚し、その為に外務省を罷免されるのですが、色々の嫌がらせを受けて生きていきす。その後、東洋大学の講師をされたようですが、この夫人の森光子さんの死についてははっきりしません。ご存じの方がおられましたら是非、お教え下さい。このように人の人生は何処に流れていくのでしょうか?流れゆく先を私達はどう考えたら平安感が得られるのでしょう?「生き甲斐の心理学」は自分の流れゆく先をどのように解釈しているのでしょう。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:333>

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